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スキット・スピット


 右も左も分からなければ、前も後ろも過去も未来も不明なこの状況──しかし、縋る人ができたというのは非常に喜ばしい。道とも言えない道を進みつつ、フルの後ろをついていく。落ち着いて見れば、やはりどの植物をとってみても地球のものとは思えない。鮮やかな青色を魅せる雑草や、ギネスを遥かに超える巨木。ラフレシアが慎ましやかに思えるほど派手で毒々しい花。本当に未来だと言うならば、いったい何が起きたのやら。


「しっかし西暦二千十九年なぁ……戦争の真っ只中だろ? 親が旅行って、どこ行ってんだよ」

「…ん?」

「…? なんか変なこと言ったか?」

「…どこが戦争してるって?」

「どこっつーか、世界中だろ。第三次世界大戦」

「ええぇ……二千十九年の後半からってこと?」

「へ? あー……んん、オイラ歴史そんな得意じゃねんだよ。んっと……ソ連とアメリカが戦争おっ始めたのが最初──だったっけかな…」

「ソ連……ソ連? そうきたか…」


 どこの世界線だそれは。なに? 未来じゃなくて平行世界的な感じ? やめてよね、更に帰るのが難しくなってきたじゃないか。あれかな、第三次世界大戦で核兵器ぶっぱしあった結果、放射線で人類が獣化したとかそんなんかな。どこぞのゲッターなロボじゃあるまいし、勘弁してほしい。


「未来で平行世界かぁ…」

「…うん?」

「ちなみにここは地球のどの辺りなのかな。流石に日本じゃないよね?」

「ここか? ここは地球じゃなくて“異世界”ダストパイルだぜぇ」

「いい加減にしてくれないか」

「なにが!?」


 未来で平行世界で異世界ってなに? カレーライスとハヤシライスが混ざったようなカオスっぷりじゃないか。もうお腹いっぱいだよ……彼の言っていることは本当に本当なのだろうか? 洗脳教育を受けた改造人間の説も無視できなくなってきたぜ。


「君は異世界人ってこと?」

「おいおい、オイラはどっからどう見ても日本人だろ」


 翠の目に金髪……褐色肌にモフモフの毛。そして名前は『フル・フリット』。いったいこの世界の日本人事情はどうなっているのだろうか。正直、ちょっと頭の整理が追いつかない。どこかで休めるところなどはないだろうか? フルも単身、こんな軽装で来ているくらいだ。近くに村か街か都市くらいはある筈。都会っ子の僕には、マイナスイオンがキッツいぜ。


「まあ日本人の定義は置いといて、どこかゆっくり話せるところとかない? 最寄りの街とか」

「うん? …あぁ、そうだな……んー…」

「ちょっと遠かったり?」

「だなぁ。前に寄った街が一番近いとは思うけど、一ヶ月はかかんなぁ」

「ははは、冗談は存在だけにしてくれよ」

「ひどくねぇ!?」


 一ヶ月歩き続けないと人の文化圏に着かないって、あり得なくない? 未来どころか時代逆行してるレベルだよ。だいたい、本当にそうだとしたら彼はどうやって生活しているんだ。こんな森の中で子供が自給自足って……可能なのか? 僕を救ってくれた際に見せた膂力は凄まじいものがあったが、果たして強さだけで森での生活が成り立つものなのか。


「どんだけ広いの? この森」

「さあなぁ。それが知りたいからオイラはここにいるわけだし」

「子供の冒険にしちゃ壮大すぎるぜ…」

「冒険に大人も子供もねえさ。どんな危険だって──未知への憧れにゃ勝てねえんだ!」

「まあそれはともかく…」

「さらっと流すなよぉ!」

「最寄りの街まで一ヶ月ってことは、少なくとも一ヶ月以上に渡って野宿してるってことだよね。それにしちゃ君、小奇麗すぎないかい?」

「オイラきれい好きだかんなぁ」

「いや、服とかカバンとか」

「こっちは高次炭素繊維で出来てんだ。毒性を排除したカーボンナノチューブとミクロン単位で汚れを弾く…」


 ここで未来要素入ってきたよ。なにやら通販の商品を紹介する人のように、装備品の良さを語っているが……そのあたりを抜きにしても、野生の生活を続けている人間とは思えない。髪はキューティクルが輝いているし、肌にも傷一つない。お風呂なんてないだろうに、すえた匂いもしない。いや、むしろいい匂いすらしてくる。


「嗅ぐなぁ!」

「いや、ほんとに良い匂いというか…」

「や、やめろよぉ…」

「こう、なんて言えばいいのかな。まるで──」


 おひさまの匂いというか、たっぷり陽を吸い込んだ布団の香りというか。妙に人を安心させる体臭だ。いや、待てよ? 干した布団の香りってのは、ダニの死骸の香りと聞いたことがある。


