#28
「こちらを、よろしくお願いします」
ルイーズが、持ち込んだ資料を事務員に渡す。
無論、持ってくるのを従者に任せても良かったし、セルザなんかはまさしくその役目を買って出ようとしていたものの。今回は少し気になることもあったために、ルイーズ自身がこうして資料の提出に来ていた。
そして、その目的こそ。
ルイーズがぐるりと周囲を見回してみて、その人物の在不在を確認してみる。
しかし、どうやらその姿はなく。どうやら無駄足であったことが判明する。
資料を受け取った女性は、その中身をペラペラとめくりながら中身に軽く目を通していた。
(まあ、会えればいいな程度の、ついでの話ではありましたけれど)
探していたのは、イザベラ。彼女ならばルイーズと同じく、資料の提出にあたって、自身で来るだろうという目算があった。
……が、どうやらタイミングが合わなかったようだ。まあ、もしかしたらイザベラの侍女――たしか側付きの彼女はサーシャと言ったか。彼女に任せたのかもしれないが。とにもかくにも、どちらにしたってイザベラは今ここにいない。
やはり、しっかりと話すならば、きちんと事前の連絡を入れておくべきだったろう。
そんなことを考えていると、目の前で「あれ?」という、不思議そうな声が聞こえた。
「あの、ルイーズ様。少しよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
対応してくれていた事務員の女性が、畏れ多そうにしながらルイーズへと話しかけてくる。
その言葉を聞いた彼女は、少し控えめになりつつも、先程ルイーズが提出した資料を見せながらに言葉を発する。
「ええと、その。こちらで既に受け取っていたもう一方の資料と、少し数値が違いまして。もちろん、先方のほうが間違っている可能性もあるのですが」
「……ほう」
ルイーズがそう答えると、目の前の彼女は反射的にビクリと身体を反応させる。しまった、そういうつもりではなかったのだけれども。
しかし、想定外のことがあったこともあって、思わずほんの少しだけ、ルイーズの答える際の声音が低くなってしまっていたのは明白な事実だった。
とはいえ、ここでそのことについてを公式に謝罪をしてしまうとルイーズにも、目の前の彼女にも利がない。
心の中で少しだけ申し訳なく思いながら、彼女の提示する資料を確認する。
「ええっと、その。どうしましょ――」
「私の方の資料不備かもしれませんわね。一度、持ち帰りますわ」
トラブルが起こることは想定している。厳密にはトラブルを想定しているというよりかは、ある程度はトラブルが起こってもいいようにスケジュールを組んでいる。だから、資料の提出までには多少余裕がある。
問題のあった資料をルイーズが受け取ると、対応をしていた事務員は申し訳なさそうに頭を下げていた。貴女のせいではないでしょうに、と。そうは思うものの。しかし、彼女の立場からしてみるとそうしている方が良くも悪くも安全なのだろう。
とりあえず、資料不備があるのかどうかについてを一度持ち帰ってから確認して。それから――、
ルイーズがそんなことを考えていると。ちょうど、少し離れたところにいる暇をしていた事務員たちが、なにやら話しているのを耳にする。
「ねえ、どう思う? イザベラ様とリリアーヌ様の組み合わせって」
「今まで聞いたこともないよね。というか、派閥としても真反対っていうか」
どうやら中々な噂好きな模様。内容的にも特に誰かしらの陰口であるとかそういうわけではないので、比較的健全な噂話ではあるのだが。しかし、ルイーズとしてはそこではなく。まさしく、噂の内容そのものに興味がある。
「少し、いいでしょうか」
「ひゃいっ!?」
「ななな、なんでしょうか!?」
どうやら職務中の私語についてを咎められると思ったのだろう。ルイーズが話しかけたことに大きく反応したふたりの事務員。
別にルイーズとしてはそういうつもりではないし。特段来客があってその対応をおろそかにしているとかでもないので、そういう意図はないのだが。まあ、勤勉であるに越したことはないが。
……と、これは本旨からそれる。
