ピンキー・アトモスフィア
見た目は……十歳ほどの少女だろうか。腰まで届く紫の髪は、フルが言っていたように透明感があり、なおかつ硬質さも持ち合わせているように見える。しかし揺れ方から見るに、触ればさらりと柔軟に流れることだろう。
フルは軽装、ラリカは超軽装だったが──彼女はと言うと、僕が想像する『探検家』といった風体そのものだ。ガールスカウトっぽさが漂っており、場所が場所でなければ微笑ましさすら感じられる。
みんなとは入れ違いになったのだろうが、櫓のお兄さんから目撃情報を聞けば、フルたちもすぐに戻ってくるだろう。だったら僕の役目は、彼女をここに留めておくことだ。すぐさま羽織を引っ被って、一回へ駆け下りる。
コタ君に頂いた草履を履いて店の前に出ると、ちょうどいいタイミングで彼女とかち合った。浮葉だらけのこの街で毛無しと出会うとは思っていなかったのか、彼女の目が少しだけ見開かれる。少しツリ目気味の相貌とは裏腹に、その雰囲気はまるで老木を思わせるほど穏やかだ。幼い見た目とチグハグで、なんとも違和感を覚える。
──さて、どう言葉を発したものか。普通にいくなら『君がルーチェ?』といったところだろうか。斜め上でいくなら『仲間の身柄は預かっているぞ…』みたいな? しかし今はふざけている場合でもないし、真面目にいくとしよう。
「ヘーイ彼女。いま暇なんだけど、よかったらお茶でもどう?」
「っ!?」
僕の言葉があまりにも予想外だったのか、少しだけ見開かれていた目が、今度は皿のように丸くなった。そして何度か口をパクパクさせた後、意を決したように唇を固く結び、毅然とした態度でこちらに視線を向けてきた。
「わ、悪いが! わたしはそういった軽薄な輩に付いていく気はないぞ!」
「え? あ──ごめん、君の後ろの女性に声をかけたつもりだったんだけど…」
「…へっ? …~~っ!!」
手を振られて振り返したら、それは後ろの人間に向けられたものだった──という恥ずかしい体験は誰しも覚えがあるだろう。今の彼女の気持ちは、それと同様だ。顔を真赤にして、体を震わせながらうつむいている。後ろの女性のクスリとした笑いも、羞恥心に拍車をかけているのかもしれない。
そんないたたまれない感情に包まれている彼女の手を取り、しゃがみながら視線を合わせる。紅玉のように赤い目が特徴的で美しいが、しかしそれ以外にアルビノの特徴はない。先天性の遺伝子疾患というわけではなく、この世界ならではの種族的特徴の一つなのだろう。
「やあ、ごめんごめん。まさか勘違いされるとは思ってなくてさ」
「…わたしが勝手に勘違いしただけだ。はっ……はは、こ、こんな子供に声をかけるわけがないのにな……グスッ」
…っ!? な、泣くほどのことだっただろうか? ちょっとからかっただけなのに、予想外すぎるぜ。だしに使わせてもらった女性の瞳が、僕を非難するように細められた。うーん、女の涙と子供の涙はいつだって男の弱点である。彼女の場合、相乗効果で倍プッシュ。
もちろんそのままにしておける筈もないので、着流しの袖で彼女の涙を拭い、言い訳を考える。子供をあやすのは得意だし、女性を褒めるのも苦手ではない。泣いた経緯を考えれば、子供扱いはよろしくないだろう。おこちゃまをレディとして扱うのも、紳士の嗜みである。
「いや、そういう勘違いじゃなくてさ。ほら…」
「…?」
「君の可愛さは──その、僕には高嶺の花すぎてね。むしろ声をかけたと勘違いしてくれただけでも、充分に光栄さ」
「~~っ!!」
「けど、君に恥をかかせたのも事実だ。よかったら償う機会を貰えないかな? そう──上でお茶でもどうだい?」
これ以上ないくらいに真赤になっていた彼女だが、僕の言葉を聞いてさらに真紅に染まった。照れている可能性が八割、気障ったらしいセリフに共感性羞恥を覚えている可能性が二割。まあどちらにせよ、僕が恥を上塗ったということで勘弁していただこう。
是とも否ともつかない態度の彼女の手を引き、二階へと連れ込む。さながら気分は少女誘拐犯である。というか、はたから見るとそれそのままにしか映らないだろう。所在なさげにしている彼女を座布団に座らせ、セルフサービスのお茶を取りに行く。
調理場と飯場と休憩所と売店が一緒くたになった場所で、狼っぽいおばちゃんがパイプをふかしている。コタ君はこのへんでは有名人らしいので、彼のツケでお茶菓子セットを頼んだ。僕と少女を見て、おばちゃんが胡乱げに『あっちは夜しかやってないからね』と釘を刺してきたが──なんのこっちゃ。
