1-4 玉藻
ここは四階だ。
カーテンが急に開いて、向こうも驚いたようだった。
よかった、落ちなくて。
「なにやってるんだよ、危ないよ!」
僕はわけがわからないながらも、急いで窓を開け、子どもを部屋の中に引き摺り下ろした。
よく見ると、子どもは袴をつけていて、現代の子の出立ちではない。
「すみません、ここに蒼龍は来ておりませぬか」
男の子は随分慌てているようだった。
「ソーリュー?」
「蒼い身体をした龍です。まだ赤子で、僕がちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまって」
じぃのことだ。
見た目の割にしっかりとした話し方をするこの子は何者だろうか。じぃを心配してるようだし、悪い子には見えない。
「ジィッ」
僕の陰からじぃが飛び出してきて、男の子の前に現れた。
「蒼龍様! 良かった、ご無事で」
男の子はそう言ってじぃにむかって頭を下げる。
その頭の上にじぃがちょんと乗る。
「君がじぃの飼い主なの?」
僕の質問に、男の子が頭を下げたまま「じぃ?」と聞き返す。
「あ、ごめん。勝手に名前をつけてしまって」
「名付けをしたですと!?」
部屋の外にまで聞こえるような大声で男の子は叫ぶと、ガバッと顔を上げた。
その目が血走っている。
「ご、ごめん。君の龍だとは知らなくて」
「まさか。私めはただの育師ですよ」
「いくし?」
「龍騎士様へお渡しするまで龍を育てるのをお役目にいただいている精霊です。ですが、ああ、そんな、名前をつけただなんて。これじゃもう騎士様にお渡しできない。いや待てよ。元々騎士様に渡したくなくて龍様を連れて逃げたのだ。だからこれで良いのだ。うつしょの一般の家庭の常人にぬくぬくと育てられるのがこの子にとっての幸せ。よし、そうだ。このままこの方にお預けしよう。一般家庭の常人のーーいや待てよ。なぜ、常人に龍様が見えるのだ? あなたは一体何者です!?」
長い独り言の後に急に話を振られ、僕は戸惑う。
「何者って、ただの中学生だけど」
それしか答えようがない。
「チュウガクセイ、そんな称号あったかな」
「中学生は称号じゃないけど……」
「なんと。それでは、失礼ですが、ごしょうごうは?」
「別にないよそんなの」
「そんなはずはない。称号は誰でもお持ちになっております、龍騎士様ならば」
「僕は龍騎士とやらではないよ?」
「龍騎士ではない!?」
男の子はまた素っ頓狂な声を出してから一人ぶつくさと言い始めた。
こんなに騒いでて母がやってこないところを見ると、どうやら目の前にいるこの少年もこの世ならぬ人種なのかもしれない。
「いやでもそうですよね。ですが、龍騎士様ではなくて我々の姿が見えるとはどういうことなのでしょうか」
「さぁ」
独り言なのか問いなのかよくわからず子どもは言って、僕をじっと不思議そうな目で見てくる。
僕は苦笑するしかなかった。
「僕には話しがさっぱり見えないよ」
「すみません、私も混乱していて。龍騎士様や巫女様以外に龍の見える人間にはじめてお会いしたものですから。あの、これも何かのご縁。お願いの儀がござります」
男の子は、改まって正座をすると、僕に向かって頭を下げる。
「どうか、この龍様をしばらく預かってはいただけませぬか」
「ちょ、ちょっとまってよ。頭を上げて。まず、ちゃんと説明してよ」
「そうですよね。すみません」
男の子は頭を上げて、訥々と語り出した。
「私は育師の玉藻と申します。と言っても、まだ見習いの身。
この度はじめてこの蒼龍様のお世話を担当させていただいたのです。
蒼龍様は卵から孵ってから順調にお育ちになり、晴れて龍騎士様の下へお預けになることが決まりました。それはめでたいことなのですが、」
玉藻は、何かを思い出したのか、ぎゅっと袴を握る。
「私は、この蒼龍様を龍騎士様の下へはやりたくない。だから、掟を破って、私はこの蒼龍様を連れて村を逃げ出してきたのです」
「龍騎士ってのが、僕にはまずわからないんだけど。どうして、その龍騎士に龍をやりたくないの?」
「それはーー」
玉藻が続きを話そうとしたとき、
「なるほどね。それで私のとこに龍が来なかったわけだ」
