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ケモーショナル・エンカウント


 非日常──それは文字通り『日常とは非なるもの』という意味である。しかしそれが稀なものであるかといえば、そうでもないだろう。漫画のように奇天烈な事態がなくとも、少し諸外国にでも足を伸ばせば、それは立派な非日常だ。


 自分の日常以外を非日常と定義するなら、世の中に非日常というものはありふれているし、あふれている。だから今の僕の現状も、僕以外の誰かにとっては単なる日常の一コマでしかない……と、そんな現実逃避をしている真っ最中である。


 僕の身に起きたことを言葉に出してしまえば、きっとほとんどの人は僕を『頭のヤバイ奴』だと思うだろう。しかし事実は事実。ピンクの河童に追いかけられただとか、猫の忍者に見張られているだとか、そんな被害妄想にかられた人たちと僕を一緒にしてほしくはない。


 ──そう、僕は宇宙人にアブダクションされたのだ。


 僕の頭は正常だし、体も正常だし、なんなら難解なクロスワードパズルでも解けそうなくらい冴えている。そんな灰色の脳細胞から導き出された答えが、宇宙人による拉致事件というわけだ。


 謎の光が僕を包んだと思ったら、周囲の景色がアマゾンもかくやと言うほどに大森林に変化しており──その上、植生を見る限りおよそ日本とはかけ離れた……というか地球とはかけ離れた魔境っぷりである。どこか別の星に連れていかれたなんて結論を出すのも致し方なしだ。


 そうだ、少なくとも人間を食事にしようとする植物なんて、記憶の限りでは存在していなかったように思う。なんとはなしに甘い香りに誘われて歩きだしたら、巨大なハエトリグサのような植物に捕縛された──それが今の僕の状況である。軽い感じで言えば命の危機であり、重い感じで言うなら生命を損なう恐れがある的な。


 幸いと言えばいいのか、彼に鋭い牙は生えていないし、今の所二枚葉で圧し潰してくるような挙動もない。ただしゴキブリホイホイよろしく、粘着性のある表皮から逃れられなくなってしまったのだ。獲物が衰弱死するのを待っているのだろうか? それともここから更に、大自然の神秘アタックをかましてくるのだろうか。いったい僕が何をしたというんだろう。


 別の惑星なのか、別の世界なのか、別の時空なのか。何がどうなっているかは知らないけど──もしこれが人為的ななにかであるならば、僕は下手人の顔に洗濯バサミを百個付けてやるとここで誓う。しかもギザギザのちょっと痛いやつだ。


 …しかし誰か通りかからないものか。この際、熊さんとかでもありがたい。植物から僕という獲物を奪おうとして、一大バトルを繰り広げる──隙に僕が逃げるという、なんとも都合の良い計画にすらすがりたい気分だ。


 さらなる厄介事を呼び込むかと思い自重していたが、もう力の限り叫んで助けを求める方向にシフトするべきだろうか。うん、そうしよう。そうと決まれば、喉が枯れるまで叫んでやろうじゃないか。口上はどうすべきか……やはり先人に則って『助けてくれぇぇ!!』にしようか。言葉が通じない可能性を考慮し、できるだけ悲壮な感情を込めて叫ぶとしよう。僕らが動物の感情をなんとなく理解できるように、宇宙人や異世界人や異次元人だってきっと理解してくれるさ。


 ──と、いざ叫ぼうとしたところで人の気配。別に僕が何かの達人というわけではないが、喧騒とは程遠い森のなかで、草木を掻き分けて歩く音くらいは判別できる。少なくとも、人間大で二足歩行なのは間違いないだろう。ざわざわと茂みが揺らぎ……ひょこりと姿を現したのは、なにやら獣の特徴が入り混じった、人間らしき生物だ。有り体に言ってしまえば、獣人とかそっち系のやつだろうか。頭に生えている長い耳と、パッチリした瞳に長いまつげが印象的だ。少年か、あるいは少女か……見た目では少しわかりにくい。


「んー? お前……なにしてんだこんなとこで」

「やあ、こんな不格好で失礼。ちょっと全身で大自然を味わいたくてね」

「…どういう強がりだよ。ま、そんならオイラは行くけども」

「ちょっと待った」

「うん? …やっぱ助けてほしいのか?」

「先に聞いておきたいんだけど……君は男の子かい? それとも女の子?」

「…いま聞く? それに見りゃわかんだろー。男だっつーの」

「ふむふむ。ではどうぞお名前を」

「え? あー……フル・フリットだけど」

「年齢は?」

「十一」

「好きな食べ物は?」

「タコの酢漬け」

「どのような趣味をお持ちですか?」

「趣味……まあ探検が趣味っちゃ趣味かな…?」

「…うん、じゃあ最後に一つだけ」

「おう」

「助けてくれぇぇ!!」

「先言えよ」


 モフっとした少年──フルが植物の口元を両手で掴んだと思ったら、次の瞬間、カップ焼きそばの蓋を剥がすかのように彼を裂いた。まるでバンズを取り分けたハンバーガーのごとく二つに分かれた彼は、ビクリと体を震わせた後……絶命した。小一時間ほど同じ時を過ごし、なんだか情すらわいていたというのに、これはあんまりだ。


