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猫背とみつあみ

作者: 相沢ごはん
掲載日:2023/05/19

pixiv、個人サイト(ブログ)にも同様の文章を投稿しております。


ご都合主義のゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります。

【猫背の夜】


 予備校の帰り、猫背の後姿を見つけた。とぼとぼ歩くまあるい背中は、同じクラスの砂村次郎のものだとすぐに判った。

 薄いピンク色のティーシャツは首元がだるんだるんに伸びていて、肩からずり落ちそうになっている。

「砂村くん」

 呼びかけると、猫背の後姿はピタリと歩くのを止めた。

 ゆっくりと身体の向きを換え、砂村次郎はへらっと笑った。

「あー。せがわさーん」

 間延びした調子で呼ばれ、肩の力が抜ける。

「じゅくー?」

 砂村次郎は、ペタンペタンとゴムぞうりを鳴らし、私のすぐ目の前まで歩み寄る。

 ビーチサンダルと呼ぶにはくたびれ過ぎているそれは、ペタンペタン、と夜の空気を乱した。

「うん。いま帰り」

 私は彼を見上げる形になる。

 茶色いサラサラの前髪から、笑った目が見え隠れしている。

「砂村くんは、どこへ行ってたの?」

「んーと。どこというか。どこへでも」

 そう言って、砂村次郎は首を傾げる。

 髪の毛が流れ、隠れていた耳たぶが覗く。

「散歩?」

 尋ねると、

「そんなとこ」

 と、彼はまた、へらっと笑った。

「いきぬきー」

 伸びたティーシャツの首元からは鎖骨が丸見えで、私は唾を飲み込んだ。

 砂村次郎の鎖骨は、きれいだ。とても。

 猫一匹も見あたらない住宅街。

 並んで歩くと、彼からは乾いたばかりの洗濯物の匂いがした。お日様の匂い。よその家の匂い。

 あたたかいそれは、夜の冷たい空気に混じり、気持ち良く私の嗅覚を刺激した。

「せがわさんは、しぼーだいがくどこだっけ?」

 砂村次郎は言った。

 彼の発する言葉は、すべてひらがなに聴こえる。

 私は、「瀬川さんは、志望大学どこだっけ」と、頭の中で彼の言葉を漢字に変換する。

 その言葉から世間話が始まり、

「やっぱさー、もう、はんそでたんぱんじゃあ、さむいよねー」

 という、全く関係のない話題で世間話は終わった。

 受験生は焦る、十月。

センター試験まで、もう日がない。

 確かに夜は、いつの間にか肌寒くなっていた。

「そうだね」

 と私は頷く。

 正直、世間話なんて右から左だ。全然頭に入らない。

 その間、私はずっと、惜し気もなく露出された彼の鎖骨を見ていた。髪の毛からチラリと覗く耳たぶを見ていた。彼が喋る度に動く喉仏を見ていた。やわらかそうな唇を見ていた。ショートパンツから覗く膝小僧を見ていた。

 ゴムぞうりがペタンペタンと空気を揺らす。

「みつあみって、さいきんあんまみないよねー」

 砂村次郎は、私の髪形を見て言った。

「みつあみ、かわいいね」

「え」

 邪魔な髪の毛をふたつに分けてまとめただけの、どうでもいい髪形を、砂村次郎は「かわいい」と言った。

 変なやつだ。

 眩暈がする。

 ここ数週間、根詰めて勉強していたのもいけなかったのかもしれない。

 私の理性は欲に打ち負かされた。

 私は、彼の前髪から覗く目をじっと見た。

「え」

 砂村次郎は一瞬たじろいだ。

「なに?」

 まるまっていた猫背が少しだけ伸びる。

「砂村くん」

 呼ぶと、

「うん」

 と笑う。

「さわっても、いい?」

「う、」

 うん、と言いかけたらしい彼の笑顔が凍りついた。

「え」

 砂村次郎は、目をくるんと泳がせた。

「さわるって、どこ、を?」

 動揺しているのか、目がくるんくるんと位置を変える。視線が合わない。

「いや、さわらせてくれるなら、どこでもいいよ」

 さわりたかったのは鎖骨なのだけど、それを口にするのはさすがに憚られ、私は言葉を濁した。

「あ」

 砂村次郎は口をぱくぱくさせながら、やっと私と視線を合わせる。

「あ、あ、じゃあ、」

 と差し出されたのは彼の右手。

 少しがっかりしたけれど、せっかくさわらせてくれるのだから、と顔には出さず、私はそれを左手で握った。

 そのままふたり、歩みを進める。

 ああ。なんというか。

 繋いだ手から伝わる体温で、ただそれだけで、欲は意外と満たされるものだな、と思う。それどころか、日々ぐるぐるとつきまとう、「勉強しなきゃ」という焦りや苛立ちまでもが、なんだかどうでもいいことのように感じてしまい、少し怖くなった。

