drowse-2
誰かが彼の名前を呼ぶ。
その声に導かれ、いよいよ彼はまた目を開けた。するとそこにいたのは彼女ではなく、彼女が残した唯一の存在。
杏子とは違い、金刺繍糸のような髪に琥珀色の瞳。
しかしその綺麗な髪はボサボサで、煤塗れだ。
白い肌も同様で、いくつかの痣や切り傷、髪と同じく煤塗れ。さらには整った顔を涙でぐちゃぐちゃにしてはか細い声で彼に言う。
「馬鹿……、何であの時出てきたのよ……撃ち殺される所だったんだよ……?」
「杏、子……?」
ただ声は、母親に似ていて。覚束ない彼の意識と視界ではどちらがどちらなのか区別がつきにくい。
しかもあのとき落下したときは、彼が沈姫に覆いかぶさっていたはずだ。なのにその体勢はいつの間にか見事に逆転し、彼が沈姫に組み敷かれている。
あまりにも素晴らしいぐらいの酔いっぷりだが、そんな酔っ払いに対し、沈姫は彼の肩を容赦なく掴んでは揺らし、怒鳴った。
「誰が杏子か! 私は大鳥沈姫よ! 間違えるんじゃない、馬鹿ッ!」
沈姫の流す涙が、ポタポタと降り出した雨のように彼の頬に落ちる。
(ああ……)
ようやく彼の意識がはっきりとする。
ここは現実だ。杏子を失い、仲間も家族も捨てて、報復に走り、結局は沈姫の大事な居場所や、沈姫自身さえも葬ろうとした冷たい世界だ。
ただもう、夢から浮上してしまった以上、もう夢には酔えない。
なぜなら彼は現実逃避など出来ないほどの大罪を犯したから。
本来なら国を守る立場の人間が、私情で国を裏切って、挙句には破滅させようとした立派な犯罪者。恐らく彼の名前は裏切り者として後世に名を残すだろう。
彼はまだこの世に生きているから――不遇にも生き残ってしまったから、生きねばならない。
例え大罪を犯そうと、大事な人を喪おうと、何をしようとも。
(生きているからこそ、もう、夢は見れない)
だから彼は高杉灯影という男であり続ける。
沈姫と杏子と仲間がそう願ったから、彼は永遠に高杉灯影でなければならない。
なら、もう1度初心に戻るべきだ。
罪も過去も何もかもを背負って、今一度、みんなが願った『この世の希望』に。
もう何もかもめちゃくちゃともいえる沈姫に対し、彼はようやく笑ってこう返す。
「お前は……俺様が『生命の樹』のリーダーだって知ってる癖して、戦う気がなかったんだろ?どうせ、数時間前みたいに俺様と話の続きをしたかっただけなんだろ?……どーだよ、そこら辺」
「ええ、そうよ! なのに貴方に無理やり付き合わされて、戦った! 話をしにきただけなのに!」
「はっ、そりゃー悪い事したわな」
「勝手にこんな事を始めて、こんな姿になって……ッ! 何が守るためよ! きっと母さんも向こうで呆れてる……ッ!」
「そうかよ」
きっと沈姫が彼に言いたい事はたくさんあるのだろう。しかし彼はそれにいつまでも付き合っていられない。
彼の罪は、今沈姫もまた口にした。
生きているなら、もう償う事しかできない。だからもういい――そう、高杉灯影は思う。
「沈姫、お前は本当に甘い……けど、刃を交えてた時から訴えてたもんな、俺様に。あの時の俺様のやり方が正しい訳じゃねぇって」
例え、悪酔いしてたからとはいえ、あのときの事ぐらいは理解出来る。
計画していたとはいえ、勝手に始まったこの闘いが深刻化するに連れて、いよいよ彼の中の何かが変わっていった。気づけば英雄ではなく、ただの力に怯える子どもになっていた。
だから助けて欲しい、そう願って、訴え続けて、沈姫はそれに答えてくれた。だから痛いぐらいに彼女の決死さと今の彼を否定する声は分かっている。
