#13
「……ここ、は」
意識を取り戻した場所に、明確に覚えがなくて。私は少し焦る。
しかしながら、それからそう時間が経たないうちに、ここが夢の中であることを察する。
妙にリアルな土の匂い、風が運んでくる草木の涼やかさ。そういった五感がまるでここが現実のように思わせてくる一方で、そもそも、今の私自身にこのような森に来る理由が存在しない。更に言えば、知りも見覚えもしないような森に、となると。更に来る理由がなくなる。
その他要因――例えばなんらかの事故的な事情であるとか、事件的な理由がそこにあってここに来てしまった、という可能性もなくはないが、それにしては今の私に関連するような記憶が一切ないのが違和感になる。
だからこそ、これは夢であろうと、そう判断できる。
とはいえ、妙に現実味のあるこの夢の体感。そして、状況のみを鑑みるのであれば、やや憔悴していたイザベラとしては。夢の中ではあるとはいえ、現実では多忙なために行くことのできない森林浴をしてリラックスできる機会である、と。そう解釈できなくもなかったのだが。
「たぶん、そういうことではなさそうですよね」
マリエルの一件が解決してからというもの。あの事件に関係していたあの夢に関しては、今までしつこいまでに毎晩夢に見せられていたというのに、さっぱりと見なくなってしまって。
その代わりに、と。私が見るようになっていたのは、再び、自分自身が悪役であるかのようにして、アルベール様から断罪される夢だった。
久しく見るそんな夢に、私は心を安らかにできる……わけもなく。ただでさえ心労の積み重なっていたところに、相変わらず夢ですら休まることのない現状に、イザベラは精神を消耗をしてしまっていた。
そんな自分自身を労るようにして、夢が森林浴をさせてくれる。……だなんて、そんな生易しい話ではないだろう。
そもそも、相も変わらず婚約破棄の夢を見てしまっているということは。まだ、夢が示唆するイザベラ自身の未来が変わっていない、この先に破滅の未来が待ち受けているということを示唆している。
そんな状況下で、夢が婚約破棄の夢ではなく、別な夢を見せてきた。それも、妙に体感がリアルで、まるで、今すぐに情報をかき集めろと言わんばかりに。
これまでの経験から、はたしてコレの意味するところがなんなのかについては、なんとなくわかっていた。
「……また、なにか事件が起こる、ということですね」
前回、前々回のことを鑑みるならば、やはりアルベール様に関わることなのだろうか。そう思えば、婚約破棄のものも当然ではあるが、アルベール様が関わっている。
で、あるならば。今回についても同様であると考えるのは普通なのだが。しかし、それならばそれで、どうして森の中にいるのだろうか。
状況に対して、疑問が多すぎる。はたして、どうしたものか。どこから手を付ければよいものか、と。考えれば考えるほどに、足が地面に縫い付けられて、動けなくなる。
そうしているうちに、まずい、と気がつくも。まるで影が縛られたかのように、身体が。足が地面から離れなくなってしまっている。
『イザベラ。君はとても聡明な人間だが。けれどもしかしたら、と考え込んでしまうところが欠点だな。だからこそ、困ったときはまず動いてみるといい』
優しい言葉が、どこからともなく聞こえてきたような、そんな気がした。
いつかの動けなくなっていた私の、その背を押してくれた言葉だ。
不思議と、勇気が湧いてくる。力が、入るようになってくる。
まるで言うことを聞かなかった身体が、少しずつ動くようになってくる。
あと、もう少し。もう少しで、動けるようになる。
だがしかし、そのもう少しが、酷く遠い。
地面と融けあったかのように、まるで地面から離れようとしないその靴に。自身の後ろ向きな行動規範が、いかに行動を阻害しているのかということを自覚する。
もちろん、それか一概に良い悪いという話ではなく。良く働くこともあれば、その逆もあり得て。それらは状況によって変遷する。
では今はどうなのかというと。現状から見て、わかるそのままのとおりだろう。
自分の思うように。とにかく、動いてみる。か。