 私は彼の手を強く握る。

 そうしたら、彼が微かに震えたものだから、ごめんね、と思いながら、握る力を少し緩めた。

 すると、今度は彼のほうから強く握ってくる。

 一体どうすればいいのだ。

「しらなかった」

 砂村次郎は言った。

「せがわさん、おれのこと、すきだったの?」

 思わず、彼の顔を見上げる。

 髪の毛から覗いた耳たぶが、ほんのり朱くなっていた。

「え」

 今度は、私がたじろいだ。

「え」

 砂村次郎もたじろいだ。

「え。ちがうの」

 彼の目の奥が不安そうに揺れる。

「わからない」

 私は正直に言った。

「えー」

 砂村次郎は泣きそうな声を上げる。「ただ、エロい目では見てた。砂村くんのこと。ずっと」

 さらに正直に言うと、彼は絶句した。

「ごめん」

 謝ると、

「いや。うん……」

 彼は、ふるふると頭を振った。

サラサラと前髪が揺れる。

 そして砂村次郎は、

「ま、いっか」

 と笑った。へらっ、と。

「おれもみてたし、せがわさんのこと」

「エロい目で?」

「え。いやいや、ちが……うこともないんだけど。うん、いや、やっぱりちがう、な」

「ふうん」

 ま、いっか。

 再びそう呟いた彼の声が、耳に残った。

 そして、私は、やっぱり砂村次郎の鎖骨や耳たぶや喉仏や唇や膝小僧を見ていた。

 そのついでに彼の顔を見上げると、視線がかち合って、お互いたじろく。

 そんな時、鎖骨ではなく彼のまあるい猫背に目が行って、さらにはかわいらしいと思ってしまうのだから、不思議だ。

 ペタンペタンと響くゴムぞうりの音が、なんだか照れくさくて、困る。

 いや、もう、本当に。



【みつあみオオカミ】


 五月の最初くらいだったと思う。委員会で帰りが遅くなった。

 その日は、昼から雨が降り始め、学校全体が静かにまどろんでいるみたいだった。

 すぐやみそうだけどな、と友だちと言い合って、傘を持っていなかったおれは、靴箱のところでぼんやりと突っ立っていた。

 すぐやむと思った雨は、全然やまない。

 しょうがない、と覚悟を決め、靴箱からバコンと靴を放るように出して、履く。

 ぬれてかえるっきゃないですねー。と、空を仰ぐ。

 その時、ひとの気配を感じて振り向いた。

「あ。せがわさん」

 同じクラスの瀬川栞が立っていた。

 きっちりと固く編まれた長いみつあみが、定規のようにスラッと真っ直ぐに垂れている。

「砂村くんも、傘ないの?」

 瀬川さんは言った。

「うん」

 おれは、笑って頷く。

「濡れて帰るしかないね」

 瀬川さんは、感情のこもらない声で言った。

「学ラン、貸そうか。かぶってかえったら?」

 おれが言うと、

「いいよ」

 瀬川さんは驚いたように言った。

「砂村くんがかぶりなよ」

 そう言って、瀬川さんは躊躇いもなく雨の中に飛び出した。

 ひとりだけそういうのもなあ、と思い、おれは結局学ランをかぶらず、着たままで雨に濡れる。

 なんとなくいっしょに走って、とりあえずいっしょにたばこ屋の屋根の下に駆け込んだ。

 シャッターは閉まっている。

「良かった。やみそう」

 瀬川さんが呟いた。雨が弱まってきている。

 瀬川さんは、全身ずぶ濡れで、前髪からポタポタと雫を垂らしていた。

「あ。おれ、タオルある」

 かすよ、と言う前に、

「大丈夫。持ってる」

 瀬川さんは、カバンからタオルを出して見せた。美化委員会で花壇の手入れをする予定だったので、持ってきていたと言う。

「雨で中止になったけどね」

 そう言いながら、瀬川さんは、みつあみの髪の毛を乱暴にほどいて、タオルでバサバサと水気を取った。それから、タオルをカバンに仕舞い、替わりにブラシを取り出して、これまた乱暴に梳かし始めた。