若い男の人の声がしたかと思うと、部屋の中に急に白狐の面を被った和装の男が現れた。
ほんとに急に、何もないところから姿を現したのだ。僕は、驚いて声も出ない。
「り、龍騎士様!?」
玉藻は飛び退いて、蛙みたいに這いつくばってその人に頭を下げた。
「も、申し訳ありません。全ては私の責任です」
「そりゃそうだよ。罰を受ける覚悟で龍を持ち出したんだろ? きつ〜い罰が待ってるぞ。追放ならいい方だ。だがおそらく処刑だな」
「処刑って、こんな小さな子を殺すってことですか?」
僕は思わず口を挟む。
すると白狐の目が僕に向いた。
「言っとくけど、君も問題だよ? お父上の強い結界に守られているけど、龍が接触してしまった。足がつくよ」
「僕の、お父さんを知っているんですか?」
「んー知ってるっていうか、叔父だよね」
「叔父――?」
「そう。私は君のお父さんの甥。ってことは、君と私は従兄弟」
「父に兄弟がいるなんて、聞いたことないですけど……」
「そりゃあ、隠してたんでしょう。君を守るためにもね」
「僕を、守るため」
「そう。まったく過保護なことだよ。お陰で私の負担が増えるじゃないか」
男がため息をつきながらその場に座る。新緑のようないい匂いが香った。
「おいで、じぃ」
男が手を伸ばすと、じぃが素直にその腕に昇っていく。
その頭を撫でる手つきは優しい。悪い人ではなさそうだ。
「てゆうか、なんで名前『じぃ』なの?」
唐突に白狐が聞く。
「ジィッて鳴くからです」
「うわっ」と、男は大笑いした。
「単純すぎでしょ。龍の名前ってめっちゃ大事なのにさ」
「すみません。便宜的に、呼ぶために付けただけで。あなたの龍なら、付け直してください」
「いや、無理だよ。龍は生涯でひとつしか名を持たない」
「そんな。知らないで僕、すみません」
「いいんだいいんだ。じぃってのは、呼びやすくていいんじゃない。ただ、さて、どうしようかねえ」
「私は、どんな処罰も覚悟の上です。でも、この龍様は、どうかーー」
玉藻は必死で男に頭を下げる。その頭も、男はなでなで。
「うんうん、わかってるって。でも、俺もそんなに権力あるわけじゃないからさあ、うまくやらないと」
男はしばらくじぃの頭を撫でながら考え込む。
「じゃあ、こうしようか。私がもう一度君のーーあ、名前は?」
「颯希です」
「颯希ね。オーケー。俺は名乗らないよ。名乗りは記憶に残りやすくなってしまうからね」
なんだかマイペースな人だ。
「颯希に俺がもう一度結界を張る。記憶も消す。
それで、颯希が蒼龍に会ったことはなかったことにしよう。
これで颯希は、宇迦家の者にも見つからないだろう。あ、でも失敗したらごめんね。
俺この手の術あんまり得意じゃないからさ。
で、じぃは俺と玉藻で里に連れ帰る。俺があまりの可愛さに早まって、手続き前に連れ出しちゃったことにしよう。それなら、おやつ抜きくらいの罰で済むだろ」
「見逃して……くれるのですか?」
驚いたように玉藻が顔を上げる。
「うん。でも、じぃは予定通り、俺に預けてくれるかな?」
その言葉で、玉藻の顔が再び曇る。
でも、龍騎士だという男の声は優しかった。
「大丈夫だよ。俺だって、龍は可愛いんだ。もう、同じ過ちは犯さない」
「過ち?」
男は立ち上がり、ぽんぽんと玉藻の頭を叩いた。
「じぃの母親に誓ったからさ。じぃは俺が守るって。いつか名付け親の颯希のところで、愛玩動物として飼われる日が来るように、俺が鯰神を駆逐してやる」
「神を駆逐って」
なんだか空恐ろしいことを言うので、僕は思わず繰り返してしまう。
「ああ、自称神、な。魑魅魍魎の中には自称神が多い。君も気をつけなよ。それじゃ、そういうことで、いいかな? 俺、明日も仕事で早いからさ。もう帰って寝たいんだ」
いいとも悪いとも言えない。
白狐の面の男は、僕に向かって二本指を立てた。
わからないこと、聞きたいことはまだ膨大にあるのに。それは許されないことなのだろうか。
自分の、父の話だとしても。
玉藻が僕に向かって頭を下げていた。それが、僕に残る最後の記憶だった。
この作品悪くない
少しでもいい
と思っていただけましたら、ページ下の方の
⭐︎マークでポイントや評価、ブックマーク
を、よろしくお願いいたします!