「──そう。まるでダニの死骸の香りだ」

「喧嘩売ってる!?」

「おっと、未来では褒め言葉じゃなかったか。僕の時代では最高の賛辞なんだけど」

「ぜってぇ嘘だ!」

「…」

「…嘘だよな?」

「…」

「や、嘘じゃなかったんなら、その、オイラも別に…」

「嘘だけど」

「くっ、くぅっ…!」


 とりあえずわかった事が一つ。フルは悔しい時に尻尾をパシパシと地面に叩きつける癖があるようだ。そして十一歳とは思えないほど自制がきき、大人びている。どういった境遇で育ったのか気になるところだが、そもそも世界がどういった情勢かも不明だ。案外、これが普通なのかもしれないな。


「ま、なんだ。オイラも聞きたいことはいっぱいあるし、双樹も同じだろうけどよ。いまは我慢しとこうぜぇ。ちょっと急ぎてぇんだ」

「了解」

「…いや、もちょっとなんかあんだろ? どこに向かってるんだとか、どうするつもりなんだとか…」

「無駄口は嫌いなんだ」

「どこが!?」

「必要なら話してくれるだろ? 僕たちは親友なんだからさ」

「なんかランクアップしてるぅ…」


 彼がいないとどうにもならない以上、黙ってついていくだけだ。全力で頼らねば生きていけないこの状況だと──そう、まるで母親と幼児のような関係性である。現状において僕はなにもできないし、自己判断は危機を招くだけだろう。


「母上」

「母上!?」

「僕たちはいったいどこに向かってるんだい?」

「結局聞いてるし……ハァ」

「ため息は幸せが逃げるぜ」

「…ダメ息子が苦労をかけてくるかんなぁ」

「なに訳わかんないこと言ってんの?」

「乗ってやったんだろ!?」

「フルは優しいね」

「くぅ…! 馬鹿にされてるぅ…!」

「それで、いったいどこへ?」

「…あの山の上までだよ。仲間とはぐれちまってよぉ、わかりやすい目印んとこ向かってんだ」

「通信機器とか持ってないの?」

「ここじゃきかねんだよ」


 なるほど、流石に子供一人で冒険ってこともないか。しかし山登りとは……体力には自信があるけど、あのそびえ立つ大山脈を専用装備なしで登りきれるとは思えない。そもそも麓に辿り着くだけでどれだけかるんだろうか。ちょっとサイズ感がおかしすぎて、距離がうまく測れないぜ。


「あー……ごめんフル。僕にはちょっとキツイかも。標高も随分高そうだし…」

「わかってるって。オイラがしょってやるから、心配すんな」

「いや、体力以前に凍え死にそうなんだけど。高山病も心配だし」

「ん? ああ、そっちも気にすんな。“ここ”はどこも一定の気温だし、気圧も変わんねえ」

「…あり得なくない?」

「物理法則もちげんだよ。言っただろ? “異世界”だって」


 それだけの高低差があって気温と気圧が変わらないと言うのなら、そもそも空気中における酸素濃度もまったく変わってきそうなもんだけど……どういうカラクリなんだろうか。というかここは惑星なのか? 地上を見渡せる高度まで行ったら、地平線が曲線かどうか確認してみるとしよう。まさか象と亀と蛇が世界を支えているなんてことはないだろうな。


「なんなら、こっからおぶってくか? その方が手っ取り早いけど」

「君が大丈夫なら是非お願いしたいけど──僕って割と重いぜ?」

「百キロないくらいだろ? 問題ねえよ」

「そう? じゃあよろしく、相棒」

「またランクアップしてる!」


 フルが鞄から取り出したベルトのようなものでグルグル巻にされ、まるで荷物のように背中におぶわれた。普通に背負ったらいいじゃないかと聞けば、振り落とされるからダメとのことだ。いったい時速何キロ出るんだろう。僕の内臓が心配で仕方ない。


「んじゃ行くぜぇ…!」


 道などない森を行くのだから、ある程度のすり傷は覚悟していたのだが──フルの掛け声を聞いた瞬間、少しの負荷と恐ろしい浮遊感が僕を襲った。そして次に見えた光景は、眼下に映る、端の見えない大森林だ。どうやら近くにあった巨木へ跳び乗ったらしい。垂直跳びにして二百メートルといったところだろうか? 僕の常識で言うなら、足の筋肉が少なくともあと三十倍はいると思うんですけど。もしかしたら筋繊維の硬さや密度が異常なのかもしれんな……ちなみに僕は高いところが苦手である。うーむ…


「漏らしたらごめんね」

「ぜってーヤメろよ!?」

「出物腫れ物所嫌わずって言うじゃないか」

「限度あるだろぉ!」


 なんだか涙目になりながら四肢に力を込めるフル。しかし泣きたいのはこちらである。木々を跳び移りながら進んでいくとすれば、どれだけ急制動と急停止を繰り返すのだろうか。人間の体ってそういうのに耐えられるようにできてるのかな? めっちゃ怖いんですけど。ガチで内蔵飛び出したりしないだろうな。


 ──と、そんな心配もしていたけれど。実際は酔うどころか、ふわりとした感覚の連続しか感じない。フル曰く、卵を運ぶ時の要領と同じらしい。そうとなればこちらも安心できたもので、柔らかな毛皮をまさぐる余裕も出てくるものだ。