「本当に、俺様はさっきまでの笑顔をどこに置いてきちまったんだろうな」
すると自然に、涙が零れた。
けれどみっともなく泣く彼に対し、大鳥沈姫はこう告げた。
「だったら、私がいくらでも笑わせるから……! この先ずっと! だから……ッ」
「そうは行かねー」
「どうしてよッ!」
やはり彼の言葉に、沈姫は怒鳴り声で返す。
彼はようやく酔いが覚めたが、まだ沈姫は夢の中にいるらしい。だからこそ生きている人間だからこそ、容赦なく事実を告げる。
「俺様はあくまでこの戦争を引き起こした戦犯だ……国を変えられない今となってはただ人を殺した罪しか、残らない」
冷たすぎる現実に対し、沈姫はどこぞの誰かと違って、泣くどころか涙を拭い、彼の手を握っては、喉奥から自身の覚悟を振り絞る。
「そんなものッ……! そんな事はさせない……ッ! この『大鳥』の名に懸けて」
「そうか……。ったく、ようこそ牢獄へ。これであの大鳥家も犯罪者の仲間入りだ」
彼は結果的に杏子だけでなく沈姫かも守られる立場になってしまった。そしてちくしょう、と彼の唇は微かに動く。
そう、そうではないのだ。
確かに彼は救われたかった。だが、ただ自分が犯した罪を帳消しにしてもらいたい訳じゃない。
本当に彼が求めていたのは理解という名の救済。そしてこの複雑すぎる迷路のような真意を理解して欲しかっただけなのだ。所詮力などは張りぼての虎に過ぎない。
彼は今こうして救われた。この泣き声は沈姫の耳に届いた。一時でも彼女はこの痛みを理解し、さらには「救う」とまで言い出した。だから、もう、それだけでいい。
「沈姫。お前はとんでもなく甘い人間だ……だから斎藤、介錯はお前が頼む」
「……当然だ」
「!」
すると、彼の背後に斎藤が立つ。
斎藤は最初から、彼を仕留めるといわんばかりに、落下後にこちらへと近づいていたのは気づいている。
それに国を守るべき新撰組の隊員が、戦犯の首を獲るのは当然の事。
同じく頂上から落ちた身でありながらも幸い一命を取り留めた斎藤は、最後の力を振り絞って刀を振り下ろさんと構えた。
「い、や……よ……」
しかし、沈姫はこの終幕を拒否する。
すんなりと――というのは腹立たしいが、ある意味これが彼に相応しい最後だろう。自分の犯した罪は自らの命を以て償う。原初からある人間としての美徳とけじめの末だ。
そして最期に、斎藤と彼が繰り広げた闘いはこれだけではないから、最期に1人の男として彼は斎藤へこう告げる。
「男としての勝負はお前の勝ちだ……後は、沈姫を頼む。泣かしたら……ぜった、いに許さねーからな」
「了解した」
沈姫は彼にしがみつくような形で必死に彼を庇うが、呆気もなく、斎藤が無理に足で振り払い雑にどかす。沈姫の扱いは少し不服ではあったが、彼の頭と精神の中は妙に晴れていた。
「これで、終いだ」
ちなみに前の話の途中から、高杉兄視点となっているのですが、何故母禮の名前が「沈姫」表記になっているのかというと、高杉兄の中では、今は杏子の娘である「大鳥沈姫」に映っているからです。
そもそも「大鳥母禮」という人間は、「大鳥沈姫」がただの小娘である自分を放り捨てて名付けたものです。(そのため、代々大鳥家の当主に名づける「禮」の字を名乗ったわけで)
しかし、高杉兄がどうあがいても「大鳥母禮」は大鳥杏子の娘である「大鳥沈姫」にしか映らない、つまりいつまで経っても母禮は守られる側なのです。
なので高杉兄の想いと、この後の進行のために母禮を本名の沈姫で表記してます。
かなりややこしいですが、この後書きで少しでも補完できれば……と。伝わって。
織坂一




