深夜の叫び。ごめんって。
今日が終わった。
壁に掛けられた時計を見て、次に炊飯器に表示された時間を見る。
飽き足らず寝室のアラームに目を向け、最後に自分のスマートフォンの数字を確認する。
あろうことか、その全てが0時を映している。
今日という日が終わり、翌日を迎えたことを知る。
瞼は重く、頭はガンガンと脈を打ち、手足を引きずるようにしなければベッドにすらたどり着けない。
表現のしようがないその体のだるさ。
鉛のようだ、と初めに例えたのは誰なのだろう。
適切な言葉を生んでくれてありがとうと思う。
しかしなぜ私はこんなにも疲れ果てているのか。
起きようとした時間には起きれず、朝ごはんを摂ればすぐに眠くなり、耐えられぬ睡魔に身を委ね。
気がつけば数十分もの記憶がない。
ああ、やってしまった。また時間が消えている。
ただでさえ忙しい日常なのだ。使える隙間は全部使い、やるべきことではなくやりたいことを進めたい。
なのに現実というやつは、どうしてこうも上手くいかないものか。
思考を切り替え、ヘッドフォンを装着。
いつも通り川のせせらぎを聴きながら、リラックスしてキーボードに指を置く。
画面に映し出された文章を上から読み進め、描写の追加や変更に身を注ぐ。
曰く、執筆である。
順調な滑り出しかと思いきや、一つ躓くだけで全てが崩れ去る。
集中は途切れ、瞼の重みが再来し、体を睡眠へと誘導する。
いいや、ここで負けてはだめだろう。言い聞かせ、どうにか文字を見ようとするもぼやけて形が捉えられない。
最近になって思うのだ。
ぼやけているのは視界ではなく、己の頭ではないか? と。
仕方なく席を立つ。
畳に転がり天井を見る。
白く光る電気が眩しい。
半分しか開かない目を更に半分にする。
スイッチ一つでオンオフを切り替えられる電球。
羨ましい。おかしくなった頭はそんな感想を出力する。
ほとんどなんにも手につかず、ただひたすら己の体を正常にすることだけを考え、何を思ったか急に片付けを始めては精を出す。
その気合い、なぜ必要なところに向けられないのだろう。
──ああもう、どうでもええわ。
ベランダに出るなり大声で叫ぶ。
「うっじうじすんな、くそがーーーー!! 前ッ! 向けやぁああああッ!!」
◇
と、こんな文章を夜寝る前に書いていました。
はじめましてこんにちは。ほくろこと、さんれんぼくろです。
◇以降は次の日のお昼休憩に書いております。
昨日のほくろは相当眠かったのでしょう。これほんとに自分が書いたのか? くらい記憶も起承転結もないのですが、なんだか消すこともできず(使い方が間違ってそうな単語はご愛嬌)しゃーない残してやるかー、みたいな気分でエッセイになりました。エッセイってなんだっけ、とも思いました。
なんしか、あれです。とりあえず休息とろうぜって話。限界が来る前に養生します。
前に比べると明らかに執筆量は減ってるし、しっかり寝てるはずなので、ただのお休みじゃなくて自信を取り戻す行動が必要なのかも。
自分を可愛がる時間を作る。
自分を認められる自分になる。
この二点、忘れず生きていきたいなぁ。
そんなことを思った六月十三日でした。