アメシスト・フラストレーション
──はっ! なんだか気持ちのいい夢を見ていたような気がするが……ん? なぜ僕は脱衣所に寝転がってるんだ。しかも服を着ている状態である。ねずみ色の着流しに、横に置いてあるのは羽織だろうか。深く青い色合いが実にシャレオツで、随分と仕立ても良さそうだ。
この状況が意味するのは、誰かが僕の裸を隅々までタオルで拭き、服まで着せたという事実である。しかも下着はふんどしだ。ふんどし。この下着の履き方を考えれば、下手人は僕のイチモツを触った可能性すらある。
「おう、気がついたか」
「ん……ああ、コタ君。もしかしてこの服、君が?」
「コタ君!? …い、いやまあいいけどよ……服の方は爺さんが着てたお古だが、質は中々のもんだぜ」
「どうもありがとう、助かるよ。ところでみんなは?」
「二階で飯食ってる……っつーかアイツら! どの面下げて戻ってきてんだ!?」
「まあまあ、気にしない気にしない」
「するわ!」
「僕もお腹へったし、二階行くぜ。犯行動機が聞きたいんなら、コタ君も一緒にどう?」
「むぅ……わかった」
粗野な雰囲気と裏腹に、何かに付けて素直だよねコタ君って。彼と一緒に階段を踏み鳴らして二階へ上がると、畳敷きの部屋でフルたちがちゃぶ台を囲んでいた。それぞれにご飯とお味噌汁、あとは山盛りの肉がドドンと真ん中に置かれている。
ラリカの横には空になったおひつが三つあるが……さっき米二十俵食べたんじゃないのか? 摂取した質量はいったいどこへいったんだ。お腹がぽっこりしている風にも見えないし、謎すぎる。
「あ、双樹。もう大丈夫なの?」
「バッチリさ。僕の分は?」
「ちゃんと置いてるよー。ご飯よそったげる!」
「直食いしてるおひつから?」
「私は気にしなーい」
「ラリカの唾液付きご飯か……これも一種の体液交換ってやつかな」
「や、やっぱ新しいの貰ってくる…」
「うん、そうしてくれ」
ラリカの横に僕の分のお茶碗とお箸が並べられていたので、そこに収まる。コタ君は事件前に食べたばかりらしく、近くの座布団に腰を落ち着けた。視線は三人娘を捉えて離さないが、それを向けられた当人たちはと言うと、意にも介していない。豪胆だなぁ……まあそれはともかく、お腹の虫も限界だ。野菜が少ないことに物申したいところだが、とりあえず何か腹に入れよう──というところで、隣の桃千代がおずおずと話しかけてきた。
「そ、その……気絶するまではやりすぎた。悪かった」
「…? えっと、どちら様?」
「──にゃっ!? き、記憶が…?」
「うん、一時的な記憶喪失になってるみたいだ。この責任はどうとるつもりだい? 桃千代」
「う、うぅ……ん? ──覚えてるじゃんか!」
「覚えてるけど」
「こ、こ、このぉ…!」
「ん? 殴るのかい? この僕を? 加減を間違えると死んじゃうぜ? ──さっきの謝罪は形だけだったのかな?」
「うぐぐぐ…!」
「弱者の傲慢だわ~」
悔しそうに唇を噛んでいる桃千代。ちらりと見える八重歯は鋭く尖っているが、舌を噛んだ時に悲惨なことにならないのだろうか。あるいは歯に青のりが付いた時に取ろうとして、突き刺さったりはしないのだろうか。
「冗談だって。君はちょっとやりすぎで、僕もちょっとやりすぎた……だからこれでお互い様ってことにしようぜ」
「むぅ……わかった」
「じゃあ仲直りの証に土下座してもらえるかな?」
「なんで!?」
「…? おかしなこと言ったかな?」
「おかしすぎる!」
「…双樹ぃ。もしかして、昔は仲直りの時に土下座するのが普通だったのか?」
「そんなことないけど」
「じゃあどういうことだよ!」
