リディクラス・シェア
壁側を背にする三馬鹿娘を囲むように、僕たちは湯船につかった。まるで蛇に睨まれた蛙のように縮こまっているのは、やはり強さに隔たりがあることを理解しているのだろう。まあ僕の方へ突進とかされたら死んでしまう気がするけど、チラチラとフルの視線を感じるので、危なくなったら守ってくれると信じよう。『守れなくて悪かった』などと、本当に思ってくれているようで嬉しいような申し訳ないような。
「おいどうする…?」
「灯台下暗し作戦、失敗~?」
「だからさっさと離れようつったんだ……ふぎゃっ!?」
「つーかまえたぁぁ…!」
「ひいぃっ!?」
先程アバズレ扱いされて怒っていたラリカが、その表情に怒気を孕ませて、一番小さい娘の尻尾を掴んでいた。猫の尻尾を掴むのはよくないらしいが、大丈夫なのだろうか? …というか、いま気付いたんだけど──ラリカの髪の毛がショートカットになっている。うーん……今までの情報から推測すると、彼女は自身の体を自由自在に変化させられるということなのかな。となると、あの均整の取れたボディにも偽装の可能性が芽生えた。後で聞いてみよう。
「誰の頭と股が緩いってぇ…?」
「じょ、冗談だって! 緩くない、ない! 締まりも良さそうだもんな! ──ぁべっ!?」
「言い方!」
「っつぅ…! くぅ……あ、あたし達のこと、どうするつもりだ…?」
涙目で頭を擦りながら、自分たちの処遇を尋ねる──柿なんとかさん。名乗っている最中にラリカが引きずり降ろしたせいで、彼女の名前だけ半端にしか覚えていない。ちなみに見た目は金髪のベリーショートで、活発な印象といった感じだ。
最初の一人、黒髪短髪で褐色の娘が桃千代……だったかな? もう一人、間延びした喋り方が特徴的な娘は栗神名だった筈。髪型はふわっとしたソバージュで、タレ目で眠そうな表情である。『頑張らない姿勢』に憧れる年頃なのかもしれないな。
しかし褐色率の高さがすごい。フルも入れれば、半分が黄色人種よりも濃い目だ。コタ君も浅黒い肌だったし、浮葉という人種はそうなりがちなのかな? 栗神名と名乗った娘は白い肌だから、一概には言えないかもしれないけど。
「柿つば……柿つば九郎、君はなぜ──」
「柿椿だ!」
「おっと失礼。『かきつば』までは聞こえてたから、予想してみたんだけど……外したか」
「当てる気あった!?」
「もちろん」
フル以外の浮葉の裸体を間近で見てわかったが、肌の表面積における毛皮の割合というのは、人それぞれのようだ。共通していることといえば、胸や局部の周辺には生えていないということくらいか。毛のある動物でもその周辺は薄いし、役割を考えるのならば当然といったところだろうか。そんなことを考えながらまじまじと三人娘を見つめていると、横のラリカに肩を叩かれた。
「双樹、見すぎ」
「え? ああ、ごめんごめん。やましい気持ちはないんだけど、すごくエッチだなぁって」
「それやましいって言わない!?」
「いや、でも……逆に聞くけど、『君の裸体には何も感じない』って言われたらラリカはどう思うのさ」
「う……それはそれでムカつくけど…」
「だろ? なら僕がそういう目で見ることは、彼女たちへの礼儀みたいなもんだよね」
「むちゃくちゃ言ってるぞアイツ…」
「でもそういうことなら~、誘惑したら見逃してもらえるかも~」
「よっしゃ! 灯台下暗し作戦から色仕掛け作戦に変更だ!」
「ラリカ、彼女たちは見逃す。いいね?」
「まだ誘惑されてもないよ!?」
「お前らなぁ……風呂じゃ静かにするもんだぜぇ」
顔を半分くらいまで沈めつつ、口でブクブクと泡を立てながらジト目で僕たちを睨むフル。そんな可愛い行動のせいで、顔の上半分に視線がいったせいか、今更ながらに気付いたことがある。頭上の獣耳の他に、横にも普通の耳があるのだ。三人娘の方を確認しても同じだったから、これは浮葉共通っぽいね。うーん……きっとセルフ立体音響な感じで、ライブなんかを百二十%楽しめるのだろう。羨ましい限りだ。
まあそれはともかく、自己紹介もまだだったことを思い出したので、サービスショットはまたの機会ということで我慢した。ラリカの方も、相手を充分に怯えさせたことで満足したのか、捕まえる意志はないようだ。フルもそうだったが、正義感や義務感にことさらこだわる様子は見られない。自分に関係がないのなら、特に気にしないということなのだろう。
