My chest hurts
斎藤が彼の喉元に刀を突き立てようとする。
彼の人生の中で、最も長いようで短い一瞬。もう彼自身悔いなどないような気がした。
確かに彼女の遺言を守れなかったのは男として格好がつかないし、素直にいえば悔しい。なんなら今もそうだ。
もう長い年月をかけて今このときまでの報復の準備をしたというのに、それは呆気もなく崩れ去ってしまった。
樹戸さんや根城、影踏の事はともかく、肝心の彼が力に呑まれ、力に恐れて、自分よりも幼く、守るべき存在だった母禮に救いを求めてしまった。
(しかし、これでいい)
あの樹戸さんの説教が効いた上に、彼は斎藤を見て、どこか心の内で確信できた。
不器用ではあるだろうが、斎藤ならば、『大鳥沈姫』を守り通せると。
だからもう、役目を終えた自分は退場すべき――と死を呑み込んで、静かに目を閉じたときだった。
悲痛な誰かの泣き叫ぶ声が、どこかで聞こえた。
(この声は……)
今、聞こえた悲痛な泣き声は明らかに沈姫の声だ。しかし、沈姫は斎藤に雑にどけられた。
なら、きっと今彼が死ぬところを見て、きっと幼い頃に両親を目の前で亡くした光景でも思い出したのだろうと、ふと思う。
(最後に泣かせて、悪かったよ)
嗚呼――、とこの瞬間、彼は目をうっすらと開いてしまう。
ようやくすっきりとした気持ちで眠れると思えたのに、最期の最期に守るべきだった存在の泣き顔を脳裏に浮かべてしまうと胸が傷む。
もうどうしようもなく気持ち悪い、口いっぱいに残る血の味さえ、劇薬のようにどこか苦い。
だからそれをどうにかして吐き出したくて、思わず彼はこんな事を口にした。
「ヒーロー様が救うんじゃねー……自分が、自分で納得しなきゃ、前になんか進めねー」
そう、これこそがこの闘いの果てにあった真実。そして、大鳥母禮は高杉灯影よりも早く、この真実に辿り着いた。
ゆえに発生したのは悲痛な泣き声という齟齬。
彼女は確かに泣いていたが、決して赤子のように声を上げやしなかった。
確かに泣いたとしても、彼女はそれを自身の胸中だけにそれを留めたのだ。
今この声が聞こえたのは、当然彼と『大鳥母禮』だけ。
皆が望んだ『この世の希望』と彼達が望んだ『最後の希望』だけが、突然降った人生に於いての答えを視た。
だから、きっと追いつく。
例え泣こうとも、苦しみもがこうと、『大鳥母禮』はきっと誰かを殺さない。
そしてその答えは、突如彼の頬に落ちた赤い滴だけがそれを示す。
「殺させなんかしない」
そう、低く重い声と同時に、彼の頬にさらに赤い滴が落ちて行く。
彼の頬に落ちた赤い滴は、母禮のモノ。
今、母禮は彼を死なせまいと、斎藤が突き立てた刃を握り、抑え込んでいた。
なんとか動作を見切って、彼の首元に刃が刺さらないように必死に止めたのだ。
ほぼ首の皮一枚といいたいところだが、それでも尚、大鳥母禮は高杉灯影を救ってみせた。
確かにヒーローなど、この世にはいない。しかし、いつだって希望はある。
そしてその『最後の希望』は声を振り絞る。
「私は言ったでしょ、貴方を救うと! 心だけ救って、「ハイ、サヨナラ」なんて言える訳がないじゃないッ!どんなに無様でも、どんな罪を背負っても生きてよッ!」
「沈姫……でも、俺様は……」
「言い訳なんか聞きたくないッ!こんな形で終わって手に入る世界なら私は要らないッ! こんな血だらけで得るモノなんて何1つないこんな結末なんてッ!」
「沈姫……」
そう悲痛に語る母禮の頬から、一筋の涙がこぼれる。
手のひらから零れる血と違って、それは執拗に彼の頬と感情を濡らしていく。そして涙をこぼしながらも、母禮は己の胸中を語る。
「私は……新選組に来た時、遊佐さんの姿を見て、斎藤さんの姿を見て、ここにいる人たちは孤独だけを背負ってるんだって思った……でも、そんなの辛いじゃない……ッ、だったら私が教えようって。貴方達は孤独なんかじゃないって事を」
貴方達、という言葉に思わず彼は苦笑してしまう。
それは酷く母禮らしく、なによりも母禮だからこそいえてしまう皮肉だ。しかも「教える」など、母親のように教官などでもないのになんて傲慢なのか。
しかし、だからこそ――「人を救う」だとか「感情を教える」と素直にいえてしまうからこそ、彼女は真摯に他人に向き合う。
そして向き合った他人ととことん付き合うから、きっとそんな事が成せる。
彼と同じく傲慢で、勝手ではあるが、それでも人の為にと思ってこそ。
例え他者から偽善に映ったとしても、大鳥母禮はきっと己の信念を曲げない。
だから、彼を救えた。
「笑い合える仲間がいて、何かが欠けている事はとても悲しい事だと教えてくれる人もいるんだって。だから、貴方にもそれを教えるから。だから死なないでよ……今度はちゃんと守るから。守られるだけじゃなくて、ちゃんと守るから……ッ」
「……馬鹿野郎」
この言葉に、斎藤も何かを感じたのか刀の柄から手を離す。そして何も言わず隊服からハンカチを取り出すと、泣きじゃくる母禮の手に巻いてやる。
そんな光景を見てしまえば、もう一頻り笑いたくなる。
(情けねー男だな。俺様は)
杏子は、友は、今の彼を見て笑うだろうか?
