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#36

「ふええっ! イザベラの鬼ぃ!」


「手伝うと言ってくれたのはマリエルでしょう? ほら、手が止まってますよ」


 半泣きになりながらに作業しているマリエルに向かってイザベラがそう喝を飛ばす。

 マリエルも泣き言を言うものの、しかし、自分で蒔いた種なだけになにも言い返せない。


 マリエルとミシェルが手伝いに来てくれるようになって。イザベラ自身ずっと横になっているわけにもいかないということでやるべきことをやろう、と動き出そうとしたのだが。しかし、それを引き止めたのはマリエルとミシェルだった。

 ふたりと、そしてサーシャには今回の予知夢の内容については伝えた。最新の情報――ルイーズから糾弾されている、というそのことも含めて。

 それを聞いたマリエルは「それならなおのこと、イザベラはまだ休んでなきゃだめ!」と。

 夢の中で精神を休めることができない現状、ではそれを休めることができるタイミングはいつかといえば昼間しかないわけで。

 しっかり昼の間に休んでおけ、と。

 しかし、そのためにはイザベラが抱えている仕事をどうにかしなければならないわけで。


 そういう関係で、イザベラの仕事のうち、可能な限りをマリエルと、時間があるときにはミシェルが肩代わりしてくれることになった。なお、現在ミシェルは資料の提出をしに王城の事務所へと向かってくれている。

 もともとサーシャもやってくれていたことではあったのだが。しかし、その手数が増えたということは純粋にイザベラがやらなければいけない負担が大きく減ることになり。

 結果、イザベラはかなり調子を取り戻していた。


(おかげさまで、かなり冷静になって思考を回すことができるようになってきました)


 おそらくは、精神的に追い詰められていた側面もあったのだろう。こうして時間的、そして精神的余裕が生まれてくると今までに比べてかなり落ち着いて物事を処理できるようになっていた。


「さて。……それはさておき、夢の内容ではあるんですが」


「ルイーズがイザベラのことを糾弾するってやつだよね?」


 イザベラのひとりごとに隣からマリエルが口を挟んてくる。

 少し手の動きは遅まっているものの、止まっているわけではないので、まあいいだろう。


「そもそもなんでルイーズがイザベラのことなんかを糾弾するんだろうね? イザベラも、ルイーズも。どっちかって言うと不正とかそういうことには手を付けないタイプじゃん?」


「私も、そうだとは思っているんですけれど」


 自分自身がそういうことをするつもりがない、というのは当然として。イザベラもマリエルも、ルイーズがそういうことをするということには疑問を浮かべてしまう。


「ただ、イザベラの夢はよく当たるからね。……そういう意味では、ちゃんと対策をしたほうがいいんだろうけど」


「問題は、どうやって、なにに対して対策していくのか」


「夢じゃそのあたりがわかってないんだよね? それじゃあ、なんにもわかんないじゃん」


「……なにも、というほどではありませんよ」


 マリエルが言うその言葉に、イザベラはそう返す。

 首を傾げるマリエル。そんな彼女に、イザベラはゆっくりと口を開く。


「私とルイーズ、その両者が共通で関わっていること。そして、タイミングとするならば、おそらくそれほどに遠いものではない、ということを加味すると。……考えられる候補はかなり絞れます」


 もちろん、マリエルが言うように確証がないという現状では、その予想が正しいかどうかということについても真偽が不明瞭であり、確かなことがあるわけではない。

 だけれども、可能性として最も高いのは、これだろう、と。


「ちょうど、マリエルの手元にあるそれですよ」


「……あっ」


 そう。イザベラとルイーズのその両者が関わっていることであり。かつ、不正を糾弾するとするならば、最大の要因となりうる要素。それこそが、ブランシャール家とエルフェ家の間での取引とそれに関する諸々であろう。

 そのことを自覚したマリエルがピシャリ、とその手を、身体を固まらせる。

 自身の行っている仕事のその重要性を改めて再認識したのだろう。


「あっあっあっ、も、もしかして私が関わったからそんなことになるんじゃ――」


「それはありえませんよ、マリエル。最終的には私がキチンと目を通してますし、重要なものの決裁は私しかしてません。だからこそ、こちら側からの不備としてなんらかが起こる、ということはありませんよ」