こんなとき、マリエルならば、どうするだろうか。ふと、そんなことを思ってしまう。
猪突猛進に突っ込んで、なにかと問題を引き連れてくることの多い彼女ではあるが。しかしながら、なんだかんだとそれによって解決した事柄も少なくはない。
そして、今のこの状況下に於いては、彼女のその素直さと、行動力とか、最大限に発揮される場面だろう。
自身に不足しているそれを、痛く思い知って。歯痒い思いを懐きかけた、そのとき。
後ろから、大きな声がする。
「イザベラ! なにしてるの!?」
「……マリエル?」
思っていた人物の姿が目に入り、私は思わず目を丸くする。
「もう、先に行っちゃったかと思ったら、どうしてこんなところで立ち止まってるの?」
「えっと、それは――」
「ほら、急いでるんでしょ。行くよ!」
マリエルはそう言うと、私の手を取って。そのまま、腕引きながらに走り始める。
足が地面に貼り付いて動かないんだ、と。そう説明するよりも早く、身体が前に引っ張られて。
そしてそのまま、スポリと。足が靴から抜ける。
でこぼことした地面が足に直に伝わって痛みを伝えてくるものの。今の今まで離れなかった足は、それが嘘であったかのようにあっさりと動いてしまった。
靴が地面から離れないのであれば、靴を脱いでしまえばいいじゃないか、と。なるほど、たしかに道理ではある。そして、マリエルらしい回答でもある。
……やはり、ここは夢なのだろうと。あらためてそう感じる。
想像以上に、自分の考えや思いが反映されてしまう。それも、思考以上に、強く、はっきりと。
だからこそ、行動に不安を抱えてしまったときには、足が動かなくなった。
今までの夢とは違い、なにをすればいいのか、どこに行けばいいのかが明確ではない。それらが、私の中に不安として現れ、身体を押さえつけていた。
だからこそ、動かなければならないとそう決心して、やっと、身体が動くようになった。
そして、マリエルならばどうするだろうと考えたときには、マリエルがやってきた。
彼女に手を引かれ、前に行くしかなくなったから。足が、靴から離れて動くようになった。
加えて、マリエルに関しては。現実で夢についてを共有しており、味方であることを私自身が認識している、という都合も大きいだろう。
心を強く、持たないと。この夢は、今まで以上に、規模が大きい。
さもなければ、足を取られ、腕を縛られ、動けなくなってしまう。
「それで、イザベラ。どっちに行けばいいの?」
「ええっと、それは――」
一瞬、迷いかけて。しかしながら、それではいけない、と。そう思って。
思い切りに、叫ぶ。
「とにかく、前に進んでください!」
「ふぇ? う、うん!」
私らしくはない、そんな指示に。マリエルは一瞬戸惑いつつも。しかしながら、大きく首を縦に振ると、そのままに走り出す。
私も、その背を追いかけるようにして、真っ直ぐに走り始める。
と、そのときだった。
パーンッ、という。破裂するような音が聞こえた。
直後、周辺の木々から鳥が飛び立ち、茂みでは動物が走り去る。
それらの音に、思わず、私とマリエルは立ち止まる。
「なんの、音?」
マリエルが首を傾げながらにそうつぶやく。
私も、その音に聞き覚えはない。聞き覚えはないだけれども。
心当たりがないかというと、それは、違う。
音のした方向へと駆けだそうとして。しかし、そこで身体がぐらりと揺れる。
そのまま斜めに倒れこもうとした身体は、マリエルによって受け止められるものの。しかしながら、言うことを聞こうとしない。
また、私は迷ってしまっているのだろうか、と。そう思ったが。どうやら、違うらしいことを直後に悟る。
意識が、微睡んでくる。……なるほど、どうやら、時間切れらしい。
つまるところが、間に合わなかった、と。……いいや、間に合わなかったどころか、全然、手が届いくどころか、視界に収められてすらいない。
(今回は、迷ってしまったこともあったけれど)
要は、迷っている暇など、ない、ということだろう。
薄れていく意識の中で、私は小さく歯を噛んだ。
窓からは、仄かに明るい光が差し込んでくる。
時計を確認して見るに、どうやら、普段起きる時刻よりかは、やや早く目覚めてしまったらしい。