「なんの話してたんだっけ……ああ、そうだ。君たちはなんであんなことをしたんだい? 魔が差したって感じでもなかったけど」
「…話したら見逃してくれるか?」
「僕に決定権はないよ」
「そうなのか? じゃあお前ら、誰が頭なんだよ」
「リーダーはまだハグレたままだけど──っていうか、まず双樹は何者なの? なんでフルと一緒にいるの?」
「僕? 僕は六百年前から時を超えてやってきたタイムスリッパーで、平行世界の住人さ。フルと一緒にいるのは僕を守ってもらうためと、僕の面倒を見てもらうためと、僕を送り返してもらうためだよ」
「頭大丈夫?」
「大丈夫じゃなかったら、ラリカには治せるのかい?」
「そっち系はちょっと無理……っていうか真面目に話してよねー」
「大真面目も大真面目さ。僕にとってはさっきの説明が真実だよ。あとは頭がおかしくなっちゃったのを自覚してないか、実は夢の中かもしれないってことくらいしか思いつかないぜ」
「うーん…? フルー?」
「んー? まあ森の中で一人ぽっちだったのは事実だかんなぁ。それにさっき財布の中身とスマホ見せてもらったけどよぉ、年代は双樹が言ってる通りだったぜぇ。別に作ろうとすりゃ作れねえこともねえけどよ、意味ねえしな。オイラは双樹のこと信じてる」
「スマホ?」
「ん? ああ、今で言う『オルタ』みたいなもんだ。オイラも博物館でしか見たことなかったけどよ」
「へえぇ…! ねね、ちょっと見てもいい?」
三人娘をそっちのけで、スマホに興味を示すラリカ。まあ大昔の機械とかに惹かれる気持ちはわかる。記念館とか博物館へ行くのは、そういった好奇心を満足させるためだしね。僕が頷いたのを見て、フルが鞄からスマホを取り出して渡してくれた。風呂場だけど防水だから特に問題もない。
そして三人娘も、珍しいものを見たとでもいうように寄ってくる。明らかに時代回帰してる街並みから考えても、電気製品は少ない……あるいは皆無なのだろう。ここで生まれた彼女たちからすれば、珍しい代物なのかな?
「すげー! なんか光ってる!」
「うはっ…! やっぱ古臭えなぁ。画面タッチ式とか面倒くさくねえの?」
「猫が映ってる~。絵じゃないの~?」
「ふえー……携帯するのに厚すぎじゃない? それにこれじゃ割れやすそう…」
「あたしにも見せてー!」
原始人と未来人に品評されているような気分だ。いやまあ、事実そんな感じだけど。しかしこうも間近で囲まれると、どこを向いていいのかわからなくなってくるな。視界を占めるのは顔が二割、毛皮と肌が四割、そしておっぱいが実に四割だ。無、小、中、大とバリエーションにも富んでいる。
「ラリカ、よかったら膝の上にくるかい?」
「露骨すぎる!」
「ちょっとエッチなことしたいって思っただけじゃないか!」
「そこが露骨って言ってるんだけど!?」
「兄ちゃん、さっきから発情期でもないのに盛ってんなぁ…」
「はつ──え? 発情期…?」
ちらっとフルやラリカを見ても、桃千代の言葉に違和感を覚えた様子はない。発情期……発情期? 人間にそんなものがあるなんて、聞いたことがないけれど。ただまあ、獣の特徴が習性にまで及んでいるなら、有り得ないことじゃないのかもしれない。
そうなると、特に忌避感もなく裸の付き合いをしているこの状況も納得できる。『時期』で性的興奮が高まるというのなら、つまりそういった時期から外れると、その手の昂りはある程度まで抑えられるということだ。
しかしラリカはどう見ても浮葉の特徴はないし、どういうことだろう……いや、待てよ? 『混浴だぜ?』という僕の言葉に対し彼女は『気にしない』と言っていた。膝の上にくるかという言葉に対して突っ込みを入れた事実も、僕の言動に少なからず性的なものを感じたからこそだ。となれば、彼女に限って言えば本当にそういうのを気にしないタイプってだけの話かもしれないな。
「なぅ、原種は時期とか関係なく発情すんだ。こんなとこまでこれる原種なんかいねえかんなぁ、知らなくてもしゃあねえけどよ」
「原種?」
「んぁ? …あぁ、こっちじゃ毛無し……だったっけか?」
「へぇー……じゃあこっちの姉ちゃんのスケベなカッコも、ずっと発情してるからか? 年がら年中で男を誘ってるって──やっぱユルユルじゃん? ──ぎにゃにゃにゃっ!?」
「桃千代ちゃんはお口がユルユルだねー……いっそ閉じないようにしちゃおっか? 砕くのと抜くのと、どっちがいい?」
「ごめんにゃひゃい! ごめんにゃひゃい!」
