国守りの夢魔が愛するもの
家紋 武範様主催【夢幻企画】の参加小説です。
愛し子がいる。それは幸運なことだ。
特に僕たち、夢魔にとっては。
何に変えても、自分を削っても。
この国を幸せにできるなら、僕はそれだけで十分だ。
夢魔は人間社会で淫魔に分類される、比較的害のある魔界の生き物だ。
対象を心地よくする能力を、人間はそのように想像したのだろう。
だけど、そういう夢魔ばかりではないことを僕は知っている。
僕自体が、そういう夢魔の一人であるから。
夢魔たちには、自分の得意とする『心地よさ』がある。
その心地よさの範囲を広げることで、対象に幸せを感じてもらう。
対象が心地よいことが僕たち夢魔にとっての最善だ。
それがなくても生きていけるけれど、それが一つもなければ、夢魔にとっては空しい生涯だったと言えるだろう。
僕の得意とする心地よさは『未来ある場所』だ。
遊びまわる子どもたち。学習に励める平和な人生。笑いの絶えない市場。
正しい政治家。明るい顔の大人。誰もが働ける世界。
それらすべてを実体化することはとてもじゃないけど、できない。
だけど、僕の心地よさがこの国を包んで。
これからもずっと、小国ながら栄えて行けばそれだけで。
隣国の大きな国が、奇妙に繁栄する小国を不思議に思い、攻めてきたという。
初めてその話を聞いたとき、とても自分事とは思えなかった。
この国は本当に小さくて、その大国では少し大きめの街にしか過ぎなかったからだ。
そう思ったのは、この国の上層部もきっと同じ。
だけれど、現実に街は荒らされ、あれだけ賑やかだった市場も今は人がいない。
がらんとした無人の廃墟に足を踏み入れ、ぼんやりと思う。
僕の愛し子……この国は消えてしまったのだろうか?
夢魔は愛し子と呼ばれる特別な存在を、生涯で一つだけ持つことができる。
それは人間で言うところの恋人だったり、家族だったり、子どもだったり、友人だったり、主人だったりするのだが、僕の場合はこのあたり一帯の人々すべてが愛し子だった。
僕を精霊だと勘違した人たちと一緒に、酒場で話した日。
市場のおばちゃんたちに、効率のいい買い物の仕方を教えてもらいながら、食べ歩きをしてみた日。
街の守護精霊として祭ってくれた日のことも、昨日のことのように思い出せる。
精霊さまはあまり人工的な場所が好きではないからと言って、街の外れに祠を作って、隣国の兵士がこの街に現れるその日までお供えをしてくれたことも、ありありと。
街の人がくれるささやかな日常が、僕にとってのかけがえのない愛し子だったのだ。
視界に映る景色は軒並み灰色か茶色をしている。
頭上の空まで調子を合わせて、一面の曇り空だった。
今までは、それでも誰かがいた。愛し子の誰かがすぐそばにいた。
夢魔は愛し子を失ったら終わりだ。その意味が、ようやく分かってきた。
まだどこか遠くに感じている喪失には、一滴の涙も落ちなかった。
かつて街だったところ。かつて城だったところ。
ひと通り歩いても、愛し子の姿を見かけることはできなかった。
当然だ。今もこの国のあちこちで兵士がうろついている。
精霊信仰という遅れた文化を持つ原住民を、皆殺しにするように指示がでているらしい。
夢魔本来の姿、薄桃色の霞のようになった僕には誰も気づけなかったようだけれど。
それとも、いっそのこと兵士に殺された方が気は楽だったのだろうか。
すべてを諦めて、魔界に帰ろうと思った。魔界で残りの人生を過ごそう。
我らが王は愛し子を得たばかりだから、彼からは少し離れて暮らそう、と。
人間界で暮らし続けるには、他の人間が眩しすぎた。
それでも最後に、みんなが立ててくれた祠に立ち寄ったのは何故だったか。
精霊信仰の要ということで、祠は荒らされ、金目のものはすべて没収されているのに。
愛し子がくれたキレイな石や、変わった色をした花びら、新築した家のレンガの一部などを持ち出すためだったのかもしれない。
愛し子のいない今、どんな宝物だって心が苦しいだけなのに。
「せーれーさまだよ!」
「本当に見たんだってば! 桃色の霧みたいなのがお城にいたんだよ!」
空が見える祠で、ぼうっとしていると、ふと気が付いた。
子どもたちの声がする。これは思い出が聞かせているものか?
