婚約者の瞳
星空のもと、数多のシャンパングラスがぶつかり、これまた、小さな星々のような音色を奏でていた、とても賑やかな夜のことです。
娘は自らの幸福をかみしめていました。これから自分が結婚する青年のことが、好きでたまらなかったからです。青年はとても美しい風景画を描く、画家でもありましたが、一方で、娘は絵のことなど何も分かりませんでした。しかしながら、何となくであれ、その絵を美しいと感じていましたから、どんなときも、青年の瞳に、世界はどれだけ美しく映っているのだろう、と思いを巡らせずにはいられませんでした。
「それでは、誓いの口づけを!」
調子のいい声とアルコールの勢いに弾んで、娘は青年にキスをしようとしました。そうして、青年に顔を近づけると、図らずも、その瞳に何かが映っているのが分かりました。それは、誰もいない、既に廃墟となった、このパーティー会場でした。瞳に広がっている白黒の世界の中で、娘は必死に青年を探しました。へとへとになって街中を捜し歩き、ようやく青年の姿を認めましたが、それは亡霊のようにふらふらと、どこかへ歩いていくようでした。
「待ってください!」
娘が叫んで呼び止めようとしても、青年に聞こえている様子はありません。娘はそのまま、青年を追いかけました。良く知っているはずの、それでいて、変わり果てた姿をした街角でしたが、それらに気を留めることもなく、娘はただひたすら、一心不乱に、駆けていきました。すると、青年がぼろぼろになった自らの家へと、入っていくのが分かりました。
娘も後を追って中に入りました。青年の家には、娘の知らない地下室がありました。青年はその入り口を開けると、部屋へと降りていきました。抑えきれない気持ちで、娘もまた、その部屋へ降りました。
半ば朽ちてきしむ、階段を降りた先には、ベッドに横たわる死体がありました。すでに腐敗し、ただ、濃い灰色をしたドレスから、やっとそれが女であると分かる、亡骸でした。その屍を前にして、青年は、ただただ、立ちすくんでいるのでした。そうして、青年の瞳にずっと映っている風景が、一体どのようなものだったのか、娘はようやく悟りました。
「あなたはずっと、この人のことを想っていたのね……。いつも、いつまでも、廃墟の中、ひとりぼっちで、報われることのない愛を、捧げ続けているのね……。」
すると、嫉妬とも、憐憫とも異なる、高貴で激しい感情が、娘の身体中を駆け巡り、気が付くと、青年へ熱烈なキスをしていました。
「一体、どうしたの?大丈夫?」
青年は、いつもと変わらない様子で、娘に問いました。
「何でもないわ。急に、ごめんなさい。」
娘は、ただ、それだけ答えました。その瞳には、清らかな涙が滲んでいました。




