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スラット・メイデン


 清楚な美しさを称える時、日本ではしばしば“大和撫子(やまとなでしこ)”などと表されるが──ラリカと呼ばれた少女は、まさにそれだった。日本人らしい和風な顔つきであり、腰まで届かんばかりの艷やかな黒髪が無造作に、それでいて美しさを損なわずに揺れている。白無垢でも着せれば、立派な日本美女の完成だろう。


 そう──着せれば、だ。彼女の首から下に視線を向ければ、なんとまあ、恥という概念を脱ぎ捨ててしまったような状態である。下半身はデニムのようなものを身に着けているが、その丈は太ももの付け根から少し伸びた程度のもので、脚のほとんどは晒け出されている。そしてその短さに加え、横にスリットまで入っているのだ。彼女がちゃんとパンツを履いているのかどうか、僕の中で疑惑が尽きない。


 上着は黒いタンクトップだが、丈はヘソよりも上に留まっている。ピッチリとした着こなしで、そこそこにボリュームのある胸の形が丸わかりだ。物見櫓のお兄さんが『ドスケベ』と評したのも、わかり味が深い。背中のでかいリュックには旅の装備が入っているのだろうか? フルがやけに軽装だったのは、彼女が荷物持ちを担当中だったからなのかも。だとすれば『早めに合流したい』ってのも頷ける。


「フル! 良かった、会えたねー!」

「おー、割と早めで助かったぜぇ。けどなんでそいつらがワルモンだって知ってんだ?」

「やーやー……女将さんに渡した種なんだけど、間違って渡しちゃっててさ。急いで戻ったら女将さんいないし。従業員の人に聞いたら泥棒がどうたら言っててね、こっちきたらちょうど種持ってる人がいたから──ここはラリカの出番かなって!」

「間違ってたらどうすんだよ…」

「ふふん、バカと煙と悪者は高いところが好きって言うもんねー。バッチリ正解だったっしょ?」

「んまぁ、そうだけどよぉ」


 フルと彼女の会話をしげしげと眺めていると、一つ気付いたことがある。先程までは彼女のことを『大蛇を操るドスケベテイマー』だと考えていたのだが、よくよく見てみれば蛇の胴体はそのまま腕に同化して繋がっている。ふーむ…? まあいいや、フルの仲間だというならば先に挨拶をするべきだろう。


「やあ、こんにちは。僕は沙羅──」

「どこ向かって喋ってんの!?」

「いや、蛇の方が本体という可能性を考慮したんだけど」

「そんなことある!?」

「絶対にないとは言えないぜ」


 僕の言葉に対し、彼女は自分が本体だと主張するかのように、腕を人間のそれへと戻した。まるで伸ばした巻き尺を戻すような光景に、目を疑う。この世界にきてからは僕だけが驚きっぱなしだったが、これについては往来の通行人も少なからず驚愕をあらわにしていた。


「…何かの病気?」

「ちがーう! これは──って、ああっ!?」

「ふははは! バカめ、自ら拘束を解くとはな!」

「おつむ弱め~?」

「頭も股も緩そうな見た目だしな!」

「なっ…! い、言わせとけばぁ…!」


 拘束が解かれた瞬間、ゴキブリもかくやと言うほどに素早く逃げ出した三馬鹿娘。くるりと回転しながら屋根の上に跳び乗る姿は、言動とは裏腹に惚れ惚れするほど華麗だ。三者とも別々の方向に逃げ出すあたり、こういった事態に慣れているのだろう。


「フル、追わないのかい?」

「別にそうする義務もねえかんなぁ。盗まれた方は別にいいっつってんだから……捕まえたとこで得られるもんもねぇ。トラなんちゃらって奴のメンツくらいかぁ? オイラのこと捕まえようとしたし、双樹にも怪我させっし、協力してやる義理なんざ欠片もねえなぁ」

「うぐっ…」

「それに街の外ならともかく、人のいるとこだと限度ってもんがあるかんなぁ。あいつらの速度がほぼ上限(・・)だぜぇ──建物とか壊してもいい、人にぶつかって怪我させてもいいってんならやりようもあっけどよぉ」

「なるほどねぇ…」


 逃げ出す三人を悔しそうに見つめるだけだったラリカ嬢にも納得だ。個々の身体能力に相当な差が生まれる社会だと、そういったところに気をつけなければ、生身同士での交通事故というのもあり得るわけだ。