「いや、あわよくば異文化にかこつけて上下関係をはっきりさせとこうかと…」
「最低すぎる!」
ふむふむ、とりあえず土下座に対する感覚は僕の時代と変わらないようだ。こういったところから色々と推測していかないと、何が常識で何が非常識かというのはわからないままだしね。どれだけ丁寧に教えてもらったとしても、教えるほうが『違い』を理解していないと、ずれたままになってしまう。
「新しいおひつにご飯いれてもらったよ~! あと双樹の分のお味噌汁!」
「ありがと、ラリカ。しかし具無しの味噌汁とはまた斬新だね……おひつのご飯も少なっ」
「えへへ、ちょっとつまんじゃった」
「えぇ? 仕方ないなぁ…」
「…外の奴らってみんな頭おかしいのか?」
「オイラまで一緒にすんなよなぁ」
お揚げと豆腐が消え去った、寂しい味噌汁をすする。出汁が違うのか独特な味わいだが、これはこれで悪くない。肉の方も食べたことのない食感ではあるが、臭みのない淡白な肉を濃い味付けに仕立てていてグッドだ。
僕も含めて全員が健啖家のようで、馬鹿みたいに盛られていた肉の山もすぐに消え去った。ラリカ以外の面々は食べた質量を無視するようなこともなく、相応にお腹も膨らんでいる。ケモっ子のぽっこりお腹は実にキュートだ。
「さて、お腹も膨れたところで……君たちに聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
「なんだ?」
「なんで盗みなんてしたんだい? あの杜撰さだと慣れてるってわけでもないだろうし、常習犯じゃなさそうだけど」
僕の問いに、気まずそうにしながら三人は顔を見合わせる。悪事を働いたという自覚はあるのだろう。フルもそうだし、彼女たちもそうだけど、見た目より精神年齢が高いように思える。狩猟や採集が生活の手段として実際にあると、そうなりがちなのかもしれないな。
「あー……まぁなんつーか、金が欲しかったんだよ。ほんとは竜でも狩ろうかと思ってこんな端っこまで来たんだけど…」
「お金を? へぇ…」
狭いコミュニティにおける金銭の価値って、あまり高いようには思えないんだけど……そのへんどうなんだろう。そもそも外とほとんど交流がない時点で、紙幣だろうが銭貨だろうが発行する必要性は感じないけど──という考えを読まれたのか、フルが言葉を発した。
「さっき聞いてわかったんだけどよぉ、ここって北海道くらいでけぇみたいだかんなぁ。街ってより国みたいなもんだぜぇ」
「私たちの知ってる中じゃ最大規模だねー」
なるほど、それなら流通の関係上お金も必要になってくるだろう。フルが言っていた『警察的な機構の必要性』に関しても、人口が多ければ必然とあるべきものだ。通信機器もなさそうな以上──どちらにせよフルは『ここじゃ使えない』と言っていたが──犯罪を犯しても、その地域を離ればなんとかなるのだろう。
「いま中央で『病気』ってのが流行ってるんだ。なんかよくわかんないけど、怪我もしてないのにみんなバタバタ倒れちゃって……それで……医者なんてほとんどいないからさ。今はもう、金持ちしか診てもらえないんだ」
「…まるで病気が珍しいみたいに言うんだね」
「実際、珍しいかんなぁ。浮葉が罹患するのは、現状じゃ三種類の病気しか確認されてねぇ。外傷、内傷、免疫系……基本的に原種とは比べもんになんねえほど、抵抗力もたけぇんだ」
「だからねー、いざ病気になったらすごく厄介なの」
「免疫不全系が一つ、アレルギー性が一つ……そんでなぁ、感染を伴うのは一つだけだ。『狂方症』つってなぁ、狂犬病ウイルスの変種が原因の感染症だぜぇ」
