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「……だから言ったろ」
スカイツリーが倒壊し、全員が地面へ落下するまではあっという間であった。
しかし1人脳内で様々な回想を繰り広げていた母禮にとっては、刹那のようでいてあまりにも永い時間のようにも思えた。
そしてその刹那、母禮を庇った高杉は声を絞り出す。
一方、未だ状況が把握出来ていない母禮は、ただ自身の上に覆いかぶさる高杉の名前を呼ぶ事しか出来なかった。
「高杉さん……?」
そう彼の名を呼び、彼の背中に自身の腕を回す。
すると母禮の手には、ドロドロとした何かが付着している。
そもそも高杉が覆いかぶさっているので、母禮の視界には必然と彼以外映らない。だからこそ色は分からないが、何よりこの掌に纏わりつく感触だけは知っている。
幼少の頃、敬禮が両親を殺し、彼があの場を去った後の事だ。
既に息絶えた両親を小さな身に抱き、そのときに今の感覚を覚えてしまった。
だから母禮はこの瞬間、一気に高杉の『死』を強く感じてしまう。
「―――ッ!」
(高杉が死ぬ……?)
再び、母禮の脳内では高杉の死への否定ばかりで満たされる。そして現実を知れば知るほど、どこか皮膚の焼けた匂いが鼻腔を擽った。
それもそうだ。あんな高い所からの落下と、杭に身体を貫かれた事、なにより紫電に身体を焼かれた事を考えれば、まだ息がある事自体おかしいのだ。
ただ高杉自身、自分がこうなるのは最初から知っていた。
最初から自分は死なないと分かっているから、こうして母禮を庇った。
「なん、で……」
すると、高杉は決死の力を振り絞って身体を起こそうとする。
さらに母禮の首から下は高杉の血で赤く染まる。そして高杉は血反吐を吐き出しながら、貫かれて焼かれた身体を起こしては母禮の問いに答えた。
「言っただろ……お前は俺様が守るべき女だと。術者である俺様は死なねーはず、ならお前を守って何が悪い、ってな」
それは今知った。そんな事は分かる。違う、私が聞きたい事はそんな事ではない――そう混乱ばかりが脳内を埋め尽くす中、高杉はどこか申し訳なさそうな顔でこう言う。
「だからさようならだ、俺様にとって最期の希望……。斎藤の言う通りにあの世で杏子に報告するさ。お前の娘を最後まで、守れ……なかった、ってな」
「介錯ならば――」
すると、混乱を裂くように怜悧な声と瓦礫を踏む足音がする。
何より目に映るのは、高杉の後ろにいる見慣れた細い影。
「俺がしておいてやる」
高杉の背後には、刀を抜いた斎藤の姿があった。
彼もスカイツリーから落下したが、なんとか受け身を取り、呼吸困難と骨折だけで済んだ。今はこうして折れた脚を無理に折って、やっとの思いで高杉の背後にいた。
「や、め……斎藤さん……」
それを見て、母禮は思わず「やめて」という。
しかし、いくら斎藤が母禮に心酔し従っていたとしても、今はそれを受け入れる訳にはいかない。これは先程までの戦いとは違うのだ。
元々はこの闘いの火蓋は、母禮が高杉を救うと決意して始まった。しかし途中からお互いの意地を賭け、斎藤と高杉は戦った。
ゆえに言ってしまえば、母禮はこの意地の戦いでは部外者なのだ。
確かに斎藤と高杉の守るべき相手は共通して母禮だ。しかしそうであったとしても、これはどちらが母禮に相応しいかという話。
だから相応しくない者は、退場すべき。
それだけではない。高杉は腐っても戦犯である。
野暮な横槍にはなるが、一応斎藤も新撰組の人間だ。なら国に背く者は処断しなければならない。
そして、瞬間、斎藤が刀を上段に構え、高杉の首を目がけて振り降ろす。
「嫌ァアアあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
天から魔法陣は消え、最期の抗いさえ消える。ただ暗闇の中で少女の泣き声だけが空を裂いた。
◆
今、彼は夢を見ている。暖かい夢を。
「高杉君、どうして君はそんな事言うかなぁ? 私これでも結婚してるんだけど」
「教か……杏子だって人の事言えねーだろ。この日本の行く末の舵取りの為に天下の大鳥家の当主に結婚申し込むとはな。愛ある結婚の方が女は夢が持てるって言うぜ?」
「何を馬鹿な事を……」
初恋の人は、今もこうやって常日頃から繰り広げる彼のアプローチにうんざりしている。
いつも警察学校では「教官と呼べ」と言っているのに、彼は一向に2人きりだと彼女を名前で呼ぶのを止めなかった。
今日も苦々しく、どこか呆れた表情しながら彼が渡したコーヒーカップを受け取る。
「確かに私も高杉君の事は好きだけどね、生徒として」
「何だよ、大人だからって余裕みせやがって」
「事実大人ですから。……というか君も一応大人でしょ? だったらお願いがあるんだけど」
