第十一章 ダーム・ドゥ・フォンテーヌ 1
コリンズ巡査部長は大汗をかきながら、眠り込んだ巡査を独りずつ背負っては窪地と小径を往復した。
レトリバーのリリーは念のために小径に、エレンとオーリーが窪地側に残っている。
「やれやれ、こいつで最後ですね――」
一番初めに眠り込んだジムの体を背に引き上げて、もはや慣れ切った仕草で両腕を首へと巻き付けながら、コリンズが心配そうにエレンを見やった。
「ミス・ディグビー、本当にお一人でお行きになるので?」
「ここから先は魔術師の領分ですわ。念のためこの子は連れて行きましょう。それから――」と、エレンは一瞬迷ってから、掌を広げて契約魔を呼んだ。
「サラ。出てきて頂戴。あなたの力が要るの」
途端、エレンの白く骨ばった肉薄の掌から淡い金色の微光の柱が立ち昇り、赤く小さく輝かしい火蜥蜴が姿を現した。
「おお」
コリンズが目を瞬かせる。
「そいつは」
「彼は火蜥蜴のサラ。わたくしの契約魔です」
小さな火蜥蜴は掌の上でブルブルっと体を震わせ、全身から淡い金色の光の靄を水のように散らした。そのあとで首を竦め、まるで自分の胴体を抱きしめるように小さな皮翼を左右から窄めてしまった。
「エレンよ、此処は一体どこじゃ? えらくまた土の息吹が濃いのう」
「え、そいつ喋るのですか!?」
「またもそれかい若造よ。―-む? この若造は知らぬ顔じゃな。エレン、この青帽子は何者だ? まさか使役魔ではあるまいな?」
「彼はれっきとした人の子よ。コリンズ巡査部長といいます。これから部下の巡査たちを森の外へと連れ出してくださるところ。そしてここは南の森よ」
「ほほう」と、火蜥蜴が淡い銀灰色の煙を吐いた。「なるほどのう。――上古のファウンテンウッド大森林の最後の名残というところか。あの深淵なる大樹海が何とちっぽけになってしまったことか!」
火蜥蜴はポッと小さな焔の塊を吐いてから、定位置であるエレンの右肩に停まった。
コリンズがその様に目を丸くしている。
エレンはできるだけ余裕がありそうな笑顔を取り繕った。
「どうかご安心なさって。わたくしは一人じゃありません。このサラも一緒に行きます。それから勿論オーリーもね?」
足元で寛いでいるビーグル犬の名を呼ぶと、犬は元気にウォン! と返事をした。
「それじゃミスター・コリンズ、あなたもお気をつけて。道に戻ってしばらくすればみな目が覚めるはず。そうしたら、とりあえずマッケンジー家に戻って待機なさってください。何かあったらオーリーをあの家に戻しますから」
「分かりましたミス・ディグビー。こいつは確かにもう警察の出番じゃないようですね」コリンズは口惜しそうに言い、きりっと顔を引き締めると、
「諮問魔術師どの、どうかお願いいたします」
と、頭を低めた。
ジムを背負ったコリンズの背中が木々のあいだを遠ざかるのを待ってから、エレンはひとつ頷くと、肩の火蜥蜴に尋ねた。
「どうサラ、どこかから名忘れ草の匂いはする?」
「うむ。しばし待て」
火蜥蜴が皮翼を広げて窪地のあちこちをパタパタと飛び回り始めた。次第に大気が熱を帯びて、陽射しまでが強さを増してゆくような気がする。
ビーグル犬のオーリーはエレンの足元でおとなしく前足を揃えていた。
手持無沙汰にそのちっぽけな頭を撫でていたとき、サラがまっすぐに肩へと戻ってきた。
「エレンよ、向こうだ」
サラが輝かしいエメラルド色の眸を四阿の廃墟の裏手へと向ける。
陽の向きからして南東のようだ。
「ありがとうサラ。一度戻ってもらえる?」
「かまわんよ。用があったら呼べ」
火蜥蜴がエレンの掌越しにどこかへと消えてゆく。
途端、エレンは全身がわずかに軽くなるのを感じた。
サラ曰く常時「自らの小世界」で眠ったような状態にあるらしい契約魔を現世に呼び出しているあいだ、魔術師は常に自らの魔力を与え続けている状態である。
万物に含有されているらしい息吹と呼ばれる魔術的な動力源が、現世では契約魔たちが本来存在できる濃度からは程遠いため、足りない分を契約者の体内から補っているのだ。
純粋に焔の性のエレンの魔力は火蜥蜴とはきわめて相性が良いため、通常の場所なら呼びだしたままでも大した負担にはならないものだが――……この森は、サラ自身の言う通り、土の息吹が濃厚すぎて、他の三種の息吹が殆ど存在しない状態になっているらしい。
「……この状況でサラを呼び出し続けているのは、ちょっと負担が大きすぎるわね」
思わず呟いてしまう。
ビーグル犬のオーリーが黒く艶々と輝く眸で心配そうにエレンを見ていた。
エレンははっとわれに返ると、犬の小さな頭を撫でながら命じた。
「一緒においでなさいオーリー。おかしな匂いがしたらすぐに吼えるのよ?」
犬は元気に返事をしてくれた。




