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#5

 ――夢を見た。悪夢だった。


 悪夢を見ること自体は、最近では珍しい話ではなかった。それこそ、以前から悩まされている婚約破棄の夢は、やや頻度は減ったものの、それでもなおかなり頻繁に現れてくる。


 しかし、今日の夢はそれとは違っていて。


 襲い来るその恐ろしい光景から逃げるようにして飛び起きた私は、それが夢で良かった、と。手のひらの感覚を確かめつつ、そう思う一方で。

 その夢が、以前の夜会での一件のように。現実に再現されていくものなのではないか、と。そうも思ってしまう。


「……アルベール様に、また、凶手が」


 初めて見た夢だからだろうか。あるいは、突然に飛び起きてしまったからだろうか。

 正確な前後関係や、また、周辺状況であるというような、そんなことについては覚えられていなかった。


 ただ、ひとつだけ。ハッキリと覚えられていることがあって。


 胸に突き立てられた銀色の刃。吹き出る鮮血。

 私は守ろうと手を伸ばすけれど、届かなくて。


 しかし、これ以上が思い出せない。なにか、もっと大切なことがあったような、そんな気がするのに。


「そういえば、どうしましょうか」


 起き抜けで、うまく回っていない思考ながらに。私はゆっくりと視線を動かし、机へと。

 備え付けられている鍵付きの引き出しの中には、アルベール様から頂いた紙が収められている。

 紙としての性質で言うなれば、上等ではあるものの、特段変わったものではない。だがしかし、そこにアルベール様の署名と、更には添え書きが一筆加えられているだけで価値が大きく変わる。


 ゆっくりと立ち上がり、机に向かう。

 ランプに火を灯しつつ、鍵を取り出し、引き出しに差し込むとカチャリという小気味よい音を立てて回る。

 中から件の紙を取り出すと、それを前にして、ジッと考える。


「これに書けば、検閲などをすべて飛ばして、アルベール様へと届く」


 アルベール様が、以前の夜会と同じようなことが起こったときに、事前に知らせてほしいと。そう言って渡してくださったものだ。

 今回のこの件も、報告するべきだろうか。……少し、迷う。

 一瞬筆を取りかけて、しかし、そこで踏みとどまり。


(……まだ、わからないことが多すぎる気がする)


 もう少し、待つべきかもしれない。

 仮にアルベール様に危険が迫っているのならば、急いでそのことについて伝えるべきなのだろうが。だがしかし、まだ悪夢を一度見ただけである。

 自分で確かめておきながら、根拠としているその理由にふざけているのかとそう思ってしまいそうになるが。しかし、実績があるだけに無碍にはできない。

 無碍にはできないが、同時にまだ確度が低すぎる。

 実際、前回の毒殺……現実には未遂に留まったが、そのときだって、私はその夢についてまるでこれから先に起こることを暗示されているかのように、繰り返し悪夢として見たのだ。

 それこそ、私があの夜会に参加して。周囲の様子を確かめて、ああ、あの夢の光景だ、と。そう確信できるできるほどに、ハッキリと周りの人の様子なども含め覚えられるくらいに。


(もう少しだけ、様子を見ましょうか)


