不愉快な依頼
夜、多くが寝静まった頃。ハクアはとある貴族の屋敷を見ていた。
ハクアは物陰から出ると同時に高速で門に接近。刀を引き抜き刹那の一瞬で門番の私兵の一人の首を落とす。
「……へ?」
隣に立っていた相方が突然首が落とされるという非現実にもう一人の門番は間抜けにも口を開け呆ける。
その刹那にハクアは左足を起点に身体ごと腰を回しもう一人の門番を両断する。
(……普通に嫌な依頼だ)
二つに分かたれた門番の死体から溢れ出る血を見てハクアの目に憐憫の感情が宿る。
ハクアがこの依頼を受けたのは単に纏まった金が必要だったから。そのために白き暗殺者は悲劇を生み出そうとしている。
(今回の依頼はこの屋敷の主の準男爵と夫人、メイドたちの抹殺。『ラット』の情報だと裏表がなく仕事もそつなくこなせ、対人関係も良好。文官としてそこそこの出世をしている。本人は出世には興味がなく自分の仕事に誇りを持って取り組むタイプの人間)
門の鍵を刀の一振で切り落とし門を開けて中に入る。すぐさま防衛用の『結界』の魔法が起動するがハクアが刀を逆手に持ち替え地面に刺すと、ガラスに石が当たり砕けるように『結界』が砕ける。
ハクアは準備を怠らない。結界を壊す術をハクアは保有している。
降り注ぐ『結界』の破片の雨の中をハクアは一定のテンポで歩いていく。
(今回の依頼人はこの国の上位貴族。有能だが暴虐の限りを尽くし、あの戦乱において兵を指揮し東側の村々を焼き払い女を奴隷にして兵士たちの慰み者にした。賄賂を好み、金さえ払えば何だってする真っ当なクズ野郎)
扉を切り、中に侵入するとメイドたちが震える手で武器を構えていた。多くのメイドが獣人である。
(そう言えば、準男爵は獣人たちの働き口として自分の屋敷のメイドや庭師にしていると『ラット』から聞いたな。こいつらはそれか)
「だ、旦那様には一歩も近づけません!」
ハクアの前にメイドたちが恐怖を食い縛り前に立つ。それをハクアはそれを見て苦笑する。
そして、たった一歩でメイドの一人に近づき、その一人の心臓に刃を立つ。
(随分と慕われてるな。……まあ、今回の依頼内容上、こいつらも標的なのだが)
仕事に真摯なハクアはそれを果たすだけでしかない。
心臓から刀を引き抜くとメイドは胸に開いた穴から血を流しながら床に倒れる。全員の視線が血を流し倒れるメイドに向いた瞬間ハクアの凶刃が振るわれる。
「せめて、痛みを感じる間も無く死んでくれ」
十秒と経過せずにエントランスは血の海に変わる。心臓を穿たれた者、首を切り落とされた者、両断された者、その全てが痛みを感じる間も無く死に絶えている。
(クズ野郎の依頼を受けてる俺もクズだ。だが、これらが全て『過程』なのが悪趣味極まりない)
刀に付着した血と脂を床のカーペットで拭き取り鞘に納める。エントランスの中央に設けられた階段を上がり二階に上がる。
質素な作りの屋敷の中を音をたてずに歩いていると息を呑むような美貌を持つ妙齢の女が扉から出る。ハクアは顔から脳内で情報を引き出す。
(テレサ・フリューゲン。準男爵デニス・フリューゲンの妻。国の中でも一、二を争う美貌の持ち主で若い頃には幾つもの貴族や他国の王子からも求婚された。しかし、全てを払いのけ幼なじみであるデニスと結婚し、二人の子宝にも恵まれて順風満帆の生活を送っている……だったか)
ハクアが刀を引き抜いて近づこうとした時、テレサは確かな足取りでハクアに近づく。その顔は強張りもなければ恐怖もなく、全てを受け入れる覚悟が現れている。
「……良いのか?」
「はい。私はデニスと結婚しました。その時に多くの求婚してきた人たちを断りました。そして、こうなることも覚悟してました。メイドたちもまた、それを承知した上で私たちに仕えてくれました」
「……」
テレサの覚悟にハクアは押し黙る。刀を持つ手は震え、感情が落ちた表情ながら瞳に憐憫が宿る。
「私達は多くの人に恨まれているでしょう。……でも、あの子達は違う。あの子達も助けて」
「……分かった」
「でも、あの子達が幸せになるのを見れないのは……少し、残念ね。せめて、二人には人並みの幸せを手に入れて欲しいわ……」
儚い笑みを作り、目から滴を溢すテレサの心臓にハクアの刀が貫通する。心臓から刀が引き抜かれるとテレサは床に倒れ喪服を思わせる服が血に染まっていく。
(これほどの人間を殺さなければならないとは、暗殺者は本当に糞だよ、全く……)