…ん? もしかしてそいういうことか。昔の湯屋はそういうのもセットだったらしいけど、僕はいったいどういう目で見られてるんだ。微妙な気持ちになりながらちゃぶ台へと戻ると、彼女がカチコチになりながら自己紹介を始めた。お見合いにでも臨んでいるかのような緊張感である。
「わ、わたしはルーチェ・ルミナリアだ。よろしく頼む」
「僕は沙羅双樹。よろしくね」
「う、うむ……いい名前だな」
「君もね。ちなみに年はおいくつ?」
「ん? …ええと、今年で……三百……十四だったか。長く生きていると、どうも気にしなくなってしまってな。はは」
「アポト○シン4869でも飲んだの?」
「なんだそれは」
なんだ、こんどは不老の種族とでも言うのだろうか。それともダイオウグソクムシの浮葉とかか? この世界にきてから驚いてばかりだが、今度ばかりは心底からだ。人の永遠の夢とも言うべき不老長寿が実現しているのなら、是非あやかりたいものである。
「あ、それと、そのだな……さ、誘ってくれたのは嬉しいのだが、少し急いでいてな。あまり長居はできんのだ」
「へぇ。もしかして人探しでもしてるのかい?」
「…っ! なぜわかるんだ?」
「勘が効くのさ、僕は。探している人数は、そう……二人ってとこかな? 名前はフルとラリカ……なんてね──ぇぇええっ!?」
「…お前……まさか『生き残り』か?」
ちょっとからかおうとしたら、ルーチェの髪が生き物のように蠢いて僕を拘束した。なんだよ『生き残り』って。いや、その前になんだその髪は。自由自在に動かせて伸び縮みさせられるって、すごく便利そう。背中が痒くなっても、手を動かすまでもない優れものだ。
「…わたしの心を読んだんだな?」
「いや、フルとラリカがルーチェを探しに行くって言うから、僕はここに残ってるだけだけど」
「えっ」
「友達なんだ。さっきなったばっかりだけどね」
「え、あ、え…? じゃあ…」
「勘違いPart2だね」
「~~っ! す、すまん…!」
気落ちした彼女の心情を表すかのように、シュルシュルと縮んでいく髪。三百年以上も生きている割には、出会った当初からやたらと情緒不安定である。最初に感じた穏やかな雰囲気はどこへやら、今は年相応の童女にしか見えない。
「ふぅ……ところで『心を読んだんだな?』ってのは、どういうこと?」
「う……あ、いや……あまり吹聴できることではなくてだな……すまんが聞いてくれるな」
「ん、わかった」
「…いいのか?」
「しつこく聞いたら教えてくれるのかい?」
「…無理だな。わたし以外の者に迷惑がかかる」
「だろ? なら二人の将来についてでも話す方が建設的ってもんさ」
「うむ、すまんな──ん? しょ、しょうらっ!?」
毅然としたり狼狽したり、しおらしくなったり赤面したりと忙しい娘だな。七輪で焼かれたてのおかきを頬張りつつ、彼女をじっと見つめる。すっと目をそらされ──もう一度ちらりと顔を向けられた。コミュニケーション能力に乏しい人間の、典型的なアクションだ。しかし話し方は割と尊大なあたり、内面の複雑さが垣間見えている。十倍以上も年に開きがあると、単純には量れないということなのだろう。
「まあ冗談は置いといて、たぶんすぐ帰ってくるだろうからここで待っときなよ」
「うむ……というかお前は何者なんだ? まさか原住民というわけじゃないだろう。同業か?」
「同業? …ああ、フルが言ってた──『ワールド・ワイド・ウォーカーズ』……だっけ。探検家的な意味だと思ってたんだけど、仕事なの?」
「仕事ではないが、成果を持ち帰れば栄誉は得られる……それを知らんということは、異世界育ちか」
「んー……異世界っちゃ異世界かな。過去で平行世界で異世界、みたいな?」
「…? 面白そうだな。詳しく聞いていいか?」
結局、腰を据えて現状を話せたのは、フル相手でもラリカ相手でもなく彼女──ルーチェ・ルミナリアとなるようだ。鷹揚に話を聞く姿は、先程とは違い泰然自若といった様相だ。彼女は研究者らしく、有り余る時間を使って世界の謎を究明していたらしい。
「ほう……なるほど、面白いな。決定的な差はキューバ危機のあたりか…? 平行世界、あるいは並行世界──いまだ証明はなされていないが…」
「…ラリカには異常者扱いされたけど、ルーチェは信じてくれるんだね──っ、と…!?」
あまり疑ってくれないのもどうかと思い問いかけるが、ずずいと身を乗り出した彼女が、鼻先が触れ合うほどに顔を寄せてきたため、言葉に詰まる。真紅の瞳が鮮やかに輝いて、まるで底の底まで見透かされているような気分だ。
「…嘘なのか?」
「まさか。全部ありのままだぜ」
「ああ、そうだろう。わたしにはわかる……お前は“嘘をついていない”」