 イザベラが多少のミスを見落とすであるとか、そういうことをしてしまう可能性はあるものの、仮にそんなことがあったとしても軽微なものだろうし。提出時に突っぱねられることになるだろうから、そのときに気づける。

 万が一そこまで貫通してしまったとしても、ただそれだけで糾弾に至る、というのは流石に事として小さすぎる。ひとつふたつのエラーがあった程度ならば、それこそ、まずは一旦こちらに確認しに来る程度であろう。


「ルイーズの性格も鑑みると、あれほどの糾弾を行うともなれば、本当に私がなんらかの不正をしていて、それについてを責め立てている、であるか。あるいは……」


「考えにくいけど、ルイーズがイザベラのことを陥れようとしてるか、だよね」


 マリエルのその認識に、イザベラは首肯する。

 要は、無理矢理にルイーズがデータ等の齟齬を作り出して、その責任をこちらにどうにかして擦り付けてくる、というものだ。

 ただ、マリエルも言うように、ルイーズが果たして本当にそんなことをしてくるのか、と。


(……夢の中で見えたルイーズのあの表情。あれは、まるで本当に、そんなこと信じたくなかったかのような。こちらを最後まで信じようとしていたかのような、そんな表情だった)


 無論、そこまで全てがルイーズの演技と言ってしまえばそれまでなのだが。やはり、その表情がどうにも状況とイザベラ自身の立ち回りと、どこか齟齬があるように感じる。


 それこそ。この件については。イザベラとルイーズのものである、と。イザベラは現状感じているが。

 もしかしたら、それだけに留まらないのかもしれない。他の意志が間に介在しているのかもしれない、と。そう思わせるような。


 しかし、その可能性を考えるも、極めて低いとそう判断もできる。

 なにせ、資料云々に関わることができるのはイザベラとルイーズ。あるいはそのふたりに近しい人物。

 マリエルやミシェルがイザベラやルイーズを裏切るとは思えないし、サーシャについても同様。

 なれば、他の介在があったとしても、ルイーズがイザベラを糾弾するに至るだけのなにかを用意するのは困難であろう、と。そう考えることができる。


「……ひとまず、今私たちにやれることをしっかりとやりましょう」


 少なくとも、イザベラたちの側の提出するものが真摯に真っ当なものであれば、余程のことがない限りはツッコまれることはないわけで。仮にツッコまれることがあったとしても、しっかりとした反論の余地が生まれる。


