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しかしそれでも尚、全力を込めて立ち上がる様子に樹戸は「止めておきたまえ」と警告を下す。
「今の貴様には彼女を守る所か、その場から立てまいよ。いいか? よく聞け、愚か者」
ただただ冷淡に、しかしどこか怒りを含んだ声音で樹戸は言う。何よりその瞳の冷たさは、先程根城を見下げていたものより低い。
何よりらしくもない行動に、この場にいた人間全員が止めに入る事は無かった。否、入りこめる余地さえない。そして樹戸はこう言った。
「もし何かの驚異が彼女を襲おうとした時に、彼女は怯えることなく挑むだろう。そんな時に背を預けるのを灯影か貴様かを選べと言われたら、私は灯影だと即答する……何故か分かるか?」
「何が、ッ……違うというのだ!」
斎藤はその鋭い瞳を細めては冷淡なままの樹戸へと訴えるが、樹戸はそれをなんとも思わずにただ飄々と冷めた調子で流していく。
「何もかもだよ。貴様は先程彼女は自分の免罪符だと言った、自分を唯一殺せる人間だと言った……そんなのはただの貴様自身のエゴでしかない」
そう、先程斎藤が吐いた言葉は、誰がどうみても彼自身の勝手でしかない。
酷く低俗で、幼稚で、自分さえ良ければそれでいいと言う稚拙な我侭。斎藤はそれをずっと母禮に対して押し付けてきた。そうでもしないと自分が生きられないが故に。
所詮は依存。だから貴様には無理だという視線を向ける樹戸。
どうしようもない愚か者が。ならば教えてやろうと。高杉と斎藤の違いを。
「本当の窮地に立たされた時に必要なのは、自分自身の勝手な欲ではない。自身の根本的な強さだ」
たった1人の女性の笑顔を見る為に命さえ賭ける男と、自身のエゴだけで動く人間。当然だがこの両者の間には大きな覚悟と言う溝がある。
例え地力が弱くとも、強者に向かえばそれで良い――などという勝手な満足は抜きにして、立ち向かう強さがあるかどうかで、目の前に立ち塞がる者へ抱く恐怖は異なるのだ。
強さも同義で、根性や火事場の馬鹿力でどうにかなる訳でもない。ただ急に剣を持たされて他人に斬りかかるなど、普通の人間には出来ない。つまりはそういう事だ。
覚悟の差――それこそ、自身の全てを変える唯一の勇気なのだから。
「強さの違いはそこだ。貴様は本当にそれでいいのか? 例えこの戦争に勝ったとして、その後もそんな勝手な理由で彼女を縛るのか? 縛って彼女自身の笑顔さえ壊すのか?」
何よりそれ以上に、奇跡的な勝利に享受して勝手に1人の人生さえ奪うなど卑劣にも程がある。そう樹戸は切り捨てるが、それでも尚斎藤は樹戸へと反抗する。
「アンタには……分からないッ……!」
そう、樹戸には分からない。斎藤が味わった積年の罪の意識も、それを抱えて生きる苦しみも、与えられた優しさに溺れる心地良さも。そして何よりそれを手放す恐怖さえも。
歯を食いしばり痛みに耐える斎藤に対し、相も変わらず樹戸はその心に刃を突き立てる。
「分かりたくもないな、そんなちっぽけな事情。まさかとは思うが、人を殺しすぎた罪悪感に耐え切れずに彼女に縋ったとでも言わないよな? 答えろ、愚か者」
はっきりと断たれた2度目の裁断。そう、樹戸もそんな事情など知る必要もない。
樹戸が知りたいのは覚悟の有無のみ。それ以外など役にも立たないし、論ずるに値しない。だから教本通りの臆病で中途半端に手を汚した者の例を口にする。
却ってきたのは沈黙のみ。最早いよいよここまで来るとどうしようもないと樹戸は呆れ果て、投げ捨てるかのこうに、言葉を突きつけた。
「沈黙、という事は肯定か。更に情けなってくるな。何故その本意に気づかない?」
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