「ちょ、おまっ──こらぁっ!」

「ふわっふわだねえ」

「うひゃひゃっ、やめっ──どわぁぁっ!?」

「…え?」


 ──空中で戯れていると、地上から白いギザギザの壁が迫ってきた。上下にわかれ、内側にはヌメヌメとした赤黒いなにかが……あ、これ巨大生物の口的な何かだね。非常に悲しいが、人生終了である。親より早く死んでしまうとは、なんたる親不孝だまったく。


「──オラァァァッ!!」


 …などと走馬灯を振り返っていたところで、フルが器用にも牙の先を掴み、顎が閉じきる前に巨大生物の鼻先へと脱出した。眼前にはギョロリとした爬虫類の瞳がある。ドラゴンチックな何かだと思われるが、巨大すぎてわかりにくいな。


 しかし僕たちを食べるためにその巨体を動かすエネルギーと、僕らを食べて得られるエネルギーは釣り合っていない気がするんだけど、そのあたりはどうなんですかドラゴン殿。ああ、縦に裂けた瞳孔が恐ろしすぎて現実逃避しっぱなしだぜ。


「シィッ──!」


 鼻先にしがみつく僕たちを振り落とそうとするドラゴンの、その機先を制するようにフルが両腕を振りかぶり……ハエでも叩き落とすように、大質量を地上へと墜落させた。遠目に見た感じ、頭がエゲツないレベルでへこんでいる。


 うーむ……彼我の体重差を考えれば吹き飛ぶのは僕たちだと思うんだが、そのへんは後で聞いてみるとしよう。とにかく、いまは生存を喜ぶべきだ。そして失禁と脱糞を耐えた、僕の膀胱と括約筋に最大級の感謝を贈ろう。


「ふぅ……っぶねぇ」

「ありがとうございやす、フル様」

「めっちゃ卑屈になってる!」

「へへ、なんでもお申し付けください。あ、なんなら足でも舐めましょうか?」

「や、やめろよぉ。オイラ、そういうの好きくねぇよ…」

「そう? じゃあフルが僕の足を舐めてくれ」

「なんで!?」


 まあ冗談はさておいて、僕が心底から不安にならない理由がよくわかった。現代の人間にも少しくらいは残っている『生存本能』というやつが、圧倒的強者に守られていたという事実を無意識に感じていたのだろう。


 とりあえず先程の件は反省し、移動中は大人しくしておこうと肝に銘じた。驚くほどに速く流れる景色だが、恐怖は感じない。畏敬すら覚える巨大な自然も、今は優雅に観察していられるくらいだ。端的に言うなら、ライオンの背に乗ったネズミのような気分である。


「うーん……ほんとに気温差ないんだね」

「ああ。だから雨季以外は風もほとんど吹かねえんだ。世界全体に(・・・・・)乾季と雨季が短いスパンで巡る……物理法則だけじゃなくて、天候もむちゃくちゃなんだぜぇ」


 たまに軽いお喋りをしながら、斜度の急な山を駆け上がる。程なくして山頂へと辿り着いたが──“一番近い街まで一ヶ月”というのは、まさかフル基準なのだろうか? だとすると、僕の足では年単位どころか寿命が尽きるレベルで遠いんじゃないだろうか。まあ踏破する以前の問題として、最初の一日で死ぬのも間違いないだろうけど。食人花やらドラゴンやらがいる森で、数時間と生きていられる自信はない。


「とう……ちゃくっとぉ! 気分とか悪くねえか?」

「うん。強いて言うなら今すぐ吐きそうってとこくらいかな」

「酔ってんじゃねえか!」

「うぷっ…」

「こういう時はなぁ、吐いた方がスッキリするぜぇ。そのへんの茂みで吐いてこいよ」

「怖いから一緒についてきて…」

「ガキんちょか!」

「…次に君が……僕を見た時は……うぷっ……事切れた死体だった……なんてことになったら……後悔するぜ」

「ああもう、わかったって。ほら、背中さすった方がいいか?」


いくら緩やかとはいえ、あれだけ揺られていれば三半規管が悲鳴をあげてしまうのも仕方ないだろう。のたのたと吐き場所を探していると、木々の隙間から山の逆側の風景が見えてきた。そしてそこには──先が見えない程に、大規模な街並みが広がっていた。


「…」

「…」

「そっか……僕は最初から裏切られてたんだね」

「うぇっ!? ちょ、違うからな!? オイラだって先に何があるかは知んなかったし──そんな目で見んなよぉ!」

「いや、冗談だよ。この目は単に……吐き気が限界に達したってだけの話さ……うぶっ…!」

「へ? ──うぎゃあぁぁぁ! あっち向いて吐けよぉ!」


 ──気持ちよく広がる街並みを見下ろしながら、僕は最悪の気分で胃の中身をぶちまけた。大自然の中での嘔吐は初めてだったが、トイレで吐くよりは清々しい……そんな要らない知識が増えた、今日この頃である。

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