「──なんで殺したんだ!」

「お前を助けるためだけど!?」

「どうもありがとう!」

「どう致しまして」


 …とまあ冗談はさておき、助かりはしたものの、僕の体には葉が付いたままだ。ゴキブリホイホイも驚きの粘着力と言うべきか、接着面が剥がれる気がしない。背中の八割と右肘くらいまでが緑に覆われ、レインコートの前半分を無理やり破られたようなスタイルである。


 肌にくっついている部分はちゃんと取れるのだろうか? セメダインが手についた時の百倍くらい不安なんだけど。というかそれ以前の問題として、めちゃくちゃ動きにくい。円形の葉がそのまま体の後ろに張り付いているのだから、それも当然だろう。なんとか破ろうとはしてみるものの、植物とは思えない頑丈さだ。レザースーツを素手で破るよりも無理そう感。


「これ、取れる?」

「ん、ちょっと待ってな」


 藁にもすがる思いで少年に助けを求めたところ、彼は紙切れでも破るように葉を千切っていった。僕も握力や身体能力は自信があったけど、どうやら井の中の蛙だったらしい。そんなことをぼんやり考えていると、皮膚や服にくっついている部分以外は、あらかた千切り終わっていた。感謝感激雨あられである。しかしこのままでは『背面が緑一色な変人』という評価に繋がりそうなので、そのあたりもどうにかできないかお願いしてみよう。


「くっついてる部分は無理そう?」

「んー……どうだろうなぁ。いよい──しょっと…!」

「あ、ちょっと待って。めっちゃ痛い」

「男だろぉ? ちっとは我慢しな」

「いや、ほんとにこれヤバイ系の痛み……いだだだだっ! 皮膚が剥がれそう!」

「お、もうちょいでイケそうだぜぇ」

「──待ってくれ!」

「や、ほんともうちょい──」

「これ以上は……君を末代まで呪う…!」

「そこまで!?」


 こんな大森林で皮膚が剥がれたら、破傷風待ったなしだ。ここは無理をするところではなく、半身河童野郎という評価を甘んじて受けるとしよう。後回しにできることは後回しにすればいい。夏休みの宿題は最後の二日でどうにかするものだ。


 さて、気を取り直して……聞きたいことが盛り沢山でどうしたもんだろう。まず何を聞くべきか──うーん……おお、先に彼の性別を聞いておこう。


「ところで君の性別は?」

「さっき聞いただろ!?」

「いやほら、最近は男装女子とか男の娘とか女装子とか紛らわしいのが多いから…」

「えぇ…?」


 ケモショタなのかケモロリなのかははっきりしておくべきだろう。ドラゴンと車のカップリングですら興奮してしまう変態が多い昨今、勘違いを避けるためには重要なことである。男の子なら、ぜひ僕を守ってほしい。女の子なら、頑張って僕を守ってもらおう。とりあえず彼がいなければすぐに死ぬことは間違いなさそうだ。


「さて、じゃあ行こっか」

「しっぽ握るな! つーかなんでついてくる気まんまんなの!?」

「別について行かなくてもいいけど、その場合──僕は死ぬぜ」

「どういう脅迫だよ……まぁ別にいいけどさ。だいたいなんでそんな弱っちいのに、こんなとこいんだよ。ちょっとありえねえぜぇ?」

「『こんなとこ』ってのがまずわかんないんだよ。ついさっきまで街中にいた筈なんだけど……神隠しってやつ?」

「ふぅん…? そりゃあ珍しいっつーか、災難だな。どっから来たんだ?」

「あ、信じてくれるんだ」

「そりゃあ、そういう風に考えた方がおもしろいかんなぁ。世界は広いんだ……なにが起きたって不思議ねぇ。なにも起きないんならこっちから探しに行く──それが『ワールド・ワイド・ウォーカーズ』だぜ」


 耳をピコピコと揺らしながら宣言する姿は、輝かしい未来を語る子供そのものだ。しかし『ワールド・ワイド・ウォーカーズ』か……さっきから日本語と横文字が入り乱れているが、いったいどういう仕組みなのだろうか。獣人の世界でも日本語がフォーマルだというならば、僕にとってはありがたいことだけども。


「ところで君が喋ってるのって日本語?」

「んぁ? それ以外なんだっつーんだよ……英語のがいいならそっちで喋るけど。でもお前日本人だろ?」

「…日本の首都はどこだっけ」

「…? 東京だろ?」

「むむ……じゃあここはどこ?」

「“ダストパイル”の奥地」

「──今って西暦何年?」

「二千六百十四年だけど」

「そうきたか…」


 そうくるのか……え? なに? 人類ってたかだか六百年くらいでこんなに進化するの? それともバイオハザードが起きて新人類でも台頭してきたのだろうか。とにかくめっちゃ困る。すごく困る。異星か異世界か未来か知らんが、僕は帰りたいし、帰らねばならないのだ。


