1-2 黒狐と白狐
この男なら木刀で頭蓋骨を叩き割って相手を殺すことなど容易だろう。
でもーー。
でもぼくは、そんなの嫌だ。
動け! 僕の身体!
かろうじて顔を上げたその時、男の木刀が目の前にあった。
その羽先が僕の額に触れるかというところ。
「ガッ」
という乾いた音と共に、黒い礫のようなものが飛んできて、男の木刀を弾き飛ばした。
男が舌打ちをして、礫の飛んできた方を向く。
そこには白狐の面を着けた男が立っていた。
僕を襲った男とは対照的に、白い着物に袴という姿。
その姿を見た瞬間、こめかみから脳天に稲妻が抜けるような痛みが走った。
それと同時に思い出したことがある。
僕は前に、この人と会っている。
けれど名前も正体もわからない。
ただ、これで助かったーーという安堵感が湧いてくる。
この人なら、きっと僕を助けてくれるだろう。
「白狐、何をしている」
黒の狐が白に問う。
「黒狐、あなたこそ何をしておいでか」
黒狐の面の男よりも大分若い声。
「見てわからぬか。試しだ」
「天明颯希は私の弟子です。試しを行う必要はない」
僕は名を呼ばれたことに驚いて白狐の面の男を見る。
僕が、あの人の弟子?
「いつのまに教士の資格をとったのだ? その場しのぎの嘘は己を苦しめるぞ」
「嘘だというなら免許状を見せましょうか?」
「そちらではない。弟子の方。他人に興味のないおまえが弟子など取るはずはない」
「そのような言われようは甚だ遺憾ですね」
黒狐が諦めたように舌打ちをする。
「なんの気まぐれか知らんが、こいつはもう遅い」
「試しの時までに間に合わねばそれまでのこと」
「辛い思いだけさせて、どうせ結果は死だ。一時苦しみに生きる時を伸ばしたところで何の意味がある」
「それはこやつ次第です」
白狐の面の下の目が、僕に向いた気がした。
僕、次第。
二人がなんのことを話しているのかまるでわからない。
けれど、僕がもう後戻りはできない場所に立ってしまったことだけはわかった。
「弟子を育てる暇がどこにあるんだ。そんなことはジジイどもに任せてけばいいことだろう」
「私がそうしたいからいいのです」
「俺は永劫おまえを理解できぬな。とにかく遊んでないで仕事をしろ。そうでないと俺たちの負担が増える」
黒狐はため息をつくと、唐突に姿を消した。
白狐はこちらを向き、懐から何かを差し出した。
白狐の手のひらから、青い小さな蛇のようなものが飛び出して僕の肩に乗る。
「じぃ。どこ行ってたんだ。心配したよ」
蛇というか手足があるのは蜥蜴に近いだろうか。
でも身体が長くて鱗があるのは蛇に近い。その中間というところ。
ただサファイアのように青く美しく光る鱗は他の何にも見たことがない。
それにこの生物は、どうやら僕以外に見えていないらしい。
――そう思っていた。けれど、目の前の白狐にもじぃが見えるらしい。
あるいは、じぃと同じ部類の方か。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
「その子が俺を呼びに来たんだ。怖い思いをさせて悪かったね。隠し通せるかと思ったのだけど、やつに見つかってしまった。じぃが君のところを離れないからねぇ。困ったものだ」
僕は困惑した。
「あの、なんでじぃの名前を知ってるんですか」
もっと他に聞くことがあるのに、ありすぎてそんなチンケな質問をしてしまう。
「ああ、そうだよね。説明するのは面倒臭いから、全部自分で思い出して」
白狐はそう言うと、口の中で何事か唱え、(僕にはそれが「にんにくにんにく」と聞こえた)僕に人差し指と中指を向けてきた。
不思議なことに、そこから風がびゅっと吹いて僕を包む。
その瞬間、僕の頭の中に映像が浮かぶ。これは、記憶。
一週間前のことだった。
この作品悪くない
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