剣に餓える者
「ふわぁ……」
ハクアは街を歩きながら小さく欠伸をする。
(……朝は早いし、まだあの五月蝿さがなくて助かる)
街の中は静寂に包まれている。薄く霧がかった街は昼間の喧騒が嘘かと思うほどである。
(まあ、身体の疲れは抜けてるしまだ良いか)
基本的に早起きなハクアの睡眠時間は仕事の量に大きく変動してしまう。そのため、仕事によっては酷い睡眠不足に陥ってしまう事がある。
まだ昨日のは良い方か、とハクアは思いながら狭い路地を抜け運河沿いに出る。
「ふっ!はっ!」
運河を歩いているハクアの耳に短い呼気が聞こえてくる。
少し興味を持ったハクアは霧に隠れながら声がする方に歩いてく。
扉の開いた倉庫の中から聞こえて来るのを確認すると覗き見る。
様々な木箱が積まれた一画に藤黄色の髪の優男が木で出来た剣で素振りをしていた。
(ほお……悪くない太刀筋だ)
上半分が裸の優男の筋肉の動きを見ながらハクアは素直に関心する。
優男の筋肉は引き締まり、動きがダイナミック。それでいて繊細な力加減がされ良い動きをしている。
優男はハクアの視線に気付き木の剣を木箱に立て掛けハクアに近づく。
「おや、何で見ているのかい?」
「……少し呼気が聞こえてきたから覗いて見ただけだ。邪魔ならすぐにでも去ろう」
ハクアも刀の柄に左手を置くのを止め優男の目を見る。
「いや、構わないさ。私はエミール・コンスタンツ。コンスタンツ商会の三男で、今年魔法学院への入学が決まっている」
「俺はハクア。お前と同じだよ」
「へぇ……」
そう言うとエミールは目を細めハクアの身体を上から下まで見る。
因みに、ハクアの身長よりもエミールの身長の方が高い。
「どうかしたか?」
「いや、少し目立つ格好をしていると思ってね」
「極東の国『ヤマト』の服で和服という」
「東の……」
ハクアの出自を聞いた瞬間、エミールの眉間に皺が寄る。それだけでなく、腰に携えた剣の柄に右手が置かれる。
明らかな臨戦態勢にハクアは馴れたような表情で自然体のまま刀の柄に左手を置く。
(無理もない。東の国はかの大戦において敵国だった訳だからな)
かの大戦が終結したのは三年ほど前のこと。未だ溝が深い。
「……いや、服装や出自は学舎には関係ないか」
「まあ、そうなるな」
それに、学友となる者に刃を向ける理由がない。そうハクアが続けるとエミールは爽やかな笑顔をする。
(女だったら一目惚れしかねないな)
そんな事を思ってるとエミールは柄から剣を引き抜くとハクアに向ける。
「今年から学友になるもの同士、少しばかり手合わせ願えませんか?」
「……構わない」
ハクアは倉庫の中に入ると羽織りを木箱に置き刀を引き抜く。
十歩ほど下がったところでハクアとエミールは向き合い互いの得物を向ける。
そして静寂の時間だけが流れてくる。僅かな波の音が聞こえてくるだけでそれ以外の音は一切ない。
重くのし掛かる重圧にハクアは自然体で受け、エミールは額から冷や汗を流す。
「はっ!!」
静寂を破ったのはエミールだった。
エミールは地面を蹴り少し身体を前倒しにしてハクアに接近する。
振るわれる剣をハクアは僅かに後ろに下がり避ける。
続く攻撃も、その次の攻撃も、ハクアは間合いのほんの僅か後ろや横に避け続ける。
「回避だけが取り柄かい?」
エミールの問いかけにハクアは答えない。
その間にも振るわれる攻撃をハクアは見切り避けていく。その剣の重さは床を傷つけ凹ませる程。充分人を殺せる威力。
だが、エミールの攻勢はここまでだった。
ハクアは鞘を逆手の左手で勢いよく引き抜くと踏み込みでいたエミールの顎を打ち上げる。
「がっ!?」
突然の攻撃にエミールはよろめきながら地面を蹴って後ろに跳ぶ。
ハクアは鞘を順手に持ち変え一気にエミールに接近する。
体勢を整えたエミールの剣の間合いに入ると同時に刀を手から離す。
「……なっ!?」
あまりにも突拍子のない行動にエミールは振り上げていた剣を僅かに止める。
その隙を突きハクアは左足を突き出し足蹴りにする。
「がっ!?」
ハクアは地面に倒れるエミールの腹を踏みつけると鞘を逆手に持ち替え振り下ろす。
目をつむるエミール、その眉間ギリギリのところで鞘を止め腹から足を退ける。
(剣筋は悪くない。才能もある。……だが、あまりにも真っ直ぐ過ぎる。避けるのは容易い)
事実、全ての攻撃をハクアは避けた。剣筋を最初の素振りで見られていた以上、対応も速くなる。戦闘の経験に劣るエミールが負けるのも当然と言える。
(まあ、これをバネに跳ぶか腐るかは知らないがどうでも良いか)
天井を向きながら倒れるエミールを後ろ見した後、羽織りを着て倉庫を立ち去る。
◇
「く、くくくくく……」
ハクアが立ち去った倉庫の中でエミールは不敵な笑い声を上げる。
エミールは起き上がるとその柔和な顔立ちとは似合わない狂暴で好戦的な笑みを浮かべる。
(あれは……良い!今まで戦ってきた人たちの中でも一、二を争うくらいにいい!)
エミールは剣に餓える獣だった。
幼少期、まだエミールが七歳くらいの頃。エミールの父――すなわちコンスタンツ商会の会長が護身用に剣を握らせた。
それが全ての始まりだった。
商会の三男と言うこともあり、あまり学問に傾倒しなくても良い環境だったためどんどんエミールは剣術にのめり込んでいった。
握り初めて数ヶ月で家庭教師だった老兵を完封勝ちし、二年後に王都を守る兵士に打ち勝ち、三年後に騎士数人を同時に倒した。
その後、機会に恵まれ騎士副団長と剣の稽古を受けた。
一瞬だった。
騎士副団長と剣を合わせた瞬間、エミールの身体は宙を舞っていた。天狗になっていたエミールの鼻は見事にへし折られた。エミールは初めて越えるのが難しい壁に当たった。
だが、エミールはそれをバネにした。
様々な流派や技術を貪欲に学び、勉強の時間を減らしあらゆる状況に対応できるよう訓練をし、様々な流派の技を引き出すようにした。
そして数日前、ついにエミールは騎士副団長から一本を取る事が出来た。
(判断が誤った……かな)
初めて見たとき、エミールはハクアを弱そうだと思った。
線の細い身体に狭い肩幅。健康的だが病的なまでに色白な肌には傷一つついておらず、その腰に携えられていた極東の武器が異様に目立っていた。
それでいて、ハクアはエミールと同じく学院の推薦者であった。
少しくらいは練習相手になるかな……そんな軽い思いでハクアに刃を向けた。
結果は、惨敗。完膚なきまでに敗北した。
(今思い返せば、最初に木の剣を振るっていた時にハクアに剣筋を見られていた。ハクアに負けない道理はない……か)
そう思うと、エミールの瞳から涙が溢れる。
(ハクアは己の得物を振ることなく戦いを終わらせてしまった。それが何より、悔しい)
天井に向けて手を挙げ、握る。
何度も地に倒され強くなってきたエミールの渇望だった。
(経験が足りない。学院に入ったら必ず彼に――勝つ!)