「とにかく──そう、フル。僕は猫を飼ってるんだ」

「へぇ、いいじゃんか。オイラも猫は好きだぜ」

「そして僕は実家住まいなんだけど……いま両親は旅行中だ。一週間は帰ってこない」

「ふむふむ」

「せめて三日以内に帰らないと、お猫様が飢え死にしかねない」

「つってもなぁ……だいぶ奥地だぜ、ここ。通信できる範囲まで戻るにしても、三ヶ月半はかかんなぁ」

「…なによりの問題はさ。僕の覚えてる限りだと──現代ってやつは、西暦二千十九年だった筈なんだよね」

「へぇ…! 神隠しじゃなくてタイムトラベルってやつか? ちょっと面白くなってきたじゃんか」

「──君はさ。当事者にとって、それが本当に面白いと思うのかい?」

「え? あ……いや、わ、わりい……オイラ、そういう意味で言ったんじゃ…」

「正直めっちゃ面白い」

「謝り損じゃねえか!」

「面白いっちゃ面白いけど、帰れないのは困るんだよね。そういうわけで僕を過去へ送ってプリーズ」

「むちゃくちゃ言うなオイ……でもなぁ、未来には行けても過去は無理ってのが定説だかんなぁ。厳しくねぇか?」


 そもそも時間移動において『三日以内』ということに意味があるかも不明だが、想定は常に最悪とすべきだ。最大限、やれることはやっておかなくては。だいたい、本当に時間移動したのかもまだわからない。このモフモフちゃんが精神異常者だという可能性だって無きにしもあらずだ。


「フル、君は精神異常者なのかい?」

「失礼すぎる!」

「いや、待てよ? 極限状況下に置かれたせいで僕の方がおかしくなってる可能性もあるな…」

「…なら簡単なテストでもしてやるよ。うぃひっ……お前は男か? 女か?」

「女だよ」

「…っ!? え、ま、マジか…?」

「嘘だけど」

「ぐっ、くっ……お、お名前をどうぞ」

沙羅(さら)双樹(そうき)

「年齢は?」

「二十三」

「好きな食べ物は?」

「ざる蕎麦」

「どのような趣味をお持ちですかぁー?」

「うーん……ボランティアとかかな」

「嘘くせぇ…」


 胡乱げに僕を見るフル。負けじと僕も見返し、なぜか森の中で見つめ合う状況になった。ちょうどいい機会だし、体の隅々まで観察してみるとしよう。瞳は透き通るくらいに美しく、まるで翡翠を思わせる。森の中だというのにかなりの軽装だが、これは全身を覆う毛のせいだろう。服の下のどこまで生えているかは不明だが、あまり厚着しては体温調節が難しくなるのは想像に難くない。


 毛に覆われていない部分──手の甲から先、そして首より上を見る限り、肌の色は薄い褐色といったところだろうか。長めの金髪は肩までかかっている。一人称の『オイラ』は思春期ゆえのナルシズムか、あるいは三十周期くらい流行が回ったせいで江戸っ子的な感じになっているのか。


「な、なんだよぉ…」


 気まずかったのか、はたまた照れ臭かったのか、ぷいっと視線を外すフル。自然界では先に視線を外した方が負けというが、見た目ほど獣の習性に寄ってはいないようだ。話した感じは大人びているが、そういうところは思春期を感じさせる。僕はそのフワフワな手を取り、しっかりと目を合わせて語りかけた。


「…友達になろう、フル」

「な、なんだよ急に?」

「困っている友人を無償で助ける──それが友情ってやつさ。僕はぜひ君と友達になりたいんだ」

「打算しか感じねぇ!!」

「もちろん、君が困っていれば僕は全力で助けるとも」

「メリットねえだろ…」

「友情に打算を求めちゃいけないよ」

「鏡見て言えよぉ!」

「君がどう言おうと、この手は決して放さない!」

「カッコいいけど情けねぇな!」


 縋るものがあれば全力で縋りたい所存である。どこまでこの森が広がってるかは知らないけど、このタイミングで出会えたのはちょっとした奇跡だ。垂らされた蜘蛛の糸は慎重に手繰るべきだろう。なにより、ここで彼に頼らなきゃ確実に死ぬ。九割九分九厘死ぬ。僕の直感がそう訴えかけてくる。


「ったく……ま、本人も状況も面白そうだかんなぁ。しばらくは面倒見てやるよ」

「サンキュ。僕のことは双樹サマって呼んでくれ」

「友達ってなんだっけ」

「気安く冗談を言い合える関係のことさ」


 なんだか小さくため息をつかれた。まあ何がどうなっているかは未だにわからないけど、こんな状況でも友人はできるものだ。むしろこんな状況にならなくちゃあり得なかった友情を、今は喜んでおくとしよう。ふわふわでモフモフな、毛深くて新しい友達を見て──僕はそう思うことにした。

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