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#44

「……さて」


 見慣れてしまった、見覚えのない景色。いつか起こるのであろう、婚約破棄の夜会の一幕。

 直近まではルイーズの一件があったから、この夢を見るのはしばらくぶりになる。


 億劫な気持ちが浮かんで来ない、といえば嘘にはなる。

 先日までの夢とは違い、特段苛烈に非難を受けるであるとか責め立てられるであるとか、そういうわけではないので、それに比べれば負担は大きくはないのだけれども。

 しかし、それはそれとして。やはり精神的な重みは間違いなくあるわけで。


「けれど、そう言って、逃げ続けているわけにはいかないわけで」


 ここは夢の中。だから、イザベラの心理が良くも悪くも優先()()()()()()

 それは例えば。極端な言い方をするのならば、ここで無理矢理に関係のない人物――例えば夜会の会場には本来姿を表さないであろうサーシャやギルスなどを想像して呼び出してしまうことも可能であり。

 そして同時に、イザベラ自身がやりたくないと思ってしまうことについては、夢自身がそれをできなくなるようにと、絡め取り動きを封じるようにしてくる。


 ミシェルの事件のときには、それを痛いほど思い知った。

 どうするべきなのかということを悩みに悩み続けた結果、足が地面とくっついて動かなくなった。


 ルイーズの事件のときにも、同様のことが起こった。

 降りかかる言葉の圧に忌避感を覚えてしまった結果、自身の意志には反して、夢の景色に靄をかけ、具体性を持たせないようにと変化した。


 これらは、ひとえにイザベラの心を守ろうとしている動きなのだろう。

 夢の中でまで、嫌なことや苦しいことをするべきではない、と。防御をしようとしている。

 また、裡の心理――心の奥底にある考えが優先されてしまう、ということでもあるだろう。

 夢の中……自身の思考の深部に現在いることを考えれば、ある意味妥当なことではあるとは思うが。


 だがしかし、それをして逃げていては、進捗は獲られないわけで。

 特にルイーズの事件のときなどでは、結果的に不明瞭な夢が長期化することによる余計な負担が発生して、心身ともに大きな疲弊をすることになった。


「特にルイーズのときについては、良くも悪くも、私が逃げられない状況になってしまったがゆえに進行してしまった、という側面はありますが」


 イザベラ自身が倒れてしまい、夢から逃げることができなくなった、という偶然の事象により、あの一件については大きな情報を得ることができた。

 だがしかし、結局のところそれほどまでに追い込まれてしまう状況になってしまっては、再びマリエルやミシェル。サーシャたちにも心配をかける結果になるだろうし。同時に、ルイーズなどからはひどく怒られることになるだろう。

 可能ならば、その手段は取りたくはないし。ついでに、そもそもそうになるまで疲弊するというのも中々難しいものではある。


「……だからこそ、必要なのは。私自身の確固たる、意志」


 深層の心理については、いささか干渉が困難ではあるからこそ。自分の意志については、少なくとも、しっかりと前向きに持っておく必要がある。

 可能ならば、その意識によって、そのまま深層心理までもを引っ張り上げるか。あるいは、優先権を越えて、無理矢理に動かしていけるようにしておければ、なおよしというところだろうか。


 イザベラはジッと周囲を伺いながらに、少し、考える。


 アルベール様に対して、イザベラとの婚約破棄を唆した人物がいる。ルイーズたちと話していたときに確認したように、それは、ほぼ確実ではあるだろう。

 でもなければ、曲がりなりにもそれなりにはキチンと関係値を結んでいるはずのイザベラのことを、ここまで一切合切信じずに、ということにはならないだろう。


 これが例えば、アルベール様から突きつけられている罪状たちに対する証拠が出てきた、とてもいうのであれば納得こそできるものの。そもそも、そんなことをしていたという事実がない以上、証拠そのものが存在する道理もなく。

 仮に証拠か見つかって出てきたのであれば。それは、誰かの恣意により作られたものということになる。

 その場合、やはり結局のところイザベラのことを嵌めようとした黒幕がアルベール様に近づいている、というのは真であるということになるわけで。


 もちろん、他の可能性自体が否定できないわけではないが。大きな枠組みの可能性としてありえるのは、やはり黒幕が直接にアルベール様に関わりにいった、ということではあるだろう。