 万が一、私が日和見をしたせいで手遅れになる、ということは避けたいが。しかし、まだ、ただの勘違いである可能性もある。

 それに、夢の中にある微かな状況を鑑みるならば、()()に私はいた。

 アルベール様へと伸ばした手は、私のものだった。


 で、あるならば。少なくとも一切の猶予がないほどにすぐ起こること、ということはないだろう。

 まず。現在のところ、アルベール様と今すぐにお会いする予定は無い。

 もちろん、予定などいつ変更になるかはわからないものの。明朝になっていきなり、ということがほとんどないということも事実。

 アルベール様はもちろん、私もそれなりに忙しい人間ではある。特に婚約が決まってからはやることが増えている。

 だからこそ、現状予定が無いということは、すぐさま起こることではない、という裏打ちになる。

 ……もちろん、私がそうあってほしい、と。そう願ってしまっている側面がなくはないのだけれども。


 いずれにせよ、まだ情報がなさ過ぎる。

 せめて、どこで起こったのか、という場所だけでもわかれば、そういった場所に近づかないように、と。そう書くことができるのだけれども。


「……悪夢を見たい、というようには思いません」


 夢見は、いいに越したことはない。安息の時間にまで、精神を追い詰められるような思いを自分から願ってしたいだなんて、そんなことは微塵も思わない。

 だけれども、もし、この夢を見ることによって、アルベール様の身が助かるのであれば――、


「それを、確かめるためにも。……眠るしかないでしょう」


 いずれにせよ、婚約破棄の悪夢に苦しめられているのだ。それならば、有用な悪夢を見る方が、余程建設的だ。

 覚悟とは裏腹に、顔を少し歪めてしまうが。ひとまず引き出しの中に紙をしっかりと仕舞い込んでから、私は再び、布団の中へと入る。


 これが。この夢が。ただの悪夢であると、そう願って。

 私の懸念が、ただの杞憂であると、そう信じて。


 ――現実は。いや、夢は。そう甘くはなかったのだけれども。






 それから数日のこと。以前の夜会の際と同様に。今では連日同じ夢を見ている。

 これは、考えたくはないけれども。そういうこと、と認識していいだろう。


 夜、眠る前に。再び今日も見ることになるであろう、その夢について。そんなことを考えながら、柔らかなランプの灯りに目を向けていた。


 だがしかし、不思議なことに夢の内容について思い出せるのが、最初のときとほとんど変わっていない。

 いや、全く変わっていないわけではない。だがしかし、ほとんど情報が増えていないというのも事実で。


 どうしてだか、詳しい情報が記憶に残っていない。それほどに印象に薄い場所なのか、あるいは、私の知識や経験になく、うまく思い出せないのか。

 あるいは、なんらか別な理由があって、私が思い出せていないのか。


 その詳しいところはわかりはしないが。ひとまず、どうするべきか、と。


 私の目の前には、件の紙が置かれていた。

 自室の机。そこに向かいながら、照らされているそれを見つめていた。


「書くべき、でしょうか」


 少なくとも、アルベール様からこの紙を渡された、その目的に沿った状況にはなっている。

 ただ、私がそれを書くのを少し躊躇ってしまっているのは、その夢の内容が以前と比べてハッキリしていないからだろう。


「書くにしても、なんと書くべきでしょうか」


 夢の中で、胸にナイフを刺されていた、と。そう書くことはできる。だが、それだけしか書けず、それ以上が書けない。

 強いて言うなれば、その場に私がいた、と。そう併記することはできるものの、逆に言えばそれくらいしか書くことがない。


 そんな状況での注意喚起で、果たしていいのだろうか、と。そう感じてしまう一方で。

 しかし、それでも。やはり伝えるべきだろう、と。そうも感じる。


 もしもこれが、なにかの勘違いや杞憂ならば、それでいい。いや、よくはないが、取り越し苦労で済むならば安いものだ。やらずに後悔するよりも、やってなにも起こらないほうが圧倒的によい。

 それに、最悪はこの夢が現実に起こってしまうこと。それを回避するためにも、心持ちとして、事前に知っていると知らないとでは大きく差が出てくる。たとえそれが、到底対策とは呼べないほどに、ふんわりとしたものであっても。

 で、あるならば。やはり、アルベール様に伝えておくべきだろう。


 不安を抱えつつも、私はとにかく夢の中の内容について、可能な限りを紙に記した。

 自分で読み返してみても、根拠もなく、荒唐無稽で。そして、それを読んだところでどうしろと、そう聞きたくなるような内容になってしまっていて。これがこの紙でなければ、そのまま丸めて、くずかごに投げ捨ててしまっていただろう。

