商人への道・その1
約1,7500文字!
私、頑張りました。
台車を押すこと4時間。途中で体が温まり何度もずぶ濡れになって凍らせる事になったが、何とか無事街に到着する事が出来た。
途中で出会った人たちに変な目で見られたけど、それ以外は何の問題もなかった。
俺の心はすごく痛かったけどな!
そんな感じで街に入る人々の列に並び、こちらを見ながらヒソヒソと話すのを努めて無視しながら進んでいく。
「次……えーと?」
兵士らしい男性が俺に目を向けると戸惑いの声を上げた。
「どうも」
「どうも……で、嬢ちゃんは1人だけなのか?」
「はい」
「あー……親とかと一緒じゃないのか?」
兵士が周りを見回しながらそう尋ねてくるが、転生した俺に居るはずもない。
「一緒じゃありません。山奥に住んでいたんですが、両親は事故で死んでしまい……遺言でこの街に行くように言われたんです。街で働き口を探すつもりです」
毎度お馴染み山奥に住んでいた&即興小話。悲しそうに言うのがポイントだ。
俺の様子を見た兵士は「そうか」と言うと咳払いをして氷漬けの熊を指差す。
「こいつはどうしたんだ?」
「来る途中で出会ったのでやむなく」
「血塗れ大熊を嬢ちゃん1人でか。すげぇな」
そんな名前だったのか、この熊。
仕留めた獲物の名前に少し驚きつつ、入る為に手続きを───。
「通行税と血塗れ大熊の持ち込み税として銀貨3枚だな」
「……ギンカ?」
「銀貨」
聞き返すと、兵士は頷く。
聞き間違いじゃないようで、兵士はじっと俺を見ている。
銀貨どころか貨幣すら持っていない。
冷や汗だらだらで無言でいると、兵士がそれに気づいたらしく察してくれた。
「無いのか?」
「実は、はい」
「そうか……嬢ちゃんが良かったらだが、血塗れの大熊の素材を売ってそこから出すってのはどうだ?」
「良いんですか!?」
「もちろんだ」
兵士からの提案は願ったり叶ったりだった。
街中でこんな大荷物を持っていくのは非常に面倒だし、そもそもこれを何処なら買い取ってくれるかも知らない。
それに先立つものが無いというのも不安だという事もあった。
頭を下げてお願いすると、兵士は近くにいた別の兵士を手招きし、何かを伝える。
「こいつが今から詰所に案内してくれるから、ついて行ってくれ」
「ありがとうございます、えーと……」
「アルスーン駐屯軍第8小隊長のヴァンス・ガイバーンだ。ヴァンスでいい」
「ありがとうございます、ヴァンスさん」
ヴァンスさんに頭を下げながらお礼を言い、兵士について行く。
案内された先は、石造りの魚市場の解体をするような広く大きな部屋。
何か赤黒く変色した痕がそこかしこにあるけど、多分ここで日常的に解体などをしているんだろう。
きっとそうだ。うん、だから怖くない怖くない。
内心ビビリながら、部屋にあった椅子に座るように進められたので着席する。
「えーと、僕の名前はエイボン・フラメル。ヴァンス隊長の部下だ。それで君の名前は?」
「名前……」
『名前を決めて宣言すると、完全に魂が世界に定着して突然死ぬという事が無くなりますので、決めるならお早めに』
なんか忘れてると思ったら、そうだ名前決めてなかった。
「あー、名前は……」
「名前は?」
なにかないか。今は幼女だから女っぽい名前……雪女……ユキ。苗字は……雪の読み方を変えてセツ。それだけだと語呂が悪いから。
「ユキです。ユキ・セツナ」
「ユキ・セツナちゃんね。セツナちゃんはカードを持って、いないよね」
「カード?」
「うん」
聞き覚えのない単語だったので尋ねると、山奥に住んでいた事を聞いていたのかフラメルさんは嫌な顔一つせずに教えてくれた。
本当に良い人だ。
「セツナちゃんくらいの年齢だと、色々な種類はあるけどギルドって言う組織に登録する事が出来るんだよ。そこで自分の能力を記したカードを貰える。それが身分証明書にもなるんだ。登録していなくても、成人である16歳になれば、16歳の人が居る街や村に……あー、世界連盟って言う毎年世界中の国の王様の集まる会議をする組織の職員がやってきて登録をしてくれるんだ」
「なるほど……」
カード、これは異世界物なら良くあるものだ。
例を上げるならギルドカードとか。カードでなくとも階級を示すプレートだったり、書類だったり。色々と形を変えて存在する。
この世界は、恐らく人口密集地───都市はもちろん小さな村まで───の戸籍はしっかりしているが、山奥に数人のみ住んでいると言ったいわゆる世捨て人の類までは確認出来ていないと言うレベルなのだろう。
そしてカードは身分証明書と言った所だろう。そりゃ身元もはっきりしていない奴が来れば税金も取るし、詳しい話を聞こうとも思うだろう。熊の事もあるのだろうけど。
「それに、カードがあれば身分証明とかにもなるし、通行税は免除されるんだ」
「え」
免除、めんじょ?