「はいはい、散々フッている男に何の用で?」
「私さ娘がいるんだよ、産まれたばかりの。その娘を守って欲しいの」
このとき、彼女はあまりにも深刻そうな表情でこういった。
いつものように生徒を叱るようではなく、どこか闇を抱え、それを解決出来ずにもがくような。そして何より、どこか泣き出しそうだった。
だったら腐って彼も男なら、惚れた女の頼み事くらい聞いてやらなければ格好がつかない。
だからこのときふと見送った。このとき彼女が送ったサインを。
「何だそりゃ。今にも遺言みたいな事残しやがって」
「あながち間違いじゃないから、そう言ってるの。名前は沈姫。沈んだ姫と書いて沈姫。どう? 可愛いでしょ?」
「杏子が考えてにしちゃーな。きっと面も可愛い将来別嬪さん有望だろ?」
「まぁね。だから私の大好きな高杉君にお願い。沈姫はなんとしても――……」
このとき、彼がただ自分の事だけを考えてカッコをつけず、真摯に彼女の話を聞いていれば、少し未来は違っていたのかもしれない。否、分からない。
あくまでこれは過去の出来事で、今彼はただ安らかに夢を見ている。
所詮は過去の想起。だからこそ、間違った未来しか選べず、それを選んでしまった以上、正解の答えなど闇の中にしかない。
そして彼が警察学校を卒業し、新撰組の設立後、躍起になっていたある日の事だった。
「おい、聞いたかよあの噂。あの大鳥杏子が殺されたってよ」
「……は?」
夢はここまでで終了だ。それ以降、彼は現実を生きてきた。
あの日、彼女の死を聞いた瞬間、指先どころか全身が凍った気がした。
もちろん、警官学校側が彼女の死を公表しなかったのは、恐らく大鳥家の圧力によるものだと予想は容易だ。いや、彼が知りたいはそんな事ではない。
誰が一体どうして彼女を殺したのか? 殺したのは誰か?
彼女の死の起因となった存在は、彼にとっては今生の敵ともいえるだろう。だから彼は新撰組にいても尚、彼女を殺した存在を探し続けた。
仇敵を探し始めて、7年。いよいよその仇敵の正体を掴んだ。
仇敵の名は大鳥啓介。今は大鳥本家に入り、大鳥敬禮と名乗っている。
奴の名前を知った頃には、既に彼は『生命の樹』へと寝返り、そこでただ自分の目的を果たすために動いていた。
現に、大鳥啓介の人物像を知った瞬間、彼は奴をあぶり出せると思えた。
案外奴をあぶり出すのは容易で、奴の自尊心と復讐心を煽ってやれば、簡単に『生命の樹』へ寝返った。
そして奴と初めて会ったとき、彼はようやく見つけた仇敵に向かってこういった。
「お前が大鳥啓介……否、大鳥敬禮か。風の噂で聞いたんだけどよ、お前大鳥本家に復讐したいらしいじゃねーか。なら新選組にいるよか、『生命の樹』にいたほうがずっといいぜ?」
仇敵は「いい」と始めは断る。だが、所詮これは自分が優位に立ち、美味い汁を吸うための交渉を始めるためのものだ。決して、奴の本心などではない。しかしこのとき彼はやたら意地になっていた。
絶対に引き下がる訳にはいかない。
だから、やたらと「止めておけ」と視線で止めて来る奴を無視して、彼は仇敵にこう煽った。
「その復讐を成せる力があるとしたら? お前は『生命の樹』と新撰組のどちらを選ぶ?」
結果、仇敵は『生命の樹』へ簡単に寝返った。
そして彼の自尊心を満たしに満たした後、呆気なく捨てた。
これで彼は思惑通り、大鳥杏子を殺した犯人を殺した。だが、それを守るべき存在であった娘の沈姫は仇敵が死んだ真実を知る。
それを知り、悲しみ、偶然にも生き残った義兄を殺した男に免罪符とされた。
彼がしたい事はこんな事ではなかった。
ただただ杏子の意思と沈姫を守りたいだけなのに、その存在に枷を付けるなど言語道断。だから残された杏子の娘にはこうとしか言えなかった。
「俺様のやり方が気に食わないなら、剣を向けるも良し。逆に賛同するなら新撰組を脱退しても構わねー」
こんな事で彼女を守れただろうか? と彼は夢から浮上しかけながら思う。
嗚呼、また温かい夢が終わり、冷たい現実の始まりが終わる。
彼は何度も何度もこれを繰り返した。何年も、否、十何年も、ずっと。
だがあんな末路を迎えてしまえば、例え『稀代の勝負師』やら『恵まれた男』といわれようと、生きていられるはずがない。
だからこの夢からの浮上は杏子との再会か――などと考えていた瞬間、彼女の声がした。
「高杉」
ちなみにこの話で母禮が泣き叫んでますが、実はこれは母禮にとっての悪夢だったりします。
確かに斎藤が介錯はするのですが、結局母禮が悲鳴を上げたのは彼女の妄想というか心の内のものです。
カムヨム版ではこの後の結末と繋ぐのが下手だったので、描写にズレがありましたが、では一体この齟齬の真実はなんなのかは後日に。
この齟齬こそ、この物語の真実です。
織坂一