 下手なことをしないようにする、というのが。ひとまずイザベラたちにできる最大限のことであろう。


「そういうわけなので、マリエルもしっかり頑張って手伝ってくださいね」


「うう。頑張るぅ……」


 もちろん、全部が全部マリエルに、というわけにもいかないのでイザベラも無理のない範囲で仕事をこなす。


 マリエルも、考えが安直で猪突猛進なところこそあるものの、地頭自体は悪くはない。

 面倒なことに対して目をそらそうとしているだけで、こういう仕事自体に向かないわけではない。本人がやりたがらないだけで。


「まあ、将来の練習とでも思ってください。どうせ、家の手伝いとかもできるだけすっぽかそうとしてるのでしょう?」


「うっ。ほ、ほら。私のところは弟がいるから」


「ラングレー家はそれでよくても、マリエルの婚後は嫁ぎ先で必要なことでしょう?」


「うう……イザベラが正論でいじめてくるぅ……」


 うわーん、と。マリエルがわざとらしく嘘泣きをしていると。ちょうどそのタイミングでコンコンコン、と部屋をノックする音が聞こえる。

 イザベラが入るように促すと、どうやら資料の提出に向かってくれていたミシェルが帰ってきたようだった。


「ミシェル、聞いてよ! イザベラが正論でいじめてくるの!」


「ええっと、マリエルさん。正論でいじめくるってことは、つまり、イザベラお姉様の言ってることが正しいってことなんじゃないんですか?」


「うわーん! ミシェルまで正論でいじめてくるよー!」


 そんな暴論を吐き散らしながらマリエルが騒いでいると、ミシェルが助けを求めるようにイザベラの方を見てくる。

 これに関してはなにを言っても仕方がないので、放置しておくしかないと彼女に伝えると、少し困ったような表情をしてから。ああ、そうだ、と。


「イザベラお姉様、その。これなんですが」


「持っていってもらった資料ですね。……どうしたんですか?」


 提出してもらったはずの資料、がなぜかここにある。

 どうならミシェルの困惑はマリエルの態度によるものだけではなく。……まあ、それもあるのだろうが。

 しかし、現状彼女が困っている最大の要因はおそらくこれであろう。


「私がこれを持っていったら、なにやらデータエラーがあるとかなんとかで」


「……なるほど。持っていってもらう前に確認はしたはずですが。とはいえ、見落としがあったのでしょうか?」


 しかし、そこで止まったのならばむしろ良かった、と。そう感じられる。

 それこそ、先程マリエルと話していた内容にあったように、ルイーズから糾弾される可能性があるとするならば、このあたりのデータエラーの積み重ねを不正と疑われるということが最有力候補であるから。


 そういう意味では、ここでそれが発覚したというのは良かったことであろう。


 そう思いながらにイザベラはミシェルが持ち戻ってきた資料にひと通り目を通す。

 しばらく読み進めて、最後まで読んで。

 一巡、二巡。手元にある資料の原本と見比べながらに三巡して。


「……間違って、いないですね」


「です、よね?」


 どうやらミシェルもそこは疑問に思っていたらしい。イザベラとミシェルがふたりして首を傾げる。


「まあ、事務所の人たちもすごく忙しそうでしたし、なにかのミスでしょうか」


「ああ、そういえばなにやらすごく忙しいらしいですね」


 ならば、その可能性もあるのか、と。イザベラがそう考えていると。ぴょこっとマリエルがイザベラたちのもとにやってくる。どうやらもとの調子を取り戻したらしい。


「とりあえず、データが間違ってないのなら。それ、私がもう一度持っていくね!」


 おそらくは、あんまりずっと細かい作業なんかを行っていたということもあってか、外に行きたい、ということだろう。

 あとは、先程の話なんかもあって、ちょっと逃げたい、ということもあるのだろう。


 まあ、手伝ってもらっている都合、あんまり無理をさせるというのも違うだろうということでマリエルの申し出をそのままに了承する。


「その、大丈夫なんでしょうか。さっき突っぱねられたものそのまま持っていって」


「……少なくとも、私たちが再チェックをしたところでは問題は無かったですし。そのまま通ったなら、それでよし。だめならもう一度持ち戻ってきたそれを再確認しましょう。必要ならばそのときに書き直せばいいですし」


 マリエルとしてはおそらく外に出たかっただけでそこまで考えてはいなかっただろうが。


「しかし、事務所が忙しいとはいえ、無いはずのデータエラーが見つかった、ですか」


 状況としてはありえなくはないだろうが、少しだけ違和感を覚える。

 起こるとするならば、逆ではないだろうか。

 データエラーがあるけれど、忙しさからそれらを見落とした、というのならば納得がいく。ただ、その場合は現実にはそのミスがそのままに通り抜けてしまっているので発覚は遅れてしまうが。

 しかし、今回はその逆。エラーがないのに、エラーがで弾かれた。

 ミスがあった箇所については再確認もするだろうし。そのダブルチェックの両方ともで見落とした、ということだろうか。

 それも、存在しないはずのデータエラーとして。


「なにか、変な感じはします、ね」


 不安そうに、ミシェルはそうつぶやく。

 ミシェルとしては、気が気でないことだろう。自身の尊敬するイザベラとルイーズのふたりが、なにやら対立する未来が予見されている、というのだから。


「……それを、回避するために動いているんです」


「そう、ですよね。うん。私もそのために、頑張らないと!」


 ミシェルが、そう言って少しだけ表情を明るくする。


 彼女も、以前と比べれば少しばかり強くなった、と。そう感じられる。今まではひたすらに引っ込み思案だった彼女だったが。無論、いまだにそれが消えていないわけではないが、かなり自発的に動くようになっている。

 かなり大きな進歩だろう、と。イザベラはそう考える。


「さて、それではマリエルが帰ってくるまでやれることをやりましょうか」


「はい!」


 そうして、ミシェルと作業を再開する。


 しばらくすると、マリエルが無事資料を提出し終えて帰ってきた。

 やはり、データに不備はなかったようだった。

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