「免除って、払わなくてもいいって事ですよね?」
「うん」
フラメルさんが頷き、俺は愕然とする。
通行税がいくらかは知らないが、街を頻繁に行き来する商人からすればそれが免除されるという事は非常にありがたい事になる。
「ち、ちなみに通行税ってどれくらい……」
「国や都市によって誤差はあるけど、相場としては大体銀貨1枚だね」
「おぅふっ」
思った以上の高値に俺は頭を抱える。
おそらくだが、いや確実に俺が金を手に入れるには熊みたいな奴を狩るとかしなければならないだろう。
幼女だからそんなに危険な事は出来ないだろうから、出会ってしまったとかの止む無しな状況にならないと駄目だ。
そして当たり前だが、危険な奴は街の外に出ないと居ない。
頻繁に街を出入りする以上、通行税を一々払っていたらすぐに破産する。
よって、カードは必要不可欠だ。
「……ギルドってどんなのがあるんですか?」
「え、あぁ、えーと依頼でモンスターとか採取とかをする冒険者ギルド、魔道具とかを開発している魔術師ギルド、商人たちの相互扶助を目的とした商人ギルド、薬や治療を施してくれる医療ギルド。アルスーンにあるギルドはこの4つかな。ただ、冒険者ギルド以外のギルドは支部の他に自分の店を持ってるから、それも含めれば凄まじい数になるけどね」
「なるほど……」
それを聞いて、俺は少し考えを改めていた。
今回はたまたま上手く行ったが、次も上手く行く保証はない。
それにせっかく異世界に転生したんだし、世界中を旅するのも悪くないかもしれない。それを考えると修行が必要そうな魔術師ギルドと医療ギルドは無しだな。
残ったのは冒険者ギルドと商人ギルド。
旅商人として世界を旅する……うん、いいかもしれない。
冒険者ギルドは、危険だが予備プランとして残しておこう。
商人として生きていく事を決めた所で、タイミングを見計らったようにノック音が鳴った。
フラメルさんが扉を開くと、入ってきたのはマッチョ。
多分、体脂肪数%とかそういう感じのマッチョ。
スキンヘッドであごヒゲが立派なマッチョ。
緑色の服の上に真っ白なエプロンをしているが、それでも分かる分厚い胸筋が凄まじいほどの暑苦しさを醸し出している。
見た瞬間から俺の本能が警鐘を鳴らし続けている。
天敵だと。
「血塗れの大熊が取れたって聞いてすっ飛んできたぞ!」
「えぇ、この通り」
顔を引きつらせたフラメルさんが氷漬けの熊を手で示すと、ボビーと呼ばれたマッチョがくわっと目を見開く。
「こりゃ大物じゃねぇか! だが!」
「えぇ、氷漬けです」
「これを解凍するだけでも手間だな! 毛皮も傷んじまうだろうしよ!」
「あ、解凍しましょうか?」
そこでようやく俺に気づいたらしく、マッチョは俺を見るなり眉をひそめた。
「嬢ちゃんは?!」
「この血塗れの大熊を持ってきたユキ・セツナちゃんです」
「嬢ちゃんがか!」
フラメルさんが俺を紹介すると、マッチョが驚きの声を上げた。
というか、一々うるさいな。
「それで、セツナちゃん。解凍をするっていうのは?」
「お……私は氷を操れるので、床を濡らしても良いと言うならすぐに解凍出来ますよ」
幼女なので、俺ではなく私にしておく。別に俺でも良いだろうけど、一人称ってのは印象に残るからな。
商人になるって決めたからには少しでも良い印象を残すように務めた方がいいだろうし。
「決まりだな! 解凍してくれ!」
いや、おmあんたが決める事じゃないだろ。
「……セツナちゃん、解凍をお願いしてもいいかな」
ほら、フラメルさんが頭を抱えているじゃないか。
多分、きっといつもこうなんだろうな。何を言っても無駄なんだろうな。
パフォーマンスも兼ねて指パッチンと同時に氷を水に戻す。
熊は全体的に濡れているはずだが、関係ないと言わんばかりに濡れるのも気にせずマッチョが熊の状態を確かめていく。
「血抜きはされてねぇが、氷漬けになってたからかたった今死んだみたいな状態だな! 毛皮の方もほとんど傷がねぇ! 内蔵は傷ついてるが、どうせ細かく切るんだから問題ねぇな!」
一々査定結果を言うマッチョの暑苦しさに、俺は無言で水を集めて体を冷やす。
「あれでもモンスター査定ではアルスーンで1番の人なんだ」
「はぁ……」
マジか、人は見かけによらないなぁ……。
そんな事を考えていると、マッチョが査定を終えたらしく熊を持ち上げ……持ち上げ?
