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獣人の少女

(……五月蝿い)


 雑多な声が広がる街の中を歩きながらハクアは心の底から思う。


 宿から出て半月、ハクアはティンジェル王国の都市、アナスタシアに来ていた。この街の中央にアナスタシア魔法学院があるからだ。


(ここまで五月蝿いのは想定外だ)


 山葵色の耳当てを付け防音しながらハクアは買い物を済ませてく。


 五感、特に聴覚に優れるハクアにとって雑多な喧騒は交尾の時の声と同じくらい不愉快なものとして感じれる。


 ふらふらと街を歩いて買ったものを風呂敷に積めていると背後から何かにぶつかられる。


「す、すみません!」

「……ああ」


 慌てた様子の光悦茶色の髪をした犬耳の少女がハクアの隣を通りすぎる。


 山伏の服を西側の国々風に改造したような服装から恐らく東の島国出身だろうとハクアは思いながら何処かに向かう少女を見送る。


(それにしても、獣人か)


 身体の一部に獣の特性を保有しており、とある技術大国が作り上げた生態兵器の名前でもある。


 かの大戦で疲弊した技術大国が大戦を勝ち抜くために人の因子の一部に獣の因子を埋め込む事で作られた。


 戦闘に特化させたため全ての獣人が高い戦闘能力を保有しており、かの技術大国は巻き返す事に成功した。


「おい、あそこに獣人がいるぞ」

「ちっ……忌々しい」


 目的地が少女と同じ方向で、気紛れに少女の跡をつけていると男たちの声が聞こえる。


 その声には悪意や憎悪と言った感情が籠められている。


(まあ、仕方ないことか)


 西側の国々にとっては獣人は大戦を長引かせただけでなく多くの人間を殺し、対等な条件での条約を受け入れざるを負えなくなった理由と一つと数えられている。


 煮え湯を散々飲まされた西側の国々、特にかの大戦時に多くの兵士を出兵させたティンジェル王国にとって憎悪の対象になってしまっている。


 その結果、差別や迫害等が起きてしまい、殆んどの獣人が森や渓谷の奥深くにひっそりと生活している。


(あ、転んだ)


 少女が何かにつまづき盛大に顔から転ぶ。


 周りから嘲笑うような目で見られながらも少女は笑顔で起き上がり荷物を持って歩き出す。


(……気がついているのだろうか)


 遠目から見ていたハクアは食べきった串焼きの串を握力で握り潰す。


 ハクアの顔は殆んど変わっていない。だが、纏う雰囲気は修羅のそれである。


(さっきのは足に躓かれて転ばされた事に)


 少女を指差しながら嘲笑う男たちの隣を横切る。


 その間に「なあ、あの間抜け顔見たか?」「ああ、見た見た。あれは傑作だよ」「ざまぁみろだ」という会話が聞こえてくる。


 少女の進行方向にさりげなく足を出せば簡単に転ぶ。


 下らない、と呟やくハクアだが理由は何となく察しがついた。


(恥を晒したいだけだろうな)


 この街から出てけ――そう言いたいのだろう。


 ハクアはそうは思わないが、この国の人間からしたら獣人は人ではないのだろう。


(あ、まただ)


 再び転ばされながらも少女はすぐに起き上がる。


 既に顔には擦り傷が出来ている。眼には涙が溜まっている。


(不憫なものだな)


 理不尽な悪意が向けられているのにも関わらず笑顔でいられる。


 狂人か根っからの善人か、と問われればハクアは前者を選択する。


 戦場を駆け抜けたハクアには分かる。あの笑顔が諦めきった笑顔であることを。


(戦場ではよく見かけた)


 戦場は人を狂わせる。


 敵も味方も、戦場の雰囲気という名の毒に浸されてしまう。


 その結果、戦意を失うものや自我が壊れるもの、薬に走る者もいた。そう言った人たちをハクアは何度も見て、殺してきた。


 そうした連中の顔は諦めきった乾いた笑顔を浮かべている事もハクアは知っている。


 あの少女にそれが張り付いているのは理不尽な悪意に晒され続けた結果だろうとハクアは結論付ける。


(仕方ない、か)


