ミステリー・ジャンル
ドヤドヤと入ってきた男衆に促され、浴場にいた人はみんな脱衣所に連れ出された。十数人が一斉に体を震わせ、毛皮についた水を弾き飛ばす姿は、ちょっと面白い。もちろんそれだけで乾く筈もなく、体を拭いたり毛を櫛で整えたりと──なんやかんやで結構な時間が経っている。それをじっと待っていた男衆は、見た目ほど横暴という訳ではないらしい。
「盗っ人改めって……警察みたいなもんかな?」
「たぶんなぁ。こっちじゃ珍しいけど…」
「珍しい?」
「必要ねんだよ。狭いコミュニティで犯罪なんかおこしたら、どうなるか目に見えてんだろぉ? こんな奥地で村八分になっちまったら、どうしようもねぇ。外で生き抜けるやつなんか、中々いねえかんなぁ」
「…つまり?」
「…想像以上に広いかも知んねえな、ここ。ま、端が見えねえ時点で想像はついてたっちゃついてたけどよぉ」
フルから話を聞くに、この世界の都市というのは小規模であるのが普通らしい。まず入り口というのがなんなのかということすら理解していないが、とにかく──このような奥地にありながら、大都市を誇るこの街は異質であるとのことだ。
「全員、着替え終わったな──ん? お前はなぜ全裸なんだ」
「やあ、申し訳ない。さっき風呂場で洗ったばっかりで、着替えがないんだ」
「風呂場で洗うなよ……せめてタオルでも巻いとけ」
三人の男性の内、僕と同い年くらいの……一番若い彼が、もっとも立場が上のようだ。虎のような特徴が垣間見えるあたり、強さが立場に影響を与えている可能性が高そうである。まあフルのような姿でも強いことを考えると、元になった動物の強さは当てにならないかもしれないけど。
「じゃあまず経緯を説明させてもらう。先程、飯処『いろは』から“種”が盗まれた。俺達は下手人を追ってここまで──」
「──トラ!」
「…っ! あ、姐さん…」
「もういいって言っただろ? 不用心にしてたアタシも悪いんだよ。犯人探しなんてやめておくんな!」
「姐さんは悪くねえよ! 盗んだ奴が悪いに決まってんだろ? それに姐さんがよくっても、盗人をのさばらしとく訳にゃいかねえ」
「…アタシの頼みが聞けねえってのかい? ──トラ坊!」
「うぐっ…」
経緯を説明すると言いながら、始まったのは痴話喧嘩のようなやりとりだ。猫っぽい女性の方が尻に敷いているようだが、トラ坊と呼ばれた彼もなかなか引き下がらない。察するに、アネゴ肌の彼女が“種”とやらを盗られ、義憤に駆られた弟分が犯人を捕まえようと張り切っている──といったところだろうか。
「フル……“種”って何かの暗喩?」
「いんや、そのままの意味。この世界はなぁ、土壌が特殊なんだ……どんな植物だって育つ。だから奥に行けば行くほど、新種の種は喜ばれんだ。それだけで一財産ってこともあるかんなぁ。嵩張らねえし、冒険するんなら持っといて損はねぇ」
「へぇ……昔で言う胡椒みたいなもんか」
そうこうしている内に押し問答も終わったようで、姐さんとやらが部下二人の片方に無理やり連れていかれた。ああいうことをすると後が怖そうだが、彼のその後が心配である。冷や汗をかきながらこっちに向き直ったトラ坊さんは、頬を一つ叩き、しかつめらしい顔で口を開いた。
「見苦しいとこをすまねえ……じゃあさっきの続きだ。聞いてただろうがよ、いろはの姐さんの種が盗まれた。匂いを辿ってここまで来たんだが、湯で洗い流したせいかぷっつり途切れちまってな」
「えーっと……本人の匂いってことなら、お風呂に入っても意味ないような…」
「…ん? ああ、違う違う。間抜けな犯人が、逃げる時に味噌汁引っ掛けちまったらしくてな。その匂いを追ってきたんだ」
「ふむふむ……人相の方は?」
「それが『覚えてない』の一点張りでよぉ……姐さんにも困ったもんだぜ。優しいだけじゃやってけねえ──ってなんでさっきから俺が質問されてんだ」
「まあまあ、そう言わずに。僕ってこういうの得意だからさ。疑われたままってのも嫌だし、手伝わせてよ」
