商人への道・その3
ユキが支部長の屋敷に来てから一ヶ月経った。
その間、毎日ベルベットの講義を受け、エリザさんから良くして頂いて、支部長から軽口を言われる程度にはユキは屋敷に馴染むことが出来ていた。ただ、支部長の最初の(支部長にとっては)軽口はとても酷かった。
それは「早く旅に出てどっかで野垂れ死にでもしてもらえると助かる」という軽口とは思えない重い言葉で、言われた瞬間頭が真っ白になった。支部長はそのまま何も言わずに去っていったので、知らない間に嫌われてしまったのかとか疎まれているのかとか結構思い悩んでしまった。それに気づいたエリザさんに問い詰められ、軽口の件を言ったらエリザさんはあらあら~と言って支部長にお灸を据えていってしまった。
後で分かったが、あの支部長の軽口は長くこの街に利用されてしまうことを心配しての言葉だったらしい。前世ならパラハラですよパワハラ。それに軽口だからといっても言い過ぎだとエリザさんにとてつもなく怒られていた。あの時のエリザさんを思い出したら……お灸を据えるだとか説教だとかそんなチャチなもんじゃあ断じて(ry。ゆ、雪女なのにあれを思い出すだけで体が震えるぜ……っ。
とまぁ、そんな事も今ではいい思い出だ。まぁ今でも最初の軽口は酷い言葉だったと思うけども。
そうそう恐ろしいと言えばこんなこともあったな、とユキは思い出す。
あれは別の意味で怖かった……と身震いする。
あれは少し前のある日、講義が始まる前の事だった。
ユキはベルベットに朝から夕方まで毎日教わり続け、かなり……いや、大体。やっぱりそれなりくらいの知識を手に入れることが出来ており、順調に商人への道を進んでいた。何度目か分からない支部長とベルベットへ感謝をしつつ、ベルベットが来るまで復習をしていた時だった。ユキの目の前にソレは突然現れたのは。
「あら、とてもぷりちーな子ね」
長いまつげ。くりっとした大きな目。女性的な仕草。アフロ。スタイル抜群。綺麗な声。ケツアゴ。真っ赤な唇。巨漢。剃ったばかりの青ヒゲ。オネエ。紛うことなき見た目は男のオカマが気付けばそこに居た。
あまりの急展開ぶりにユキが絶句し、フリーズしてしまった。雪女なのにフリーズさせるって凄いよなと頭の隅で思っていると、雪女をフリーズさせたオカマの後ろからベルベットが現れ、ユキを見る。
それで解凍したユキが目で助けを求めると、今までユキが見た中で一番の輝く笑顔を見せてサムズアップした。
「こいつは服飾デザイナーのカマール・マカオだ。支部長からの依頼で、お前の服を作ってくれるから迷惑かけるんじゃないぞ」
「え」
「午前は寸法を計るだけで終わるだろうから、昼を食べてから講義を始める。それじゃあな!」
「ちょ、待ってぇ!?」
ベルベットはカマールが苦手なのか、ユキの制止を聞かず(最初から聞くつもりはない)に足早に歩き去っていった。残ったのはユキとカマールのみ。
「ユキちゃん、だったわね?」
「ひゃいっ」
カマールはにっこりと微笑みながらゆっくりと近づいてくる。その顔を見てユキは入浴後に服を着せてくれるメイドたちのことを思い出していた。そう、今のカマールの目とメイドたちの目は同じ、大好きな着せ替え人形を見つけた女の子のような、今からすることを楽しみにしている目だ。
「あ、あの。私は氷の魔族で」
「えぇ。ちゃぁんと断熱素材で作った手袋で触るわ」
精一杯の知恵で逃れようとするが、やはりそこはプロ。子供の浅知恵では逃げられないようだ。見せるように黒いゴムのような質感の手袋を付け始めるカマールにユキは顔を引きつかせる。
「そ、そんなのあるんですか」
「乙女の嗜みよ♪」
(今、触るって言ったよな。言ったよね。俺、触られるの!?)