ちょいちょい思ってたんだけど、フルって言動や知識が子供のそれじゃないよね。彼が天才なだけなのか、それとも教育水準が高いのか。気になるところではあるが、しかしいま考えるべきはフルが言葉にした『狂犬病』の部分だ。
『変種』というからには特性も変化しているのだろうが、僕が知っている限りにおいて狂犬病とは、発症すれば致死率百パーセントの恐るべき病気だ。発症する前にワクチンを投与すれば問題ないが、こんなところにそんなものがある筈もない。中央とやらには絶対に近づかないでおこう。
「危険な病気なのかい?」
「なぅ……だいぶやべぇな。下手すりゃ国ごと全滅もありえるぜぇ」
「…マジ?」
「今は予防接種も義務付けられてっから、発症する奴なんていねぇけど……初めて発症が確認されてから、ワクチン完成までに四百万人は死んだらしいかんなぁ」
「なるほど。ちなみにかかるのは浮葉だけ……みたいなことは?」
「ねぇな。哺乳類なら大概かかる」
「僕も?」
「かかる」
「かかったら?」
「死ぬ」
うーん……ちょっと不幸すぎない? 日常から吹き飛ばされたかと思えば、いったいどれだけ死にかければ気が済むんだ。順調に感染が広がれば、いずれここにも被害は及ぶだろう。かといってフルに付いていくのはかなり迷惑みたいだし……いやまあ、いざとなれば拝み倒してでも付いていくけども。しかしそれは、この街に住む人々を見捨てて行くのと同じことだ。実に悩ましい。そして桃千代たちも、想像を遥かに超えた事態だったことに口をあんぐりと開けている。
「う……嘘だよな?」
「嘘じゃねぇよ。ただまあ、推測でしかねえかんなぁ。未発見の病原体のせいかもしんねえし、もっと訳わかんねえ事態ってこともあんなぁ」
「…死ぬのか? 爺ちゃんも、婆ちゃんも…! みんなも!」
「もし狂方病なら、そうだ」
「…っ!」
「つーか飛沫感染だかんなぁ、お前らもかかってんじゃねえか? 潜伏期間は二週間から一ヶ月ってとこだぜぇ」
「え…」
「…ん? それって、僕も手遅れじゃ…」
「感染源になんのは発症してからだかんなぁ。まだ大丈夫じゃね?」
ほっ、よかった。いや、絶望に沈んだ顔をしている三人を見ていると、よかったなんて言えたもんじゃないけどさ。コタ君も、あまりにもあまりな事態に動揺を隠せていない。もしフルの言った通りなら、一刻も早く三人を隔離しなきゃだろうし。隔離したとしても中心から感染が広がってくるなら、最悪、故郷を捨てる覚悟すら視野に入れなければならない状況だ。
「ふ、ぐっ…! お、お前ら、外からきたんだろ!? なんとかできないのか!?」
「できるけど」
「できんのかよ!」
半泣きだった桃千代が、涙を引っ込めてちゃぶ台に突っ込みをいれた。本当はフルに蹴りでも入れたかったのだろうが、流石にそれは怖いらしい。しかしなるほど、ずっと平静だったフルの態度はそういうことだったのか。出会ってから大した時間も経っていないが、彼が優しい人物だというのは理解している。もし本当にどうしようもない状況だったのなら、もっと悲痛な表情をしている筈だ。
「ただオイラたちだけじゃ無理だぜぇ。もう一人仲間がいて……ルーチェってんだけどなぁ、そいつがいねぇとどうにもなんねぇよ」
「…この辺りにいんのか? それなら俺も探すの手伝うぜ。どう考えても他人事じゃねえしな」
「なぅ。そりゃ助かるぜぇ、トラ坊」
「トラ坊はやめろ」
「そうだぜ、フル。彼にはコタ君っていう立派な名前があるんだ」
「んじゃコタ坊だなぁ」
「…もうなんでもいいけどよ。で、そのルーチェってのはどんな見た目なんだ?」
「背はオイラよりちょっとだけちっこくてなぁ、お前らが言う『毛無し』だ。んまあそっちより、髪の毛見りゃ一発だけどなぁ」
