#38
「……あれ、あそこにいるのは」
事務所でのあれこれをしている際に、ミシェルは見知った顔を見かけた。
「セルザさんだ。どうしてこんなところにいるんだろ」
ルイーズの侍女であるセルザがいた。
事務所にいた、というだけであればそこまで不審なことではない。たとえば、ミシェルやマリエルと同様、資料等の提出に来た、という可能性もあるからだ。
だが、彼女がいるのが事務所の中、ではあった。
「あら、ミシェル。こんなところにいたのね」
ミシェルがあれこれ考えていると、ちょうどそのタイミングで声をかけられる。
振り返ってみると、そこにいたのは見知った顔、ルイーズの姿がそこにあった。
「あなたには今日は仕事を頼んでいなかったと思ったけど。……ああ、あっちの仕事ね。なるほど、理解したわ」
「あっ、えっと。それは――」
「大丈夫よ。ちゃんとそれを理解した上であなたには自由にするように伝えたのだから」
ルイーズはそう言いながら、優しい表情を浮かべる。
なるほど、ルイーズもここに来ていたから、その侍女であるセルザがいたのであろう。
そして。ルイーズ自身、資料の提出がうまく行かない。という現状は経験しているわけで。その原因の一端として考えられる事務所の稼働率のオーバーについてを解消させるために、臨時でセルザに手伝わせている、というあたりだろうか。
「それで、イザベラの方はどうかしら?」
「イザベラお姉様でしたら、まだ寛解というところには行かないまでも、かなり復調はなされているかと」
「……そう、それはよかった」
そういえば、そもそもマリエルがルイーズによって呼び出された理由はイザベラの体調不良が原因である。ミシェルについては、体裁としてはルイーズの手伝いなので厳密には違うが。しかし、ルイーズから自由に手伝っていいと言われているあたり、裏の理由としてはこちらにもそれがありそうではある。
なれば、彼女がイザベラの体調を気にかけるのも妥当であるとは言えるだろう。
だがしかし、それと同時に。ミシェルはイザベラから、夢の中に出てきた人物がルイーズであった、ということを聞かされている。
ミシェルとしては半ば信じがたいことではある。無論、イザベラのことを信じていない、というわけではないのだけれども。しかし、それと同時にルイーズのことについても強く信頼をしている。
「ああ、そうだ。ミシェルはこのあと、イザベラのところに戻るのかしら」
「……? はい、諸々の報告なんかをしなきゃなので、戻りますけど」
首を傾げながらに、聞かれた言葉の理由を考えていたミシェル。そんな彼女に向けて、ルイーズは、それでしたら、と。淡々と言葉を重ねた。
「イザベラに、言付けを頼んでもいいかしら」
* * *
「……ルイーズから、会って話をしたい、と」
ミシェルづたいでルイーズからの伝言を受け取って。イザベラは、ふむ、と。小さく呟いた。
以前のこともあるために、ルイーズからこの申し出がやって来ること自体は自然な話ではある。
事実として前回はイザベラの都合で話が流れてしまっているし、その都合でルイーズ側の用事も解決しなかったことであろう。
そのために、イザベラの方の体調が回復したのであれば、再び都合をつけて話をする、ということ自体にはなんら問題はないのだけれども。
「場所が、ここでも、ルイーズの宅でもなく」
まさかの、アデルバート様のサロン、と。指定がされていた。どうやら、既にアデルバート様からの許可はとっている、ということで。あとはイザベラの都合が付けば、という話らしい。
なにやら、随分と手の込んだことをされている気がしなくはないが、しかしながやわざわざここまでさせておいて出向かない、というのも失礼ではあろう。
イザベラとて、諸般の事情があってアデルバート様とは面と向かっていくつかの情報共有をしたいとは思っていた。その場にルイーズがいるとなるとそれ自体は叶わないだろうが、しかし、話が終わったあとにでも可能ではあるだろう。
しかし、いくつかの懸念もある。
まず、第一の懸念としては、イザベラの夢である。
かの夢では、イザベラがルイーズから糾弾をされるという予知夢が起こっており。もしこれが真であるとするならば、この機会はそれに繋がる可能性が高い。
