#1
「イザベラ・ブランシャール。今ここで、お前との婚約を破棄する!」
記憶にないはずの夜会、その一幕。私は、最愛の人からそんな言葉を突き付けられる。
周囲の観衆たちが驚きに包まれる中、彼がつらつらと語るのは、身に覚えのない罪の数々。
まるで物語の悪役を断罪するかのような、そんな様子に。私は大きくため息をついた。
また、この夢か。
鬱屈になりそうな気分になりながら、早く覚めないかと途方に視線を遣る。
いつからだったろうか。婚約者であり王太子であるアルベール様に、こうして婚約破棄を告げられる夢を見るようになったのは。
――誰が言ったか。夢とは、人を映す鏡であると。
その人の内なる欲望や願望、そして行く末に至るまで。それを見せるものである、と。
そんな世迷言を聞いたからだろうか。
幾度となく見続けてきたこの夢は、まるで私の行く先を暗示しているかのようで。
もしもこれが、予知夢だというのであれば。いったい私は、なにをやらかしたというのだろう。
彼の叫んでいる罪状こそ私のやってしまったことなのだろうが。
毒殺未遂、傷害、詐欺。そのどれを取ってきても、今の私にそれをやろうという気は微塵もない。
どういう経緯でそれをやったのか。いや、それ以前に、どうしてそれを行おうと思ったのか。それすら、考えつきそうにない。
喧騒、悲鳴。様々な声が飛び交う舞踏場に、耳が、目が、ぐらりと揺れる。
きっと、この先にあるのは破滅なのだろう。そんな予感を感じながら。
私の意識は、微睡んでいく。
「イザベラ、イザベラ!」
「……なんですか、マリエル」
「いや、随分と疲れた表情してるからね。……大丈夫? 今日のお茶会中止する?」
「いえ、大丈夫です。少し寝不足気味ではありますが、その程度なので」
招待した側が万全ではないというのはいささか失礼ではあるが、しかし、せっかく来てもらったのにそのまま帰すというのも申し訳ない。
「……また、夢見がよくないの?」
マリエルは、心配そうな眼差しでこちらを見つめながらそう聞いてくる。
「まあ、そんなところです。たしかに最近の夢はあまり良いものではないですね」
あまり良いものではない。という程度ではないが、そのあたりはまあいいだろう。変な心配をマリエルにかけたくないという気持ちもある。
「気をつけなさいよ? イザベラの夢は、現実になることが多いんだし」
「やめなさい。なによりあれは子供の頃の話ですしそれに、あんなものたまたまでしょう」
そう言いながら、私は侍女が持ってきてくれた紅茶に口をつける。
春摘みの、花のように香り高い匂いに包まれる。
マリエルは「そうは言ってもねぇ」と、どうにも煮えきらない様子で、同じく紅茶を飲んでいた。
たしかに、マリエルが言うように過去に私が夢で見たことが現実に起こったことは、数度ある。
しかし、特に幼い頃によく起こっていた覚えがあり、それ故に夢で見たことに似た事象が起こったときに無理矢理に関連付けていたようにも思える。
……そう思いたいという私の本音が介入しているというのも、事実ではあるが。
「夢の内容は知らないからなんとも言いにくいけど、イザベラはついにアルベール様の婚約者になれたんだから。ある意味では狙われる立場なんだから気をつけてね?」
「……それは、ええ」
まさか夢の内容が、そのアルベール様に婚約を破棄されるものだとは当然言えるわけもなく。
彼女からやや視線を外しながら、その言葉に頷いておく。
幸いなことにマリエルはその私の様子に気づいていない様子で、菓子に手を付けていた。
「そういえば、アルベール様といえば、次の夜会に参加されるんだっけ?」
「参加されるどころか、主催側ですよ。久しぶりの王宮での夜会です」
「てことは、また騒がしい夜会になりそうだね」
うへぇ、というような苦い顔をしながら、マリエルがまたひとつ菓子を口に放り込む。
眉目秀麗。その言葉をまさしく体現したようなアルベール様は、他の令嬢たちからもとても人気だった。
絹のように艷やかな金髪、切れ長な目に王族の証である紫瞳。陶磁のように美しい肌は、女性である私から見ても羨ましく思ってしまうほどだった。
それ故に、彼の周りにはたくさんの令嬢方が集まり。女性陣の姦しい声、男性陣の落胆や嘆きの声。結果的に彼の参加される夜会は様々な意味で騒がしくなりやすい。
「そういえば、イザベラはアルベール様の婚約者なわけだけど、ああいうのに嫉妬したりはしないの?」
「ええ。そこについては大丈夫です。アルベール様が、ああいった令嬢の方を望まれていないことは知っていますし」
