#4
「それでね? あのあとほとんど料理とかも出てこなかったの」
ぶぅ、と。仮にも貴族令嬢としてあるまじき態度で机に突っ伏すマリエル。
私はそんな彼女を軽く諌めながらに、話を続ける。
「アルベール様の体調が芳しくなく、食事を控えられたのですから、仕方ありません」
「イザベラはそう言うけどさぁ……」
件の夜会からしばらく経ってからの、マリエルとの茶会。……ではあったのだが、こうもなってしまうと、ほとんどマリエルの愚痴聞きの場になってしまっている。
まあ、今回の件についてイザベラ自身も関与しており、なおかつ、むしろ元凶側に近しい立場になってしまっているがために、強く彼女の言葉を否定できないのだけれども。
「仮に料理や飲み物が出されたとしても、アルベール様が控えられている手前、ほとんどの方は手を付けなかったはずです」
「えー、それだと残っちゃってもったいないじゃん。私なら食べるよ」
「隣に私がいたなら、必ずそれを止めます。……コホン、ともかく、マリエルの言うとおり、もったいないわけです。なので、出すのをやめた、と」
私のその説明に、マリエルは「うーん」と、どこか引っかかるような様子を見せつつも、ひとまずは納得してくれたようだった。
マリエルの、その疑問自体は真っ当なものだった。
イザベラのその言葉には、自分自身でもそんなことありえないだろうと思えるような、間違いがひとつ含まれている。
アルベール様が食事に手をつけない、ということで周りも同じく手をつけなくなる、というのは事実だ。もちろん、マリエルのようなイレギュラーはいるにせよ、ほとんどの場合においてそうなるだろうと予想される。
そうすると、残される食事たちが内感情としてもったいない、と。そう感じてしまうことについても特段間違ったものではない。実際のところは、ただそのまま捨てられるということもないだろうから、体感よりかは別にもったいない行為ではないのだけれども。
では、なにが間違っているのかというと、アルベール様が食事を摂らないということを理由として、食事を提供しない方針に切り替えた、ということだ。
この理由は、一見筋が通っていそうで、実は全く通っていない。先述のように、体感よりかはもったいなくない、というそういう理由もなくはないけれど。そんな貧乏人感情などが理由ではなく。むしろ、
王宮での、王族主催の夜会で。食事が提供される予定であった場に於いて、それが行われなかった、という方が外聞が悪い。
たとえ、その食事に手をつける人間がいないのだとしても。
なお、実際の理由は毒が混入している可能性がある以上、提供するわけにはいかなくなった、と。そういう理由で。
アルベール様曰く。結果論的に話してしまうならば、彼の持っていた葡萄酒にしか毒が含まれていなかったために別に提供を中止しなくても大丈夫ではあったのだけれども。
とはいえ、夜会の最中にそんなことを知るわけもなく、料理をさげたというのは当時にできる最大限の判断であったとも考えられる。
「ふーん、そっか。……まあ、イザベラがそう言うってことはたぶんそういうことなんだろうね」
親友から向けられる信頼の感情が、嘘で誤魔化してしまっているというその事実も相まって、重苦しく感じてしまう。
マリエルは、ありがたい話ではあるが、私のことを篤く信頼してくれている。だからこそ、自分ではなにか変だなあと感じていることであっても、こうして信じてくれているわけで。
……けれど、それが誤魔化しのための嘘であって。
マリエルに対して不義理を行ってしまっているような、そんなふうに思えてしまって、どうにもバツが悪い。
とはいえ、実はあのときの食事に毒が仕込まれている可能性があったから、なんて。そんなことを言えるわけもなく。
どうしようもなく口を噤んでしまうイザベラに向けて、マリエルはただゆっくりと首を傾げていた。
「そういえば、夜会といえばイザベラ、よくアルベール様の体調が悪いって見抜いたね」
「え、ええ。まあ……」
純粋で、真っ直ぐな瞳が私のことを捉えてくる。その無垢な興味が、今の私にはとてつもなく痛い。
「あんなに距離があったのに。私なんて顔が見えたらいいかな、くらいの距離だったと思ってたのに」
夜会当時。マリエルから見た私の行動は、途轍もないものだっただろう。
アルベール様の登場により湧き上がっていた会場で。かなり離れた位置の壁際にいたはずの私が突然にアルベール様に向かって駆け寄り始め。