「いや、お前も容疑者の一人だからな?」
「大丈夫大丈夫。僕がやってないってのは、僕が一番知ってるよ」
「それじゃ意味ねえよ!」
「さて、まずは味噌汁の匂いを消すために犯人が取った行動だけど…」
「無視すんな!」
「聞くだけなら損はないだろ? みんなで推理していこうじゃないか」
「む…」
どうやら『盗っ人改め』とは公的な機関と言うわけではないらしく、強権を振りかざすような真似はしないらしい。少し考えた後、僕の提案に頷いた彼は、腕を組んで清聴の構えをとった。腕っぷしには自信がありそうだが、考える方は苦手なのかもしれない。
「“推理”ってのは、状況を推測することから始まるんだ。人間が行動すると、何をどうしようとも『繋がり』ができる」
「む…?」
「味噌汁の匂いがついたならどうするか? そうだ湯屋へ行こう……これは繋がってるだろ?」
「ああ、そうだな」
「逃げる時に引っ掛けたんなら、当然衣服にもかかってるだろうね」
「ふむ…」
「となれば、服の方も洗った可能性が高い。わざわざ湯屋で服を洗う人間が目立たない筈もないだろ? 目撃者はきっといるさ。──誰か! そんな人間を見ていないかい?」
──みんなの視線が僕に突き刺さった。
「…まあ、今までのはただの推測。それだけで犯人を決めつけるなんて、愚の骨頂だ。さっきまでの説明はなかったことにして──」
「捕らえろ」
「はっ!」
「ストップストップ! まだ推理は終わってないぜ!」
「…聞いてやろう」
「とりあえず、味噌汁の匂いなんかより重要なことがあるだろ? …そう、持ち物検査さ! シンプルに、種を持っている奴が犯人だよきっと」
「誰でも考えつくことだな…」
「王道ってやつさ。ところで『種』って、むき出しじゃないよね?」
「ああ、肉球の模様が入った白い袋に入ってたらしい。飯の代金として受け取ったばっかで、見えるとこに置いといちまったんだとよ」
「…ん? 種は高価なものだって聞いたけど……ご飯の支払いで使われたの?」
「一人で米二十俵、食い切ったらしいからな。蔵の四分の一無くなったそうだぜ──まあそれでも釣り合ってねえけどよ」
「なるほど……いやいやいや」
二十俵って……え? 一トン超えてるよね? どんな化け物だ。しかし彼の表情は至極真面目で、嘘を言っているようには思えない。ならばそこは言及するところではないのだろう。しかし常識が違うとはいっても、限度があるだろうに。食前と食後でどんだけ体重差あるんだ、その人。
「じゃあ手荷物検査させてもらおうか! ──ん?」
「…フル?」
トラ坊さんの視線が僕の下半身へ移動したため、まさかそっちの人かと誤解しかけたが……よくよく見ると、少し隣のフルへ視線をやっていた。僕も釣られて見てみれば、なんだか非常に顔色が悪い。冷や汗ダラダラである。
「あ、い、いや……その……オイラ、それ持ってて…」
「『それ』って……肉球柄の袋に入った種のこと?」
「う、うん──や、盗ったんじゃねえかんな! その『客』ってのがたぶんオイラの連れで……おんなじの持ってるから、だから、それで…!」
「…見苦し言い訳はやめろ。そんな偶然があるか? ──抵抗はするなよ」
「くっ…!」
ううん……僕はフルがやってないってわかってるけど、確かに彼らから見ればほぼ犯人確定だろう。物証というのは、それくらい強いものだ。しかし黙って見ているわけにもいかないし、フルには返しきれない恩もあるし……なにより友達だ。
「ちょっと待っ──」
「邪魔すんじゃねえ!」
「──ぇべっ!」
「ふぁっ!?」
押し通ろうとするトラ坊さんの腕を掴んだら、振り払われた……のはいいんだが、まるで自動車に衝突でもされたかのような衝撃に襲われ、積んである籠の方へ吹っ飛ばされた。少し額が切れたようで、視界が赤に染まる。とはいえ頭の怪我は出血が派手に見えるだけだし、見た目ほど重傷ってわけでもないだろう。少しふらつきながらも、なんとか立ち上がる。