もちろん、嫉妬をしないかといえば話は別だが。しかし、そこに慣れであるとか理解というものがあるため、心配などはしていなかった。
アルベール様は当然ながら沢山の令嬢の憧れである一方で、しかし当の彼はそういった話には微塵も興味がなかった。
彼が強く興味を示すのは、自分のことをどう思っているかではなく、その者がどれほどに優秀であるか。
実際、彼は優秀な人材であれば平民からでも登用し、無能であれば貴族家出身のものでも解雇する、というようなやり方でたしかな実績を生み出していた。
とはいえそのようなやり方が怨恨を生み出すということも事実で。特に保守派の貴族――よく言えば封建主義的であり、伝統を重んじる者。悪く言えば地位に胡座をかき、その地位に縋りつく者から、強く反発を受けている。
そして、その考え方は彼の婚約者へ求めるものとしても現れている。
彼が婚約者に求める素質は、この国の国母たる自覚があるかどうか、だ。
もちろん、私も彼の容姿に惹かれた側面がないといえば嘘にはなるが。
それ以上に彼の考え方に共感し、そしてその手伝いをできれば、と。そう思い、婚約者になるために努力をした。
「そういえばマリエルは、あまりアルベール様のところに行こうとしませんが、もしかして私に気を使っているんですか?」
「うーん、そういう側面もなくはないけど。そもそも私がアルベール様の求める婚約者にはなれっこないだろうし。それになにより私、アルベール様がちょっと苦手なんだよね」
「……そういったことは、この場以外では絶対に言わないでくださいね」
「もっ、もちろん!」
「夜会での立ち居振る舞いにも十分気をつけること。いいですね?」
ブンブンと頭を縦に振る彼女だったが。本当に、気をつけてほしい。
マリエルはブランシャール領に隣接するラングレー家の貴族令嬢であり。事業の提携などはもちろん、元より家同士が仲が良かったこともあって、昔から仲良くしていた。
そういう経緯があり、加えて彼女と私は同じ年に生まれたということもあってか、マリエルは私に対して楽に接してくれている。
家格の話などをし始めると、私は伯爵家でマリエルは男爵家ではあるのだが。お互いに肩肘を張ったような関わり方も違和感があるため、私的な場面では私も特段気にしないことにしていた。
だが、このマリエル。よく言えば楽観的、悪く言えば無頓着な性格をしているせいか。公的な場面に於いても同じように接してこようとする。
寄宿学校にいた頃に始まり、最近では夜会なんかでも。
さすがに公の場でそのような態度を取られてしまっては。伯爵家が男爵家に舐められた態度を取られている、男爵家が伯爵家に不躾に接している、と。両家にとって悪いイメージがつきかねない。
「貴女が以前アルベール様の前で粗相をしでかしかけたとき、私がどれほど肝を冷やしたか、わかってるんですか?」
「それは。……ほんとにゴメンナサイ」
シュン、と。彼女は肩を縮めながら、そう謝った。
以前の夜会にて、私がアルベール様とお話をさせて頂いていた際に。あろうことか私を見つけたマリエルが突撃しに来たのだ。
あのときはなんとかその場を取り次いだが。次同じことをして、同じく対処できるとは思わない。というか、それ以前に心労がとてつもないことになるからやめてほしい。
「でも、あのときアルベール様は気にしてなかったように見えたよ?」
「それは、アルベール様だからです。あの御方自身は、そのようなことを気になさらないので」
彼は立場如何ではなく、その人の能力、人となりとで判断される。だからこそ、彼自身はマリエルの粗相については特段気にされてはいなかった。
だが、彼自身が気にしないことと、彼がそれを処罰しないかということとは別。曲がりなりにも王太子であるアルベール様の前で不敬をはたらくものがいれば、それを処罰せねば他への示しがつかなくなる。
彼は良くも悪くも、とても合理的な方だから。
だから、罪を犯したとなれば。相応の判断をされる。
そこまで考えて、ふと、夢のことを思い出した。
あの夢では、私には様々な罪状を突きつけられていた。そのどれをとってきても極刑すらありえそうなものたち。仮に本当に私がそれを犯していたのならば。……たしかに、婚約破棄を突きつけられても仕方がない。
むしろ、婚約破棄だけで留まっているのであれば、随分とマシな方ではある。それとも、あの夢の続きではそちらの沙汰も言い渡されているのだろうか。
しかし、やはりどうして私はあんなことを。……そのように考え、思考の坩堝に飲まれかけていたとき。再び、マリエルが声を掛けてきて、現実に引き戻してくれる。
