買い物
「うわぁ……!」
セッカの感嘆する声が隣から聞こえる。
ハクアは笠を外し背中にかける。
(これはまた……贅の限りを尽くしているな)
室内は大理石が均一に敷き詰められ柱には美しい彫刻がされ壁には物語の一幕と思われる絵が描かれている。
中央の吹き抜けには天井のガラスから陽の光が差し込み、その真下にはこれもまた美しい彫刻と噴水が設置されており、多くの人で賑わっている。
(だが、それなりに悪どい事をしているようだがな)
セッカが噴水の辺りを見ているのを確認しハクアは柱の彫刻を見る。
柱に設置された妖精の彫刻。背中から生える羽の裏側、普通なら見ようとは思わない場所を見る。
(『愛している』……遺言書か)
ハクアが学院や商店の情報を調べている際にこの建物の情報も入手していた。
この建物は築二十年の建物で現会長が建築を命じ僅か一年で作り上げた。その際に多くの貧民が使われ、多くの事故が起きた。
何時死ぬか分からず、逃げ出せない現場だったため、隠れて遺言を書くことでいつか見つけてくれる事を願っていたのだろう、とハクアは考える。
戦場では故郷の両親に手紙を書く者はよくいるし、ハクアも戦友から遺言を受け取る事はよくあったからだ。
そして、人を人と思わない商売をしている商店は総じて裏で悪どい事をやっている。
(ガルダ商店の悪い噂は多いからな)
裏社会ではガルダ商会の暗い情報はかなり多い。
麻薬に違法な売春、禁止されてる娼館の運営、果ては人身売買まで。違法な行為でやってない事は何もない。
金になれば何だってする。それがガルダ商店の本来の姿である。
(……まあ、知った事ではないが)
ハクアは彫刻から離れてセッカがいる方に向かう。
ハクアはこの商店の違法行為に興味がない。それだけの話である。
(それにしても、やはり奇異な目で見られてるな)
セッカと合流し歩いているとセッカに悪意ある視線が向けられてる事を察知する。
向けているのは平民は勿論、貴族や警備している私兵からも向けられている。
セッカは笑顔で店を見ているがその眦には涙が溜まっている。
(気がついてる、か。……腐っても獣人だもんな)
戦闘をするためだけに生み出された獣人なのだ、向けられている悪意に気がつかなければいけない。その特性が悪い方向に影響しているとハクアは結論付ける。
少しばかり心配したハクアはセッカに様子を確認する。
「……大丈夫か?」
「何がですか?」
「……聞かなかった事にしてくれ」
作り笑顔をして羽織りを握る姿をハクアは憐憫の眼差しを向けてしまう。
どれだけ笑顔を作ってもセッカの心が傷ついている事には変わりない。ハクアはそれを共有する事は出来ず、ただ見ているしかない。
(……もどかしいものだな)
何もできず、ただ見ているだけがこれ程までにキツいものだとハクアは初めて理解した。
「えっと……最初は教本ですね」
「ああ」
階段を登りながらセッカは紙に書かれた物を指を指して確認する。
副教材と銘打ってあるが、買うものは資料や制服、礼服と言ったものばかりだ。
商店の三階にある本屋の中にハクアとセッカは入店する。
本屋の中は本のインクの匂いが漂い本棚には料理本から専門書まで様々な本が取り揃えられている。人もかなりおり、その多くが同年代……すなわち、学院の生徒や推薦状を勝ち取った者たちだ。
ハクアとセッカは受付で推薦状を店員に渡し番号が書かれたカードを貰い本屋を探索する。
(……流石と言うべきか、中々に種類があるな)
ハクアは本棚にところ狭しと置かれた書物を手当たり次第手に取り読んでいく。
置かれている本は広く深い。特に魔法に関しては学術書専用の棚がある始末だ。
(アナスタシア魔法学院では魔法研究が盛んだしこういった本屋で本を買っているのだろうか)
学院の近くで専門的な資料が買える。それは充分なメリット足り得る。
様々な研究資料から情報を読み取る事は新たな魔法を生み出すために重要で、魔法の研究者にとっては研究と同じくらい資料集めは重視する事なのだ。
隣で本を立ち読んでいるセッカの本の中を後ろから見る。
「……何を読んでいるんだ?」
「『ヴィーテルハイド伯爵の物語』です」
「ヴィーテルハイド?」
本の題名にハクアは少し顔をしかめる。
ヴィーテルハイド伯爵というのは百年近く前に実在した人間で、圧政と狂気の限りを尽くしたとされている。
黒魔法と呼ばれる魔法の一系統のに傾倒しており、猫や犬といった動物は勿論、領民を拐っては汚して殺し、その死体を研究材料にしたと言われている。
その魔法の集大成としてヴィーテルハイド伯爵は自らを吸血鬼……血を吸う事で永久に生きる怪物となり領民を食べ物にしていたとされる。
その後、ヴィーテルハイド伯爵の領地を偶々通りかかった一人の騎士に討ち取られその悪逆は終止符を打たれたとされる。
これは西側の国々では有名な物語で、童話にもなっている。だが、ハクアにとってそれは関係ない。一般人には殆んど知られていない部分に問題があったのだ。
