怒る教師と悲しむ教師
「いい加減にしろ、小娘!!」
アナスタシア魔法学院の会議室の中に怒声が響く。夕闇が窓から差し込む会議室の中は剣呑な空気に包まれている。
恰幅の良い男の教師が立ち上がり、資料を机に叩きつけ真正面に座る学院を支配する女帝――スワロウを睨み付ける。
スワロウの目付きは酷くつまらなそうに目を垂らしており、男の逆鱗に触れ続ける。
スワロウは心底下らなさそうに頬杖を突きながら気だるげな声音で男に問いかける。
「何をでしょうか。あくまで私が出したのはあくまで今年の入学者ですよ?」
「その入学者が問題なのだ!!」
教師は唾を飛ばし顔を憤怒の表情にしながらスワロウに向かって反発する。
「何故平民や獣人、エルフをこの伝統ある学院に入れるつもりだ!この学院を汚すつもりか!!」
「あら、それは貴方の後ろにいる国の判断でしょ?なら、これは私の裁量。貴方に文句を言われる筋合いはありません」
アナスタシア魔法学院は世界最高峰の学舎として名高い。しかし、その実態は幾つもの国々の思惑が絡まる伏魔殿である。学院の教師の多くは背後で他国と繋がっており、その国にとって有益な人間や情報を流している。内部の争いは政争にも匹敵し、笑顔の仮面の裏では相手の隙を探り、裏金は当たり前、時には流血沙汰や殺人にまで発展する。
そんな権謀術数が張り巡らされる学院の頂点である院長は長い間空白だった。そちらの方が多くの国にとって都合がよかったからだ。
しかし、一年前、事態を重く見ていたティンジェル王国の上層部からスワロウが派遣され学院の長に就いたのだ。
「推薦状は院長と理事長の裁量です。貴方たちに文句を言われる筋合いはありません」
「だが、これはあまりにも可笑しい!何故貴族以外も入学を許可している!」
「あら、この学院の設立当初は平民も入ってましたよ?そうでしたよね、メギト・サウダージ理事長」
「ええ、その通りです」
隣に座る燕尾服を着た好々爺はスワロウの質問を肯定する。学院の幹部、五人の理事長の頂点はスワロウ派である。
「『月ノ輪』が算出したデータから私たちが誰が良いのかを選んだだけにすぎません」
「貴様……!」
「私は有能な人間をこの学舎に入れた。それは貴方たちにもメリットがあるのでは?」
歯軋りする教師にスワロウはつらつらと告げる。
「貴方たちの国にとって、有能な人間は必要不可欠。それなら平民を囲ってしまった方が早い筈よ」
平民よりも貴族の方が上位なのだから、そうスワロウは言外に伝えると男は不服そうに席に座る。
スワロウが辺りに目線を配っていると若い教師が手を上げる。
「院長に質問があります」
「どうかされましたか?」
「このハクア・アマツキを入学させても宜しいのでしょうか」
そういうと、資料と共に配布精緻な絵を見せる。
怪訝な目付きを送るスワロウに答えるように女教師は詳細な説明をする。
「このハクア・アマツキは極めて有能な魔法使いであり高い実力を持つ剣士である事は認めます。新入生や在校生の中でも頭ひとつ飛び抜けているでしょう。
しかし、彼の容赦なさはあまりにも過激過ぎます。『夢幻結界』内で十名の在校生を殺害。結界が解除されたので命は無事でしたが心に深い傷を負いました。
彼は人を殺すことに一切の躊躇いはありません。護国の戦士を多く輩出するこの学院にとってはあまりにも不釣り合いだと思います」
ハクアが逃げる上級生を無手で惨殺していく映像を写しながらの説明に教師たちの間でどよめきたつ。
「また、彼が獣人を守るために在校生を惨殺した事が在校生や新入生たちに既に知られてしまっています。彼にとってこの学院は学舎ではなく檻になってしまっています。そんな彼を学院に入れるのは些か不遇だと思います」
「問題ないですよ。彼にとってその程度のやっかみ何てそよ風にも等しいもの」
「学院長と知り合いなのは分かります。ですが、貴族を敵に回すと言うことは命の危険が及ぶ事になってしまいます」
貴族たちは茶会で紅茶を飲むのと同じ感覚で平然と違法な手段に手を染める。過去にも貴族のやっかみを買った商人や役人が不自然な死に方をしている。
女教師はそれを誰よりも恐れている。
女教師はハクアを学院に入れたくないのではない。純粋にハクアの事を心配しより良い未来に向かって歩いていくようにしたいだけである。
故に、
