#30
「怒っていますよね、サーシャ」
「怒ってはいませんよ。……怒っては」
「なにがしかの含みがありそうな反応ですね……」
イザベラお嬢様は、簡易で設えた寝台の上で横になりながら、サーシャに対してそう尋ねてくる。
怒っては、いない。それに関しては事実である。少なくとも、サーシャの中の認識としては。
無論、これまでの事柄について思うことがなかったわけではないが。しかし、お嬢様がそれをサーシャたちに話してくださらなかったのも、キチンと理由があってのものですし。そこに王族の命がかかろうものであれば、おいそれと話せるものでないのもわかる。特に、不用意に一介の女中などに話してしまって、そこから広まる――なんて可能性を考慮すれば、侍女相手になど、基本的にはもってのほかだろう。サーシャは行儀習いなんかで奉公に来ているわけでもないので、そういう社会的な立場も特にはないし。それゆえ、あまり大体的にサーシャが首を突っ込むべきな案件ではないのだろう。
だからこそ、同様に。今回起こった事件に対して、イザベラお嬢様が「事件として扱わない」と仰ったことにも、いちおうの理解はある。
おそらくは、関連しているであろうと想像できる、アルベール殿下の暗殺未遂事件との関与が疑われるからだった。
サーシャとしては早々に事件として処理をして犯人をとっ捕まえてしまいたいところなのだが、どうやらイザベラお嬢様いわく、犯人はかなりの慎重派で、通報をしたところで本人やその裏で糸を引いている黒幕どころか、その手がかり、足取りすら辿れない可能性が高い、と。
だから、事件として追っても実入りがないどころか、関連性があるゆえにアルベール殿下の身に危険が迫っているということに繋がってしまい、混乱を引き起こしかねない。
パニックとなればこそ、犯人の思う壺である。
騒ぎが大きくなればなるほど、人の動きが大きくなる。人の声が大きくなる。
大きな言動は、それが当然の周囲であるゆえに、同様の物事を隠す。
人々が騒げば騒ぐほどに、犯人が多少大胆に動いたところで、不自然に映らない。
同様に、周囲がそれだけ騒いでいるがゆえに、護衛の側も対処が複雑化。どこの誰に意識を向ければよいのかがあやふやになり、手薄になる。
つまるところが、まさしく混乱に乗じて、アルベール殿下のことを暗殺しに来るだろう、と。
だからこそ、今回の事件が内々で、特になにもなかった。窓ガラスが割れたのは、たまたまバードストライクを引き起こした阿呆な鳥がいただけ、ということになった。
無論、秘密裏に、という形にはなるものの、捜査事態は起こる。通報はできない以上警察組織に頼るわけにはいかないが、その代わりに、事件にアルベール殿下が関わっていることもあり、彼の私的な人材を動かすことになる。下手な警察組織なんかよりも余程優秀な人材たちが動いてくれる。
……が、いわく正直なところ、それでもなお追い切れない可能性が高いのだという。言われてみれば、今までの事件についても、同様に追えていないのだから、今回も同様の結末になる可能性はある、とのことだった。
まあ、これに関しては仕方がないだろう。動いてくれるだけ、可能性があるだけ、ありがたいと捉えておこう。
だから、別に怒ってはいない。お嬢様の行った言動や下した判断には、キチンと筋の通った理由があるし、一介の侍女がそれに意見するものでもないからだ。
ただ、あくまで理解はした。というだけである。
怒ってはいないが、思うことがある。もっと端的に言うならば、不服なことがある。
それは例えば、アルベール殿下の腹心がイザベラお嬢様の警護にあたっていた、という点もそうだし。理解はしているものの、やはり事件としてなあなあに済ませてしまうということは、感情としては不服なものである。
そしてなにより、これほどのことを抱えていながらも、イザベラお嬢様が、サーシャに対してそれを相談しなかったということ。つまりは、それをするに至るだけの信頼を、サーシャが得られていなかった、という。そんな自分に対して。
それが、サーシャの思うところであった。
「……それに、貴女も眠いでしょうに。そんなサーシャに不寝の番を頼むことになってしまうとは」
「それこそ、道理です」
推定ではあるものの、いちおう、危機は一旦過ぎ去った。が、あくまで一旦でしかない。いつ、再び遅い来るかも預かり知らないような、仮初の安息である。