「っ、痛ぅ…」
「双樹!」
「え? あ、す、すまん、そこまでやるつもりは……──っ!? なっ…!」
トラ坊さんのセリフと狼狽ぶりを見るに、おそらく僕の力が想像以上に弱かったんだろう。フルいわく『原種がここにいるのは有り得ない』とのことだし、なんの力も持っていない人間を相手にしたことがないのかもしれない。
そう、だから僕は怒っていない。不幸ないき違いってやつだろうし。問題があるとすれば──フルが僕のために怒ってくれているということくらいだ。それ自体はとても嬉しいのだが……僕は少し勘違いしていたらしい。
浮葉という種族が強いのは確かなんだろうけど、やはりフルはその中でも特別なようだ。僕のところへ駆け寄ろうとするトラ坊さんの──その前に立ちはだかるフルは、ハッキリと怒りをあらわにしていた。僕からは背中しか見えないけれど……いや、背中しか見えないからこそ、その奥にいる人たちの感情が手に取るようにわかったのかもしれない。
そこには確かな『怯え』があった。この中で最も小さな少年に、みんなが総毛立っている。比喩ではなく、本当に総毛立っている。驚かされた猫の尻尾のように、二倍くらいに膨らんでてキュートだ。
「いつつ……ありがと、フル。僕は大丈夫だから」
「あ──う、うん……わりい、守ってやれなくて」
「反省してるんなら許すさ。次からは気をつけるんだぜ」
「うん……いや、なんかおかしくねえか!?」
本能的に強さがわかるのか、それとも別の何かに反応しているのかは不明だが……争うまでもなく格付けは済んだらしい。恐怖で固まったままのトラ坊さんの肩に手をポンと置き、僕は安心させるように語りかける。
「──これが僕の力だ…!」
「オイラのだっつーの!」
「…僕の家族の力だ!」
「またランクアップしてるぅ…!」
凝り固まった空気をほぐすように、おどけてみせる。今の空気は、友達をからかいすぎてマジ切れさせてしまったような気まずさが感じられる。もしくは、授業をボイコットした先生が出ていった後の教室のような雰囲気だ。『誰が謝りにいく?』『お前いけよ』的な。
「…まあそんな訳で、僕はひ弱だから乱暴なことをするのはやめてくれ」
「あ、ああ……悪かった。まさかあそこまで吹っ飛ぶとは思わなかったっつーか…」
「僕が貧弱だって言うのか!?」
「いま自分で言ったじゃねーか!」
「まあそうだね。じゃあ誤解もとけたところで、真犯人を探そうか」
「…ちょ、ちょっと待て! それとこれとは話が別だ!」
「…怪我が痛いなぁ……痛いなぁー…?」
「うぐっ…! お、お前なぁ…」
「──確かに君の気持ちもわかる。いまこの場で誰よりも怪しいのは、フルに違いないさ。だから……一回だけチャンスがほしい。真犯人──“煉獄の強奪者”を見つけ出すチャンスを!」
「誰だそれ!?」
「──犯人はこの中にいる!」
「知ってるよ!」
薄暗い脱衣所を見渡し、ぐるりと容疑者たちを見渡す。老若男女様々、動物の特徴も多様で、見ていて楽しい限りだ。フルの威嚇の恐怖から抜けきっていない人もいて、ちょっと申し訳ない気分である。彼らの注目は僕に集まっていて、腰にタオルを巻いただけのこの状況に──少しばかり興奮してきた。別に露出が趣味という訳ではないが、こうもマジマジと見つめられると照れるぜ。
狐耳のおばさんに、口髭をたっぷりと蓄えた狸っぽいご老人。黒猫……いや、黒豹だろうか? しなやかな印象を覚える少女に、ボディビルダーもかくやといった犬耳偉丈夫。ぱっと見では誰が犯人かなどわかる筈もないが──僕にはお見通しだ。
「犯人はお前だ!」
「全部すっ飛ばした!」
「にゃっ!? な、なにか証拠でも…」
「説明は後だ! ──捕まえてくれトラ坊!」
「トラ坊って言うな!」
「ちぃっ──! くそ、なんでバレた…!」