 ――だが、


「そこまでがわかっていたとしても。そこからが、遠いんですよね」


 当然といえば当然ではあるのだが。夜会という場には、たくさんの人がいる。

 だからこそ、ルイーズなども黒幕がイザベラからの邪魔立てを防ぐために、直接に会場に来ている可能性を示唆したのではあるが。

 しかし、それはすなわち、黒幕の人物がいても不自然ではないほどに、会場にはたくさんの人がいる、というわけであって。


「明らかに関係のなさそうな素振りをしている人物などのほうが大部分ではあるものの。そういった人たちですら、私からの妨害に備えているだけ、とするならば十分に候補として上がってきますし」


 加えて、一応予測としてはこの場にいる可能性がある、と。そう判断はしたものの。そもそも、ここにいるという確証があるわけではないのだ。

 それこそ、あたりがあるのかどうか。それすらわからない状態で正解を探し続ける、というのは。ひどく途方のないものではあり――、


 そう、考えかけたとき。


 一瞬、しまった、と。そう感じる。

 この思考の方向性については、過去にやらかしたことがある。


 慌てて地面から足を離すと。真っ赤なカーペットがイザベラの足へと向けて布がまとわりつこうとその形を変化させている様子を見ることができた。

 ヒヤリとした汗の感覚を頬で感じながら、小さく息をつく。


 全く、せっかくの睡眠だというのに。一切、気が緩まらない。

 まあ、今に始まった話ではないが。


「……大丈夫。今の私には、みんながいるから」


 ただひたすらに真っ直ぐに手を差し伸べてくれて、引っ張っていってくれるマリエルがいて。

 未だ引っ込み思案なところは無くはないけれど、精一杯の勇気で立ち向かってくれるミシェルがいて。

 最高の好敵手であり、最高の友人である、ルイーズがいて。


 みんなが、いてくれる。


 ルイーズにも、なにやら考えがあるらしく、ミシェルもその手伝いをしてくれる。ルイーズからはこちらは任せてくれ、と。そう言葉を貰った。

 マリエルも、イザベラのすぐそばでいろいろと手伝ってくれる。寝る前に放ったそのひとことは、全ての前提をひっくり返すと同時に、重要な可能性に気づかせてくれた。知覚の能力と発想の多角性については本当に頼りになる。


 私は、ひとりではない。だから――、


 夢の中で、いつの間にかマリエルが右隣に立ってくれていた。……それだけではない、反対側にはおどおどした様子ではあるものの、ミシェルがにへ、と。情けなさの残る笑顔を携えて立ってくれており。

 そして、イザベラが一歩踏み出すのを押し支えるようにして、ルイーズが後ろから背中を叩いてくれる。


 今までの夢では、彼女たち三人はたしかにこの会場に居はしたものの、こうしてすぐそばまで近寄って来ることはなかった。おそらくは、ミシェルの一件のときの夢と同様に、イザベラ自身の心理が、彼女たちのことを呼び出したのだろう。

 だが、それであっても、心強く感じる。

 彼女たちが、味方なのである、ということをしっかりと認識し直すことができる。


 私には、力強い味方がいる。

 だから、たとえ遠く広がる砂の大地から、たった一粒の金を探し出すようなことであろうとも。立ち向かう、勇気が満ち溢れてくる。


「ここからは、意地と根気の勝負です。気を入れ直しなさい、私」


 パンッ、と。自身の頬を手のひらで叩く。夢の中だからか、痛みはあまり感じない。

 だけれども、じんわりと広がっていく不思議な熱が、イザベラの顔を真っ直ぐ正面へと向かせた。






 数日が経って。王都での仕事も一段落したこともあり、イザベラはブランシャール領に戻ってきていた。


 そして、朝。起き抜けだというのに疲れた様子を見せながらに、イザベラは寝台の上でその身体を起こした。


 疲れの原因は、明白。夢の中でも活動を続けていたのだから、致し方のないこと。

 ともかく、その努力を泡と帰さぬように。忘れてしまわないうちに、色々と整理をしておきたい。


 そうしてイザベラが思考を逡巡させていると、コンコンコン、と。扉がノックされる。

 イザベラが応えを返すと、ガチャリと扉が開かれて、丁寧な礼節とともにサーシャが。

 そしてその後ろについてくるようにしてマリエルが入ってくる。


 本来ならばラングレー家に帰るべきなマリエルなのだが、イザベラが珍しく過労で倒れた、というのは。当然といえば当然ではあるものの、どうやらお父様たちの耳にも入っていた様子で。マリエルが意気揚々と手伝いを志願したところ、むしろこちらから頼む、ということで両家の承認が得られて、現在ブランシャール家に泊まっている。