「こんなでかい上物は滅多に見ねぇ! 金貨5枚でどうだ!」
「あ、はい。それでいいです」
「そうか! こいつが料金だ! 俺は早くこいつを加工しねぇとならねぇ! じゃあな!」
金貨を5枚置くと、マッチョは熊を俵持ちしながら走り去っていった。
「えーと……金貨1枚から銀貨3枚を引いてっと。はい、お釣りの銀貨7枚だよ」
「ありがとうございます……」
巨大熊を抱えたマッチョが出て行った扉を呆然と見ながら、俺は通行税と持ち込み税を支払ってアルスーンへと入る手続きを終えた。
あのマッチョ、マジパねぇ。
税も支払い終えた俺は、詰所に居る理由もないのでさっさと詰所を出る。
そしてフラメルさんに見送られながらアルスーンの街へと繰り出した。
イメージとしては中世のヨーロッパだろうか、石造りの建築物が建ち並ぶ中を俺はお上りさんよろしくで見回しながら歩いていた。
もちろん、当てもなく歩いているわけじゃない。
詰所を出る前にフラメルさんから商人ギルドの場所を聞いておいたので、そこへ向かっているのだ。
(確か通りを抜けた広場にある貨幣の山の絵が描かれた看板の建物って言ってたな)
人々が行き交う通りを抜け、広場に着くと。
「うわぁ……」
2つの巨大な建物が高さを競い合うかのように並んでそびえ立っていた。
左の建物には、剣と盾の絵が描かれた看板。恐らく冒険者ギルドだろう。
右の建物には、貨幣の山の絵が描かれた看板。こっちが商人ギルドだ。
(もしかして、冒険者ギルドと商人ギルドって仲が悪いんだろうか)
俺はそう思いながら、広場を横切って商人ギルドへと向かっていった。
まず初めに言っておくが、冒険者ギルドと商人ギルドの仲は、ユキの予想とは真逆でとても良好である。
と言うのも、名前の通り商人ギルドは様々な物を扱う商人たちが集まったギルドだ。
商人である以上は、仕入れなどがあり、それらは他の国や都市から運び入れる。
その最中にモンスターや盗賊などに襲われる可能性があり、それを防ぐ為の護衛こそが冒険者たちだ。
そして護衛として随伴する際に必要となる食料などの消耗品は都市の商人たちから買う。
つまり、双方が大事な顧客であり信頼出来る相手なのだ。
故に、支部はユキが感じた競い合うかのように並んでそびえ立っているのではなく、双方持ちつ持たれず、対等の関係という事を示す為に同じ高さの建物となっているのだ。
そんな事を知らないユキは商人ギルドへ入ると、受付嬢の1人に話しかける。
「あの、すみません」
「はい、いかがいたしましたか?」
相手は子供なのに大人な対応をする受付嬢に、ユキは感心しつつも要件を伝える。
「小さな桶は無いでしょうか」
「小さな……どれくらいの大きさでしょうか」
「大人の拳が入る程度くらいのです」
そう、商人になる前にユキが手に入れようとしているのは桶……ではなく升だ。
日本で酒や米を測る為に使われる物だ。
ユキはそれを使って小さな氷を作るつもりだ。