「まあ種は取り返したんだし、結果としては悪くないんじゃないかな」

「…へっ? あ、あれ、なんで種、持って…?」

「念のためにね」

「意外と抜け目ねえのな、双樹」

「彼女が抜けすぎってだけさ」

「む、むぅ……っていうか君はなんなのさ。なんかフルと仲いいみたいだけど…?」

「人の素性を尋ねる時は、自己紹介から始めるのが筋だぜ」

「はーい。えっと……ラリカはねぇ、『ラリカ・クルトクルン』っていうの。好きなものは卵焼きでー、嫌いなものはヌルヌルしたもの!」

「ご丁寧にどうも、僕は沙羅双樹。好きなものはざる蕎麦で、苦手な人は『自分のことを自分の名前で呼ぶ人』かな」

「いきなり嫌われてる!?」

「いやいや、嫌いなんじゃなくて苦手なだけさ。ぜひとも仲良くしてほしい」

「どっち!? …っていうか! ラリカがラリカのことをどう呼ぼうがラリカの勝手だもんね」

「…ちなみに年齢は?」

「十六!」

「ラリカ──君のために一つだけ言っておきたい」

「な、なに…?」


 僕は真面目くさった顔でラリカを見つめた。半裸の僕と、ほぼ半裸のラリカが往来で向き合っているのは、この街の風紀的にどうなんだろう。というか、このままでは住人たちの“毛無し”への認識が、基本半裸といった感じになるんじゃなかろうか。


「──十歳を超えてもまだ一人称が名前の人間はね……はたから見るとかなり“痛い”」

「…っ!? そ、そんなことないよ! そうだよね? フル」

「…」

「フル!?」

「なぅ……実はオイラもちょっとアレだなって思ってた…」

「そ、そんな……そんなこと言わないでよ! だったらフルの『オイラ』だって相当だよ!」

「ぅなっ!? お、おまっ、オイラのことそんな風に思ってたの!?」

「──二人共! …醜い争いはやめるんだ!」

「誰のせいだよ!?」


 いや、僕のせいってほどでもないような…? まあとにかくだ。自分のことを自分の名前で呼ぶのは、せめて小学生で終わりにしておくべきだと思う。許されるとすればドナルドくらいのものだろう。それを客観的に理解させるためにも、ここは僕が犠牲になろうじゃないか。


「双樹はね、二人が仲良くしてくれる方が嬉しいなって。双樹はそう思うんだ」

「うわぁ…」

「そう、その『うわぁ…』を、今まで君と接してきた人間は感じていたんだぜ。目の前にしたら理解できるだろ?」

「はぅっ…!? うわ、うわ──うわぁぁぁ!!」


 両手を頬にそえ、顔を真っ赤にしながらその場で足踏みし始めるラリカ。今までの自分がどう見られていたのか、フラッシュバックしているのだろう。黒歴史を自覚した時というのは、総じてそういうものだ。僕はそんな彼女の肩に優しく手を置き、耳元で囁く。


「いま気付けたんなら、まだ遅くないよ」

「あ…」

「言いにくいことでもちゃんと指摘しあえるような関係をね、友達っていうのさ。これで僕と君は友達だ」

「う、うん…!」

「順番逆だとただの悪口じゃね?」

「フルは黙っててくれ。ラリカ、僕の助言が役立つのは理解できたかい?」

「うん…」

「よし、じゃあ今日から僕の言葉には絶対服従だ」

「うん!」

「おぉい!?」

「フル! …今は人格を否定して洗脳してるんだ。静かにしてくれ」

「やめろっつーの!」

「──げふぅっ!」

「双樹様!」

「ほんとに洗脳されてるぅ!」


 まさかフルに腹パンされるとは思わなかったが、これはこれでいいものだ。より気安い関係になれたとも言える。しかしただの冗談だったのに、どんだけ染まりやすいんだラリカは。悪人に騙されないか心配になるな。


「さて、じゃあ一件落着ということで……お風呂に入りなおそっか。体も冷え切っちゃったし」

「おー、そうしようぜぇ。さっきは中途半端だったかんなぁ」

「トラ坊、これ……いろはの姐さんとやらに返しといてよ。ラリカのとはもう交換したからさ」

「だからトラ坊っつーなっての。俺は虎太郎ってんだ……『八坂虎太郎』。犯人には逃げられたけどよ──なんだかんだ助けられちまったな。お前ら外からきたんだろ? なんか困ったことがあったら言ってこいよ。割と顔は聞く方なんでな」

「はは、そんなに恩に感じられても困るよ。じゃあさっそくなんだけど、新しい服が欲しいから湯屋まで届けてほしいんだ。あと血は止まったけど、お風呂には入りたいから絆創膏かなにか欲しいな。お腹も減ったから、虎太郎の家でごちそうしてもらえる? あ、もしかしたら泊まらせてもらうかも」