「おはようございます、イザベラお嬢様」


「おはよう、イザベラ! いい夢……は見れてないよね、うん」


 自身の発言の誤りに途中で気づいたマリエルが、シュンとした様子を見せながらにそう言ってくる。

 この場にいるマリエルとサーシャ。……あと、おそらくはギルスもいるが。ともかく、ここにいる人物については、イザベラの事情を把握している人たちではある。


 それゆえ、イザベラも多少楽な気持ちで接することができる。

 ……ある意味、マリエルの事件があったからこそ、ではあるが。こうして言葉として外に吐ける環境が整った、というのはよかったことではあるだろう。

 それによって引き起こされた心労は、というと。まあ、かなり大きなものではあったが。


「あ、夢の中でのことをまとめてるの?」


「ええ。どうにも夢の中の光景は忘れがちになりますからね」


「几帳面だなあ」


 感心した様子でマリエルがそう言ってくる。

 少しでも情報が増えれば、というその一心でつけてきたものである。なにせ、今回の事案については、候補となる人物が多すぎるから。


「これだけイザベラも頑張ってるんだから、進捗のひとつでもあればいいんだけどね」


「進捗ならありましたよ」


「そうそう。やっぱり進捗はある――えっ、えええええええっ!?」


 イザベラの言葉に、マリエルはまんまるに目を剥いて驚く。隣にいたサーシャも慌てて振り返り、持っていた身支度用の荷物を危うく落としかける。


「し、進捗があったの?」


「ええ、ありましたよ」


「あるかどうかもわかんないものを探してるって言ってなかったっけ?」


「ですから、それを見つけたんです」


 とはいっても、正確にはまだ情報の一端を見つけ出しただけ。

 本当にその人が黒幕なのか、というには十分な確信までは得られていない。


「でも、どうやって……?」


「少し無理やり気味に、夢の中に留まってみたんです。やれるかどうかは少々賭けでしたが」


 これまでの悪夢から覚める条件を鑑みてみると、イザベラにとって嫌であったり不都合であったりという事柄が起こり。そして、それによって感情が大きくマイナスに振れたときに起きることが多かった。

 だからこそ、婚約破棄を受けても可能な限り感情を凪いだままで維持をしてみた。もちろん、夢の中では心の裡が表になって出てくるので、それでも長く居続けることはできなかったが。しかし、多少は引き伸ばすことができた。


 そうして、少しばかり夢の先を見た結果。少しだけ、情報が増えた。

 主には、イザベラのことを糾弾しようという声のたぐいを見ることができた。


 それらの声によって精神が押しつぶされた結果。それ以降はほとんどその場に居続けることはできなかったものの。しかし、少しでも夢の中に居座ることができたのもまた事実ではあった。

 ……そして。その中に、気になる動きをしている人物がいたことを。一瞬ではあるが、確認できた、ということも。


「無茶したの?」


「無茶というほどではありません。精神的な負担がなかったといえば嘘にはなりますが」


「もう! 無茶はしちゃだめって言ってるでしょ!」


 不安そうな顔でマリエルがそう抗議をしてくる。

 たしかに負担がないわけではないが。とはいえ、結局のところむやみに探し続けて、そうそう見つかるものでもない以上、必要な負担ではあっただろう。


「ひとまず、その人については、次の夢でしっかりと観察してみることにします。悪夢の、最初から」


「……さっきも言ったけど、本当に無理しないでね?」


「大丈夫です。これが、私と仕事ですから」


 イザベラの言葉に、マリエルは「そういう意味じゃないんだけど……」と、困ったような表情を浮かべながらに言う。

 サーシャに視線をやってみるが、彼女もなにも言わず、目を伏せて首を横に振る。

 どうやら、この場ではイザベラが少数派らしいかった。

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