#37
先日の資料の受理における不都合などはありはしたものの、そこからの作業については多くが事務作業であるということもあり、比較的つつがなくことが進んでいた。
ミシェルは元はといえばルイーズ……エルフェ家を手伝うために王都までやって来ているので、ずっとイザベラたちのことを手伝う、というわけには行かなかったものの。しかしながら、なんだかんだとマリエルもきちんと働いてくれているし、ミシェルも合間を縫いつつ手伝いに来てくれたりしていた。
「ただ、どうにも私が資料を持っていくと、断られちゃうことが多いんですよ……」
今日はイザベラのところに手伝いに来てくれていたミシェル。今回も前回と同じような仕事を頼もうかとしていたところ、彼女は少し俯きながらにそう答えた。
なんでも、いつもというわけではないものの、ミシェルがルイーズの手伝いで事務所に資料を持っていったときもまた同様に断られてしまっていて。
なんでも、そのときの理由についてもデータエラー、と。そう告げられてしまっていたらしい。
「でも。……こういうのは、あんまり私の立場的に良くない行為かもしれないんですけれど」
ただ、今回ミシェルが立っている立場は、たしかに特殊ではあった。
なにせ、ブランシャール家とエルフェ家。イザベラとルイーズのその両者のちょうど間で、ふたつともに関わってきている、という。
その都合、両家の資料へと目を通す機会がある。無論、いちおうは外部の人間なので触れることができる範囲のデータというのはどうにも狭いものにはなってしまうのだけれども。
「でも、見た感じだと。どこにもデータのエラーは無かったと思うんですよね……」
データエラーがで受理が突っぱねられる、ということは。考えられるケースはふたつ。
ひとつは、本当に入力しているデータにエラーがある、ということ。
だがしかし、これに関しては可能性がかなり低い。無論、イザベラもルイーズも人間ではあるので、ケアレスミスからデータにエラーが発生してしまう可能性は十二分にある。
だがしかし、その両方の提出資料に対して軽くではあるものの目を通しているミシェルが、どちらのデータについても合致している、と。そう判断したのだ。
もちろん、ミシェルの記憶違いな可能性は十分にありえるものの。だがしかし、イザベラとルイーズと。そしてミシェルのその三人の確認を。いや、実際にはイザベラはマリエルやサーシャにも確認をして貰っていたりもしているし、ルイーズの方も同様に手伝ってもらっている人員はいるだろう。
そういった人たち全員の目を通り抜けてデータが間違っている、噛み合っていない、というのはなかなかに低い可能性であろう。
そして、もうひとつの可能性は、受理側の人間がミスをしている、という可能性。
イザベラの認識としては、こちらの方が可能性が高いとは思っている。なにせ、先日、イザベラがミシェルに頼んだ受理で起きたエラーのときは、全く同じ資料をマリエルが持っていったときにそのまま受理が成立していた。
ということは、少なくともこのときは受理を行った事務員がミスをしていた、ということにはなる。でなければ、再度提出した資料の方も突っぱねられなければおかしい。
もちろん、本当にミスがあって、再度提出したときにはそこが見落とされた、という可能性は無きにしもあらずではあるのだが。
(とはいえ、この可能性についても少し不明な点はあるんですよね)
以前考えていたように、存在しているミスを見落とす、というのは自然に起こりうる現象であるのに対して、存在していないミスを発見する、というのは中々に困難な事象ではある。
たしかに現在の事務所はなぜか忙しい、とは聞いているが。しかしながら、忙しいならむしろ、どちらかといえばミスの見落としが起こりやすくなるところではあるはずで。
「……嫌な、予感がしますね」
一度や二度ならまだ理解はできた。だが、ミシェルの言うところではそこそこの頻度で起こっているようではある。
だが、先述のようにそんな高頻度で起こるようなミスではない。というか、そうあってはならないのが本来ではあるだろう。