「謙虚って言葉知ってるか?」

「僕の座右の銘だね」

「左右盲だろお前」


 座左の名でも意味は同じだけどね。湯屋へと入っていく僕らを、なんとも言えない表情で見送ってくれるコタくん。なんだかんだで優しい彼に、甘え倒させてもらうとしよう。僕は社交辞令でも真に受けるタイプの人間なのだ。京都でぶぶ漬けを出されたら、最後まで完食するような人間に僕はなりたい。


「ラリ──わ、私も一緒に入ろっと。久しぶりだなー、お風呂!」

「ここ、混浴だぜ?」

「私は気にしなーい」

「そうなのかい? ありがとう」

「なんのお礼!?」

「ま、どっちにしろ僕は後になるけどね。湯船を血で汚すわけにもいかないし、お先にどうぞ」

「あ、怪我してるんだ。じゃあ私が治してあげる!」

「…治す?」


 訝しがる僕を無視して、ラリカが僕の頭を両手で掴む。彼女も基本的な身体能力は化け物じみているんだろうし、力加減を間違えられると、僕の頭は潰れたスイカになること間違いなしだ。しかし信頼を損なうような指摘をするのもどうかと思い、僕は目の前のおっぱいに集中して恐怖を紛らわした。母性の象徴とは、男を安心させるものである。


 ──などと考えていたら、傷口を乱暴に舐められた。獣っぽいフルに舐められるんならまだわかるけど、どういう状況だこれは。そういえば腕を蛇に変えていたが……もしや吸血鬼だったとかいうオチじゃないだろうな。最近の創作ではそういうタイプの吸血鬼も減ってきたが、古い物語では、オーソドックスなコウモリの他にも獣や蛇に姿を変える存在は珍しくない。


「んっ……うわ、すごい健康体」

「長寿記録塗り替え、狙ってるからね」

「ふふ、双樹じゃ無理でしょ──っていうかこの血の味……なんで原種がこんなとこにいるの? ありえなくない?」

「不可能を可能にするのが僕って男なのさ」

「オイラに会わなきゃ死んでたじゃねーか」


 僕の血をモゴモゴと舌で転がしているラリカ。そして口の動きが止まったと思ったら、傷口に指を当ててきた。その瞬間、少しの痛みと熱が僕を襲い──彼女が離れた時には、綺麗サッパリと傷口が消えていた。唾液が付着した部分をいくら触っても、僅かな痛みすら感じない。僕は内心で驚きつつも、額をこすった指を鼻の前に持ってきた。


「なにしてるの?」

「いや、臭くないかなって」

「失礼すぎない!?」

「いや、どんな人間だろうが唾ってのは乾くと臭いもんさ」

「臭くないもん! ほらほらほら!」

「ぐぁっ──!?」


 いったいどんな教育を受けたら、他人の顔を舐めたくる十六歳になるんだ。特定の人間にはご褒美かもしれないが、僕の性癖は至ってノーマルだぞ。しかしどう力を加えようと、ラリカは微動だにしない。体重差を考えればありえないのだが、いったいどうなっているんだ。うーむ……そういえば彼女は一トン以上もの米をたいらげた後だったな……生命の神秘を百段階くらい超越してるぜ、まったく。唾液でベトベトになった顔を彼女の服で拭いながら、そんなことを考える。


「ふぎゃっ!? なにすんだよう!」

「こっちのセリフなんだけど」


 手の甲におっぱいが当たったような気がするが、不可抗力である。しかし不思議な素材の服だな……温かいような冷たいような、固いような柔らかいような。どこまでも伸びていきそうな伸縮性もある。


 まあそれはおいといて、これで心置きなく湯船につかれるというものだ。ラリカにお礼を言いつつ、三人で浴場へ向かう。薄暗いとはいえ小さな窓からの光も差し、行灯の光もチラチラと揺らめいている。いや、むしろその薄暗さが隠微(いんび)淫靡(いんび)に変えているとすら言えるだろう。ちょっとエッチなハプニングくらいは期待していいのだろうか……などと考えていたら、湯船に入っていた先客が目に入る。そこにはなんと──


「にゃっ!?」

「あ~」

「ゲッ!」


 ──脱兎の如く逃げていった筈の三馬鹿が、ゆったりと足を伸ばしていた。犯人は現場に帰るというが、いくらなんでも度胸ありすぎだろう。というかどのタイミングで湯屋へ入ったんだ? 揃いも揃って細身で華奢な裸体が、透明な水越しに垣間見える。うーん……ま、とりあえずご相伴にあずかるとしよう。風呂場で騒がないというのは、当然のマナーなのだ。

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