#16
「アルベール様」
人の気配などなかった私室に、突然、人の声が聞こえる。
今となっては特段驚きもしない、慣れ親しんだ現象。腹心の彼が戻ってきた――すなわち、報告にやってきたということだ。
知覚してから、少しずつ現れてくる彼の気配に、相変わらず末恐ろしく、味方であることがこれほどまでに安心できる要素もない、と。そう思いながら、いつの間にか目の前に現れた彼に視線を遣る。
「立て続け、というほどでもないが。かなりの頻度なものだな」
「はい。こちらが、今回の手紙になります」
私が彼から一枚の紙を受け取る。私の婚約者である、イザベラから送られてきたものだ。
「これまでの夢の内容では、具体的な被害についてが未定、という話でしたが」
「……ああ、どうやら今回でそのあたりが確定したようだね」
手紙を運んでくる都合、彼も一応、内容に目を通している。
無論、通常の文通であれば。――特に、この手紙は王族と伯爵令嬢の、婚約関係であるふたりの間で送られているものであるから殊更、その中身を見ることについては好ましいことではないだろう。
だがしかし、この手紙は私の危険を報せるものであり、かつ、腹心である彼は私の身を守るのが仕事である。
だからこそ、この内容に目を通すことも仕事上必要なことであるし、私はそれを認めている。
イザベラに直接に許可をとったわけではないが、そもそも私の腹心が彼女についているということを知ってもなお、あの落ち着きような彼女ではあったし。かつ、手紙の性質についてを理解している彼女ならば大丈夫だろう。
「そして、やはりというべきかなんというべきか。私が狙われているのは相変わらずなようだね」
ふうむ、と。指先でゆっくりと顎を撫でながら、そう呟く。
これまでの判明情報では、森の中で銃声らしきものが聞こえる、というもののみ。今までの彼女は夢の中では森の中を彷徨っているということもあって、それ以上がわからない、という状態だった。
だがしかし、今回。なんとか事が起こった場面までは行き着いた様子で。そしてそれが、どうやら私が射殺されている場面であったらしい。
「……細かな状況までは完全には把握できていない様子だが、とりあえずは森の中が危ない、ということだな」
「どうしますか? できれば、以前のように自分から向かうだなんてことはやめていただきたいのですが」
彼が言っているのは、以前のイザベラの邸宅で行われた茶会と、それに伴う事件のことだろう。
あのとき私は、元々の予定を崩すほうが良いのではないかという彼の意見に対して、それを却下し、予定通りでの訪問を実施した。
その結果が、マリエルによる事件の発生である。
「……なんだ、もしかして気にしているのか? あのとき、警護が遅れたことが」
「わかっていて仰っているのでしょう?」
彼が眉をひそめながらにそう言っているのを見て、悪いと思いつつも、私は小さく笑う。
彼は、今のところ二度、私の警護に失敗している。
一度目は、このようなイザベラとの関係が生まれるきっかけとなった、夜会での毒殺未遂の件。
そしてもうしひとつが、先日のマリエルによる襲撃事件。
一度目の方は、正直彼にはどうしようもなかったと言っていい。無論、それででもなお腹心の仕事であると言ってしまうとそれまでなのだが、しかしながらどうやって「主催である王族側が提供した飲食物」に混入した毒物を警戒しろというのだろうか。
それも、きちんと提供前には毒味によって確認がなされているはずのそれである。もちろん提供の過程において変なものが混入させられることも、警備体制のことを考えればないだろうし。それを鑑みれば、彼があのときの飲食物に対して警戒をしていないことに然程不自然なところはない。
それでも、気にはしているようだが。
しかしながら、現状の彼が一番に後悔していることは、間違いなくマリエルによる傷害未遂を止められなかったということ。
あのときは、イザベラからの警告もあって、私も彼も、警戒態勢を維持していた。
だがしかし、その虚をつくような形で、マリエルは私に対して刃を突き立てようとして。そして、それに距離が離れていた彼は対応することができず。