それを見本にして、自分の事を認めてもらうという作戦だ。
そう、ユキが成ろうとしているのは氷商人だ。
氷だけでは駄目かもしれないので、アイスバーもどきも売ろうと考えているが、まずは氷だ。
「そうですね……では、こちらの極東の島国で使われている測定器はいかがでしょう」
目録らしい資料を見えるように見せてくれる受付嬢に感謝しつつ、それをじっと見つめる。
添付されている写真のような物に写っているのは、間違いなく升だ。
文字も問題なく読める。それだけでも儲け物だが、これが極東の島国で使われていると言う事が判明したのもいい。
もしかしたら、日本のような……そう、江戸時代の日本のような国なのかもしれない。
いつか機会があれば行ってみよう。
「はい、これでいいです」
「極東の島国からの物ですので、仲介手数料なども含めると金貨3枚になります。よろしいでしょうか」
うっ……結構値が張るな。でも、必要だし……必要経費だ、うん。
「はい、大丈夫です」
ユキはあのマッチョから貰った金貨3枚を取り出して渡すと、受付嬢は少し驚いた顔をしてから金貨を受け取った。
「では確かに。商品をお持ちするので、少々お待ちください」
「はい」
待つといっても数分で、すぐに受付嬢が戻ってきてユキへと升を丁寧に手渡す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
升を受け取ったユキは足早に商人ギルドを出ると、近くの井戸へと寄る。
奥様方が井戸端会議に花を咲かせているのを尻目に、ユキは桶を井戸へと放り込んで縄を引っ張る。
どうやらマジックアイテムか何からしく、思った以上に軽い桶を引き上げる。
桶には一杯の透明な綺麗な水があり、それを升へと移す。
奥様方も何処かの子供が手を洗おうとしていると思ったのか、少し井戸から離れて会議の続きをしている。
ユキは升の水に触れると、少し工夫をしながら凍らせる。
そうして出来た氷はそこに本当にあるのか分からない程に透明でとても綺麗に氷となり、ユキは予想以上の出来に思わず笑みを浮かべる。
(宿を取ったら、練習をしないとな)
これからはこのレベルの氷をどんな状況でも作り出さないといけないが、やる事が出来るというのは楽しいものだ。
今後の目標を決めたユキは、意気揚々と再度商人ギルドへと入る。
先ほどの受付嬢を見つけ、手が空いているのを確認したユキは受付嬢へと話しかける。
「すみません」
「はい。何でしょうか」
またすぐに来たというのに、受付嬢は同じく嫌な顔せず対応をしてくれているので、こちらも気持ちよく要件が言える。
「私、商人になりたいんですが……」
「商人に?」
受付嬢は驚いたようにユキを見るが、すぐに何かを察したのか頷いた。
「何処かの商会に入りたいという事でしょうか」
「いえ、旅商人になりたいと思っています」
「旅商人に、ですか」
受付嬢は眉を少し顰めたが、すぐに何かを考え込む。
何の後ろ盾も無いと駄目、か?
