#41
とある夜会にて。イザベラは、ただ、真っ直ぐに歩いていた。
身に纏うのは、艶のある真っ白い生地に、鮮血のように鮮やかで刺激的な赤で刺繍を施されたドレス。
袖を通したのは身体に合わせてみたとき以来で。ほとんど初めてと言って差し支えのない、そんなドレス。
だがしかし、イザベラには、あまり初めてだという感覚のない。よく、知っている。そんなドレス。
(今日、この場で。私は裁かれる)
確信めいたその自覚は。じわりと、イザベラの額に汗を浮かばせる。
イザベラの服装も、周囲の貴族たちの様子も。
そして、自身の視線のずっと先にある、アルベール様の様相も。その全てが、夢と一致している。
イザベラが、その罪状から、婚約破棄を突きつけられてきた、その夢と。
毒殺未遂、傷害、詐欺。
それらの罪状については。最初でこそ、そんなことをするつもりもないし、やったような身の覚えもありはしなかった。
だが、今となっては。そのような罪状を付されている、というその理由については、十二分に理解することができる。
イザベラが会場内を闊歩していくと、そのうちにアルベール様の前までたどり着く。
彼からは、疑念に満ちたような、冷めた視線が向けられる。
思わず、その気迫に怯みそうになりながらも。しっかりと毅然として立つ。
「イザベラ、よく来たね」
「もちろん、アルベール様より呼ばれましたので」
「逃げなかったことについては、評価するよ。……それ以外のことについては、周囲の観衆たちに委ねることにするが」
彼はイザベラとそのように言葉を交わすと。声音を切り替え、会場に響き渡るような通る声で、宣言をする。
「今宵はこの夜会に集まってもらって、感謝する」
当然、その言葉に周囲の貴族たちだけでなく、会場内の全員がその視線の中央にいるアルベール様、そして、イザベラへと興味の対象を移す。
おそらく、現状の興味の類としては。話題の中心にいるのが王太子のアルベール様とその婚約者であるイザベラなために、それに関係する話がなされると思っているからだろう。国のこれからに関係することではあるし、それはそれとして色沙汰というものについては人は強い関心を抱くものではある。
「今日の夜会の目的。それは、ここでひとつ、重大なことについてを話すためだ」
だれしもが、この言葉を聞いて。アルベール様とイザベラの事情についての話であると、そう予想することだろう。
だがしかし、これからここで成されることとしては。半分正解であり、半分不正解である。
「これより、ひとつの断罪を行う」
その、アルベール様の宣言に。会場は凍りつく。
「そこに立っている、ということは。理解しているのだろう? イザベラ」
「ええ、もちろん」
イザベラの後方、少し距離を置いたところでは、マリエルが心配そうな視線を送ってきているのがわかる。
彼女の心配は、もっともなものだろう。イザベラとて、未だに慣れないものではある。
だがしかし、これまでの経験から。かの夢の内容は、変えることができる、と。そう識ることができた。
状況の理解が進み、ざわつき始めた会場。
「イザベラ・ブランシャール。今ここで、お前との婚約を破棄する!」
幾度となく、夢で見てきた。アルベール様から、婚約の破棄を突きつけられる、このシーン。
まるで、物語の悪役が断罪されるかのような。そんな一幕。
だけれども。これまでと違う点は、ひとつ。
これが、夢などではなく、現実である、という。その点。
だからこそ。ここで失敗してしまえば、一貫の終わり。イザベラの全身に緊張が走る。
ここからが正念場だろう。
さあ、一世一代の、大立ち回りを始めようか。
* * *
時は戻って。
イザベラがルイーズから糾弾され、その潔白を証明した日の夜。
アルベールは、自室で彼女たちからの言葉を受けて、思考を逡巡させていた。
「……私が、イザベラに対して婚約破棄を突きつける、か」
彼女から語られた、予知夢の内容。聞けば、アルベールがイザベラの予知夢についてを知るきっかけになった毒殺未遂事件よりも先の段階から、その夢についてを見ていたという。
