第五章 契約魔たちの対面 1
「ご安心なさってミス・ディグビー。あなたが調査を引き受けてくださるなら、わたくしどもから正規の料金をお支払いいたしますから」
突発的な歓迎会の席で、バーバラがエールのジョッキ片手に耳元で囁いてくれた。
その一言でエレンの心は決まった。
今回のこのファンテンベリー訪問は、月々支払われる顧問料に含まれる通常の相談業務の一環という扱いで、警視庁からは交通費しか出ていない。他から正規料金が出るなら、いつも経営がカツカツの事務所としては願ったりだ。
どんどん人を増してゆく賑やかな歓迎会がようやく果ててくれたあとで、エレンはボサボサした毛並みの二頭の農耕馬の引くやたら大きな箱馬車に乗ってロビヤール女子寄宿学校へ向かうことになった。
進行方向を背にしたベンチにジゼルとバーバラが並んで座り、エレンは向かい側に座る形だ。
「学校までは三マイル程度ですからね」と、バーバラが爽やかな薄荷の薫りのする息を吐きながらにこにこと教えてくれる。薄荷はエレンの口のなかにもある。大蒜の効いた揚げジャガイモの臭い消しのためにとさっきバーバラがくれたものだ。
「それにしても、本当に愕いたわ! まさかこの平凡な女教師の人生で二人の女性魔術師を同時に見る日が来るなんて! 二人とも別の種類の上位精霊みたいに綺麗なのねえ。魔術師ってみんなそうなの? ――ね、ミス・ディグビー、あなたの活躍はガゼット紙でみんな読んでいるわ。あの怖ろしい黒妖犬みたいに、魔術師って使役魔を使うのでしょう? あなたも何か使うの?」
どうやらほろ酔い加減らしいバーバラが、幽霊譚をせがむ子供みたいに目を輝かせて訊ねてくる。エレンは青臭い薄荷を飲み込んでから苦笑気味に応えた。
「わたくしは火蜥蜴を呼び出します。でも、彼は使役魔ではないの。対等な契約を結んでいますから」
「まあ火蜥蜴! 火蜥蜴ってどんな姿をしているの?」
バーバラが期待に満ちた眼差しを向けてくる。
エレンは顧客サーヴィスの一環としておなじみの契約魔を呼ぶことにした。
「サラ、出てきて頂戴。新しい依頼人を紹介するから」
掌を広げて呼びかけるなり、エレンの魔力の表出である淡い金色の微光の柱が立ち昇って、小さな赤い竜のような生き物が現れた。
生き物はエレンの掌の上でブルブルブルっと体を震わせて金色の光の粒子をまき散らしてから、焔を透かしたルビーみたいに赤々と輝き始めた。
「まあぁ――」
バーバラはこの世の大抵の女性がサラを見たときにあげるのと同じ声をあげた。
「なんて可愛らしい。彼がサラなの?」
「然様。儂がサラじゃ。この名は大いに不本意ながらな!」と、小さな火蜥蜴が渋い男声で応え、皮翼をパタパタさせて定位置であるエレンの右肩の上にとまった。
「エレンよ、依頼人とはそちらのお二方のご婦人か?」
「ええ。ミス・バーバラ・アボットとミス・ジゼル・ヴィリアーズ、もしくはマダム・ジゼル・ヴァリエ。お二人とも女子寄宿学校の先生で、マダム・ヴァリエのほうはルテチアの魔術師よ」
「ほう」と、火蜥蜴が興味深そうに応じてポッと淡い焔を吐く。
途端に箱馬車のなかの温度が上がった。
「――暑いですわね」
ジゼルが眉間に皴をよせて呟くと、おもむろに黒いレースの手袋を外し、華奢なクリーム色の掌で見えない球体を包むような形をとりながら呼ばわった。
〈サフィール。モナミ。姿を見せて〉
甘く柔らかなルテチア語でジゼルが命じるなり、掌のあいだから馥郁たる薔薇のような芳香が立ち昇った。
魔力は音や光や匂いの形をとって表出される。
エレンの場合、意識せずに表したときにはいつでも光の形をとるが、ジゼルの魔力は薫りの形で表れるらしい。
バーバラが目を細める。
「素敵な薫りね――」
悔しいが、その点はエレンも同感だった。
この何もかも優美なルテチアの魔女の契約魔はどんな優美な姿をしているのだろう?
何となく風の系統のような気がする。
――風乙女か有翼馬あたりかしら?
不本意ながらもわくわくと掌のあいだを見つめていると、不意に空間がぐにゃりと歪み、薔薇めいた芳香をまき散らしながら、目に鮮やかな真っ青な何かが踊りだしてきた。
「キャッ!」
バーバラが小さく叫んで背を引く。
ジゼルの掌のあいだから現れた何か――長く太い綱のような真っ青な何かは、冷たい水の雫をまき散らしながら、釣り上げられたばかりのウナギのようにくねってジゼルの首にシュルシュルシュルッと巻き付いた。
エレンは瞠目した。
それは色鮮やかな碧い鱗に覆われた異形の蛇だった。
尾は一本だが頭部は無数に――おそらくは九股に――分かれている。
ジゼルの栗色の頭の上から、鮮やかな緋色の冠羽を生やしたもっとも大きな頭部がにゅっと突き出し、残りの首が左右から顔をとりまいて、無数の赤い小さな舌をチロチロと蠢かせている。
「……ミス・ヴィリアーズ、その生き物は?」
バーバラが微かに震える声で呼ぶ。
おそらく蛇が嫌いなのだろう。
額に脂汗をかいている。
ジゼルは眉をあげ、右側の一番下の小さな頭の顎の下を仔猫の喉でも撫でるように愛撫しながら答えた。
「彼女はサフィール。わたくしの契約魔で、九頭の水蛇です。とても美しいでしょう?」