既に賽は投げられた。もうどうしようもないのでユキは固唾を飲んで受付嬢を見つめる。
「……何か商品の見本などはありますか?」
「はい。これです」
さっきの升を置くと、受付嬢は首を傾げた。
「これは先ほどお買いになられた物ですよね」
「はい。入れ物はそうですが、私が扱いたい商品はその中身です」
「中身……何も入ってないように見え───っ!」
それに気づいたようで、受付嬢は目を見開いて完全に驚いていると言う事が分かる程に感情が顔に出ている。
「お気づきになられましたか」
「これは、この透明度……ありえない。これは……」
笑顔のユキに対し、受付嬢は顔面蒼白で信じられない物を見るように氷を見つめている。
「し、少々これをお借りしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
さて、ここでユキが何故氷商人になろうとしているのか理由を話そう。
自由に凍らせたり水に戻したりする事が出来ると言う事が1番の理由ではあるが、決心させたのは神様からの手紙だ。
『科学的な学問はこの世界には存在しませんが、学問が存在しないのであって科学的な物質や現象などは存在します』
つまり、冷凍庫などの機械はもちろん沸点とか凝固点とかを知る者は存在しないということだ。
なら、この世界の人間が氷を作る方法は2つ。
自然に凍らせるか、魔法で凍らせるかだ。
前者は放っておけば綺麗な氷はでき、後者もやり方さえ知っていれば出来るだろう。
だが、前者は場所が限定される上に時間がかかる。
後者はやり方を知る前に原理を知らないといけず、その原理は科学的な学問の部類だ。
水に含まれる気泡や水以外の不純物が氷を曇らせたり、嫌な匂いを出す原因は気泡や不純物の除去───氷を作る時にやった工夫はこれ───なのだが、それを教えたとしても水に空気など無いとか水以外に何か入っている訳は無いとか理解されない。
つまり、すぐに綺麗な氷を何処でも作れるのは自分だけ。
(ふっふっふっ……そして入れ物はさっき此処で買った物である上に中身は放っておけば融けてしまう氷。前もって作ってあったとは言える代物じゃない。俺の氷作りの腕前は疑えまい)
全てが上手くいっているとほくそ笑みながら、ユキは受付嬢が戻ってくるのを待ち続けていた。
そして戻ってきた受付嬢に連れられ、支部長室へと連行されていった。
支部長室には、2人の男性が椅子に座っていた。
1人はモノクルを付けた厳格そうな細身の40代男性。もう1人は貴族がするようなくるっとしたヒゲの恰幅のいい30代男性。
「その子がこの氷を持ってきた少女かね」
「はい、支部長」
モノクルを付けた男性が支部長らしく、受付嬢が頭を下げながら質問に答える。
「ふむ、なるほど」
支部長は立ち上がると、優雅に一礼をしてユキに向かって敬意を表した。
「まずは自己紹介だ。私は商人ギルドのアルスーン支部の支部長をしている。ベネテ商会の長。アンドリアン・ベネテ。こちらの肥えているのは副支部長のフォウンド商会が長。インゴラム・フォウンドだ」
「よろしく頼むよ」
支部長は無表情で、フォウンドさんはニッコリと微笑む。
だが、その目は笑っておらず値踏みするようにユキを見ていた。
既に試験は始まっているという事なのだろう。
(なら───)
ユキは覚悟を決めると笑みを浮かべた。
「ユキ・セツナです。以後よろしくお願いします」
そして軽く令嬢がやるような礼をすると、2人の雰囲気が変わる。
恐らく、氷の出処に関する情報を引き出そうとしたが、一筋縄では行かないと警戒をしたのだろう。
こっちは相手の顔色を伺うのは苦手なのに、面倒な事をするな。
「お嬢さん、この氷は素晴らしい透明度だ。これは誰が?」
上手い手だと、ユキは率直に感心する。
最初に褒めてから、率直に尋ねる。しかも「誰が作った」とかではなく「誰が」で止めているのも凄い。
誰が作った、誰から貰った、誰の物。
ユキが咄嗟に思いつくだけでも3つの意味がある。
そしてその質問に答える場合は、答えた人物が最も強く思った意味───ユキの場合は誰が作ったか?───で答える事になるだろう。
軽い心理戦だ。
だからこそ、ユキの返答は。
「私です。私が作りました」
正直に答えた。
「キミが……なるほど、その目。魔族か」
「……はい」
え、何。目で魔族とか分かるの?
だとしたら、今まで会った人全員が俺が魔族だって気付いてるってことじゃん。
えぇー、なんか面倒くさそうだから隠していくつもりだったのにっ。
「氷を作れる所を見ると、氷系の魔族だね」
「はい。雪女です」
自分の種族を明かすと、支部長とフォウンドさんだけでなく受付嬢も少し慌てだした。
「君、すぐに冷えた水を持ってきてくれ」
「畏まりました」
フォウンドさんの言葉に頷くと支部長とフォウンドさんが慌てた様子で受付嬢に命じる。
止める暇もなく受付嬢は部屋を出て行ってしまい、俺は止めようとしてあげかけた手を下げる。
あー、なんかあの受付嬢の人に悪いことした気分だな。
「それで、お嬢さん。聞くところによると、商人になりたいそうだね」
「はい。旅商人になりたいと思っています」
え、話し続けるの。とは思ったユキだが、待ち時間を無駄にする必要もないかとそれに乗る。
ユキの希望を聞いた途端、2人の態度が軟化する。
これは、もしかして。いや、もしかしなくとも強力な商売敵になるかもしれないから警戒していたってことなのか?