 再び足に引っかけられ転びかける少女の手を掴んで引く。


 いきなり引っ張られた少女は口を間抜けに開けて驚く。


「え……」


 声を洩らす少女を置いてハクアは立ち去る。


 ハクアは一度立ち止まり、無駄に関わるな、と言いたげな視線を少女に送る。


「あの……あ、ありがとうございます!」


 背後から感謝の言葉が聞こえた。


 ハクアは再び足を止め無表情で振り返る。


 少女が頭を深く下げていた。


「礼は不要だ。礼をされるためにやった事ではない。それと、足元に注意しとけ」


 頭を適当に掻き、少女に手を振りながらハクアは再び歩き始める。


(それにしても、周りの視線が向けられてるな)


 悪意や憎悪と言った負の感情が混じった視線は察知しやすい。


 まあ、別に良いかとハクアは思考を切り替える。


(……それで、何故かついてきている)


 背後から好意的な視線が向けられるのに気付き、ハクアは商店の窓に張られたガラスを眼だけで見る。


 背後には先程の少女がハクアの跡をつけていた。


(好意的な視線はあまり好きではない)


 人混みに紛れながら気配を消し無音で脇道に入る。


 少女からの視線がなくなり、撒けた事を確認するとハクアは再び大通りに出る。


(流石の獣人でもこの人混みの中では一人を見つけるのは難しいだろうよ)


 獣人は元になった動物によって差はあれど嗅覚、聴覚、視覚に優れている。そのため索敵能力に長け、かの大戦時に一つの部隊で基地に奇襲を仕掛け半壊させたという情報もあるほどだ。


(その反面、こういった人混みは弱い)


 雑音が多く、臭いが複雑に絡んで混ざり、人が邪魔で視線が途切れ易い。こういった雑多な情報が広がる場所ではその索敵能力も十全に発揮できない。

 これを理解した西側の国々はとてもではないが非道な作戦を練り索敵能力を封じた事もある。


 辺りを警戒しながらハクアは大通りを歩いていく。

 左手は刀の柄に置かれ何時でも引き抜けるようになっている。それだけ警戒している。


(……ここか)


 看板に大きく『ガルダ商店』と書かれた四階建ての建物を仰ぎ見る。


 ガラス張りの窓からは多くの人で賑わい、中には貴族と思われる高級な仕立てがされた服を着ている者もいる。


 安くて品質の良いものを好むハクアにとって殆んど縁がない場所と言っても良い。


「ダメだ、入ってはいけない」

「どうしてですか!」


(……またか)


 階段を登り入り口から入ろうとしたところで私兵と先程の少女が口論となっている。


 入店を拒否されているのが来たばかりのハクアにも分かった。


(……あの紙は)


 ハクアは少女が右手に握る紙に目がいく。


 紙には自分の持っている紙とほぼ同じ内容が記載されている。


(推薦での入学が決まっており、副教材を買おうと思っているがあの私兵に阻まれている、と言ったところか)


 状況を理解したハクアは風呂敷を床に置き少女の方に近づく。


 少女の肩に手を置くと少女は毛を逆立ちさせながら振り向く。


「あ、貴方はさっきの……」

「……少しばかり手助けしてやる」


 小声で囁くと少女の手から推薦状を奪い取り私兵に見せる。


「ここには『副教材はこの紙をガルダ商店に持っていく買えます』と書いてある。それなのに、何故入れさせない。彼女には買う権利がある」

「それはここの品位を下げるからだ。獣人何て汚らわしい存在がこの商店に入る事なんて許されない。商店側には買う相手を選ぶ権利がある」


 汚らわしい、という言葉に少女は俯く。


 ハクアは少女の頭を撫で見上げる少女に笑いかけると私兵を鋭く睨み付け理路整然と事実を告げる。


「彼女は推薦状を持ってこの商店に来た。つまり、ここで買うことを学院の方から認められている、と言うことになる筈だが」

「ぐ……!」

「それとも、学院の意向に背くつもりか?一番のお得意様なんだろ?」


 この街に来るまでにハクアは商人たちから情報を買っていた。その中に、ガルダ商店の情報もあった。


 ガルダ商店は三百年の歴史を誇る老舗商店だ。多角的に多くの商品を取り扱っており貴族とも深いパイプがある。


 その中でも一番のお得意様はアナスタシア魔法学院。ここの副教材や学院の消耗品を一手に引き受けているため莫大な利益を上げている。


 その一番のお得意様がここで買うよう命じている。その純然たる事実はハクアは勿論、目の前の私兵にすら変える事は出来ない。


(さて、どうでるか……)