しかしながら、そうなってしまっているというのが現状であった。
いくら忙しい、とは言っても。こんなことが頻発してしまっているともなれば、どうにも、単純なミスである、というように考えるよりかは、なにがしかの思惑がその裏にあるのではないか、と。そう考えてしまうのも無理はないだろう。
加えて、イザベラの置かれている現状。ルイーズから、なんらかの糾弾を受ける、という予知夢が発生している立場からしてみれば、そのような感じ取り方自体はごく自然なことと言えるだろう。
「サーシャ、いいですか?」
「どうかされましたか? イザベラお嬢様」
室内にて黙々と作業をしてくれていたサーシャに声をかけると、彼女はキリッとした様相でそう返してくれる。
サーシャはイザベラの夜間の警護なども兼ねてくれているため、昼間くらいはイザベラと同様ゆっくりとしながらでも構わないと思うのだが。しかし、少なくとも今回の件が終わるまでは、と。そう強くに説得されて今に至る。
「疲れているあなたに頼むのは忍びないのですが――」
「大丈夫です。休息ならば十分に頂いていますから」
イザベラ自身が彼女が休息をとっている姿を見ていないのでそう言われてしまっても心配であることには変わりはないのだけれども。しかし、これ以上の追及が堂々巡りにしかならないということは以前に経験済みである。なれば、わざわざする必要もないだろう。
「それでは、サーシャにいくつか調べてもらいたいことがあるのですが」
侍女に頼む仕事、ではない気も少しするが。とはいえ、こちらの分野についてもサーシャは経験がある。
多少のことであれば調べてきてくれるだろう。……もちろん、それで無理をするようなことはしないでほしいが。
しかしながらサーシャはイザベラからの頼みごとにうやうやしく頭を下げたかと思うと、了解しました、と。
そのままイザベラから調べることについてのリストを受け取ると、彼女はそのまま部屋の外に出ていってしまった。
「お姉様、あれはなにを?」
サーシャには紙面にて調べる内容を伝えたので隣にいたミシェルもその内容についてまでは把握できていない。
興味を示してきた彼女に、イザベラは「まあ、今のことに関わる内容でいくつかしりたいことがあったので」と答えた。
そんなことを話していると、ちょうどサーシャと入れ違いの形になるようにしてマリエルが入ってきて。会話をしているイザベラたちに興味を示して近づいてくる。
「なになに、なんの話をしてるの?」
おそらくは雑談に混じりたい、という気持ちから接近してきたのだろうが。しかし、彼女にとってはある意味では藪蛇であったことだろう。
「仕事の話について、ですよ」
「うげぇ」
露骨に苦い顔をしたマリエルを見て、イザベラとミシェルは小さく笑う。
「まあ、実際のところは。それらに関連することで気になったことがあったので、サーシャに調査を依頼していたところです」
「ああ、だからサーシャさんが今出ていってたのね。イザベラのそばから離れるのは珍しいなーって思ってたけど」
「あとはそうですね。その少し前には、ミシェルが資料を持っていくとなぜか受理されない、という話をしていました」
話がある程度逆走することにはなるが。しかし、この中では唯一、現実に「ミシェルが一度持っていった資料をそのままに持っていって受理された」ということを体験して来ている人物ではある。
もしかしたら、なんらかの気付きがあるかもしれない、と。そう思いながらにマリエルの様子をうかがっていると。彼女はそういえばそんなこと起こってたね、と。
「あのときだけに限らず、ルイーズのとこにいるときも起こってたなんて。私じゃないのに、事務所の人たちも杜撰な仕事をするもんだね。私じゃないのに」
「それを自分で言うのですか」
「まあまあ、自分自身の適当さ加減を自覚してるってことで。……でも、なんでそんなことになってるんだろうね」
ミシェルはマリエルからしてもかわいい後輩である。やはり、そんな彼女がひどい目にあっているともなれば、どうにかしてやりたい、であるとか。どうにか助けてやりたい、というような気持ちが生まれてくる。