そう思った途端にユキは、あわよくば自分の商会に抱き込もうと画策しているかと警戒していた自分が馬鹿らしく思えてきた。
だが、まだ目的を達していないのだから気は抜けない。
「ふむ。旅商人か……アンドリアン、私は賛成だ」
おっ。フォウンドさんは俺の味方っぽいな。
利権とかそういうのを考えての行動なのかもしれないけど、今はとにかく味方だ。
「待て、インゴラム。これほどの腕前では旅先で抱き込まれてしまうかもしれない。それに旅をするには自衛出来る力がなければ駄目だ」
逆に支部長は反対らしい。
というか話を聞いたら、なんか一気に俺の心配をしてくれる親切な人達に思えてきた。
こうやって信頼させるつもりなのかもしれないけど……。
「歳の割にはしっかりしているから抱き込まれるのは大丈夫だと思うが……確かに自衛出来る力があるかと言われると疑問ではあるな」
「そうだろう。だから、お嬢さんを旅商人には───」
「あ、血塗れ大熊くらいなら倒せる程度には強いですよ。私」
そう言うと2人は商人失格と思える程に顔に驚愕の二言を全面に押し出した。
「血塗れ大熊はランクBの危険なモンスターだぞ!?」
「いや待て、確かつい先ほど北門に大物の血塗れ大熊を持ってきた魔族の少女が居ると聞いたぞ」
「なっ……では、本当に」
「B級冒険者4人チームでようやく倒せるレベルをこの歳でか……」
「?」
ランクBとかはどれだけ凄いのか分からないので何とも言えないが、とりあえず血塗れ大熊を倒せることは証明出来ただろう。
ここが勝負の賭けどころだ。
ユキはフォウンドに目配せをすると、フォウンドも同意見なのか頷いて支部長を説得にかかる。
「アンドリアン、我々に向かって怖気付かずに立ち向かう度胸。言葉から窺い知れる教養の深さ。自衛出来る実力。そして商品の品質の高さ。確かに若いのが問題ではあるが、魔族が年齢を重ねるのに人の何千倍もかかるのは知っているだろう」
「うぅむ……見た目通りの年齢ではない、か」
「駄目、でしょうか」
最後にダメ押しをすると、支部長は頭を掻き毟ってから観念したようにため息をついた。
「分かった。幾つかの条件付きで旅商人となる事を許可しよう」
「ありがとうございます!」
目的を達成することが出来たユキは心からの笑顔を浮かべ、深く頭を下げてお礼を言う。
「ただし、これはお嬢さんの氷の品質が非常に高いことなどの様々な理由からなる特例だ。少しでも問題があればすぐに取り消すからそのつもりでいてくれたまえ」
「もちろんです」
特例なのは重々承知だし、支部長の言っていることは筋が通っている。
「賛同を得られたようで何よりだ。では、条件を話す前にこの氷の価値を知っておいてもらおうか」
「はぁ……」
今その話いるのかと言いたいが、必要だから話すんだろうと無理やり納得をする。
そしてそれは、俺の今後に大きく影響する話であった。
「通常の氷は銀貨5枚だが、お嬢さんが持ち込んだ氷はおよそ金貨100枚。間違いなく最高級品だ」
「きんかひゃくまい」
あの熊が金貨5枚だったから、その20倍だ。
元は無料で取れる水だったのだから、ボロ儲けにもほどがある。
「これを自由に生み出せるお嬢さんの価値は、計り知れないものになるということも理解してくれると助かる」
「は、はい」
下手すれば奴隷に堕とされて死ぬまで働かされることもありえる程だろう。いや、本当に。自分が知らないところで危ない橋渡ってたんだな、俺。
「さて、話を戻そう。私からの条件は3つ。これはお嬢さんへの試験でもある」
「はい」
試験と聞いて俺は思わず身構える。
前世では試験にいい思い出なんてなかったからだ。
大体試験が好きな奴はいないだろ。
「条件1、知識を付けること」
「え?」
「なんだね、不服か?」
「い、いえ。1年間商会で勉強をしろとか言われると思っていたので」
「ハッハッハッハッハッ!」
俺の言葉を聞いたフォウンドさんが大声で笑う。
だがそれは嘲笑の類ではなく、微笑ましいものを見たといった感じの笑いだ。
何か間違ったのかと思っていると、支部長が理由を教えてくれた。
「お嬢さんは、このアルスーンがどんな場所なのか知らないのだろう。知っていたら氷を商人ギルドに持ち込もうと思わないはずだからな」
「確かに知りませんが……この街が何か?」
そう尋ねたところで受付嬢が戻ってきて、支部長の指示で桶一杯の水を革張りのソファの下に置くと受付業務へと戻っていった。
「話は長くなる。座りたまえ」
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
それを見送ってから勧められてソファに座ると、支部長は体を熱くしないように桶に足を入れながらで構わないから聞くようにと言ってくれたので、好意に甘えて桶に足を入れて熱くなった体温を冷やす。
冷たくて気持ちいいのを顔に出さないようにしつつ、ユキは支部長の話に耳を傾ける。
「此処アルスーンはクォルア王国の北端にある都市で、中央大陸北部の諸国と王国の首都との貿易の役目を担う都市だ」
(ふむふむ。それは重要な都市だな。当たり前だけど大陸北部でしか入手できないものがあるだろうし、そことの貿易を担っているというのは凄いこと……ん?)