 だがしかし、換えの効かない、とても大切な紙であり。そして、未だに半分くらい信じられないものの、こういうことを望まれて託された紙である以上、これで、いいのだろう。


 私はそう思いながら、ひとまず今日は眠ろうか、と。立ち上がり、ベッドへと向きかけて。

 その瞬間、ふと、思う。

 そういえば、この手紙はどうすればいいのだろうか。


 普通に手紙として出せばいいのかもしれないが、内容が内容なだけに少し躊躇ってしまう。

 そもそもこの紙は便箋なわけで、封筒に入れてしまえば他の郵便物となんら違いがなくなるため、特別これが目立つ、ということはなくなる一方で、区別もつかなくなる。

 アルベール様は、これに書けば一切の検閲を介さずに彼の元へと届く、と。そう言っていたが。他との区別がつかなくなってしまっては、それも難しいのではないだろうか。


 そんなことを思いながらに私は振り返り、机の上を見て。

 なるほど、と。合点して。私は小さく笑う。


 たしかに、それならば。アルベール様の元へと、確実に、検閲無しに届くだろう。


 あったはずの手紙が、忽然と消え失せたその机の上に、納得する。

 ――婚前の令嬢の部屋に、挨拶もなしに忍び込むのは、褒められた行為ではないだろうけれど。とはいえ、それが仕事なのだから、仕方ないだろう。

 彼だか彼女だかはわからない。だが、いるのだろう。……いや、今は居た、に変わっているのかもしれない。


 全く、存在に気づかなかった。おそらくは、アルベール様の腹心(かげ)の類だろう。さすがというべきか、なんというか。おそろしく、そして、ある意味で安心できる。


 存在として、いるだろうなとは思っていたが。まさか、私に付いていたとは、思っていなかった。

 だがしかし、アルベール様の視点から情報を整理してみれば納得の行く話ではある。


 毒殺を遂行されかけて、ギリギリで助かり。

 そしてそれを言い当てた人物が、あろうことか夢で見たなどと、世迷言を放つ。


 そんな人物を信用しろ、というのは難しい話だ。

 だからこそ、その裏付けをとるために、こうして監視を行っていた、とすれば筋が通る。

 ついでに、今回の手紙を運ぶ役目をも担っているとすれば。


 いや、待て。アルベール様には腹心(かげ)がいるのだろう。それも、当然私がそういう感覚に優れてはいないとはいえ、全く存在を知覚することができないほどに、優秀な人間が。

 そんな人間がいながらに。それこそ、王宮側の準備した食事に毒が混入していた前回の件ならともかく、刺殺という物理的な干渉を、そんな腹心(かげ)がいるような状況で可能なのだろうか。

 もし可能なのであれば、いったいどういう状況なのだろうか。


 ふと湧き上がってきたその疑問に、なにかヒントがありそうなそんな気はしたのだが。しかし同時、一等強い睡魔が振りかかってくる。

 ただでさえ最近夢見が悪く、十分に身体が休まっていなかったところに。先程の手紙を書くために随分と時間をかけてしまっていて、限界が近かったのだろう。


 ……まあ、疑問は残りはするものの、なにはともあれ、手紙は届くことだろう。そのことに少しだけ安堵しつつ。しかし、これから見るであろう悪夢に。そして、それが現実に起こってしまうであろうという現在の状況に。