「髪の毛?」
「アメシストってわかるか? 透明がかった紫の髪してっから、めちゃめちゃ目立つぜぇ」
「どんな人間だそりゃ…」
確かに、どんな人間なんだそれは。しかも髪が透明がかっているというのなら、光の加減によってはハゲに見えるのではないだろうか。そして衝撃の事実と言うべきか、最後の一人はフルよりも子供だったらしい。どうなってるんだこの世界は。
「街に入ってっかもわかんねえかんなぁ、外にも探しに行きてえんだ」
「櫓の奴らに聞けばわかるだろ。ついでに回覧も回しとく」
「私達も手伝うぞ!」
「てめえらは動き回んじゃねえよ。もし途中で発症したら撒き散らすだけだろうが」
「う…」
「つーか、俺はまだ許しちゃいねえからな? 少なくともてめえらがいろはの姐さんに頭下げるまではな。どんな事情があれ、人様のもんに手え出す奴ぁクズだ」
「んだとぉ…!」
「まあまあ、落ち着いてコタ君。クズ千代も」
「誰がクズ千代だコラぁ!」
「でもさ、桃千代。たとえば君がとても大事にしている宝物を盗られたとしたら、どう思う? ましてや、その犯人が悪びれもせずヘラヘラ笑ってるんだぜ。僕なら三日三晩、相手の前で呪詛を唱え続けるよ」
「こえーよ」
「悪いことをしたら謝る、頭を下げる。それができないなら、非難されるのは君たちだけじゃない。君たちを育てた人間の株まで下げることになる」
「…」
「それだけじゃない。君たちが育ったコミュニティまで蔑まれることになりかねないよ。『お里が知れるぜ』って──なあコタ君」
「俺も同じ里なんだが」
「はは、可哀想に」
「喧嘩売ってんのか!?」
憤慨するコタ君をどうどうと宥めていると、桃千代たちが彼に頭を下げた。日本式の最上級謝罪──いわゆる土下座だ。しかし彼女たちがその姿勢をとると、猫が香箱座りをしているように見えて仕方ないな。
『俺じゃなくて姉さんに謝れ』という言葉を発したあと、コタ君はしかめっ面を解いた。もう怒ってはいないようで、彼自身は許したということなのだろう。なんとも気持ちのいい男である。
「…あたしたちは外探したほうがいいか?」
「やめとけ。外で発症なんかしたらなぁ、すぐ死ぬぜぇ。ここで待機しとけよ」
「僕はどうしたらいい?」
「もしルーチェがまだ来てねえんなら、オイラたちが外探すけど……双樹一人で街中歩かすのもなぁ。コタ坊のとこで待たしてもらえばいんじゃね?」
「…? ここじゃダメなのかい?」
「浮葉は発症から二ヶ月くらい保つけど──原種はだいたい一日で死ぬかんなぁ。最悪のこと考えたら、そいつらには近付かないほうがいいぜぇ」
「種族間の格差が理不尽すぎる…」
「んまあ、なにかと不便なのは間違いねえなぁ」
「つーか関係ねえとこにやべぇ奴ら置いとけるわけねえだろ。お前らは俺の家に来い……双樹はここで待っときな。時間かかりそうなら、ここに泊まれるように言っとくからよ」
「了解。定期的に僕の安否は確認するようにね」
「自分で言うのか…」
善は急げとばかりに、ぞろぞろと部屋を出ていくフルたち。一人になると色々考えさせられるな……街に入れば落ち着いて情報交換ができると思っていたのに、結局のところ疑問だけが増えていく。事態が二転三転するのは、なにか不可思議な力でも働いているのだろうか。
──そんな益体もないことを考えながら窓辺でまどろんでいると、視界の端にキラキラとしたものが映りこんだ。金属的なものが少ないこの街では中々に珍しいんじゃなかろうかと視線を向け……その先には、紫水晶を頭から生やしているような少女が歩いていた。うーん……めっちゃシュール。