何とか逃れようと人生で一番頭を回しながら後ずさるが、永遠に逃げ続けられるわけでもなし。すぐに壁際まで追い詰められ、がっしり肩を掴まれた。
確かに熱くないなと思いながら引きつった笑みを浮かべる。
「じゃあ、脱ぎましょうか♪」
「せ、せめて他の人をっ」
「安心なさい。私は上手だって言われてるんだから」
「何をですか、何をですかぁ!?」
こうして体は乙女で心は男はすぐに体は男で心は乙女に捕らえられ……ユキの悲鳴が屋敷に響き渡った。悲鳴が聞こえた直後にベルベットがカタコトで「ナームー」という言葉を呟いたのを、メイドの一人が聞いたとか聞かなかったとか……。
寸法を測り終えたカマールといつの間にか戻ってきていたベルベットが代金の話をしており、商人として勉強にもなるはずの会話内容に反応すらせず、幼い心に傷を負ったユキは膝を抱えて呟いた。
……もうお嫁に行けない、と。
その数日後。
「ユキちゃんの服が出来たわよ!」
「うひぃっ!?」
「早く来てみてちょうだい!」
「は、はいぃ!」
カマールの再襲撃を受け、骨身にまで恐怖が染み付いているユキはそのまま服を手渡される。着替えを手伝おうとするカマールの提案を全力で拒否をしてから、ユキは手渡された服に着替え出す。カマールは立てられた衝立の向こうから服の説明をしている。
「服はブラックアイスパンサーっていう魔物の革で出来ているわ。伸縮性にも優れているし、何より外と中を完全に断熱する性質を持っているのよ。ユキちゃんの採寸を測った時に私がした手袋と同じ素材ね」
「通りでどこかで見たことがある質感だと思ったら……」
「それと動く内にずれないように、吸着の魔法を込めてあるから引っ張りでもしない限りはユキちゃんの綺麗なお肌は出ないわよ♪」
(革ってもうちょい光沢があったり、革っぽい感じがするはずだよな……。スベスベするし、光沢のない黒い絹って感じだな。というか、何故にショートパンツなんだ)
服はシャツとレギンス、そしてショートパンツとロンググローブ×2の五つに分かれている。
これは全て、100%カマールの趣味だそうだ。可愛い子にはレギンスが至高らしい。ちょっと何を言ってるのか分からなかった。ベルベットさんも何を言ってるのか分からなかったみたいだから、この世界特有の感覚ではないようで安心した。
「次のローブはホワイトアイスパンサーの革で、ブラックアイスパンサーも十分に防水性があるけど、こっちの方が防水性に優れてるわ。同じく断熱する性質もあるし、汚れも分かりやすい。何より魔術と魔法との親和性が高いのよ!」
「そ、そうなんですか」
こっちのローブはフード付きでダボダボに近い余裕のあるサイズだが、裾は引きずらない長さ。まるで魔法使いみたいだ。凄く怪しい、が付くけども。
服は身につけた途端にぴっちりと肌に吸い付き体にフィットする。そしてローブを着て一言。
「何か服をください」
「どうしてぇ!?」
(こんなの某有名ゲームブランドのキャラにしか見えんわボケ! でなければ痴女だわ!)
と言えたらどんなに楽か。オブラートに包んで伝えることにする。
「ちょっと恥ずかしいかなーと思いまして」
「どれど……」
ベルベットさんがどんな様子かとこちらを覗き、目を点にしてまた衝立の向こうへ戻っていった。
「カマールこの野郎! 何だあの服は!」
「可愛いでしょう?」
「痴女にしか見えないぞ!」
「可愛いから大丈夫よん」
「このっ……大人しくしてろよ!」
ベルベットの怒鳴り声とカマールの問答の後、扉を開閉する音。それを大人しく聞いていたユキの前に衝立の向こうからカマールが姿を現す。
「あらん。やっぱり似合うわねん」
「あ、ありがとうございます」
褒められて反射的にお礼を言うとカマールがニコッと笑うが、目はらんらんと輝いている。うん、予想してた。
だからこそ、俺は運命を受け入れて両手を広げた。
「んっぎゃわいぃいぃわぁぁぁぁぁぁぁんんんんんっ!!!!!」
支部長とベルベットさんの慌ただしい足音が聞こえる間、俺はずっとカマールの頬ずりをフード越しに受け続けるのだった……。それと、ヒゲが伸びてたのか、ちょっとチクチクした事は誰にも言わないでおいた。
その後、追加で一般的な生地で作った服の注文をし、完成した服を着てユキは日の燦々と日光が降り注ぐ昼間、ベルベットと共に街の市場へと来ていた。
「ほとんどが銅貨で買えるんですね。思ったよりも色々ありますし、何より安い」