唯一気づいたイザベラによって、またも私は助けられてしまうこととなった。
「まあ、気に病むことではないだろう。入り口の警戒に就かせていたのは私だ。それで言うならば、私の采配ミスではある」
「そうであったとしても。……いえ、このまま話していても、結論が付きませんね」
しかしながら、偶然というべきか。あるいはなんらかの必然によるものか。このふたつの事件は、いずれもイザベラのみが察知できて、それ以外が介入できない形として状況が成立してしまっている。
(……はたして偶然と呼んでいいのだろうか)
この思い自体は、おそらくは腹心の彼も感じていることだろう。
実際、イザベラに対する警戒心で言うならば。むしろ、間違いなく私よりも彼の方が高い。
無論、全くもって信じていないわけではない。事実として助けられているわけだから。
だがしかし、全面の信頼をおいているわけではない。これらふたつの事件が、イザベラの演出による狂言である可能性が否定できないからだ。
なにせ、改めて振り返ってみても。あまりにもイザベラにとって都合のいい展開になってしまっている。
「アルベール様。夢の内容を鑑みて、かつ、今までの事件のことを考慮するのならば。しばらく、イザベラ嬢に接近するのは控えたほうがよいかと」
「そうしたいところなんだが。悪いな、お前の心労をまた増やしてしまうことになると思う」
「……それは、また、イザベラ嬢のことを早期に悪夢から解放してあげたいという想いからでしょうか?」
彼のその言葉に、私は半分だけ正解だ、と。そう伝える。
「そういう気持ちもなくはない。だが、正直次があったときには、一度どのような行動をイザベラが取るのだろうか、と。そう判断するためにしばらくは距離を置くつもりだった」
イザベラにとってあまりにも都合の良すぎる展開になっている、ということは。ひっくり返してみると、仮にそれが彼女の目論見によるものであるならば、イザベラが間近にいる状態でなければ、彼女の目的は達成のしようがないわけになる。
それで彼女が強引にこちらに近づいてくる動きを見せるのであれば、それこそやや黒寄りになってくるし。一方でそれとは関係なく事件が起こったりすれば、白に寄る。だからこそ、そのあたりのイザベラの動きを見るためにも、一度この警告の手紙からしばらくの間、彼女に近づくつもりはなかった。……仮に本当に悪夢を見ているのならば、イザベラには悪いことをしてしまうとは思ったが。
「……父からのお達しだ。私がこの仲介に入ることになっている。曰く、お前が一番関与の深い人物たちなのだから、しっかりと見届けてくるといい、と」
「それは。……ある意味では残酷な話ではないですか?」
「ああ。正直、ここに集まっている人物たちが全員理解に強い者たちばかりだから、然程厄介なことにはならないだろうが。しかし、仮にそうだとしても残酷なことには間違いない」
それは、私にとっても。それと同時に、彼女らにとっても。
いや、あのふたりに関してはおそらくは問題ないだろうが。その周辺の人物までが、正確に事情や心情を把握しているとは思えない。そういう人たちにとっては、非常に気の重い話となってしまいかねないだろう。
「だから、おそらくはこれは父が自発的に考えてのものじゃあない」
「と、なると。妹様ですか」
「ああ。確証はないが、おそらくはな」
妹――リリアーヌの顔を思い出しながらに私はそう言う。父に対して私が「別のもののほうが良いのではないか」と苦言を呈そうとしたときに、横から「きっと誰よりも、お兄様のほうが丸く収められますので」と、そう言葉を投げかけてきた彼女の顔を。
そして、父は素直にそれの言葉を認めるようにして、そういうわけだから、と。私に今回の仕事を投げかけてきた。
だからこそ、おそらく。今回のことには、裏でリリアーヌが私にこの仕事を割り振るべきだと進言していると考えるほうが自然だ。
「……さて、どちらだろうな」
父がここまでリリアーヌの言葉を全面的に信頼しているのには、ひとつの理由がある。リリアーヌの進言が外れることが、ほぼ無いのである。