「今の話、少し聞かせてもらってもよろしくて?」
「ええっと、今の話というと?」
「ちょうど先程話していたことです」
ルイーズも、まさしくイザベラと少し話をしたいと思っていたところだった。そこにそんな話を聞いてしまうと。興味を持つのも必然というものだろう。
「イザベラが、リリアーヌ様とどこかにいった、というのは本当ですか?」
それも、あの、リリアーヌ様と。彼女たちが噂していたように、派閥からして真反対。なんなら対立していない際の接点を挙げるほうが難しいほどのふたりが一緒であるとなると。
より、気になってしまうのがサガであろう。
* * *
「そういえば」
パチン、と。リリアーヌ様は両の手を打ち合わせながらに、目を見開き、イザベラの方を見る。
「お兄様のことが心配、という話で言えば。この間のエルフェ家での話、ご存知です?」
「……ええ、存じています。というか、私も一応その場にいましたので」
「そういえば、イザベラはブランシャールの者でしたね」
リリアーヌ様が仰っているのは、以前のエルフェ家で執り行われた狩猟にて、アルベール様が怪我をなされたという話。
その場にいたどころか、実質的にはほぼ当事者なレベルで関与してはいたのだが。しかし、この件についてはアルベール様の判断もあって、そのほとんどの内容が伏せられ、カバーストーリーが流されている。
……ただ、対面しているのはアルベール様の妹君であるリリアーヌ様である。
もしかしたはアルベール様が内情についてをある程度共有しているかもしれないし、その逆、あえて伏せているかもしれない。
その現状がわからない都合、これ以上の話について踏み込んでよいものか、その判断に困る。
イザベラはリリアーヌ様の顔をジッと見る。
その表情は全く崩れることなく、絶えず笑顔を携えている。
ただ、その瞳はしっかりとイザベラを捉えており。イザベラがリリアーヌ様のことを伺っているのと同様、彼女もこちらのことをしっかりと見定めようとしているのが伺えた。
「お兄様ったら、そこで起きた事故について全然詳しく教えてくれませんの」
「そうなんですね。……まあ、不慮の事故であったとはいえ、格好のつく話ではないですし、あまり話したいものではないのでしょう」
「家族が相手なのだから、恥ずかしがる必要なんてないと思うんですけれどね」
「まあまあ、そんなものでしょう」
実際のところは別の意図があるのだろうが、それについてイザベラの口から詳しく伝えることはできない。
たしかに、リリアーヌ様は「事故」と、そう言った。ということは、アルベール様の口から伝えられたものは、あのとき起こったことを隠すために作られた、暴発事故という嘘の方。
わざわざアルベール様がそちらを伝えているのであれば、イザベラもそれに併せておくべきであろう。
「イザベラは、なにか知っていたりしませんの?」
「残念ながら、私もその時にエルフェ家にこそいたもののその事故があった現場にいたわけではありませんから」
だから、持っている知識としてはリリアーヌ様のものと大差がない、と。そう伝える。実際には持っている知識ではなく、話しても問題がない範囲が、というものではあるが。
ふぅん、と。リリアーヌ様はどこか不服そうに鼻を鳴らした。
まあ、彼女からしてみればなにか知っていることがあるかもしれないと思って聞いてみれば、どうにも当て外れであったというところなので、そう思う気持ちもわからなくはない。……実際には、当て自体は合っていただけに。
そんなことを話していると、ひとりの侍女が恭しく頭を下げながら入室をしてくる。
そうしてリリアーヌ様になにかしらを伝えると、彼女は「もう?」と、そうつぶやいていた。
「ごめんなさいね、イザベラ。そろそろ行かなきゃいけないみたい」
「こちらこそ、今日は貴重な時間をありがとうございました」
「いえいえ、それはこちらのセリフよ、イザベラ。好い話をすることができたわ」
そう言いながら、リリアーヌ様は従者を伴いながらに退室をしていく。イザベラも、別の侍女に案内をされながら、外へと戻っていく。
「……少し、疲れましたね」