「…? それは……さっきの『心を読む』云々と関係があるのかな?」
「いいや、単にわたしの技能だ。他人が嘘をついているかどうかくらいは、簡単に見抜ける」
「へぇ……そりゃ凄い。愛してるぜルーチェ、結婚しよう」
「ぶっ!? ──なっ、なな…! なにをきゃっ、きゅっ、急に…!」
「…」
「──はっ! う、嘘をついたな! …あれ、ちょっと待て本当……いや、ん…?」
なるほど。心を読んでいるのではなく、人体における何かしらの反応を見て判断を下しているのだろう。しかし僕の言葉に対する彼女の反応を考えれば、精度はそこまで高くないらしい。精々がポリグラフ式の嘘発見器か、それ以下といったところだろう。それくらいであれば、僕なら誤魔化せる。
「それで、僕が元の世界へ戻ることはできるのかな?」
「いやちょっと待て! さっきのは結局、ど、どどどっちなんだ! 嘘か!?」
「…」
「答えろよぉ!」
「いや、簡単に見抜けるって言ってたじゃないか」
「うっ……その……なんというか、どうやらお前は簡単な男じゃないらしい」
「…人の真意なんて簡単に見抜けちゃつまんないだろ? 問えば返ってくるなら、感情なんて要らないぜ。一方的に人の心を量ろうなんて、強盗と一緒さ」
「む…」
少し考え込んだ後、しかつめらしく頷いたルーチェ。割と簡単に言い包められるタイプらしい。小さくため息をつきながら、おかきをモグモグと食べている姿が非常に可愛らしい。
「…未来から過去へ行くのは不可能だが──世界が違うだけなら、可能性はある。来れた以上、帰れないということはないと思うが…」
「方法は?」
「それは──ううむ……機材があればまだ調べることもできるんだがな。なにせこんな場所だ、持ち込むこともできん」
「…そっか」
困ったなぁ……なんとかならないものだろうか。こんな若い身空で、異世界に骨を埋める覚悟はしたくない。黙り込んだ僕を心配したのか、ルーチェが励ますように肩を叩いてくれた。こういったところは年上っぽいというかなんというか……部活の先輩にドンマイされたような気分である。
「ま、なるようにしかならないか……じゃあ今度はこっちが質問していいかな?」
「切り替えはやっ」
「悩むのは、それが解決に繋がる時だけさ。いま僕がウジウジ悩んだところで、なんの意味もないしね」
「…言うは易く行うは難し……お前の言うそれが簡単にできれば、誰も苦労はせん。進むべき道がわかっていたとしても、踏み出せない人間などごまんといる」
「人それぞれだろ? 僕はね、ルーチェ……信用できる友人がそうすべきだって言うなら、躊躇いなく崖だって飛び降りるぜ」
「…あまり健全とは言えんな」
「もちろん自覚してるさ」
顎に手を当てながら、見定めるように視線を向けてくるルーチェ。またぞろ真否を判断しているのだろうか? まあ今回に関しては、誤魔化す必要もない。先の発言は一言一句真実だ。僕は自分の異常な部分をしっかり自覚しているし、『普通』などという言葉とは縁遠いことも理解している。そもそも自分のことをしっかり把握していなければ、他人への配慮が上手くできる筈もない。
『何が出来て』『何が出来ないか』。これは人生において非常に重要だ。物語などではしばしば『自分の優秀さを理解していない状態』を、そのキャラクターの凄まじさの表現として扱うが、これは裏を返せば、その当人が『出来て当然』と思っている状態だということだ。『こんなの凄くないよ』という歪んだ謙遜は、つまり『こんなこと誰でもできる』という錯誤である。それは実に恐ろしい状態じゃなかろうか。
コタ君と僕を例に取ればわかりやすいだろう。コタ君にしてみれば少し強く押しただけなのに、僕は大怪我を負うところだった。これは『自分の強さを理解していない』『他人の弱さを理解していない』という誤認が生んだ、先程の表現におけるネガティブな側面である。だからそう──自分を理解していない人間に、他人を理解できる筈もない。
「…まあ、そうだな。こんな短時間でフルと友達になれたんだ──普通じゃないのは確かだろうな」
「…? どういうことだい?」
「アイツもアイツで複雑なんだ。もちろんわたしも……ラリカもな。普通に育ち、普遍的な精神を持つ者に、フルはあまり気を許さない」
「ふぅん…? そう言われると……思い当たる節もあるか」
自分の無実が証明された後は、犯人である桃千代の逃走にもまったく我関せずだったのはそういうことかな。僕とラリカ以外には素っ気ない感じだったのも納得だ。今風に言うと塩対応ってやつだろうか。今っていうか、六百年前風?