ハクアは覚悟を持つ人間を一定の評価をする。逆に覚悟を持たない人間を酷く貶す。テレサの覚悟はハクアの心を動かす程に強いものだった。
ハクアは刀を払い血を飛ばして鞘に刀を納め、再び歩き始める。
程なくして、二階の中央、執務室の中に入る。木製の椅子に腰かけるテレサと同い年程度の男がいた。
準男爵デニス・フリューゲンである。
「……」
「……」
ハクアとデニスの間に時計の針が止まった世界のような静寂が包まれる。
デニスはどこか落ち着いた表情でハクアを見つめ、口を開く。
「私の妻を見てどう思った」
「……覚悟を決めた良い人間でした」
ハクアがそう言うとデニスは少し安堵した表情を浮かべ、二つのグラスに血のように紅いワインを注ぐ。
「昔から、彼女はとても責任感が強く、優しい人だった。そんな彼女だから、私は愛する事が出来た」
デニスは窓の外に見える満月を見てワインを飲む。
「彼女と婚約したのは満月の夜だった。そして、人生の終幕もまた満月の夜。……私はこの人生に後悔していない。しかし、娘たちの事が心残りだ。せめて、娘たちは幸せになって欲しい……!」
悔しさを滲ませ涙を流すデニスの心臓に刀が貫く。引き抜かれるとデニスは机に俯せとなる。
「やはり、不愉快な依頼だ」
誰もが善人だった。誰もが覚悟を持っていた。それを、理不尽に、不条理に、残酷に、ハクアは砕いた。
暗殺者への依頼の中にはこう言った悪人ではない人間の暗殺依頼はザラにある。ハクアも何度もそれを行い、その都度ハクアの心は暗い気持ちに落ち込む事となる。
「依頼、ありがとうございます」
ハクアが屋敷を出ると門の前に停止していた馬車から燕尾服を着た若い男が降りてくる。
「それでは、これが報酬です」
「……どうも」
袋の中にぎゅうぎゅうに詰め込まれた金貨をハクアは懐に仕舞いながら、馬車の荷台の方に目を向ける。
荷台の中にはハクアと同い年か、それよりも少し低い少女が二人寝ていた。しかし、口には猿轡がされ、目は布で覆われている。
(あれこそが、今回の依頼の本命)
今回の依頼における暗殺は偽装。本命はあの夫妻の娘たちなのだ。
(悪趣味だよ、全く……)
走り去っていく馬車をハクアは静かに怒りの眼差しをもって向ける。
依頼人の性癖は歪んでおり、痛みで泣き叫び、屈辱を与えられ、壊れていく様に快感を覚えてしまうらしい。しかも、それは貴族の子女限定であり、平民には一切反応しない。
そのため、時折合法非合法で貴族の子女を手元に置き自らのおぞましい欲望をぶつけているのだ。完全に壊れてしまった少女たちは捨てられ、安い娼館に売られ、一生を過ごす事となる。
馬車の荷台に拘束され眠らされる少女たちもまた、これからの一生は快楽の海に溺れる事となるだろう。
「……」
ハクアは空から照らす月を見上げ、誰もいなくなった夜の街を見る。
ハクアの脳裏には死がこの先あるとしても、死ぬことを覚悟を決めた上で結婚し、娘たちの幸せを願い、悔いを残して死んでいった夫妻の死に顔がこびりついていた。
(……仕方ないか)
ハクアは諦めるように覚悟を決める。
街灯の灯りがある街の大通りを歩いていると灰色のマントをいく層にも着こんだ『ラット』が軽薄な笑顔で物陰から現れる。
「にゃは~、やっぱり行くにゃ?」
「……当然だ、『ラット』。あの二人は幸せにならないといけない義務がある」
邪魔をするな、とハクアは刀の柄に左手を乗せながら言外に伝える。しかし、『ラット』はその笑みを崩さない。
そして、『ラット』は幾つもの紙を地面に置く。その一つを手に取りハクアに見せる。
「あの上位貴族はボクの方にも暗殺依頼が来てるにゃ~。それも、レンガブロックと同じくらいの厚さであるにゃ~。……あのクズ野郎を許すわけにはいかないのはボクも同じだよ、ハクア」
「お前もそう言った理不尽に怒れる人間だったな」
「当たり前だ。ボクとて悪を見分ける目くらい持っている」
軽くおどけたような声音から真剣な声音に変わり、細目の『ラット』の瞳が見開く。腰から二本のククリナイフが取り出され掌の中で回転させて再び腰に戻す。
「それと、前にも言ったけどボクの事はヒエンと呼んでくれないかい?」
「ああ、そうだったな」
僅かにはにかんだような笑顔を浮かべたハクアはヒエンと共に宣戦布告する。
「「ふざけんなよクズ野郎。貴様には地獄がお似合いだ」」