あろうことか、彼の体調不良を指摘し始めたのだ。
他の人はともかくとして、マリエルと。あとは直前まで一緒にいたルイーズとミシェルに関しては、私があの距離からアルベール様の体調不良を見抜いたと判断したことであろう。
「でも、びっくりしたのはその後だよ。まさかそんなイザベラ自身も体調が悪かったなんて! 私なんてずっと隣にいたのに全然わかんなかったよ」
それを見抜いたアルベール様も凄いんだねぇ、なんて。そんなことをマリエルはつぶやきながら。
私は、彼女に対してあはは、と。小さく苦笑いをしていた。
私がアルベール様の体調不良を見抜いた、というのも嘘であれば。そもそも私の体調が悪かった、というのも真っ赤な嘘である。
事実でないのだから、マリエルが気付けるわけもないのに。彼女は「気付けなくってごめんね?」と。
「結局ふたりともなんだったの? 風邪?」
「……ええ。そんなところです。少し流行っているみたいなので、マリエルも気をつけてくださいね」
嘘が、嘘を呼び。嘘で塗り固めるしかなくなって。どんどんと気まずくなってくる。
改めて、考えなしに嘘などつくべきではないな、と。そんなことを自戒する。
「ああ、そうだ。マリエル、そういえばなんですが。そろそろ薔薇がちょうど見頃になってきたんですよ」
このまま夜会の話を続けていても、私のボロが出て、さらなる嘘を積み重ねる未来しか見えてこない。なので、私は少し強引気味ではあったものの、話題を別にすり替えた。
「薔薇っていうと、イザベラのお父様が手入れをしてる薔薇園?」
「そうです。最近は私も少し手伝いをしているんですよ」
ブランシャール家には、お父様が懇切丁寧に手入れをしている薔薇園が存在している。
道をキレイに飾るように生け垣で道を作ったり、ツルバラで作られたアーチやトンネルなどが拵えられており。また、その奥には貴重な品種のものを育てるための小屋が設えられている。
「そっか。もう春も中頃だもんね。いい感じに咲いてきてる頃か」
マリエルは花が好きだった。それはどれくらいかというと、お父様の育てる花々に私以上に興味を示すために、こと花の関連のことになっては、お父様がマリエルに向けて、私以上に熱心に説明を行うくらいだ。
それに対して、マリエルがうんうんと素直に相槌をうちながら話を聞くのだから、余計にお父様の機嫌が良くなる。
しかし、今回はそんなマリエルの花好きな性格が幸いして、話題をすり替えることに成功する。ついで、先程まで、どこか夜会についての不満点を抱えていた彼女の表情も、パアアッと明るくなる。
「薔薇園っていえば、秘密の場所とかも懐かしいねぇ」
「秘密の場所。……ああ、あそこですか」
昔のことを懐かしむようにして、マリエルがそう言う。
秘密の場所、とは大層な名前をつけているが、実際のところはなんてことはない部屋のことで。
先述の室内栽培用の小屋の中にある、裏方用の部屋のことだった。
稀に、私やマリエルが薔薇園で遊んでいるときに、お父様が呼んでくれて。そういったときにだけ入ることができる場所だった。……ちなみに、秘密の場所と最初に言ったのはお父様である。
「結局あそこって、どうやって入るんだろうね」
マリエルが、不思議そうにしながらそう言う。
入り口自体は小屋の中にもあるのだけれど、いつもそこは鍵がかかっていて。お父様が呼んでくれたときにだけ鍵が開いていて、入ることができる。
扉に鍵穴はついているのだけれども、今のところ私はその部屋の鍵を見たことはないし、使われているところを見たことがない。
どうやって出入りしているのかと聞けば、裏口――お父様曰く、秘密の入り口があるらしく、そこから出入りしているのだという。
実際、お父様よりも先に小屋に入っていたというのに、その部屋から突然にお父様が出てくるところを見ている。
「まあ、昔話はこのあたりにしておいて。せっかくですし、一緒に見に行きませんか?」
「えっ、いいの! やったぁ!」
ずいっ、と。身を乗り出しながらにマリエルがそう食いついてくる。
そんな彼女に私はふふっと小さく笑いながら、それでは行きましょう、と。
「相変わらずだけど、ほんっとーにきれいだね。そして、いい匂い!」
すう、はあ。と。マリエルが大きく深呼吸をしながらに、そう言う。
お父様の趣味ということもあって、相当に手もお金も込んでいる薔薇たちは、彼女の言うとおり見目も香りもとてもいいものだった。