ちょっと待て。中央大陸北部との貿易を担っているってことはだ。もちろんあれもあるはずだ。もしそれが王室への献上品にでもなっていたらっ。
「気づいたようだね。そう、アルスーンは大陸北部から取り寄せた氷が集まる場所だ。そして季節が夏になった時にはその中から質が良い物だけを王室へ献上するのが毎年恒例となっている」
フォウンドさんから最悪な事実を告げられ、ユキは変な汗が全身から噴出し始める。
俺が作った氷が非常に高い品質だというのは支部長が認めていることだ。
そんな氷を俺がすぐに作れることは受付嬢から聞いていることだろう。さんざん苦労して持ってきた氷と同等かそれ以上の品質のものをいつでもどこでもすぐに好きなだけ作れる存在が現れたら。
氷商人は商売あがったりだし、氷を扱っている商会も打撃を受けるだろう。もちろん氷の輸入もしなくなる。
考え過ぎかもしれないが、その結果、大陸北部の諸国と外交問題になるかもしれない。
そうなったら非常にまずい。いや、まずいなんてものじゃない。最悪死刑だよ。
「だからこそ、当初の我々はお嬢さんをギルドの小間使いとして雇うつもりだった。お嬢さんが生み出す氷は莫大な金を生む。かといって、特定の商会に所属させてはギルドとしての意味がなくなってしまう。結局はお嬢さんが旅商人になりたいと言ったから無しになったがね」
色々と商人としてのしがらみとかがあるのだろう、支部長がそう言うとフォウンドさんは肩を竦めた。
「氷というのは北大陸と中央大陸北部以外では非常に貴重で高価だ。だからこそ氷の利権と言うのは面倒なんだ。それを考えた場合、他の都市でも君を商人として認めない。もしくは監禁して氷を作らせ続けるという非人道的な行為に及ぶ商人も居るだろう」
「それは……」
本当に危ない橋を渡っていたのだと再度認識したユキは、冷や汗を流す。
支部長とフォウンドさん、そしてあの受付嬢が良い人だから俺は今こうして居られる。
もし金に汚い商人に引っかかってしまったら、俺の将来はそこで真っ暗になっていた。
本当に、3人には感謝しかない。
「常識の重要性は理解しただろう。我々が教えたいのは山々だが、忙しいのでね。家庭教師をつけよう。お嬢さんのことを知る人物は少ないほうがいいだろうしな」
家庭教師まで……知る人物が少ない方が良いとか言ってるけど、きっと善意なんだろう。
「条件2だ。商人としての礼儀や貴族を相手にする時のマナーなどを学べ。商人ギルド所属となった場合、我々の代表ということになる。お嬢さんの無礼は我々商人ギルドの無礼となる」
「分かりました」
「条件3、商人ギルド以外の特定の組織に所属してはならない。これについては先ほど思い知っただろうから説明は不要だろう」
「はい、それはもう」
「では、条件を満たせなかった場合や条件を破った場合には商人ギルドから除名する。ただし、自分の意思ではなかった場合はこの限りではない。以上だ」
条件1と2なんて無いに等しいし、3も旅が目的なのでその気など毛頭ない。
つまり、俺にとって無条件に等しいものだ。それに支部長は自分の意思ではなかった場合と例外事項も含めてくれた。
本当に優しい人たちだ。
「これからお世話になりますが、よろしくお願いします」
これから世話になるのだからと深く頭を下げて、ユキは感謝を込めながらそう言った。
フォウンドさんは笑顔で頷いているが、支部長は無表情で話を進めていく。
「まずは商人ギルド所属という証明としてお嬢さんのカードを発行しよう」
「おや、アンドリアン。早速唾を付けておこうとするのか」
「インゴラム、間違っていないがその言い方はやめろ」