ベッドから身体を起こし、やや痛む頭を抑えながらに、しかし、なんとか身体を動かす。
夢での記憶が薄れる前に、文面に起こしておきたい。
今回のことについて、はたしてアルベール様に報告しておくべきだろうかと、少し考える。
今回は、前回とは違って、明確にアルベール様が襲われているところを見たわけではない。もしかしたら、ただの杞憂である可能性もある。
そうであれば、ことごとくが無用な心配となってしまうけれど。
「いえ、報告しておくべき、でしょうね」
手紙は、再度送り直すこともできる。ただの思い違いであったとわかったときは、そのときに謝罪を込めて再度送ればいい。
最もあってはならないことは、対策が遅れること。
夢を見るタイミングについて、これが警告なのであれば、対策を打ち始めないといけないときである可能性が考えられる。
で、あるならば。今すぐに情報を共有して、警戒をしておくべきであろう。
思い出せる限りの状況についてをアルベール様に伝えるために、文面に起こす。
不明な点は、そのあたりが確定的ではない、実際に夢の中で確認ができたわけではない、と、きちんとそう前置いて。
「そして、最後の音。ですよね」
夢の終わりは、森の中を走り抜けた、破裂音。
その正体は、定かではないが。タイミングと、そして、心当たりとから。代替を察することができる。
あの音がしてから、時間が然程経たないうちに、目が覚めた。今までの夢の傾向からして、夢から追い出されてしまうのは、事件が起こったその直後。
つまり、あの音が鳴ったタイミングが、ほぼ、事件の起こったそのタイミングと見ていい。
「それらを加味して、考えるなら。あり得そうなのは」
――やはり、銃殺だろう。
実際に、その発砲音を聞いたことはない。聞く機会もなかったからだ。
だがしかし、その仕組みについてを考えるなら、あの破裂音らしきものが銃の発砲によるものだと考えると、あらゆる事柄に辻褄が合う。
事件が起きたタイミングだということにも、この夢が、やはり、アルベール様が襲われることへの警告に対するものだということについても。
事実は事実として、予想は予想として。しっかりと区別をした上で書き分けて。
ふと、時計に目を遣ると、そろそろいつも私が起床する時間になりそうだった。あまり時間をかけていては、そろそろ侍女がやってきてしまう。
手早く、簡潔に手紙をしたためてしまって。それを、封に入れる。
「お願いしますね」
私がそう小さくつぶやいて、机の上から視線を外す。視線を元に戻した頃合いには、既にその手紙は机の上からなくなっていて、代わりに、次の連絡用の紙が用意されていた。
どうやら、しっかりと届けに行ってくれているようだった。
それにしても。相変わらず、凄い技術だ。いるだろうということは察していて。だからこそ、ある程度気を張り続けて見たのだけれども。全く、そこにいることに気づけなかった。
程なくして、ドアがコンコンコンとノックされて。侍女のサーシャがやってくる。
「おはようございます、イザベラお嬢様。起きられていたんですね」
「ええ。早くに目が覚めてしまったので、せっかくなので少し書き物をしていました」
嘘をつかない程度に誤魔化しつつ、私はそう伝える。
そのまま、彼女は私に近づいてきて、身支度の手伝いをしつつ、併せて今日の予定についてを説明してくれる。
「仕事についての相談を、お父様から?」
「はい。そのために、今日の午後に執務室に来るように伝えてほしい、と。そうことづかっています」
お父様が仕事の話として相談を振ってくるのは珍しい。
「了解しました。ありがとうございます、サーシャ」
「いえ、それが私の仕事なので」
サーシャは淡々とそう言いながら、ペコリと頭を下げる。
彼女は、少し仕事に真面目すぎるところはなくはないが、しかしながら、だからこそと物事に真摯に取り合ってくれるために、私としてはやりやすい。
しかし、お父様から相談を。それも、食事の後などの傍らに、というわけではなく、わざわざ執務室に呼び出して、となると。小さな話ではないだろう。
いったいどんな話なのだろうか、と。サーシャに支度を任せながらに、私はそんなことを考えていた。