ある種の天才的な素質というべきか。リリアーヌが提案したことは、ほぼ確実に成功する。その代わり、とてつもなく気ままなことで。ほとんど彼女がそういった政に関わろうとしてくることはない。
だが、その少ないながらにあまりにも成功率の高すぎる実績が、父にとっての信頼を置く理由になっている。……もちろん、娘のかわいさというものもあるだろうが。
だが、父は気づいていないのか、あるいは気づいていて、しかしながらそれでも実績があるから、暗黙のうちにそれを認めているのか。リリアーヌの進言の裏には、稀に彼女の思惑があることがある。
それは、純粋にその人物を一時、自身から物理的に距離を離したい、というものだった。
なんらかやりたいことがあるけど、そのためにその人が近くにいると邪魔だから、適当な仕事を振ってしまおう、というものだ。
実際、私はなんだかんだで彼女の行動に対して「やめておけ」と言うことの方が多い質ではあるので、何度かこの手法で邪魔されないようにされていることがある。
「今回のそれは、純粋に私がただ適任だったのか。それとも、あいつのなんらかの目的に巻き込まれただけなのか」
それとも。全く別な目的がそこにあって。それに依るものなのだろうか。
それを知るのは、おそらくリリアーヌだけだろうし。聞いても教えてはくれないだろう。
「まあ。そういうわけだから。よろしく頼む」
「はい、わかりました」
しばらく先に設定されたその予定で。ほぼ間違いなく、その場にいるであろうイザベラの存在に。
仕事の内容だけを鑑みれば、あまり、イザベラの夢の内容とは合致しない。が、警戒はしておくべきだろう。
なにせ、前回の推測を元にするのならば、イザベラの夢は、警戒に当たらなければいけないタイミングでイザベラが見るようになるのだ。で、あるならばそれほど遠い未来ではない。
そもそもあまり予定の都合でタイミングが合わない私とイザベラなのだ。
ならば、この予定が、予知夢の内容だと思っておくほうがいいはずだ。
「……なにも起きなければ、それでいいんですが」
「そうはならないだろう」
彼の発言に、私はそう否定をする。
事件は起こる、ほぼ確実に。確証はないが、確信めいたものは、ある。
なにせ、イザベラの言葉の真偽はともかくとして。事件が怒らない理由がないから、だ。
ただ、正直。あまり怖くはない。いや、より正確に言うならば、怖さはあるが、それ以上に大丈夫だろうと思える理由がある。
「まあ、仮に。イザベラの狂言であるのならば、少なくとも私の身の安全は保証されるだろうし。そうでないならば、イザベラも全力で私のことを守ろうとしてくれるだろう。どのみち、おそらくはなんとかなる」
イザベラのそれが演技だとしても、彼女にとって都合のいい展開が起こるように仕組まれているのならば、実際の被害は起こらない、と考えていいだろう。
確証はない話ではあるが、目的についてを推測すれば、私が傷ついてしまうことは彼女にとっては不利益になりかねない。
予知夢についてが真実だとしても、その場合は全力で彼女が動いてくれるはずである。今度は、協力者としてマリエルもいる。
「もちろん、お前のことも信頼しているよ」
「ありがたきお言葉です」
それでは、と。報告をひとしきり終えた彼はそう言って、仕事に戻っていった。
静かになった私室。私の他に誰もいないその部屋の中で。私は椅子に身体を預ける。
大きく息を吐きながら、頭の中で考えを巡らせる。
「……しかし、どのみち一度、リリアーヌとは話をしておくべきかもしれないな」
今回のことはともかくとして。それとは別に、彼女には聞いておきたいことがいくつかある。
もちろん、今回のことについても聞けるものならば聞いておきたいが。まあ、尋ねたところで答えないだろうし。
「……あいつが、なにか変なことを企んでいなければいいんだが」
夜会でのことを少し思い出す。あのとき、イザベラの行動があまりにも突飛で、たしかに怪しかったというのはわからなくもないが。
それにしても、リリアーヌのイザベラに対する態度がかなり強かった気がする。
このふたりに、あまり直接的な絡みはなかったはずだが。
「リリアーヌが久しく私を指定して振ってきた仕事が、イザベラ絡みだというのは、はたしてただの偶然なのだろうか」