僕の目には、ラリカが桃千代の顎を軽く掴んでいるようにしか見えなかったが──少し耳を澄ますと、ざばざばとお湯が流れていく音の他に、ミシミシとなにかが軋む音が聞こえる。親指と人差し指だけで骨を砕けるって、どんなピンチ力してるんだろう。
「あー……お前らは自分たちのことなんて呼んでんだ?」
「…? 桃千代だ!」
「栗神名~」
「柿つば──」
「いや、そうじゃなくてよぉ。『毛無し』に対して自分たちは、ってこと」
「…? 普通に『人間』だけど」
「──ああ、なるほどなぁ。そこまで交流ねえのかぁ……毛無しがこの街に来るのってどのくらい珍しいんだ?」
「さあ? 私は見たことないしな。そういうのがいるって知ってるだけだ」
「私も~」
「あたしも!」
「んー……ここまで来ると、そんなもんか。一応言っとくとなぁ、毛無しにもいくつか種類があんだよ。双樹みたいになんの力も持ってねえのが“原種”……強めに叩くだけで死んじまうから、気ぃつけろよなぁ」
「ふーん…?」
「ラリカみたいなのが“奇杏”つってなぁ、さっきみたいに自分の体を変化させられるんだぜぇ。まあ限度はあっけど、ラリカはそん中でも一級品だかんなぁ」
「…僕の怪我を治したのはどういうカラクリなんだい?」
「あれはねー、私の細胞を変化させて傷口と同化させたの」
「うーん……アメーバみたいだね」
「まったく間違ってはないかなー。細胞の変化中はアメーバ運動に近いし……まあ速度は比べ物にならないけどね」
「その理論でいくなら、完全に別人になることもできるのかい?」
「それは無理」
ふむふむ……なるほど、頭は変化させられないと。まあ脳味噌まで別人になったら、戻り方すらわからなくなるもんな。当然の話だ。あとは、基本的に有機物にしか変化できないらしい。なんともまあ、羨ましい体をしているものだ。僕がそんな力を手に入れたら、まず人面犬になってみたいものである。
「つーか話、変わりすぎじゃね? あんまゴチャゴチャすると、頭に入っていかねえぜぇ」
「むむ……じゃあ単刀直入に聞くけど、フルは双樹を連れていくつもりなの? 街の中ならともかく、原種を旅に連れてくのはちょっと無理だよう…」
「なぅ……とりあえずルーチェに引き合わせよっかなって。双樹が戻れるかどうかはわかんねぇけど、こういう訳わかんねぇ事態はアイツに任せんのがベストだかんなぁ」
「ちょっと待ってくれフル。僕が帰れるまでずっと一緒にいてくれるって言葉は──嘘だったのかい?」
「言ってねぇけど!?」
ううむ……できる限りフルとは離れたくないが、しかし本気で迷惑をかけてしまうと言うなら、涙をのんで別れなければなるまい。それに大抵の場合、転移だのなんだのといった事象は、最初にいたところが怪しいものだ。あまり離れてしまうのはよろしくないだろう。
──とはいえ、見知らぬ土地で一人残されるというのも厳しいものがある。フルたちに頼るのが不可能というなら、新しい寄生先……じゃなかった、新しい拠り所を見つけなければならない。
「桃千代、僕を養う気はないかい?」
「ないけど!?」
「栗神名は?」
「いや~」
「そっか…」
「…」
「…」
「あたしにも聞けよ!」
「柿椿。人にお願いをするときは『お願いします』を付けようぜ」
「ぬがっ……お、お願いします」
「断る」
「なんでだよ!?」
「言ったところで、君は頷くのかい?」
「そ、それは…!」
「君の『お願い』は空っぽだ。ただ『自分だけ仲間はずれは嫌だ』なんていう、つまらない感情しか込められていない」
「なっ…!」
「違うのかい? なら証明してほしいな。きちんと、君の言葉で」
「ぐっ……いいさ! 養ってやりゃあいいんだろ!?」
「もう忘れたのかい? …『お願いします』」
「ぐぐ……お、お願いします…! 養わせてください…!」
「その言葉、忘れないようにね──あだだだだっ!?」
「ツバキにナニ言わせてんだぁー!」
チョ、チョークスリーパー…! 濡れてぺちゃりとした毛皮の質感と、褐色が艷やかな生肌、そして桃千代の桃が背中に密着する。首が千切れていない以上、手加減はしてくれているのだろうが──苦しいものは苦しい。
「ぐっ……ごほっ、ごほっ──こ、これが…」
「…っ!? な、なんだよ! お前が悪いんだからな!」
「…これがほんとの……『裸締め』──なんちゃって」
「死ね」
「はぐっ!?」
柔らかな感触、それと同時に頸動脈をキュッと締められて──僕の意識は暗転した。