そんな状況下で、大丈夫だから安心して、という方が無理な話であろう。
先程から姿こそ見えないものの、件の腹心の彼も、身を隠しつつも警戒を厳としている様子が伺える。
現状、お嬢様の事情を把握している者が、サーシャと殿下の腹心のふたりしかいない。
無論、可能な限り外からの射線が切れるような部屋に移動したし、遮蔽などで身が直接には狙えない状況てわはある。
だが、それでもあんなことがあった直後で、警護せずにというわけにはいかないだろう。
そして、そうなったときに、誰があたれるか、というと。サーシャでしかない。あとはまあ、腹心の彼も可能ではあるが。
「……お嬢様」
「どうしましたか? サーシャ」
サーシャは、少し考えた。はたして、これを進言してよいものか、と。
だがしかし、その疑問に対する答えは。すぐさま自分の中から出てきた。
イザベラお嬢様に頼られず、守るはずの従者である我々が、巻き込まれないようにと。実質的な庇護を受けていたという、そういう事情の在る中で。
自身が感じた。力無さが、悔しさが、もどかしさが。
まさしく、その答えであろう。
動かないことが、動けないことが後悔である、と。
「私は、イザベラお嬢様の従者です」
「ええ、そうですね」
「お嬢様は、そういう扱いをすることを好く思ってはいないと思いますが。私はイザベラお嬢様の手となり、耳目となり。必要であれば剣とも、盾ともなります」
それは、サーシャ自身の覚悟でもあった。
無論、本来で言えば従者であるから、侍女であるから、と。そこまでする必要性はない。
それこそ、そういう役割は今もここにいる腹心である彼のようなものの仕事であろう。まあ、彼の場合はイザベラお嬢様に付き従っているわけではなく、アルベール殿下の従者ではあるのだが。
「私で、お力になれることがあるかは、わかりません。……ですが、知ってしまった以上。いえ、仮に知らなかったとしても、私はお嬢様の力になりたいのです」
それは、サーシャの抱いている本音であった。
「諜報などについては、それなりに心得があります。私の力で、どれだけ協力できるのかは、私にはわかりませんが」
なにせ、ここまで聞いた範疇の相手は、とてつもなく尻尾を見せない、慎重に慎重を重ねているような相手である。
そんな、王族付きの諜報員ですら手がかりが掴めていない相手に対して、サーシャが多少諜報に覚えがあるからと言って太刀打ちできるとは思わない、が。
しかし、それでも動かないよりは、動くほうが、マシである。
そしてなにより、
「私は、お嬢様の味方ですから」
自身に味方がいる、と。ひとりでも多くの存在が味方である、と。そう、イザベラお嬢様に認識してもらうこと。それが、一番重要である。
ほぼ常時として悪夢にうなされている状態のお嬢様なのだから、気丈には振る舞っているものの、精神状態事態はあまり芳しいものとは言えないだろう。
心と体を休めてもらうためにもしっかりと眠ってもらいたいが。しかし、その睡眠すらも彼女の精神を削る要因になってしまっている。
なんとも、救われない話である。
とはいえ、眠らないというわけにもいかないだろう。明日も仕事があるわけだし。
「警護は私が行いますので、お嬢様は安心してお眠りください」
「……ありがとう、そして、ごめんなさいね」
「謝らないでください、お嬢様。これが、私の仕事なので」
むしろ、ここで不寝の番を預かれるというのは、少し光栄な話でもあったりする。もちろん、その仕事自体がキツイものであるのは当然だが。
「信頼しています、頼りに、していますからね。サーシャ」
「ありがたいお言葉です」
やや重たそうな眼でこちらを見つめているお嬢様に、サーシャはペコリと頭を下げた。
「悪夢でうなされていれば、起こしますから」
「それは、大丈夫よ。……夢の中で、なにか手がかりを探さないといけないし」
「……ああ、そうでしたね」
イザベラお嬢様は、ふふ、と。小さく笑いながりにそう仰った。
それでは、おやすみなさい、と。そう言いながら、彼女はそのまま床で横になる。
(……本当に、重たいものを背負ってらっしゃる)
悪夢を見てもなお、それから逃げることを許されない、とは。なんとも残酷な話である。