だがしかし、原因が不明瞭な現状ではどうしてやることもできず。やるせなさばかりが生まれてきて。
「……やっぱり、私が舐められているってことなんでしょうか。私が、男爵令嬢だから」
少し悲しげな声音でミシェルがそうつぶやく。
……たしかに、それについてはひとつの可能性ではあるだろう。
ミシェルが持っていったときに資料が突っぱねられて、一方のマリエルが持っていったときにはすんなりと受理された、という現状を加味すれば。そこに恣意を感じるのは自然なことではあろう。
特にミシェルの性格も相まって、自分が原因なのではなかろうか、と。
「大丈夫大丈夫。ミシェルはたぶん舐められてないよ」
「そう、なんですか?」
そんな彼女を慰めたのは、マリエルだった。
「男爵令嬢だから、という理由で舐めた対応をしようものなら、あの事務員たちもただじゃすまないことになるだろうし。それに、男爵令嬢だからって理由で突っぱねられてるなら、私も男爵令嬢だし」
「そ、れは」
「それに、舐められる云々でいうのなら、たぶん私のほうが先に舐められるね。だって、私の社交界での評価って散々だし。ね? イザベラ」
「……自身から自慢げに言うことではないとは思いますが。しかし、そうですね」
マリエルの言からだけではミシェルが完全に安心はしきらないだろうと判断したイザベラは、彼女に向けてそう補足をしておく。
まあ、マリエルの社交界での評価云々については、彼女の性格や言動などを鑑みれば、という話ではあるのだが。
「だからね、ミシェルが舐められてるから、とか。ミシェルのせいで、というわけではないと思うよ!」
説得の根拠としてはかなり薄いが。しかし、マリエルの生来の明るさとパッションの強さで強引にミシェルを納得させる。
「でも。そうだとするとなんでそんなことが起こってるんだろうね?」
「……それについてを先程話していた、というのが答えですよ。まあ、なぜなのか、という結論については未だ判明はしてませんが」
「はえ?」
マリエルは、どうやらこの会話自体が自身の質問から始まったものであるということをすっかりと忘れてしまっている様子で。きょとんとしながらに首を傾げていた。
「……さて。雑談はこのあたりにして。やるべきことをやりましょうか」
イザベラがパチン、と。手を打つと。ミシェルは元気よく返事をしながらにコクリと頷き、マリエルは少し嫌そうな表情をした。
「とはいっても、ふたりに頼みたいことは資料の提出、なんですけどね」
「えっ、ふたりとも? たしかサーシャさんが外に出てるんだから、ふたりともが外に行っちゃったらイザベラひとりになるんじゃない? 仕事が滞るとかはないと思うけど、その、大丈夫?」
マリエルがそんな心配をしてくれる。彼女が言っているのは、以前起きた襲撃事件に関するものであろう。
マリエルやミシェルには、アルベール様と同様に襲撃事件についての概要を伝えている。
わざわざイザベラひとりにしなくとも、提出資料を持っていくだけならマリエルかミシェルのうちのどちらかひとりでも大丈夫だろう、と。
「大丈夫ですよ。事情の把握の程度には差異はありますが、今はまだ昼間なのでサーシャ以外の侍女も動いている時間帯ですし」
それに、いざとなればギルス――アルベール様の腹心の方も控えてくれている。
前回の襲撃があったときもそうではあったが。いざとなれば彼も守ってくれるだろう。
「ああ、そうでした。マリエル、ミシェル」
資料を渡したふたりに、イザベラは振り返りながらに追加でひとこと、添える。
「もし、その資料について。事務所でなにかがあった場合。そのままそれに従ってください。お願いしますね?」
「ふぇ? えっと、うん。なんだかよくわかんないけど、わかったよイザベラ」
「お姉様が言うのでしたら、わかりました」
イザベラの意味深長な物言いに、ふたりはやや困惑しつつも、コクリと頷く。
そうして、せっかくなら事務所までは一緒に行こう! と。そう仲良く出ていくふたりを見送って。
「……さて、どうなりますかね」
イザベラは、そう、小さくつぶやいた。