「…で? 聞きたいことというのはなんだ?」
「ん? ああ、ちょっと大雑把で申し訳ないんだけど……世界全体のことと言うか、なんというか……言葉にし難いな…」
「ふむ……要は六百年前との差異が知りたいんだな?」
「そうそう、それそれ。ルーチェは賢いねえ」
「子供扱いはやめろ」
「ルーチェお婆ちゃんの知恵袋は凄いねえ」
「ババア扱いもやめろ!」
「うーん……精神年齢はどんなもんなの? よく精神は肉体に引っ張られるなんて言うけどさ」
「む……まあ、そうだな……自己診断するなら、二十代から三十代が近いだろう。ただ、わたしほど見た目と実年齢がかけ離れている者はまずおらんからな。他のサンプルが取れんのだ」
「長寿は種族的な特性じゃないってこと?」
「いや、それに関してはその通りだ。わたしたち“ウルズ”は、ある一定の年齢までは原種と同じように成長し……それが緩やかになった時点で、寿命の予測がつく。仮に二十歳で成長が止まったとすれば、寿命はおおよそ三百歳と言ったところだ」
「へぇ……となると、ルーチェは?」
「わからん。わたしほど幼い年齢で成長が止まった事例は、他にない」
「…なるほど。それが君の『普通じゃない』部分ってわけだ」
「う……む、まあ他にもあるが、概ねその通りだ」
“浮葉”“奇杏”ときて“ウルズ”になる不思議。そのへんも聞いておきたいところだけど、質問は後回しにしたほうが良さそうだ。知識の深さも見識の深さも、長く生きているだけあって常人とは比較にならないようだし、上手くまとめてくれそうな予感がする。それに僕とフルでは六百年の隔たりがあるけど、ルーチェとは三百年しかないってのもある。
江戸時代の人間とは多少分かり合えそうな気もするが、室町時代ともなると意思疎通も難しい……という曖昧な感覚だが、やはり三百年の差は大きいと思う。それに時代の変遷を自分の目で見てきた彼女であれば、感覚の違いも上手く説明してくれそうだ。
「さて、それで……ああ、今がどういった状況か知りたいんだったな──とはいっても、文化が一定以上に成熟すると、人間の営みに大した差は生まれん。今まで出会った連中も、お前の世界の人間とそう変わりないだろう?」
「そう……かな? 魅力的な人がいっぱいだったけどね。ルーチェなんか特に」
「──そ、そうか? ふ、ふふ……んんっ、ごほんっ! ええと、なんだったっけ……ああそうだ、文明社会の話だったか。ううむ──シヴィリゼーション・リミットとでも言えばいいのか……文明の発展には、限度があるんだ。特に今の地球は『莧月』という人工知能によって管理されているからな。千年単位でも、そうそう大きな変動は起こらんだろう」
なんかマト○ックスみたいで怖いんですけど。地球の方は水槽に浮かぶ脳味噌だらけとかいうオチじゃないだろうな。恐る恐る聞いてみるが、流石にそれはなかったようだ。しかしそういった実験自体は過去にあったらしく、解体はされたものの、やはり永遠の生を夢見る者は一定数いるらしい。
「まあ文化はともかく、お前にとっては人種の違いが最も顕著だろうな。その年代だと、まだ原種以外はいないだろう?」
「…」
「…な、なんだ?」
「いや、いつになったら『お前』から『双樹』になるのかなって」
「むっ……い、いや、まだ出会ったばかりだしな…」
「プロポーズまでした仲だろ?」
「~~っ! …あれは本気と受け取っても……その……いいのか…?」
「それは困るけど」
「おかしくない!?」
「いやでも初対面でいきなりプロポーズなんてさ、見てくれにしか興味ありませんていう宣言みたいなもんじゃない? 容姿だって立派な長所だとは思うけど、それしか見てない相手とか僕は嫌だぜ」
「ま、まあそれはそうだが…」
「その年で未経験な君の心中は察するけど、あんまりがっつくと悪い男に引っかかるよ」
「ぅぐっ!? な、なぜそれを──……はっ! ゆ、誘導尋問とか、お、おま、おまっ…!」
「…」