「――…いや」
思わず、くっくっくっ、という笑い声と同時に彼の喉奥からは否定の言葉がこみ上げる。そして恐らく起こりうるであろう事実を自然と口にした。
「殴られる、だろうな……。あいつらの事だからよ」
実際叶うかどうかなど分からない。しかし、きっといつかはあり得る話だろうと思えてしまう。不気味に身を揺らして笑う彼に対し、母禮はずずっ、と鼻をすすってから呆れながら答える。
「本当だよ、土方さんは殴るって言ってた」
「はっ、そりゃあ最悪だ」
「だから絶対に死なせない。もう私は誰かさんの免罪符だから、貴方の罪も私が受け入れる。本当はそれは母さんの役目だけど、あの人はもういないから」
再度、母禮は彼に対して彼の罪を受け入れるという。
本来ならそんな必要はない。だが、大鳥母禮が高杉灯影を守るならば、こればかりは避けられない事でもある。
しかし、それは決して楽な道ではない。それを分かっているからこそ、彼は母禮へと聞き返す。
「……いいのか? そしたらお前の居場所はなくなるぞ?」
「居場所ならある。みんなあそこで待ってる。貴方の帰りを、ずっと」
「この……甘ったれどもが」
だからそうじゃない、と彼は一瞬だけ呆れた。
確かにお互いの立場や、今後の彼の身の置き方によってはさらにややこしく険しい道になる。そしてそれは必ず叶うという訳でもない。
しかしそれでも叶えるというのだから、大鳥母禮はやはり『最後の希望』なのだと思える。
(もうとっくに救われてんだよ)
いよいよ、呆れていた彼さえも泣き出しそうになる。
その誘惑には抗えず、歳甲斐もなければ立場もなにもかも振り払って、涙がこぼれる。
ただもう悲しくなどない。もうあのときのように死蝋のような仮面を被って泣いているのを隠さなくてもいい。
そう考えると非常に気が楽で、ようやくこの彼の修羅の十数年間を清算できた気がした。
そうしてようやくこの瞬間を以て、この戦争は終結した。
はい。という訳で第3章から続いた新撰組vs『生命の樹』編はここまでです。
そして数話前まで、この齟齬が真実だといいましたが、正直この話は思い付きで書いています。
そもそもこの話での真実というのは言わばオチかつ、主人公の母禮やラスボスの高杉の末路の事を示しているんですよね。
なので、あの数話前の母禮の悲鳴は、母禮が数話先の結末を先読みしただけです。
高杉が庇った→斎藤が介錯しようとする→母禮がどけられた→ここ みたいな。
母禮自身ここで泣くのは簡単だけど、そんな事をしてしまえば幼少期に両親を亡くしたときと同じになります。
「散々高杉を救う~とかいいながら、ここで泣いてたら確実にループだ!ハッ!!!」という結果です。
そして、いつか多分述べてればいいなって事の1つに、「大鳥沈姫」はただの小娘ですが(これは前回も話しましたね)、「大鳥母禮」は『最後の希望』です。なので、途中から「沈姫」ではなく「母禮」に変わってます。
今回で高杉と母禮の答えは出ましたが、まだ彼らの日常は終わっていません。
この後、彼らはどうなるのか、それを次話から見守っていただけると幸いです。
織坂一