大丈夫? と、そう声をかけてくれる彼女に。私は笑顔を向けて、考え事をしていただけよ、と返した。
「そういえばイザベラは、次の夜会のために新しいドレスを仕立てたんだっけ?」
「ええ、そうですよ。青色の生地に、銀糸で装飾を施されたものです」
「うん、いいね! イザベラのその艷やかな黒髪とよく似合いそうだよ」
ありがとうございます、と。そう伝えると。後で見せてもらってもいい? と聞かれる。
本来なら、当日にお披露目と行きたいところだが。まあ、マリエルならばいいだろう。
そんなことを思いながら、どこか、少し安心している私がいた。
次の夜会のドレスは、青色。ならば、大丈夫だろうと。
あの夢での私は、白地に赤の装飾を施したドレスを着ていた。だから、大丈夫。
そこまで思いかけて、ふと。なにを、夢を頼りにしているのだ、と自分の考えに嫌気が差した。
(あんな夢、ただの夢だと、そう思おうと思ったのに……)
けれど、どうしてだろうか。遠くない未来に起こりそうな、そんな予感をひしひしと感じて、仕方がなかった。
その日の夢は、久しく見る、別な夢だった。
夜会の風景が見えたときはまたかとため息をつきかけたが、しかしどうも違う。
人の動きなども、いつも見るものとは違うのだが、なによりはっきりとわかる違いは、私の服装。
いつもの夢で見る白色のドレスでは、ない。
「もしかして、別の夢でしょうか」
そう思うと、気持ちがスッと楽になる。
新鮮な気持ち、楽な気分で身体と心を休めることができる。
相変わらず突撃してくるマリエルを窘めつつ、夜会の様子を観察する。
久しぶりの自由な夢に、軽い足取りで会場内を歩いて回っていると、遠くに人だかりが見えてくる。
たくさんの女性が集まっている。……それたけで、だいたいの事情が想定できる。
おそらく、あそこにアルベール様がいらっしゃるのでしょう。
婚約者は決まっているというのに、一分一厘の可能性に賭けて狙っているのか。はたまた、ただただ色男の近くに居たいだけなのか。相変わらず、たくさんの令嬢方が彼の周りには集まっていた。
アルベール様が参加される夜会での、日常風景。そう思い、特段気にはしていなかった。
遠巻きから彼ら彼女らの様子をうかがいながら、受け取った葡萄酒に口をつけていると。
パリンッ、と。ガラスの割れる音。
同時、令嬢たちの悲鳴。
思わず、音の方向に顔を向けると、群衆。たしか、あの先にいらっしゃったのは、
慌てて近寄り、様子をうかがうと。そこには目を白黒させながら苦しそうな様子で口を抑えているアルベール様。
「がっ……かはっ……」
彼の指の隙間から、赤黒い液体が漏れ出す。一瞬葡萄酒のようにも見えたが、違う。これは――、
「だ、誰か! アルベール様が!」
近くにいた令嬢の誰かが、そう叫んだ。
「あなた、いったいこれはなにがあったというの?」
私は近くにいた令嬢のひとりを捕まえて、事情を聞く。
彼女も同じく混乱はしているようで、発言が覚束なく、あまり定まっていない。
だがしかし、その内容を汲み取る限りでは、アルベール様が葡萄酒を口につけた途端、急に苦しみ始めて、血を吐かれた、と。
(葡萄酒を飲んで、急に苦しみ始めた?)
アルベール様は、別段アルコールの類が苦手であるとかそういうことはなかったはず。葡萄酒も、以前普通に嗜まれていたはず。
で、あるのに今ここで、葡萄酒を飲んで急に苦しみ始められた。そんなことがありうるのだろうか。
駆けつけた宮廷医師がアルベール様の治療を開始しているのを確認して、私は周辺を見回す。
割れたワイングラス、戸惑う人。
――原因は、いったい。
それを探ろうと、一歩踏み出そうとしたとき。
ぐらり、と。意識が傾く。たしか、この感覚は。
待って。もう少し、もう少しだけ。
原因を、理由を――、
そんな叫びは届くことなく。私の意識は少しずつ遠くなったいった。
ベッド上で飛び起きる。
乱れた呼吸、煩く騒ぐ心拍。
ちらと窓の外を見れば、まだ仄か暗い。
思考を邪魔する焦りを無理矢理に押し潰し、頭を回す。
あの状況には、奇妙な聞き覚えがあった。
葡萄酒を飲み、苦しみ始め、血を吐く。
――毒殺未遂。
それは、夢の中で私に宣告された罪状そのものであり。
そして、昨晩の夢での私は。
次の夜会で着ていく予定の、青色のドレスを身に着けていた。
「……アルベール様の身が、危ない?」
たかが夢だろう、と。そう思いたい気持ちももちろんあった。
だが、万が一、と。そう考えたとき。
「助けないとっ!」
私の中の決意は、自然と固まっていた。