「見るな! そんな目で見るなぁっ! ──仕方ないだろう! こんな見た目に言い寄ってくる男がいると思うか!? いや、いるにはいるが……どいつもこいつも童女趣味の変態だ! だから百年も引きこもる羽目に……あばばっ! じゃなくてっ…!」
「えぇ…」
「うぅ……ひぃぃん!!」
馬のいななきのような声を出して、ちゃぶ台に突っ伏すルーチェ。もしかして普通じゃない部分の『他にもあるが』は、超引きこもりだったことを指しているのだろうか。人の一生分も引きこもるなんて、たまげたなぁ。
とりあえず泣いた子供をほっとくのもアレなので、向かいに座る彼女の横に腰を下ろし、肩を優しく叩く。さっきは彼女が肩を叩いてくれたが、こんなに早くお返しをする機会が巡ってくるとは思わなかったぜ。まあ誰のせいかと言えば僕のせいだけども。
「別に容姿がどうだろうと、ルーチェは魅力的だぜ」
「…嘘だ」
「嘘か本当かわかるんだろ? 『君は魅力的だ』──さ、どうだい?」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…わからぁぁぁん! どういう心理状態なんだ!?」
「えぇ……どこ見て判断してるのさ」
「…無機物、生物問わず、物体には固有の振動がある。わたしには個人の“波”が見えるんだ……その揺らぎで心理状態を把握できる……筈なんだ!」
「僕がおかしいってこと?」
「うぅ……もうなんかよくわからん。波自体は普通だが、本気で言ってるのかどうかまったく判断がつかん…」
「うーん…」
ちょっとだけお世辞も込みだったのが悪かったのだろうか。仕方ない、ここは褒め殺し作戦でいくとしよう。本当かどうかわからないということは、つまり嘘かどうかもわからないということである。幸いにしてルーチェは魅力的なところだらけだし、褒める対象には困らない。
「さっき肩を叩いてくれただろ? ああいうところで人の本質って出るよね。まだ会ったばかりだけど、君が優しいってのはよくわかるよ」
「え、あ……ぅ…」
「それに、こんな透き通った髪……見たことないよ。聞き飽きてるかもしれないけど、それでも言わずにはいられないよね。すごく綺麗だ」
「ぅ、あ、え、ええと……わたしは、水晶の“ウルズ”だから…」
「ルーチェ、君は今まで出会った誰よりも知的だ。知性は瞳に宿るって言うけど……その真紅の眼差し、吸い込まれそうだよ」
「あぇ、あぅ……ちち、近いって…!」
よし、ここまで言えばもう大丈夫だろう。少なくとも、未経験を指摘されたショックは抜けきっているように見える。それどころか、目を閉じて唇を突きだしながらキス待ちをする程に元気である。
…褒めすぎたのだろうか、それとも三百年ものの乙女を舐めすぎたのだろうか。なんとも騙されやすそうな少女である。真っ赤に頬を染め、そして緊張のせいか下唇が少し震えている。ふるふると揺れる下顎にそっと手を添えると、ビクリと体が揺れた。
いや、ううん、どうするべきか……このままだと雰囲気に流されそうだ。なんだか、さっきから甘いお香のような匂いがするし……何かに当てられたように、頭がクラクラしてくる。導かれるようにルーチェの右腕を引いて抱き寄せ、頬に手を添えた。
彼女の華奢な体が密着し、早鐘を打つ心臓の鼓動が伝わってくる。なんだろう、ルーチェが凄く愛おしく見えてきた。僕ってこんなに無節操だっただろうか……ん? 振り切るように彼女の顔から目をそらすと、なにやらお香を焚いているおばちゃんが目に入った。僕と目が合うと、ビシッとサムズアップしていた。アンタのせいかよ!
しかし、ちょっと、これは……なんと言えばいいのか、マタタビに当てられた猫になった気分だ。どうにも抑えがきかず、桃色の唇へ吸い寄せられ──そうになった瞬間、部屋のふすまが勢いよく開いた。
「双樹ぃ。ルーチェのやつ、もうこの街に入ってるみたいだかんなぁ、いっか……──っ!?」
「どしたの? フル──……っ!? な、ななっ…!」
…さて、どう言い訳をしたものだろうか。とりあえず全てをおばちゃんになすりつけるプランを考えつつ、すっかり冷えてしまったお茶を流し込んだ。ルーチェはいまだにぷるぷる震えたままである。