それが敬愛する主人に降りかかっている災厄なのだから。サーシャとしては気が気ではない、というのが本音である。
しかし、なればこそ。その負担を少しでも軽減できれば、と。そう、願うばかりである。
深夜。静かに寝静まったお嬢様の隣で、サーシャは警戒態勢を維持していた。
お嬢様の様子は、普通、という表現が正しいのかはわからないが。特筆して不自然な様子があるようなわけではなかった。
だが、たしかにときおり、表情を歪めながら、身じろぎしている様子を見ると。心配に思う気持ちと。しかしそれに対して動けないというもどかしさとが生まれてくる。
そうして、そんなお嬢様の様子を見つつ、番を続けていると。近くに、別な気配を感じる。
だが、その気配については、すぐさま問題のないものである、と。そう確信する。
「あなたの方から、現れてくるとは思いませんでした」
「サーシャ嬢には私の存在がバレているし、問題はないかと思ってな」
イザベラお嬢様のことを警護してくれていた、アルベール殿下の腹心である彼であった。
「……おそらく、まだ疑われているのだろうな、と。そう思ってな」
「はい、疑っています。……もちろん、これについては、婚前の女性の部屋に侵入している、とか。そういう意味合いではなく、です」
「無論、承知している」
イザベラお嬢様は警戒をしていない様子だった。いや、警戒はしているのだろうが。しかし、彼がいるということが必要なことである、と。そう割り切っているような、そんな様子であった。
が、それはあくまでイザベラお嬢様が優先している存在がアルベール殿下であるからだった。
もちろん、サーシャ自身もこの国の人間である以上、アルベール殿下のことを丁重に扱っていない。というわけではないのだけれども。
しかし、サーシャ個人の優先順位は、あくまで、イザベラお嬢様が最優先である。
「実際、私がここにいる理由は、イザベラ嬢の警護だけが理由ではない」
「あっさり認めるんですね」
「隠す理由がないと判断したまでだ。ここで肯定しなければ、サーシャ嬢はそのことについてを嗅ぎまわるだろう?」
「ええ、そうですね。間違いなく、なにかはあると思っているので。それについてを調べます」
「事実としてその側面があるのだから、認めてしまうほうがお互いのためだろうと判断した。サーシャ嬢の力量ならば、ここで言わずともたどり着けるだろうし」
「それは買いかぶりすぎではないでしょうか? 私は一介の侍女ですが」
「いいや、十分妥当な目算だと思っている。……事実として、ある程度気づきやすい環境ではあったものの、私の存在に気づけたのだから」
……やはり、エルフェ家で感じた気配は彼のものだったようだ。
「どうせいずれ辿り着けるのならば、早いか遅いかの差しかない。ならば、お互いに時間を有効に活用できる方がいいだろう」
「なるほど。……ちなみに、その別な目的という方は?」
「…………イザベラ嬢に伝えない、というのならば」
それは難しい質問である。サーシャはあくまでお嬢様を最優先する。必要なことならば伝えるし、そうでなくともお嬢様から聞かれれば伝える。
「嘘でも秘密にすると言えばいいのに、正直なやつだな」
「それが理由でお嬢様に汚点がつくようなことがあってはならないので」
「……わかった。伝えよう。だが、可能な限りは伏せるように努めてもらいたい」
そう言って彼は、ここに来ている目的のもうひとつを伝えてくれる。
それはたしかに道理なもので。アルベール殿下からしてみれば到底信じられないような与太話を信じるための、担保としての行為である、と、そう解釈もできた。
そうして、ひとしきりの事情を聞き終えてから。サーシャは口を開く。
「そういえば、あなたのことをなんと呼べば?」
「名前か? だが別に呼ぶ必要は」
「これから、緊急の連携を取ることもあるでしょうし、お嬢様から直接に伝えたいことが起こる場合もあるかもしれません。そのためにも、連携の手段があって困ることはないでしょう。無論、立場があるので仮名で構いませんから」
「……なるほど」
そう言うと、彼はしばらく考え込んでから。それならば、と。
「では、ギルス、で」
「了解しました、ギルス様」
「ギルスでいい。サーシャ嬢は自身を立場のない人間と称したが、それは、俺も同じだ」
「わかりました、ギルス。……では、私の方もサーシャ、と」
「……善処する」