周囲に誰もいないことを確認してから、イザベラはそう小さくつぶやく。
無論、その要因のひとつは対面していた人物が王家に名を連ねる立場の人間であるから、ということもある。粗相などのないように、と気を使う必要がある分、どうしても集中力の要する時間ではある、のだが。しかし、それだけではない。
リリアーヌ様は、イザベラと対面しているその間。ずっと、なにかしらイザベラのことを。それこそ、まるで値踏みをするように見つめていた。
なにか、彼女の側から見定めようとしているような、そんな表情。
(まあ、ある意味では道理の通った行為ではあるのかもしれませんが)
イザベラの今の立場は、王太子であるアルベール様の婚約者である。
なれば、成婚時にはリリアーヌ様とは義理ではあるとはいえ姉妹関係になるわけであり。その相手が気になるというのはわからない話ではない。
ではない、のだけれども。
(……私の思い過ごしであれば、いいのですが)
なにやら、そういった興味であるとか、あるいは疑念や疑心というような感情。相手を知らないからこそ起こるような、そういった感情とは。
また別種の感情を孕んだ視線を、リリアーヌ様から向けられているような、そんな気がして。
イザベラは、小さく首を傾げていた。
* * *
「リリアーヌ、いいか?」
「あら、お兄様。どうかしましたの?」
夕刻を過ぎた頃合い。ひとしきり自分の仕事を片付けてから、アルベールはリリアーヌの元に再び訪れた。
どうやらイザベラとの用事は終わった様子で、きょとんとした様子の妹を前に、アルベールはそのままの様子で話を続ける。
「リリアーヌ、お前に少し聞きたいことがあってな」
「まあ、私よりもずっと賢いお兄様が私に聞きたいことがあるだなんて、珍しいですわね」
そうやって、おどけてみせる妹。だが、こうして聞きたいことがあると訪れることは別に珍しくない。
たしかに、知識などの面ではアルベールは余程のことがない限りはリリアーヌよりも多くのことを知っているから、そういう相談を彼女にすることはまずない。
だが、そうでないことについては、その限りではない。
というか、彼女の行った行為に関連すること。もとい、リリアーヌのやらかしたことについてを尋ねる際はその限りではない。
無論、今回のようなやり取りも、こと珍しい話ではない。リリアーヌがなにがしかの問題を引き起こして、アルベールがその対処にあたった際なんかは、こうしてリリアーヌに事情を尋ねに来ることがしばしばある。
そうしてそういうときは、リリアーヌは決まって今のように適当に誤魔化しにかかるのだ。
「ああ、少しリリアーヌに教えてもらいたいことがあってな」
とはいえ、今回は珍しくそういう目的――リリアーヌのへの説教目的ではない。
彼女自身は特に以前のエルフェ家へのアルベールの仕事の差配についてのなにかしらを言われると思って誤魔化そうとしているのだろうが、今回はそうではなく。まさしく彼女が言っているように「アルベールにはわからないことがあるために、リリアーヌに聞きたいことがある」ということになる。
リリアーヌは少し驚いた様子で、目を丸める。
「俺自身文献をいくつかあたってみたりしたんだが、どうにも確証に到れるものはなくてな」
「それで、私を尋ねてきたと。……でも、そういう意味ならなおのこと、私よりもお兄様のほうがいろいろ知っているのではないのですか?」
「まあ、なんにせよ他者の意見を聞いておくというのも大切なことではあるだろう? 自分ひとりの視点だけではどうしても凝り固まったものしか見えくなるしな」
「それは、そうかもしれませんけれども……」
少し困惑をしているような姿を見せながらも、リリアーヌはわかりました、と。アルベールからの質問を了承する。
……正直、このことについてを彼女に尋ねて良いものなのか。その判断は、まだキチンとはついていない。
だが、少しでも情報が欲しい、というのも確かではある。
だから、これはある意味では、賭けではある。
アルベールは、ひとつ。大きく息を整えてから。そして、尋ねる。
「リリアーヌ。お前は予知、というものを知っているか?」