 それが終わると、ブラシをカバンに突っ込むようにして仕舞い、髪の毛を後頭部でふたつに分ける。

 瀬川さんは、右側のそれをぐいぐいと固く編み始めた。

 おれも自分の髪を拭きながら、それを見ていた。

 丈夫なロープを編む、職人みたいだ。

 そう思いながら、ぼんやり眺めていると、

「砂村くん、手伝って」

 瀬川さんが言う。

「え」

 おれは、とまどう。

「左、編んで」

「え。で、でも、おれ、たぶんうまくできない」

「いいよ」

 瀬川さんは、器用に手を動かしながら、そっけなく言う。

 おれは、瀬川さんの髪の毛をおそるおそる編み始めた。

 おんなのこのかみのけにさわったのは、はじめてかもしれない。

 そう思ったら、心臓がばくばくと跳ねて、胃のあたりがきゅうっと縮むような感じがした。

 おれは、無意識に瞬きを繰り返す。

 なんだか涙が出そうだった。

 瀬川さんの髪の毛は濡れて冷たくなっていて、風邪をひかなきゃいいな、と思いながら、おれはいっしょけんめい、瀬川さんの髪の毛を編んだ。

 やっぱり、うまく編めなくて、

「ごめんね」

 と謝ると、

「いいんだ。ありがとう」

 瀬川さんは、鼻にしわを寄せて、にいっと歯を見せて笑った。

 オオカミみたいなわらいかただな。

 オオカミがどんなふうに笑うのかなんて知らないけど、そう思った。

 ぼうっとしていると、瀬川さんの白い手が、おれの首元に伸びた。

「ここまで留めてたら、きつくない?」

 瀬川さんの声をぼんやりと聴く。

 雨のにおいと、瀬川さんのにおいが混ざり合って、くらくらする。

 瀬川さんは、背伸びをして、

プチン。と、おれの詰め襟のホックを外した。

「あ、」

 吐息といっしょに変な声が出てしまい、おれは赤面する。

 瀬川さんは、おれの学ランのボタンをプチプチと外していく。

 なにしてるの、と訊いても良かったし、じぶんでやるよ、と言っても良かった。だけど、おれはバカみたいに突っ立って、されるがままになっていた。

 動けなかった。

「中は濡れてないね」

 学ランのボタンを全部外し終わった瀬川さんは、おれのカッターシャツのボタンも、なぜだかふたつほど外して言った。

「良かった」

 オオカミみたいに笑う。

「もう雨やんだし、学ラン脱いで帰ったら。濡れてて気持ち悪いでしょう」

 瀬川さんは言った。おれは、

「ううん」

 と首を振っていた。

「ボタン、とめて……」

 溢れた言葉が、妙にあまえたような響きを含んでいて、驚いた。

 おれ、こんなあまったるい声、初めて出した。

「うん」

 瀬川さんは頷いて、学ランのボタンを下から順番に留め始める。

上までボタンを留めて、

「ここも、留める?」

 と、ホックに指をかけた。

「うん」

 おれは頷いて、瀬川さんが背伸びをしなくてもいいように、少し上半身を倒した。

 カチ、とホックが留まる。

「風邪ひかないようにね」

 瀬川さんは、にいっと笑った。

 オオカミだ。

 めまいがした。


 それからだ。

 それから、瀬川さんのことが気になって仕方ない。

 目がゆらゆらと瀬川さんの姿を探す。

見つけると、それを追う。

 頭の中が瀬川さんだらけで、どうしようもなく甘くて、息苦しかった。

 それでも、受験生は勉強をしなくちゃいけなくて、頭の中の瀬川さんを無理矢理に押し出して、代わりに過去問をどんどん解いた。

 瀬川さんのみつあみは、きっちりときれいに真っ直ぐ垂れていて、当然、もう、おれが編んだへたくそなみつあみではなかったのだけど、でも、あの日は、あの日だけは、あの、かたっぽのみつあみは、おれが編んだんだ。そう思うと、また心臓がばくばくと跳ねた。

 身体の中のいろんなものが収縮しているみたいに、苦しい。

 そして、それが時々、気持ち良かったりもするから、わけがわからない。


 十月。

 空にきれいな月が浮かんだ。満月だ。

 遠吠えが聴こえてきそうに、きれいなお月さまだった。

 瀬川さんに、あいたいな、と思った。

 理由は、それだけで充分だった。

 どこ行くんだ、と背中に兄貴の声を聞きながら、ビーサンを足に引っかける。気がついたら、玄関のドアを開けていた。

「ちょっと、散歩。いきぬき」

 それだけ言って、外に出た。

 半袖からはみ出た、何にも守られていない腕が寒い。短パンからはみ出たふくらはぎが寒い。

ちゃんとした格好をしてくれば良かった。ティーシャツの首元も、もう伸びきっていて、すうすうと風が通る。

 ビーサンが、ペタペタと鳴った。

 瀬川さんに、あいたいな。

 ただ、思うだけ。別に、あてなんかない。

 思えば届くなんて、そんなことを信じているわけではないけれど、でも、ただ思う。

 寒くて背中がまるまった。その時、

「砂村くん」

 と、背後から呼びかけられた。

 ゆっくりと振り向くと、瀬川さんがいた。

 瀬川さんの頭上には、お月さま。

 瀬川さんが、にいっと笑う。

 オオカミみたい。

「あー。せがわさーん」

 おれはうれしくなって、瀬川さんに歩み寄る。

「じゅくー?」

「うん。いま帰り」

 瀬川さんは、おれを見上げて言った。

「砂村くんは、どこへ行ってたの?」

 と訊かれたけれど、まさか、瀬川さんにあいたくて徘徊してました、なんて、とてもじゃないけど言えるわけがない。

 おれは、のらりくらりと誤魔化して笑う。

 真っ直ぐなみつあみに、くらくらする。

 頭の中が瀬川さんでいっぱいで、こんがらがって、ひどいことになっている。

 たぶん、瀬川さんのそのみつあみに、おれのなにかもいっしょにからまってるんじゃないかな。

 ああ。やっぱり、ちゃんとしたかっこうしてくればよかった。

 寒さとは全然別のところで、おれは思った。



ありがとうございました。

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