第三章 エルフの贈り物 1
六月初めの良く晴れた午後、エレンは白い絹のブラウスと黒いスカートといういつもの仕事着で、お気に入りの明るい紺の薄地の絹外套を重ね、濃紺のリボンをかけた麦藁のボンネットを被り、古びているが上等の茶色い革の大型トランクを携えて、ファンテンベリー村の長距離馬車の駅舎であるカササギ亭の前に降り立った。
すると、すぐさま小遣い稼ぎの村の若者と思しき運搬夫が駆け寄ってくる。
「奥様、お荷物はいかがいたします?」
「私は独身ですよ。とりあえず下ろして、この宿のなかまで運んで頂戴」
石段を登ってドアを開けると、カランカランと鐘の音がする。
円硝子を嵌めた格子窓から午後の陽の射しこむ屋内へ入るなり、複数の視線の矢が一斉に降り注いできた。
左手に四つの脚の長い小型のテーブルがあって、フェルト帽をかぶって赤や緑のチョッキを来た自営農風の男たちが三人、白い陶器のジョッキを手にしている。
右手のカウンタの向こうにいるのは、見るからに旅籠の主人らしいよく肥った大柄な黒髪の男だ。
一同は無言でエレンを注視していた。
エレンは一瞬ためらってから、カウンタの主人に訊ねた。
「こちらにロビヤール女子寄宿学校の方はいらっしゃる?」
そう口にするなり、その場の空気がどっと緩んだのが分かった。
「ああなんだ、学校のお客さまですか!」
「生徒さん――じゃありませんよね?」
「お母さま――にしちゃお若い」
「お姉さま? 家庭教師?」
「あ、もしかして新しい先生ですかね?」
立のみエリアの客たちまでが人懐っこく声をかけてくる。
エレンはあいまいに笑い返した。
どうやらこの村では、ロビヤール女子寄宿学校の権威は相当のものらしい。
「ええまあ、そんなところです。今日このカササギ亭でミス・アボットという方と待ち合わせをしているのです」
「そうですか、そうですか、ミス・バーバラのお客様でしたか!」と、主人がにこにこしながらカウンタから出てくる。
「きっとすぐいらっしゃいますよ。お待ちになるあいだに、特別談話室でお茶でもいかがです?」
「いいわね。お菓子は何があるの?」
「今の時期でしたら苺のトライフルが一番です」
「じゃ、それをお願い。お茶には冷たいミルクをたっぷりつけてね」
「どうぞ、どうぞ。ではこちらに」
衝立の奥へとエレンを導いた主人は、すぐに手ずから茶菓を運んできた。
茶器は白い陶器でポットは真鍮製だ。
同じく真鍮製の丸いミルクピチャーに新鮮なミルクがたっぷり入っている。
そしてトライフル!
これは実に素晴らしかった。
小型の硝子のコップのなかに、苺のシロップでピンクに染まった角切りのスポンジケーキと薄黄色のカスタードクリーム、それにざく切りの生の苺が層状に重ねられている。上に丸のままのイチゴが三粒も飾ってある。
ルビーみたいに真っ赤な苺だ。
傷ひとつなく艶々と輝いている。
「まあ綺麗!」エレンは感嘆した。「こんな見事な苺を初めて見るわ!」
「そうでしょう、そうでしょう」と、主人が得々と頷く。「このファンテンベリーの苺は特別なんですよ。こいつは〈美しいひとびと〉の贈り物と言われているんです」
〈美しいひとびと〉―-というのは、アルビオンの田舎ではよく用いられる上位精霊の異称だ。エレンは興味を引かれた。
「何か伝説がありますの?」
「そうなんですよ」と、主人がポットを高々掲げて椀に紅茶を注ぎながら応える。「むかしむかし、まだ〈美しいひとびと〉が地上を歩いていた時代にね、この村の南側はファンテンウッドって呼ばれる大きな森に覆われていたんだそうです」
「ああ、西方世界の最後の上位精霊の上王の住まったというあの〈泉森〉ね。――あの大森林はルディ川南岸から今はなき大地峡を超えて大陸まで続いていたそうだから、このあたりはきっと最北端だったはず」
「お嬢さんよく知っていなさるねえ!」と、主人がちょっと鼻白んだように言う。「そうなんですよ。このへんはその森の北の端っこで、川の傍には人間の村があったんです」
「きっとあなたがたの御先祖様ね」
「そうそう」と、主人が満足そうに頷く。「その人間たちはみんな善良で、ファンテンウッドの〈美しいひとびと〉とも仲良くやっていたんですが、あるとき欲張りな余所者がやってきて、森の王の大事な一角獣を射殺しちまったんです」
「まあ大変! 森の王はものすごく怒ったでしょう」
「そうなんです。これ以上もなくものすごく怒って、そのとき以来村では全く麦が育たず、川では魚が取れず、牝牛の出すミルクははじめっから酢みたいに酸っぱくなっちまったんだそうです。村人たちは困って、うんと南に住んでいた司教様に相談しました」
「きっと千年紀の大契約のころね」
「――お嬢さん、あんたまるで〈美しいひとびと〉の生き残りみたいですねえ。まあね、きっとその頃だったんでしょうけど、そしたら司教様が村に教会を建ててくださって、その鐘の音が響くところは人間の土地だって取り決めを交わしたんだそうです。そしたら災いは止みましたが、〈美しいひとびと〉は二度と森から出てこなくなったし、人間も〈美しいひとびと〉の暮らす場所にはたどり着けなくなっちまったんだそうです」
「生と死の大分離ね。哀しい話だわ。―-それがどう苺に繋がるの?」
「ああそうでした、苺の話でした」と、主人が気取った手つきでエレンに茶碗を差し出しながら頷く。「その取り決めが交わされたあとで、オーリーっていう若者が、森に入っていったきり戻ってこなかったんだそうです。オーリーのおっ母さんは大層嘆きました。そしたらそこにカササギが飛んできて、オーリーの声で、苺があるよ、苺があるよ、常春の岸の苺があるよって教えたんだそうです」
「カササギが?」
「そう。カササギが」と、カササギ亭の主人は力強く頷いた。「オーリーのおっ母さんが外へ出てみると、庭に真っ赤な苺がいっぱいに実っていたんだそうです。昔のファンテンウッドの森でしか取れなかったみたいな極上の苺がね!」
「なるほど、それで上位精霊の贈り物なのね」
エレンは話に満足し、冷たいミルクをたっぷり注いだ紅茶を一口飲んでから、つやつやと魅惑的に輝く真っ赤な果実をつまんで一口で頬張った。
ジュワっと果肉がつぶれるなり、甘酸っぱい果汁が口中にあふれ出してくる。
エレンは陶然と味わった。
「最高ね。カササギのオーリーはきっと幸せだったはず。こんな素晴らしい贈り物をくれるなんて、親切な善い上位精霊だったに決まっている」
「私もそう思いますよ」
主人がにこにこ顔で応じて紅茶のおかわりを注いでくれる。