僕が完全に断定していることを察したのか、トラ坊さんが動く前に、犯人と思しき少女が逃げ出す。とはいえ、フルがすぐに動いてくれるだろう……と思っていたが、展開についていけてないようで、頭の上にハテナマークが浮かんでいる。可愛い。
外へと駆け出していった彼女を追いかけ店の前へ出ると、通行人たちが驚いた表情で上を見ていた。その視線の先には、鐘塔の屋根に乗った少女の姿がある。まあいきなり屋根の上に飛び乗るなんて頭のおかしいムーブをかませば、誰でも驚くだろう。
「…なんで私だとわかったの?」
屋根の上──というより、屋根の頂点に足と手をついてしゃがむ少女。思い切りパンツが見えている……いや、ふんどしかあれは。十五、六歳と言ったところだろうに、羞恥心というものはないのだろうか。いや、さっき一緒にお風呂に入っていたのだから今更かもしれない。惜しむらくは、薄暗すぎて彼女の存在に気付けなかったことだろう。
「おう、俺もそこは気になるな。どういうことなんだ?」
「先に捕まえなくていいのかい?」
「ありゃ無理だ。あの身のこなし……追いつける気がしねえ」
「そうなの? 意外と不甲斐ないねぇ」
「ぐっ…! こ、この辺じゃ敵無しなんだけどな…」
「ま、いいや。聞きたいなら話してあげるよ」
興味津々といった風に、みんなの視線が僕へ集中する。こんな往来で腰巻き一つとは、なにかに目覚めそうである。というかあの娘もさっきフルにびびってたんだから、早く逃げなくていいのだろうか。それとも強さと逃げ足の速さはまた違うってことなのかな?
「あの脱衣所にいた容疑者は十二人……その内、僕とフルを除けば十人だ。これが何を意味するかわかるかい?」
「…? いや…」
「…『十人の中に犯人が一人』いるってことさ」
「お、おう…?」
「──僕はその十%に賭けた…!」
「ただの勘じゃねーか!!」
「結果オーライ!」
「納得いかねえ…!」
僕は自分の直感をなにより信じるタイプだ。その勘が囁いたのだ、彼女が怪しいと。結果としては間違っていなかったのだから、万々歳といったところだろう。ふんどしちゃんも目を丸くして驚いているが、油断してていいのかな? 僕はフルの方へ目を向け、片目をパチパチと瞬かせる。アイコンタクトで『彼女を捕らえろ』と合図した──が、伝わらなかったようで、少し首を傾けた後にウインクを返された。可愛い。
「ふぃー……なら私に落ち度はなかってことだな! そうだろう? 二人共!」
「バレてんなら一緒じゃないの~? ちよワンミス~」
「まったくだ。だいたい逃げる時に味噌汁を零すのが悪いんだ、阿呆め」
「う、うるさいな!」
「なんか増えた…」
気付けば鐘塔に乗っている娘が三人に増えていた。みんな一様に黒い毛皮で、猫科の動物の特徴を持っている。どうやら盗っ人は三人組だったらしい。右端の娘が手に持っているのは、盗まれたと思しき種袋だ。なるほど、持ち物検査をしても意味はなかったようだ。危ない危ない。
「ふふふ……経緯はどうあれ、よくぞ私の正体を見破ったな!」
「なぅ……勝手に自爆しただけじゃね?」
「そこの半裸男! 名を名乗れ!」
「こういう時は先に名乗るのがマナーだぜ」
「確かに! …ならば聞け! ──我が名は『桃千代』!」
「私は『栗神名』~」
「そしてあたしが『柿つばべっ!?」
「あっ…!」
何故かどうどうと名乗りを上げようとした三人娘──いやもう三馬鹿でいいか。最後の一人が見得を切ろうとしたところで、すっ転んだ。よくよく見れば足首に巨大な何かが巻き付いていて、それに引っ張られたようだ。それは他の二人も同様だったようで、悲鳴を上げる間もなく屋根の上から引きずり降ろされた。
近くに駆け寄ると、彼女たちの足首に巻き付いていたものの正体が知れた……僕の腕よりも太い、大蛇だったようだ。カラフルな鱗の、その先を視線で辿っていくとそこには──
「ラリカ!」
──そこには、ドスケベな格好をした女性が決めポーズをかましていた。気を抜くと腰巻きにテントが一つできそうである。後で水風呂にでも入るとしよう、そうしよう。