ただそれだけを告げられたのならば、もう少しマシな冗談を言うべきだろうと、そう一笑に付すのみなのだけれども。しかしながら、現状のアルベールとしては、その言葉をただの冗談として受け入れられない事情があった。
なにせ、そのように考えたことも。十二分にあるのである。
もちろん、イザベラに対して信用をしていないだとか、そういうわけではない。
だが、それと同時に。もしもイザベラのこれまでの動向。それがこちらを手玉に取るための嘘であったとするならば、と。
そのように考えたことは幾度もあるし。その際には、彼女の言うように、婚約破棄を。そして、加えて断罪を行うつもりであった、というのは事実である。
「……しかし、そうだとすると。イザベラは随分と肝の据わった人間だな」
誰もいない空間で小さく笑いながらに、アルベールはそうつぶやく。
イザベラが婚約破棄の夢を見るようになったのは、毒殺未遂事件よりも前。つまり、これを予知夢だと仮定するならば、彼女は将来的に自身を裁いてくる相手を救出してきていることになる。
無論、たとえばマリエルがナイフを持って襲いかかってきていたときなどについては、これを止めなければイザベラ自身の関係性も疑われることになり不都合である、というのも理解はできるのだが。しかし、その一方で、特に毒殺未遂などについては、同じ会場にいた、というだけの関連性ではあり。……もちろん、婚約者という立場ではあるものの、しかし、それを理由に容疑者にまつりあげることはできないくらいには、会場にいた人物が多すぎた。
つまり、あの場面でイザベラがアルベールの服毒を見過ごしていれば、彼女は婚約者を喪うことにはなるものの。そこから先の事柄――断罪を行われる、という未来についても起こり得ることはなかっただろう。
アルベール個人としては、助かった限りではあるのだが。
「……まあ、これについても。あくまで、イザベラの言葉が真であるならば、という前提に基づくのだが」
結局のところ、全て、そこに行き着いてしまう。
その点についてを信じられるか否かによって、アルベールからイザベラへの評価が、まるきり反対側にひっくり返ってしまう。
それこそ、先刻の考え出てきていた、アルベールのことを守ろうと動いていた、というその事情。ともすれば自身のことすらをなげうつような行為であろうとも取れるというその評価すらも、完全に打算によるものである、と判断できるだろう。
……行動の筋、原動力という観点としては、こちらのほうが合理性があるのがまた厄介ではある。
「どう、捉えたものだろうか」
アルベールがゆっくりと顎を撫でながらにそう悩んでいると。そのタイミングで、コンコンコンと扉をノックする音が聞こえた。
随分と夜更けではあるが。と、そう思いながらにアルベールが応えを返すと、ゆっくりと扉が開かれ、見知った顔が入室してくる。
「こんな時間にどうした、リリアーヌ」
「いえ、少しお兄様とお話をと思ったのですが」
リリアーヌはニコリと笑いながらにそう言うと、手に持っていた燭台をテーブルの上に置きながらにアルベールの対面へとやってくる。
「けれど、どうやらお兄様は別なことでお悩みの様子ですわね?」
「……まあ、少し色々とあったからな」
「イザベラのことでしょう?」
きっぱりと言い切ってくるリリアーヌに、思わずアルベールは目を丸める。
「どうして、それを。というような表情をされていますわね。……まあ、どこでなにをしていたのか、というところまでは私も知りませんが。しかし、以前お兄様から相談されたこともありましたし、私の方でもある程度調べていることもあったので、ね?」
ふふ、と。笑いながらに、リリアーヌはそう語りかけてくる。
「私は、リリアーヌにイザベラのことについてを質問した覚えはないのだが」
「ですが、ちょうどイザベラと会っていた頃合い、その後頃に私に対して質問をしに来ていたので。てっきりそういうつもりだったと思っていたのですけれど」
伏せていたつもりだったのだが。しかし、まさしくリリアーヌの言うそのとおりでもある。
「それで? イザベラがルイーズから不正の指摘をされたけれど。実際のところはイザベラの不正の証拠が不十分。実のところはルイーズが仕組んでいたことであり、という感じだったのでしょう?」