 ハクアは少女を押しながら共に少しずつ後ろに下がる。


 通常の私兵ならメリットとデメリットを考えて行動するとハクアは踏んでいる。


 だが、目の前の私兵が顔を真っ赤に青筋を立てている事に気付き考えを改めてより後ろに下がる。


「……黙れ!」


 噴火したように顔を真っ赤にした私兵が腰に携えた柄を握り剣を引き抜く。


 ハクアは少女の手を握り引き寄せる。それと同時に振り下ろされる剣が少女の髪の先を切る。


(こりゃ騎士崩れだな)


 騎士崩れというのは騎士になるための試験に落ち傭兵になった人を指す業界用語だ。


 実力は小規模の盗賊団ぐらいなら一人で壊滅させれる程度。騎士ならば一人で中規模の盗賊団を壊滅させれる訳だからその実力には明確な差がある。


 しかも、とハクアの内心続ける。


(この騎士崩れは貴族出身だな)


 仕事の都合で貴族の部屋に入るハクアには私兵から嗅げる臭いが香水の中でも高い方の部類である事を理解できた。


 騎士崩れになる典型的なパターンだとハクアは理解し声に出す。


「おおよそ、元貴族で学院の試験に落ち騎士の試験にも落ちて家からも絶縁され仕方なく傭兵として雇われている……と言ったところか」


「黙れ!!」


 簡単な挑発に引っ掛かった私兵が剣を何度も振るう。


 ハクアは怯えて羽織りを掴む少女を庇いながら剣を避けていく。


(こういったヤツがいるから傭兵と言うだけで白い目で見られるんだよ)


 力任せに振るわれる剣を回避しながらハクアの中でふつふつと怒りが沸き上がってくる。


 盗賊や海賊に堕ちてない生粋の傭兵には暗黙の了解がある。騎士崩れの傭兵というのはそう言った暗黙の了解を知らない事が多い。


 そのため、力任せな事をするし後先考えずに剣を向ける。仕事に真面目で真摯なハクアにとっては不愉快極まりない。


 左手で刀の柄を逆手に握りタイミングを見計らう。


「死ね!!」


 大振りに両手で剣を握り振り下ろす。その瞬間、ハクアは刀を引き抜く。金属がぶつかる音と共に私兵の剣は弾かれる。


「なっ!?」


 私兵から驚き声が聞こえ、私兵が尻餅をつくのと同時に剣が大理石の床に落ちる。


 恐れ戦く私兵の喉元に刀の切っ先を向け冷徹は目で見下ろし、命令する。


「……失せろ。傭兵何ぞ止めてしまえ」

「ひ、ひいぃ!」


 恐怖に支配された私兵は人混みを掻き分けてどこかに行ってしまう。


 ハクアは刀を鞘に戻し背後の少女の方を向く。


(……怖がらせてしまっただろうか)


 少女の手は羽織りを握りながら震えている。


 獣人にしては珍しい、とハクアは思うが口には出さない。


 獣の因子を取り込んだ生態兵器であろうとベースとなったのは人間。ハクアはそれを差別するつもりはない。


「大丈夫か」

「は、はい……」

「そうか。なら、さっさと行くぞ」

「えっ……?」


 ハクアは少女に推薦状を戻すと風呂敷を持ち商店に向かう。その跡を少女はついていく。


 少女はハクアの隣を歩きながら問いかけてくる。

「あの……何で助けてくれたんですか?」


 ハクアは足を止め、少女の方を向いて答える。

「……乾いた笑顔だ」

「えっ?」

「諦めきった乾いた笑顔。そんなもの、似合わない」


 ハクアは少女を可憐だと思っている。


 光悦茶色の髪は短めだが綺麗に整っている。髪と同色の瞳は穏やかで適度に大きく、低い背に反して胸は大きい。顔立ちも整っている方の部類だ。

 そんな少女が諦めきった乾いた笑顔をすることは似合わないとハクアは思っている。ただそれだけの話である。


「え、えっと……その……な、名前は何て言うんですか!?」


 顔を真っ赤にして質問する少女にハクアは静かな声音で答える。


「ハクア。ハクア・アマツキ。……お前は?」

「セッカ・モノノベです。セッカと呼んで下さい」

「ああ」


 そう言ってハクアとセッカは商店の中に足を運ぶ。


(……ん?)

 建物に入る直前、ハクアは鋭い視線を感じ取り足を止めて後ろを向く。


 後ろには多くの人混みがあるだけで視線の主の気配はなかった。


(……気のせいか)


 セッカに手を引かれながら、ハクアは店内へと入るのだった。

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