「色々と入ってくるからな。安いのは叩き売りしてる奴だから、ちゃんと品質を見てから買えよ」
「はい」
周りの人々はベルベットの傍らにいるユキを不思議そうに見ていた。真っ白なローブを目深に被り、その下は一般市民と同じような服とズボン。服とズボン、そして首元からは更に下にある黒い革で出来た服が見えるという、少しおかしな服装をしているのだから当然といえば当然ではあるが。後、フードに隠れて見えずらくしているが顔全体を氷で覆って熱対策をしている。
今回、ユキが市場に来た理由は体験学習だ。実際に市場に出て、今の物価や相場などを確認する。値段交渉も出来ればやる。そんな商人としては初歩中の初歩ではあるが、今までは危険だとエリザに止められて出来ていなかった事をしに来たのだ。
「うーん」
基本、この体験学習はユキが自由に動いて店を決め、その店で売っている品の中で一種類を選び、その一種類の中で最高品質の商品を当てると言う体験学習という名の実地訓練だ。もっと簡単な事をイメージしていたユキは、これは実地訓練なのではとベルベットに抗議したが、体験して学習するんだから体験学習だと言い切られたのでユキは折れた。問答している暇があるなら学ぶべきだという考えでだ。
最初は果実を扱う店に決め、山のように積み重なっているいくつもの種類の果物からりんごに似た果物を選ぶと、実際に手を取って比べてみる。手袋越しだから大丈夫だが、直接触れたら熱いと感じるだろうし、それを防ぐ為に凍らせたら店主とベルベットに怒られる。なので触り心地はあてには出来ない。ツルツルしてるか、ザラザラしてるか、ベトベトしてるかくらいなら分かるが……うん、ベタベタしてますね。匂いは……。
スンスンッ
(うん、甘酸っぱい。少し甘い匂いが強い感じかな。まるっきりリンゴだな。茶色だけども)
茶色いりんご。山の前に置かれてる札によると名前はリンガルというらしい。一個銅貨二枚という驚きの安さである。
あまり時間はかけられないので、目で艶を、大まかではあるが香りを参考に攻めるべき箇所を見つけてそこ中心に攻めていく。時間にして十数分でやっと最高品質のリンガルを選んでベルベットに提出した。
ユキが選んでいる間、ベルベットは店主と話していたらしく声をかけると思い出したように「あぁ」と呟いてユキが選んだリンガルを見る。
「ふーん」
そう言う否や、ベルベットは同じリンガルの山を一瞥するリンガルを取り、ユキが選んだリンガルと共に買う。そしてどちらが選んだ分かりやすいようにベルベットが選んだリンガルについた枝を千切ると両方渡してきた。
「食べ比べてみろ。まずはお前が選んだ方」
「はい」
「あ、待て」
ベルベットが何かを止めようとしてきたが、その時は既にユキは皮ごとリンガルを齧った後だった。
シャクリとした食感に瑞々しい果肉から果汁が溢れて来る感覚。そして爽やかなリンゴの香りが口いっぱいに……広がらず、泥を煮詰めて凝縮したような強烈な土の臭いが鼻を抜けて思わず吐きかけた。だが、仮にも食べ物を扱っている店の前で吐くわけにはいかない。
口を押さえ、何とか飲み込む。しかし強烈な土の臭いは全くなくならず、息をするたびに吐き気がこみ上げてくる。
(は、吐く。吐く吐く吐く吐く吐く!)
ぷるぷると震えながら吐き気を堪えていると、店主が大きく口を笑って笑い出した。
「ははははは! リンガルを皮ごと食っちまえば、土臭くてたまんねぇだろ!」
「わ、悪い。まさかリンガルの食べ方も知らなかったなんて……」
「い、いえ。ちゃんと確認しなかった俺が……うぇっ」
珍しく謝って来たベルベットに、本当に悪気はなかったのだと思いそう返事をするが、喉を使う度に土の臭いと吐き気は倍増していく。
「ほら、嬢ちゃんこれに吐いちまえ。楽になるぞ」
目の前に差し出された革袋の中には剥かれたリンガルの皮らしきものが入っており、皮に臭いの成分でも含まれているのか、強烈な土の臭いが香って来た。その直撃を受け、ユキは思った。
うん、もう無理。
「うぉぇっ」
その時、俺は大事なものを一つ無くした。そんな気がしたよ……。
涙が滲む視界の中、全てを吐き出したユキは遠い目をしながら語り部のような事を心に思う。ベルベットは優しく背中を撫でてくれており、本当は優しい人なんだなとも思う。少しすると楽になってきたので、色々と出て汚れた顔をエリザさんから渡されているハンカチで拭う。