「私はこのハクア・アマツキの入学を認める訳にはいきません」
何人もの教師が首肯する中、目蓋を閉じていたスワロウは目を開き、
「問題ありません」
女教師の願いをあっさりと棄却する。
数秒後、女教師は机に前のめりになりスワロウを殺意と憎悪に溢れる眼差しで睨み付ける。
「何故ですか!!学院長は知り合いである彼が死んでも良いと考えているのですか!?」
「……」
悲痛そうな表情をする女教師にスワロウは顔をそっぽに向け押し黙る。
「貴方があの地獄を経験し、生き残った事は知っています。貴方があの地獄から生還した後から性格が凶変し、徹底した実力主義になったことも知っています。なら、何故彼を地獄に落とそうとするのですか!?」
「……問題ないのよ」
「何故、問題ないと言い切れるのですか!?いい加減答えて下さい!」
女教師の叫びににも似た問いかけにスワロウはため息をする。
そして、スワロウは頬杖を止め女教師の目線に合わせ、静かに告げる。
「ハクアの実力は極めて高い。貴方はそう言ってましたよね?」
「はい、そうですが……」
「彼の精神はオリハルコンよりも硬く、悪意や害意を素知らぬ顔で弾ける程に強固です。貴族の敵意や害意を受けても一切の影響を受けません。何せ、彼は平民ですので」
「あ……」
スワロウの答えに女教師は納得し席に戻る。
スワロウは眼球の動きだけで辺りを見渡し挙手する者がいない事を確認すると席を立つ。
「それでは、会議を終了する。暗い気分はすっきりと晴らしておきなさい」
◇
「た、たすけ……」
夕闇の路地を逃げる黒い外套を着た男の心臓にハクアの刀が生える。
力を無くし、刀を引き抜かれると男は糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちる。
(ちっ……大通りが近すぎて人の気配が入り交じっていやがる)
ハクアは刀に付着した血と脂を振り払い鞘に納め、血の海に浮かぶ死体の山を通り抜ける。
通り抜けたところで腰に携えていた木製の水筒を取り出すと足にかけ足袋に付着した血を洗い落とし、大通りに出る。
ここ数日、ハクアは暗殺者たちに襲撃されている。昼夜問わず攻められるためハクアはとてもうんざりしていた。見習いの兵士がベテランの騎士に歯が立たないのと同じく、ハクアと襲撃してきた暗殺者には明確な差があるのだ。
ハクアは再び路地に入り木の扉を開け開店前の酒場の中に入る。人気のない酒場の中でハクアは呼び出し用のベルを鳴らす。
「にゃっはろ~、およびかにゃ~?」
数分後、敵意や好意すら分からない何とも言えない声音で鼠の獣人の少女が店の奥からちょろちょろと歩いてくる。
ハクアはカウンター席に座るとカウンター越しに笑う鼠の獣人の前に金貨を十枚置く。
「俺の暗殺の停止と依頼者の情報を買う。代価はこのくらいあれば充分だろ、『ラット』」
「にゃはは~。流石凄腕暗殺者、太っ腹にゃ~」
「何を言うんだか。お前ほどの仲介屋ならこれくらいでも安いだろ?」
含むような笑みを向けながらラットは金貨を懐に仕舞うとすぐに紙の束を山のように積み上げる。
(流石『ラット』、俺の事をよく分かってる)
『ラット』は世界中に部下を配置し独自のネットワークを保有する暗殺者と依頼者を繋げる『仲介屋』の大手。薄く広い情報網はペット探しから国王の暗殺依頼まで、どんな依頼でも取り揃えている。
目の前にいる鼠の獣人はその巨大な組織のトップなのだ。そこから買える情報は金貨十枚でも安い方なのだ。
そんな『ラット』とハクアが知り合いなのかと言うと、先の戦乱時にハクアと当時子飼いの斥候だった『ラット』は出会ったのだ。それ以来、ハクアと『ラット』はビジネスパートナーなのだ。
紙に羽ペンで何かを書き終えた『ラット』はハクアの方を向き親指を上げ清々しい笑顔を向けてくる。
「とりあえずボクたちから仲介している暗殺者にはハクアの暗殺依頼は止めたにゃ~。流石に子飼いの暗殺者はどうにも出来ないにゃ~」
「流石だな」
「それと依頼者の名前と住所だにゃ~。全員この紙に書いておいたからにゃ~」
「流石だな」
三枚の紙びっしりに書かれた氏名と住所、山のような顔の似顔絵をハクアは確認する。
全員の氏名と顔の似顔絵を記憶するとハクアは酒場を出る。
(さて……ふざけた連中にはきっちりと落とし前をしておかないとな)