「またこの子たちは変なことを言って……。この間そう言ってたときも兵士の姿しかなかったでしょう!」
「そうだ。精霊さまがいたからこの国は守られてたんだ。国はもうない。精霊さまは行ってしまったんだよ」
「どうしてそんなこと言うの? 精霊さまはまだ居てくださるよ。ここからいなくなるときは祠を跡形もなくしてしまうと言っていたもの」
「そうだ。それに、昔もいたじゃないか。子どもだけが見れる桃色の霧があるって。それは精霊さまの別の姿に違いないって」
「そんなこと言ってどうするんだ。また兵士のうろつく街に戻るのか? 精霊さまのためだけに、行って殺されるだけなんてごめんだね」
違う。声の主は、複数だ。
最近生まれたのもいれば、長い付き合いのもいる。
僕を嫌う声も、慕う声も聞こえたけれど、もう我慢できなかった。
声が潜めく森の中に飛び込んで、霧を凝らせて『精霊さま』の姿にする。
手近の人間に飛びついて、思いっきり抱きしめた。
「精霊さまだ!?」
「せ、精霊さま、今のは言葉の綾で……」
亡くしたと思っていたものがここにある。
僕は彼に抱き着いたまま、子どものように声をあげて泣いた。
あのあと。
僕の泣く声で、兵士が来ては困るというので(そのことは大変申し訳なく思う)、彼らに案内されて、シェルターに移動した。
シェルターは祠の後ろの森にあった洞窟を改造したものらしく、街よりずっと地下にあった。
ちなみに、洞窟の入り口は既に落石で埋まっているし、シェルターの入り口はよく迷う森の中に合って、見つけづらい。
さらには精霊信仰のある者しか通れないので、絶対安心なのだとか。
それなら僕も通れないんじゃないかと思ったけれど、そのときは抱き着いたまま移動したのでよくわからない。
「ほら、やっぱり言った通りだったでしょ?」
子どもたちが自慢げにしているその前で気まずそうにしているのは、精霊のために街を出歩くのは嫌だ、と言っていた男性だ。
僕は、彼に抱き着いてしまったようだから、それも相まって気まずいのかもしれない。
だけど、彼とは比較的長い付き合いである僕は、そこまでにしてあげて欲しいと思った。
彼は結構過激な精霊信仰派で、兵士たちが精霊信仰を弾圧していると聞いたときも、真っ先に祠にやって来て、僕に危険を知らせてくれた人物だからだ。
「チ、仕方ねえ。おい、ガキどもこっちに来い。特別なモンを見せてやる」
「精霊さまもいらしてくれますか? あなたにも見せたいんです」
さっきはヒステリックに子どもを叱っていた母も、ここでは精霊信仰者だ。
あまり気持ちを抑えつけなくていいと伝えたけれど、精霊さまがいるだけで気分が楽なんですと言われてしまっては、もう何も言えない。
彼らがいる限り、僕の心地よさはシェルターを、この地域を満たしていく。
その能力の波が、彼女たちによい影響をもたらしているのかもしれなかった。
立派な南京錠で封鎖された通路の奥には、人ひとりが生活できそうな空間があった。
そこはかつて盗賊たちのアジトだったのか、牢獄の一つであったようだけれど、今は清潔にされ、床には敷物が敷かれ、奥には地上にあるものより小さいけれど祠があった。
その前に座って欲しいとお願いされたので、かつてのようにそこであぐらをかく。
すると、愛し子たちがみんな頭を垂れて、いつもの文言を口にする。
「精霊さま。今日もいい日でありますように」
鉄格子に阻まれいてもなお、伝わる想い。
それは、普通に暮らしたいということだった。
毎日、祠の前で精霊さまにご挨拶をして、仕事場や学校に行くような。
何気なく続けてきた日常が、そこにあること。
そうか。それが君たちの夢なんだね。
ならば、この力尽くしても、君たちの側にいよう。
内心で誓った言葉がどこまで影響したか。
直に、人のいなくなった街からは兵士が撤退した。
城に残った人や、シェルターにいない人は死んでしまったとのことだったけれど、薄情な僕は、仮に残った君たちが二人だけだったとしても歓迎しただろう。
こんなこと、隣人の死を悼む彼らには言えないけれど。
しばらくは地下生活が続いていたが、この国をとても気に入っていた僕たちの王が足を運んでくださってから、状況は変わった。
何故か大国が衰退しているという噂が届き、城にも亡命していた貴族が数人戻ってきた。
僕の愛し子は太陽の下で笑えるようになり、街はかつての活気が戻った。
地上の荒らされた祠は元通りに建設されたというが、僕はまだ地下にいた。
僕一人ではシェルターを出入りできないというのが一つの理由。
もう一つの理由が、戻ってきた貴族が精霊を弾圧しているからだ。
かつての国が狙われた要因の一つが僕ということもあって、精霊信仰でもなく、精霊信仰者でもなく、精霊そのものを国から追い出そうとしているらしい。
でも、愛し子はみんな、それに反対しているし、滅びかけている大国と同じことをするのは止めた方がいいんじゃないかと言う貴族もいるんだとか。
精霊狂信者の彼なんかは、そいつこそを追い出すべきだと言っていた。
みんなが力強く生きている。
だから、いつの日か、僕もお日様の下に出られるようになるだろう。
だけど。これからはきっと。
曇り空の下でも、愛し子と笑っていられるようになる。
そう信じられることが、僕にとっての極上の未来なのだ。
読んでくださった方と、家紋 武範様に感謝を。
活動報告にあとがき的裏話あり。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/273207/blogkey/2730825/