(その遺産が問題だった訳だが)
『ヴィーテルハイド伯爵の遺産』と呼ばれるヴィーテルハイド伯爵が作り上げた遺物は非常に危険で物によっては一国を滅ぼしたほどだった。
かの大戦ではその遺物の一部が紛失し犯罪組織や好事家の手に渡った。扱いを間違えた結果、街一つが消えた事もあった。
(……ひどい目にあった)
ハクアは一度、その滅んだ街の調査を請け負った事があるがその時に本当に死にかけた経験がある。そのため、ヴィーテルハイド伯爵そのものに良い思い出がない。
「どうかしましたか?」
「……いや、何でもない」
気に掛けるセッカに気付き急いで表情を戻す。
セッカはいぶかしむがすぐに本を読むのに戻る。
「……好きなのか?その物語」
「あ、はい。お母さんが読み聞かせてくれて……。ハクアさんは好きですか?」
「そこまで……。ヴィーテルハイド伯爵関連で死にかけた事があってな」
「えっと……それってヴィーテルハイド伯爵の遺産の事ですか?」
「ああ」
ヴィーテルハイド伯爵について話していると店の奥から番号が呼ばれる。ハクアとセッカは本棚に仕舞い受付に向かう。
「こちらです」
「どうも」
受付でカードと取り替えで資料が入った紙袋を手渡される。一応頭を下げ、ハクアとセッカは書店を出る。
書店から出るとハクアは本の中身を確認していく。
(……へぇ、中々良い資料ばかりだな)
魔法学院という名も合間って資料は魔法関連のものが多い。伝統的な魔法から最新の魔法まで、様々な資料が揃えられている。
温故知新、という言葉が東側の国にはある。知識を得るには古い事だけでも新しい事だけでもだめなのだ。
「そういえば、ハクアさんは魔法は使えますか?」
「一応、強化と治癒は使える」
逆に言えば、それ以外は一切使えないが、とハクアは少し残念ぎみに付け加える。
それを聞いたセッカは罰の悪い顔をしてしまう。
「まあ、二つとも使い勝手だからな」
「でも、その二つはかなり玄人向けの魔法ですよ?」
「……まあ、そうだな」
哀れむセッカの心情を理解しながらハクアは脳内で反芻する。
魔法に触れた事がない者は『強化』と『治癒』はとても便利そうだと答える。
魔法を知る機会がある者は『強化』と『治癒』は難しいと答える。
魔法を使う者には『強化』と『治癒』は使えないと答える。
三者三様の答えになるにはある理由がある。
魔法と呼ばれる技術は魔力と呼ばれる莫大な自然エネルギーを使う以上、それを使うための変換器、【式】が必要となる。
(他の魔法ならもっと楽なんだがな)
他の魔法――例えば『火』や『水』はそこまで複雑な【式】を必要としない。何故なら、それは体内から体外に噴出させているだけだからだ。
(その反面、この二つはかなり魔力のコントロールが必要となってくる)
『強化』と『治癒』は他の魔法と違う。この二つは魔力が肉体や物質に直接作用する。
他の魔法が内から外へ作用すると言うなら、これは内から内へと作用するのだ。
魔力のエネルギーは肉体に大きな影響を与える。体内に淀むだけで体調不良を引き起こしたり、病になったり、最悪の場合は死に至る。この二つも失敗すれば怪我だけでは済まされない。最悪死ぬ危険でリスキーな魔法なのだ。
そうならないよう【式】も他の魔法のものと比べものにならない程に複雑なものばかりである。
(そのくせ、効果が地味)
『治癒』は兎も角『強化』は他の魔法でも代用が可能だし見た目は派手ではない。そのため、『強化』は不遇そのものの扱いを受けている。
「まあ、基本はこっちだしそこまで問題視している訳ではない」
腰に携える刀の柄に左手を置くとセッカは安心したような息を漏らす。
(まあ、使っていないとなれば嘘になるけど)
使えるものは何でも使う、それがハクアの考えであり、魔法も習得してからはよく使っている。
何かを思い出したような顔をするセッカがハクアに質問してくる。
「そういえば、ハクアさんは誰かに剣術を教わってましたか?」
「ん?……いや、特には教わってないな」
ハクアの答えに目を大きく開けて唖然とするセッカをハクアはスルーする。
多くの者がハクアに同じ質問をし、同じ反応をするためハクアはスルーすることに決めている。
「それじゃあ……どこで……」
「それじゃあ、こっちも一つ質問させてもらう」
ハクアはセッカの話を遮り話を無理矢理切り替える。驚くセッカだったが、すぐに察したような、顔をして受け入れる。
「戦闘の経験はあるのか?」
「えっと……父から爪を使った体術を、母から魔法を教わりました」
照れながら伝える少女にハクアは無表情ながら天井を仰ぎ見る。
(流石に、これを聞くのはもう少し後にした方が良いか)
信頼という毒はたった一言で無毒化される事もある。そのため、ハクアは漏れ出そうになった本音を隠す事にした。
こうして、ハクアとセッカの買い物は続くのだった。