 私は、少しだけ覚悟しつつ。ベッドにゆっくりと腰を下ろした。





   * * *





 腹心(かげ)から手紙を受け取って。ふむ、と。アルベールは指で顎を撫でる。


「少し、イザベラの近況を教えてくれるか?」


「はい」


 アルベールのその質問に、腹心(かげ)は淡々と説明を始める。

 事実として、かなり寝苦しそうな様子ではあったこと。それが、特に最近酷くなっていた、ということ。

 それこそ、悪夢を見ているというその彼女の証言に納得がいく、と彼は話していた。


「途中、一度飛び起きることもあり。その際にその紙を取り出していました」


「取り出しただけ、か?」


「はい。それから数日が経った昨晩に、筆を取られ、その手紙が書かれました」


 腹心(かげ)のその言葉に、アルベールは「ありがとう」と伝えて。

 なるほど。たしかに彼女らしい、と。そう感じていた。


 手紙の内容からも。だいたいのイザベラの葛藤は見受けられる。


 まるで情報が足りていない注意喚起。おそらくは、最初に飛び起きたタイミングが初めて見たとき。そのときに一度書こうかと迷ったが、情報が足りないと判断。

 しかし、繰り返し見るうちに悪夢が以前の夜会での毒殺と同じく予知であると判断し、ひとまずは連絡だけでも、と。そう思っての手紙だったのだろう。


「しかし、ナイフでの刺殺、か」


 前回の周到さに比べて、かなり杜撰な計画に見える。あのあと、毒を混入させた犯人についてアルベールは独自に捜査を行っていたのだが、全く足がかりが掴めなかった。

 随分と前から計画していて。十分な準備の元で実行に移されたものだろう。

 それに比べて、ナイフでの刺殺というと、随分と感情的で、突飛なものにみえる。

 もちろん、計画が頓挫してヤケになった、と。そう考えることもできるが、足がつくことを随分と嫌っている様子の犯人からしてみれば、いきなり変わりすぎなようにも見える。

 それこそ、二つの事件で、犯人は別々、と。そう言われたほうが納得するような。


「しかし、どうしますか?」


「どう、とは? ……ああ、わかった。あのことか」


 腹心(かげ)から尋ねられたことについて、一瞬遅れたが、すぐさま理解する。

 彼が心配しているのは、アルベールがブランシャール家に訪問しようという話のことだった。

 いくら忙しいからとはいえ、婚約している以上、全く会わないというのも体裁が悪い。文通を行っている、などと言うことができれば幾らかはマシだろうが、手紙の内容が他人には見せられない以上、そういったことも言えない。

 ちょうどアルベールの予定が少し開きそうであったために、イザベラに会うという目的もあり。また、少し面白そうな噂も聞いていたこともあり。それならば、会いに行こうか、と。

 その話についてブランシャール家に打診を送ろうかと、そういうタイミングでイザベラからこの手紙が届いたのだった。


 ある意味では完璧なタイミングである。


「……いや、予定どおり、訪問しよう」


「大丈夫ですか? その手紙の内容を鑑みるのであれば、彼女と一緒にいるときに事が起こる、と」


 それについては、アルベール自身も考えた。イザベラの忠告は、おそらくは腹心(かげ)の言うそういう意味合いを半分くらい含んでのものだろう。

 そして、それについてを素直に受け取るのであれば、今回のそれについて差し控えるべきかもしれない。


 だがしかし、


「ああ、大丈夫だ。もちろん体裁云々という話もなくはないが。それ以上に、私自身、自分で確かめてみたいこともあるんだ。それに」


 アルベールはニコリと笑いかけて、言い放つ。

 自身の中に抱えた、その疑問について。自分の目で、耳で。確かめておきたい。


「万が一があれば、お前が守ってくれるだろう? 特に、傷害などであれば」


「それは、もちろん」


 スッと頭を下げる彼に。アルベールは満足そうに笑いながら。


「逃げてばかり、というわけには行かないだろう。……こちらからも、動かねばなにの解決にもならない」


 結局イザベラに会いに行かなくても、それはただの先送りにしかならない。いつ起こるかがわからないのならば、いっそ立ち向かうのもひとつの手だ。

 そのための心構えをしておいてほしい、ということも。イザベラからの手紙の、その本意だろう。


 ――それに、


「私だって。イザベラが悪夢に悩まされているというのならば、早急にその呪縛から解放してやりたいしな」


 自身が理由で婚約者が苦しんでいるというのは、微塵も面白くない。

 それを助けてやれないのは、心苦しいが。ならば、せめて早くに解決できるように、こちらからもできうる限りは動くべきだろう。

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