「リンガルの匂い自体は甘酸っぱくて美味しそうだが、皮が凄まじく土臭くてな。その臭は皮を剥くか茹でるかしないと味も感じない程に強烈なんだ」
それは身を以て学んだよ、ベルベットさん。
「ほら、口直しに皮を剥いたリンガルを食べろ」
「ど、どうも……」
果肉だけのリンガル。さっきのが少しトラウマになっていて躊躇するが、思い切って一口。すると。
「……美味しい」
とても甘いし、蜜もたっぷり。うん、凄く美味い。ただちょっと甘ったるい。
「こっちも食べてみろ」
次のリンガルも齧り、衝撃を受ける。同じリンガルなはずなのに、甘いのに後味さっぱり。味が調和しているとでも言うべきか、料理していると言われても納得する程に完成されている。何個でも食べられそうだ。
「全然違う……」
枝が付いているから、甘ったるいのはユキが選んだリンガル。完成された味がベルベットが選んだリンガル。違いを探すべく交互に比べてみる。ベルベットはそれを静かに見守って……いや、放っておいて店主とまた話し続けていた。
見比べたり持ち比べてみたりしてみるが、全く分からない。皮も臭いを我慢して見比べても駄目だった。
(……うん、お手上げ)
どうやって見抜いたのかとベルベットに尋ねると、あっけらかんに答えた。
「無生物限定の鑑定持ちでね。品質まで見えるんだよ」
「だから、カモろうとしても毎回やり返されちまうんだよなぁ」
「そもそもカモるなよ。商人は信用第一だろ」
「そうだったそうだった」
「「はっはっはっはっはっ!」」
笑い合うベルベットと店主。ユキは唖然としながら、鑑定なんてスキルもあるのか、いいなーと思っていた。後、すっごくズルいとも。
「まぁ鑑定持ってる奴なんてそうそういないからな。見分け方を教えてやるよ」
「お願いします」
ベルベットから良いリンガル悪いリンガルの見分け方を、ついでに美味しい食べ方まで教えて貰い、店主からも新鮮なリンガルだからこそ出来るものを教えてもらった。それに感謝したが、追いリンガルをしたことは許さない。マジで。
「ほら、次のを選んでこい。せっかくだから食べ物にしてみろ」
「……ちょっと弄って来てませんか」
「商人が無知じゃ成り立たないだろ」
ぐぅの音も出ない完璧な返しをされ、ユキは無言で同じ店の紫色のバナナに手を伸ばす。バニニというものでちょっと臭い。何と言うか、生ゴミっぽい感じ。もう何がいいのか分からんよ、リンガルの衝撃が凄まじ過ぎて……僕は疲れたよパ○ラッシュ。
バニニはひと房ずつ売られているので、適当に選んだバニニをひと房手に取る。そしてベルベットもひと房取り、両方を買って食べてみろとユキへ渡す。
「そいつは皮を剥けばそのまま食えるからな、嬢ちゃん」
「……そうですか」
面白がっていることを全く隠さない店主から教えてもらった通り、バニニを一本取って食べてみる。
(うん、バナナだ。普通のバナナだ)
臭いと皮の色が違うだけで、それ以外はユキが知っているバナナそのものだ。美味い。ベルベットが選んだバニニは、何と言うべきか高級バナナといった感じ。甘さ控えめでトロトロでありながらしっかりとした硬さもある。こっちの方が好みといった人も居るだろうな。
「バニニは好みが分かれるから細かく説明するとだ」
バニニについても教えて貰い、そのまま店の品物の全ての見聞きを学び終えた後。ユキの満腹に近くなったので帰る事となった時、店主に呼び止められた。
「嬢ちゃん」
「はい、なんでしょうか」
「ベルベットの嬢ちゃんは、根は良い奴なんだ。嫌いにならないでやってくれよ」
「……はい」
根は良い人なんじゃないかとは薄々思ってたけど、他の人から言われるとそれは簡単に確信へと変わる。自分のことながらちょろいとは思う。でも、こういう他人への信頼というのも商人として必要なものなのだと俺は思う。だから俺は頷いた。
帰った後。
「こいつリンガルの食べ方も知りませんでしたよ」
「……まだまだ教えないといけない事が多いようだな」
支部長に告げ口されても、俺は信じる。ベルベットは根は良い人なんだと……俺は、信じてる。
「後、そのままリンガルを食べて吐いてました」
「淑女の嗜みも追加だな」
やっぱり俺の勘違いだったかもしれない。
確信をきっぱり捨て去り、ユキはベルベットに猛抗議を始めた。
ユキの独り立ち出来る日は、まだまだ遠いようである。