特にあの夢では未だぼんやりとしている側面も多いものの、イザベラとルイーズ以外の誰かがいる、ということ。そして周辺にあった調度品のたぐいが豪奢であったことなどから、状況として合致することが伺える。
特に後者については、場面としてルイーズがいたということもあってか、ルイーズの宅で起こったことであろうかとも考えていたのだが。しかしなるほど、アデルバート様のサロンということであれば合点が行く。
そして、この夢がもしも引き起こってしまう、というのであれば、キチンとイザベラ側からも準備をして臨まなければならない。
特に、場所がアデルバート様のサロンということもあり、その場にアデルバート様がいらっしゃるのはほぼ確実。
その状態でルイーズからの糾弾が起こるとなると、いかにしてアデルバート様からの信用をどちらが得るか、という勝負になるだろう。
いちおうはイザベラの方には婚約者というアドバンテージこそあるものの、ルイーズも最後までその立場を争っていた立場であり、アデルバート様からの信頼性も高い。
つまり、多少の差はたしかにあるものの、実質的にはかなりイーブンに近い。なんなら、糾弾をする側であるルイーズの方がキチンとした論理を詰めた状態から攻撃に移ることができ、逆にイザベラの方は原則的には防御、後手後手に回らざるを得ない。
更にはその場で詰められた内容についてをその場で対処していかなければならないため、論理に十分な意味を持たせるのが攻撃側に比べて難しくなる。
……本来ならば。
「本当に、この夢には助けられっぱなしですね」
詰められる、ということがわかっていれば。それなりの準備をしてから臨むことができる。
無論、なにについてを詰められるのか、ということはあくまでイザベラの側からは正確にはわからないために。想像の範疇を超えないという制限はつくものの。
だが、それでも、対策ができるだけマシではある。
「……あとは、この日程までに。私のもとに反撃用の情報が揃うか、ですが」
思ったよりもルイーズの動き出しが早かった、と見るべきか。イザベラが気づくのが遅かった、というべきか。
しかし、始まってしまったものは仕方がない。
おそらく、ここが正念場であろう。
「よく、来てくれました」
イザベラが入室すると、既に到着していたルイーズが深々と頭を下げながらに迎え入れてくれる。
部屋の奥にはアルベール様がイスに座りながらにこちらを見て、やあ、と挨拶して軽く手を上げる。
「先日は申し訳ありませんでした、ルイーズ」
「いえ、大丈夫です。それよりもしっかりと自身の身体を大切しなさい。少なくとも、貴女だけの身体、というわけではないのですから」
「それは、そうですね」
互いに言葉をかわしながらに、同時に視線を酌み交わす。
イザベラも、ルイーズも。互いが互いのことを探ろうとしているのが見てわかる。
「……さて、早速ではあるのですが。本題に入っていくほうが好いでしょう」
そう言いながら、ルイーズは懐から紙束を取り出す。そして、それをイザベラと、そしてアルベール様のふたりに手渡していく。
「これは……」
「イザベラの、不正に関する告発資料です」
アルベール様の疑問の声に対して、きっぱりと、ルイーズがそう言い放つ。
たしかに、その資料に目を通してみれば。不正があった、ということは誰の目から見ても明らかで。
そして、その首謀者がイザベラである、ということがしっかりと書かれていた。
だがしかし、もちろんではあるが――、
「私には、全く見覚えのない資料ばかりにはなるのですが」
「まあ、イザベラの立場からしてみれば、そう言うしかありませんわね?」
無論、イザベラ自身、本当に見覚えのない資料ばかりではあるのだが。皮肉なことにイザベラが本当に犯人であったとしてもそう言うしかないというのが事実である。
だからこそ、これだけではルイーズもアルベール様も、イザベラが犯人でないとは考えることはできない。少なくとも、現状提出されている資料という証拠では、イザベラの側が犯人である、というものばかりが見えているのだから。
「調査を始めたきっかけとしては、提出資料にデータエラーがある、と。そういう理由で突っぱねられることが多くなってきたことにありました」
これについては、イザベラも聞いている。ミシェルがルイーズから受け取って提出しにいった資料が突っぱねられた、と。