「そういえば、最近はイザベラも手伝ってるって言ってたっけ?」
「ええ。こちらの方ですね」
私はそう言いながらマリエルを案内する。
しばらく歩くと、薄桃の花弁を身に着けた低木が見えてくる。
「ここですね」
「わあ、キレイに咲いてるね!」
「そう言ってもらえると嬉しいものですね。……しかしまあ、自分でやってみると、存外に色々と見え方も変わってくるものですね」
最初はお父様から「やってみるか?」とそう言われて手伝うことになったのだが、思った以上にやることが多くて。
もちろん、水やりだけで終わる作業だとは思っていなかったものの、その一方でこれほどにもやることがあるのか、と。そうも思うこととなった。
これを、もちろん庭師の方に手伝ってもらいつつではあるものの、この広さを手入れをしているというのはすごいことだと感じたし。……同時、薔薇の世話に性を出しすぎて、しばしばお母様からの雷がお父様へと落ちている、その原因を少し体感した。
「ねえねえイザベラ。これ、一輪貰えたりしない?」
「たぶん大丈夫だとは思いますが、いちおう後でお父様に確認してから、ですね」
世話をしているのは私ではあるが、お父様の管理の薔薇園なので、しっかりと話は通さなければいけないだろう。
もっとも、ほぼ確実に許可は下りるだろうけれど。
「やった。……今度ルイーズとかミシェルにあったときに自慢しちゃおっと!」
はたしてこれが自慢になるのだろうか。というか、どうやって自慢するつもりなのだろうか、と。そんなことを考えはしたものの、口には出さないでおいた。
そもそも、ルイーズであればこれよりも上等な薔薇を普通に手に入れられそうなものだけれども。
しかし、こうしてマリエルに褒められると、それ自体はかなり嬉しく感じてくる。
世話に関して手間がかかっている、ということもあって。たとえば、ちょうど話にあがったルイーズやミシェルにこの薔薇を見せたらどんな反応をするのだろうか、なんて。そんなことを考えたりしてしまう。
ミシェルは、マリエルと同じく純粋にすごいと言ってくれるだろう。
ルイーズは、様々な側面から品評してくるかもしれない。そういう意味では、彼女からしっかりと意見をもらってみたいとも感じるし、褒められたのならとても嬉しく感じるだろう。
それから。もし、アルベール様に――、
「ねえ、イザベラ。もしかして今、アルベール様のことを考えてた?」
「――ッ!」
「あはは、図星。って顔をしてるね。イザベラにしては、珍しい」
少しからかうようにして、マリエルがそう言ってくる。なにか言い返してやりたいところではあるものの、全部が全部、全く持ってそのとおりなのでなにも言い返すことができない。
「えへへ。今度はちゃんと、イザベラのこと見抜くことができたもんねー!」
嬉しそうに、満足そうに。マリエルがそう言う。一瞬、彼女の言うことの意味がわからなかったが、そう時間も経たず、理解をする。
マリエルは、夜会での体調の話に、気づけなかったことを後悔していたのだろう。
申し訳なさを感じつつも。しかしながら、それほどに彼女から大切に想われているのだとそう感じると、同時に嬉しくも感じる。
「私だって、イザベラのこと。ちゃんと、知ってるんだから……」
どこか、その言葉は。誰かに向けて放っているように感ぜられて。しかし、この場には私とマリエルのふたりしかいなくって。
キュッとその白い手を強く握りしめながら、そうつぶやいているマリエルに。私は疑問符を浮かべながらに声をかける。
「ええ、そうでしょうね。なにせ、マリエルとは幼い頃からの付き合いですし」
「……ふぇっ!? あっ、もしかして今の声に出しちゃってた?」
どうやら彼女としては心の中で言っているつもりだったらしいが、しっかりと口から発せられ、はっきりと私の耳に届いていた。
それを知るとマリエルは顔を真っ赤にさせながら、あうあう、と。恥ずかしさからか、声にならない声を出しながらに蹲ってしまう。
「さて、マリエル。少し時間は早いですが、一度お父様に確認しなくてはいけないこともありますし、そろそろ一度戻りましょうか」
先程、彼女から頼まれた薔薇のことをお父様に訊かなければいけない。
私がそう言うと、彼女は「う、うん」とそう言うと、ゆっくりと立ち上がる。
そうして屋敷に向けて、マリエルと一緒に、並んで歩く。
そのさなか、マリエルの手はギュッと力強く握りこまれていたが。その行動が意味するところを。まだ、私は知らなかった。