「……言葉は控えておこう」
「しかし、お兄様にしては見逃すだなんていう随分と甘い処分を下したのですわね? 婚約者を陥れようとしていたのですから、ルイーズをそのまま断罪しそうなものですけれど」
リリアーヌは、そう言いながら。加えて「それとも」と、そう切り出して。
「証拠が不十分であったとか、でしょうか?」
「……先刻のとおり、発言は控えておく」
「まあ、そういうことにしておきますわね。なにせ、お兄様の隠しサロンで行われた、完全にクローズドでの内容ですから、通常その中で行われたことについては一切外に出回りませんから」
面白そうにそう笑いかけるリリアーヌ。……やはり、彼女はいつもの性分らしい。この状況すらもどこか楽しんでいるきらいがある。
アルベールがやや冷めた視線を彼女に向けているものの。それを気にする様子もなく、リリアーヌは話を続ける。
「それでは、私の方からお兄様にいくつかの助言をいたしましょうか」
「助言?」
「ええ、助言ですの。……先程も言ったでしょう? 私なりに、いくらか調べていた、と」
そして、それに加えてリリアーヌ自身の識るあれこれを交えて、彼女自身の知見を提供してくれる、と。そう言うのだ。
「いちおう、聞いておこうか」
「ふふふ、お兄様。知りたいならばそう素直に言ってくださればいいのに」
リリアーヌはアルベールの反応を面白がるようにしながら、つらつらと、言葉をつなげていく。
それを受けたアルベールは。ほんの少し、眉をひそめながら。
「まあ、これについてをどう捉えるかは、お兄様の自由ですけれど。私自身の、目、ということについては、お兄様のよく知るところではあると思いますので」
「…………」
「それに、これは私個人の私見では在るのですが。少々、都合がよいことが多いように感じますわね」
リリアーヌは、そうつぶやく。
しかし。それはたしかに、アルベール自身も感じているようなことではあった。
「ともかく、私からはこのくらいで。お兄様が、どう思われるのかは、お任せしますわね」
そう言いながら、リリアーヌは部屋から出ていこうとする。相変わらず、自分中心に、嵐のようにかき乱していく人物ではある。
だが、
「リリアーヌ、最後にひとついいか」
かき乱していくのなら。せめて、風に乗せて、なにかひとつでも有益なものをもたらしてはくれないか、と。
少し、引き止める。
「――――――」
アルベールがリリアーヌに向けて、ひとつの質問を投げかける。
それを受けたリリアーヌは、これまでの流れで、初めて少し驚いたような表情を浮かべながらに。
「あら、お兄様ったら。私、お兄様の妹ですのよ?」
と、そうとだけ答えた。
「……ああ、そうだな。それについては、紛うことなき事実だ」
無論、リリアーヌがアルベールに対していろいろなイタズラを仕掛けてきていたとしても、なんだかんだで彼女の後処理をする羽目になることが多かったとしても。兄妹である、ということは間違いようのないことではある。
リリアーヌは、その事実を強調しながら、ほのかに笑うと。そのまま、部屋から出ていってしまう。
追及したいことが他になかったといえば嘘にはなるが、最低限確認しておきたいことについても、問題なく確認できてはいた。
「……しかし、リリアーヌの言うことは、たしかに真っ当ではあった」
それが、なにより重大なことではあり。同時に、アルベール自身の考えを複雑化させている要因でもあった。
「婚約破棄、イザベラの罪状。……予知夢という、その現象」
間違いなく、今回の事件には。意図的に事を進めようとしている存在が、いる。はたしてそれがイザベラなのか。あるいは、ミシェルやルイーズに手紙を送ってきていたという存在なのか。
また、どういう目的で。どのように、盤面を動かそうとしているのか。
噛み合っているようで、どこか違えているところのあるような、現状。
「信じる、か」
簡単なようで難しい、その行為に。
アルベールはゆっくりと顎を撫でながらに、今晩の睡眠不足を、少々覚悟した。




