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2-5 音夢の世界




潮風が吹いてくる。随分と生臭い潮風。


 あれはなんだ。クジラだろうか?


 海岸沿いに、軽く一軒家程度の大きさはある黒い丸々とした物体が寝そべっていた。


「あれは、なんですか」


 横にいる東郷に尋ねる。 


 面が邪魔かと思ったが、思いの外視界はクリアだった。


「鯰だよ」

「鯰って、淡水魚では」

「正確には鯰神。あいや、神は自称だから、鯰お化けか」


 東郷は腰の刀を抜き、僕に持つように言った。ズシリと重い。


「あいつらは大地震を起こす。だから我らは鯰を退治して天におかえしする。それが狐の役目。弱点は頭に付いてる触覚だよ。あれを斬ればいい」


「えっ。僕がやるんですか?」


「うん。あいつはもう弱っているし、大丈夫さ」


「僕、刀を使ったことなんてないです」


「木刀よりちょっと重いだけのことだよ。逆胴を打つような要領で引き斬りにしてごらん」


 ほら、行こう。


 と、東郷は先に立って鯰に近づいていく。


 生臭さが増して、僕は思わず顔を顰める。


「この面は結界の効果があるんだよ。それでこの臭いって、面がなかったらと思うと恐ろしいねえ」


 東郷は呑気に言って、僕を鯰の上に登るように指示する。


 確かに鯰は弱っているようで、僕が手甲を頼りにその胴体をよじ登っていっても動くことはなかった。


「わかるだろ、触角?」


 東郷が下から見上げて聞いてくる。


「額のところの、一本伸びてる鞭みたいなやつですか?」


「そうそう。それ斬って」


 僕は恐る恐る刀を構える。


 逆胴って、苦手なんだよな。しかも初めて使う刀。


 でも失敗したら、鯰を苦しませてしまうかもしれない。一思いに、すっぱりとやってしまわなくては。


 僕は呼吸を整え、神経を研ぎ澄ます。


 スッと、それが斬れるイメージを持って、一気に引き斬りにした。


 その途端、切り口からうわっと黒い何かが噴き出してくる。それを見て東郷が叫ぶ。


「あっ、離れて!」


 言うの遅いよ! 


 僕は黒い臭い何かに押し流されて海に落ちる。


 下が海で良かった。そうでなければ腕の一本も折っていたかもしれない。


 立ち泳ぎする僕の目の前で、鯰はみるみる小さくなってゆく。


 最後には、ほんの鯵くらいの大きさになって海に戻って泳いでいってしまった。 


「おーい、大丈夫か?」


 海岸から自分は海に入らず東郷が僕に呼びかけてくる。


「大丈夫です」


 岸まで泳いで行くと東郷が手を貸してくれた。


「ああやって人の悪念を喰って膨らんだ鯰は、斬られるとああやって体液を放出することがあるんだよ」


「そういうことは今度から先に教えて欲しいです」


「あぁ、そうだよね。ごめんごめん」


 緩いな〜この人。


「でも練習台にはちょうど良かったね。ところで、刀は?」


「あっ」


 僕は弾き飛ばされた時に刀を手放してしまっていた。


「まさか失くしたの」


 東郷がサッと青ざめる。


「すみません! 探してきます」

「いいよいいよ。言っておかなかった俺が悪いんだ。二ヶ月分の給料がパァだけど、いいよいいよ」

「いやそれは良くないですよね」


 とそこへ、「ジィッ」と鳴き声がして、振り向くと刀を咥えたじぃが飛んでいた。


「じい! 拾ってきてくれたのか! ありがとう!! 大好きだよー!!」


 東郷はぎゅっとじいに抱きつく。心なしか、じいの身体が前より大きくなったような? 


 そう思っていると、東郷の腕の中でぽんっというような音と共にじいの身体が変化した。


 そこにいるのは玉藻と同じ年頃の男の子だった。


「うわっ凄いなおまえ! もう変化できるようになったのか」


 東郷が嬉しそうに、人間の子どもの姿のじいの頭を撫でる。


 じいもとても得意そうだ。


「おまえはお母さんに似て優秀だなぁ」


 じぃのお母さんって、碧という龍か。


 碧も人の姿に化けていたのだろうか。東郷の身の回りの世話をするならその方が都合が良いだろう。


「ジィッ」


 喋れないだけで、じいはどこからどう見ても和装した人間の子どもだった。


 喜んでいた東郷の顔に、ふいに緊張が走る。


 僕にも、何か耳鳴りのようなキーンという甲高い音が聞こえた。


「どうやら、先生の言っていた厄介なのとやらが近くまで来ているな。今のうち先に帰れーー」


 東郷が僕に手を伸ばそうとした時、僕と東郷の間を割るように地面に亀裂が入った。


「くそっ」


 東郷が僕に二本指を向ける。風が僕を取り巻き、僕はシャボンの泡のようなものに包まれていた。


「そこから出るなよ」


 東郷さんは僕に叫ぶと、刀を抜いた。

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