しかしながら、どうやらそれだけに関わらず。ルイーズが自ら提出しに行ったときであっても、同じく突っぱねられることが多かったとのこと。
もちろん、ルイーズとて人なのでミスをすることもあるからと持ち戻った。だが、どう見てもエラーはなく。しかしながら、どうにも提出資料の受理がうまく行かない。
「おかしい、と。そう思い。そこで、いくつかの可能性を思い浮かべましたの」
ひとつは、事務員側のミス。これについては、イザベラも同様に想定したものではある。
だが、イザベラも考えたいたように、ルイーズもこれについては可能性が低い、と。そう考えた。
では、あり得る可能性はなにか。
「私は、考えたくはなかったのですが。手伝ってくれていたもののひとりが、可能性としてあげたのが」
「……なるほど、私が不正を働いている、と」
イザベラがデータに対しての改ざんを行っていれば、たしかにルイーズ側のデータが正式なものであったとしても、そもそものもう一方のデータが不正なのだから、合致するわけがない。
だがしかし、これについては中々に不自然な点が多い。
「不正を私が働くにしても、やけに杜撰ではありませんか?」
「それは、私も思いましたの。イザベラが不正をするにしても、こんなにわかりやすい方法で、露骨にやるだろうか、と」
信頼の方向性としては少し複雑な気持ちがなくはないが。しかし、どうやらルイーズも同様に思っていたようで。
「それで、変に思った私はイザベラについてを調べようと。そう思ったのです」
……なるほど、合点した。それで、以前ルイーズはイザベラのところに訪問してきたのか。
あわよくば私から直接に聞くために。
しかし、そのタイミングでイザベラは過労で倒れてしまって。その機会すらなくなった。
「イザベラの侍女のサーシャから、貰える範囲での資料を頂いたり。そのときにできることはしましたが、無論そういう資料については私の持っているものと整合性が取れているものではありました」
それは、そうだろう。イザベラの立場から言わせてもらうならば不正などしていないのだから。
だがしかし、ルイーズの立場から見ても、これは当然ではある。わざわざ不正の証拠を渡すわけがない。
「そして。その際に、私の侍女のセルザに調べてもらったのが、この資料になります」
そう言って、ルイーズは改めて手元の紙へと視線を落とす。
その瞳はどこか悔しそうで、悲しそうで。
夢の中で見た、ルイーズの姿に酷似していた。
「……まだ、この資料については未公開のものにはなっています。もちろん、イザベラに見せるよりも前に公開することも可能、ではありましたが」
ただ、と。ルイーズはそう言いながらに、言葉を続ける。
「私には、イザベラがこんなことをするだなんて、思えなかった。……いえ、今だって信じたくはない。けれど、これを見る限りでは、明白で。私はなにを信じればいいのかがわからなくなって」
歯を噛みながら、ルイーズはこちらを強い瞳で見つめて。
そして――、
「だから、確かめたかった。本当に、貴女がこんなことをしたのか、と。貴女ともあろう人が、どうしてこんなことをしたのか、と」
その瞳には、少しばかりの涙が浮かんでいて。
彼女の心境が。ひどく悔しく、辛いことが伺える。
「どうして! イザベラともあろう人間が! こんなことを!」
ルイーズは。その声に怒りの感情を込めながらに。どうして――、と。大きく、糾弾をする。
「答えてください、イザベラ。どうして、どうしてこんなことを――」
「ルイーズ。もう一度、宣言させください。……アルベール様も、よろしいでしょうか?」
興奮気味なルイーズに対して、冷静な声で、イザベラは切り出した。
アルベール様はそんなイザベラに、認める、と。そう許可を出す。
「ルイーズ。貴女の想いは、そして言葉はしかと受け取りました。そして、その上で、ひとつ言わせていただきます」
ここまでは、ルイーズのターン。
夢の中で見たものと、同一であった。
現実で、より鮮明に見ることができたことで、いくつかのことをイザベラは理解した。
状況も、しっかりと理解した。
そして。ひとつの事実を確信した。あまりにも酷いことが起こっている、と。
……本当に虫唾が走る。
だからこそ、しっかりと事実を改めていかなければいけない。
「誓って、私は不正はしていません」
さあ、反撃だ。




