プロローグ
(依頼は完了した……か)
薄暗い部屋の中、ハクアはため息をつく。
右手に握った黒い刀についた血と脂を振り払い鞘に収める。
(……何時もの事ながら嫌になる)
ツンとくる血の臭いがハクアの鼻腔を擽る。
不快な臭いにハクアは僅かに顔をしかめる。
ホテルの一室、豪華絢爛な部屋の中は血に染まっていた。
床に広がる赤い海には何十人という黒服の男たちが浮かぶ。
浮島のようなソファには高級な礼服を着た男が項垂れている。
その全てに刀傷があり、そこから今もまだ血が漏れだしている。
全ては、ハクアがほんの数分で生み出した惨劇だ。
ハクアの仕事は傭兵。戦がない時は依頼で人を殺す――暗殺者でもある。
傭兵にも様々な雇用形態がある。暗殺者はその一つでしかない。
貴族や商会の私兵となれなかった者の多くは山賊や海賊、盗賊となる。
ハクアは思う。つまらないものだと。
ハクアが傭兵になったのは生きるためだ。
断じて盗みや淫行を行うためではない。
そうなった傭兵の多くが兵士たちに捕らえられ処刑される。……無論、暗殺も十分な犯罪のため捕まれば死刑が確定されている。
扉を開け壁に掛けていた鳶色の羽織りを着る。
(新しい仕事でも探そうかな……)
何度も考えた事だった。だが、無理だった。
ハクアの手には血が濡れている。それが答えである事をハクアは知っている。
ハクアは人を殺す事に慣れている。
戦場で産まれた青年に人を殺すことに罪の意識すらない。
元よりハクアの倫理観は普通の人とかけ離れている。
(そんなものが、真っ当な職にありつける訳がない)
人通りのないホテルの廊下をハクアは歩きながら再びため息をつく。
汚れた川でしか生きれない生き物もいれば澄んだ川でしか生きれない生き物もいるのと同じく、人に住みやすい場所と住めない場所があるとハクアは考えている。
ハクアにとって住みやすいのは暖かな食堂でも熱い鍛冶場でもない。
この血濡れた惨劇はハクアにとって住み心地は良いほうなのだ。
「ひっ――!」
もの想いに耽っていると女の声が聞こえた。
ハクアは我に返り瞳の動きだけで周りを見る。
十字路の奥に若い女がいた。
薄手のドレスを着ており下着の類いは着ていない。顔には己の美貌に自信があるのか化粧は最低限しかされておらず首には真珠のネックレスを着用している。
娼婦か、とハクアは呟く。
それと同時にハクアは羽織りを脱ぎ上に投げる。
娼婦の視線が宙を舞う羽織りに向く。
致命的な隙、意識の隙間を縫いハクアの足が床を蹴る。速く、それでいて一切の音のない足運びで娼婦に近づく。
刀の間合いに入った瞬間勢いよく抜刀する。
引き抜かれた刀は勢いをそのままに娼婦の胴を切り落とす。
「えっ……?」
それが娼婦の最後の言葉だった。
上半身と下半身が分かたれた女の死体を背後に刀をあるべきところに戻す。
(……不運な女だ)
もし、あの男に買われていなければ。もし、こな道を通っていなければ。この女は生きていたろうに、とハクアは呟く。
(……下らない躊躇か)
仕事において下らない躊躇は不要なものでしかない。
ハクアも幼い子供を何度も殺しているし、躊躇った戦友が死ぬところを何度も見ている。
そうでもしなれば生きていけない環境というのは存在する。それだけの話だ。
羽織りを血で汚れた若芽色の着物に着てハクアは再び歩き始める。
外に面した壁に無音で近づくと刀を抜刀、常人なら見る事すら出来ない三閃が壁を切り裂く。
三角形に切られた穴から落ちない程度に身を乗り出し、眼下に広がる街の風景を見渡して真下を見下ろす。
「ふーむふむふむ……どうやら、囲まれているようだね」
白亜の建築物の周りを取り囲む兵士たちの姿を冷徹に見下ろし、反転しながら刀を振るう。
「……え?」
背後から迫っていた兵士の首が切り落とされる。
その奥には何人もの兵士が通路を塞ぐように立ち室内用の剣をハクアに向けていた。
(どこから情報が漏れていたのやら)
十中八九、依頼主だろう。とハクアは即決で結論付け刀を鞘に収める。
滲むようにジリジリと迫る兵士たちを見てハクアは笑う。
(この程度で捕らえれると思っているのだろうか)
幼い頃より戦場で生きたハクアにとって、この程度の人数はものの数ではない。
半歩下げ腰から鞘を抜き左手に持ち柄を右手で握る。
ハクアの額から流れる汗の滴が肌から離れる。スローモーションで落ちていく滴が床に落ちる。
「……この程度か」
その瞬間、兵士たちは肉片へと姿を変える。
血飛沫すら出ずに赤い海へと変わっていく。
それを刀を抜いた状態でハクアは振り返って静かに見ると血に濡れた刀を鞘に収める。
(数なんて勝つための要因の一つでしかないのにな)
何も変わらない兵士たちのあり方に嘆きながら階段を降りていく。
途中で上がってくる兵士と出くわすが抜刀と共に切り伏せる。
(……実力はまあぼちぼちと言ったところか)
兵士たちの実力は並みの盗賊や海賊――傭兵なら圧倒できるだけのものはある。それはハクアの認めるところでもある。
それだけではハクアの足元にも及ばない。一兵卒とハクアの実力には明確な差がある。
たったそれだけが現実としてのさばっている。それだけの話なのだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
一階、本陣が置かれるエントランスに降りると同時に咆哮がエントランスに響く。
聞こえる方向に向きながら刀を引き抜く。引き抜ききるよりも速く剣が刃に当たる。
「暗殺者!貴様はここで終わらせる!」
「…………」
剣を向ける屈強な男をハクアは舌で唇を舐める。
それと同時に引き抜き様に刀を振るう。超速の刀が重たい剣によって防がれる。
(騎士団長か)
兵士、兵士団長、騎士、騎士団長と身分が分けられる中での最上位。その実力は先程の兵士たちとは比べ物にならない。
二、三度打ち合いハクアは周りを目の動きだけで見る。
「余所見している余裕があるとはな!!」
騎士団長の力強い剣が鉄槌の如く振り下ろされる。
兵士の位置情報を確認しながら剣を刀の腹で受け流し床に剣を落とす。
「なっ!?」
「……遅いな」
足払いで体勢を崩され驚く騎士団長を見下ろしながら刀を打ち上げるように振るう。
鎧ごと両断された騎士団長の死体は痙攣するが直ぐ様動かなくなる。
それを見ている兵士や騎士たちは呆然とする。力が抜けた手から剣が地面に落ちる。
一目見れば戦意喪失と分かる状況にハクアは落胆のため息をつく。
(関係ないのに)
その刹那、エントランスにいた兵士や騎士が切り裂かれる。
戦場に出てきた以上殺して生きるか殺されて死ぬかしか道はない。見逃される、何て下らない現実は存在しない。
エントランスに死体の山が積み重なり外から喧騒が消えたところで裏口の扉を切り裂きホテルを出る。
(依頼主の場所に向かわないとな)
裏切り者には死を――暗殺に関わる者たちの共通常識だ。
地面を蹴り屋根に降り立つと雨の中を疾走する。