最初からだったが、2人は非常に仲が良さそうだ。
こうして軽口を叩ける仲というのは、商人でなくても大事なものだ。
いつかそういう相手が自分にも出来たらいいな、とユキは思いながらカードの発行へと移る。
カードの発行は簡単だ。
証明紙というマジックアイテムに体の一部を付けるだけ。
「涙、血、唾液、汗。なんでも構わない」
「では、唾液で」
涙なんてそう簡単に流せるものじゃないし、汗なんて種族的に無理。血は痛いのが嫌だ。よって、唾液である。
「では、これに唾液を付けてくれ」
渡された紙は大きさも硬さもまんまポイントカード。表裏両方共凹凸もなく真っ白だ。
ユキは指を軽く舐めると証明紙にこすりつける。
すると、文字が浮かび上がってきた。
『名前 :ユキ・セツナ
種族 :魔族(雪女)
職業 :商人(仮)
能力値 :力 :C 防御:D+
魔力:A+ 精神:B
速度:D 運 :S+
固有能力:神の加護,氷魔術,水魔術』
職業が商人(仮)になっているのは、支部長の条件を満たしていないからだろう。
能力値については、上限や平均も分からないので高いのか低いのかも分からないので何とも言えない。
固有能力は、スキル的なものだろう。
そんな事を考えているユキにフォウンドさんが笑顔で両手を広げる。
「ようこそ、商人ギルドへ」
「それが君の身分を証明するものだ、無くしたりしないように」
「ぷふっ」
支部長との落差が激しく、ユキは思わず笑ってしまう。
「なんだね」
「い、いえ。何でもありません」
誤魔化しつつ、ついでに宿について2人に尋ねるとフォウンドさんは自分の胸を叩くという何処か道化めいた動きで自己主張をする。
「勉強中は、君さえ良ければ私の家に泊まるといい」
「え、ですが……」
「インゴラム、お前の家には変温魔法を施した部屋は無いだろう」
支部長が呆れた様子で言うとフォウンドさんは図星を疲れたのか声を詰まらせて唸る。
それを見て支部長は溜息をついて仕方ないといった風にユキを誘った。
「私の家に来たまえ。誘拐でもされたら事だ」
「あ、はい。じゃあお願いします……」
「そうだな……後2時間程度で就業時間を終える。それまでそのまま待っていたまえ」
「あ、はい」
支部長の指示に従わないとなので、ユキはそのまま指示通りにソファに座ったまま待つ。
そしてユキが来る前はフォウンドと話をしていたらしく、そのまま会話を再開させる。
新人のユキが聞いてはまずいことを結構話しているが、2人は気にせずにどんどんと会話を進めていく。
「あの、私外に……」
「いや、お嬢さんは既に血塗れ大熊で目立っている。鼻の良い商人はお嬢さんに取り込もうと動き始めているだろう。我々の預かり知らぬところで丸め込まれてしまっては我々が困る。此処に居たまえ」
折を見て部屋を出ようかと言うとそう言って引き止められた。
「そうだとも。あぁ、我々が話していることは他言無用で頼むよ」
「ですよねー」
フォウンドさんも同意見でついでに会話内容の口止めもされる。
ぐうの音も出ない正論だけど、何だろう。凄く居づらい。
なので、現実逃避の為に桶に手を突っ込んで氷を作る練習を始めた。
じゃないと精神的に辛い。
そんな風に時間を過ごしていると、フォウンドさんが話を終えて退室し、支部長と2人きりとなる。
「……」
桶の水がキンキンに冷えたので、水魔術で水を生み出してそれを凍らせるとユキはその氷を齧って体温を下げる。
ユキとしては流石に桶の水を凍らせて食べるのには抵抗があったし、魔術で生み出したのはまっさらな水だから問題はないと思ったからだ。多分ではあるけど。
支部長は書類にサインや印璽などの書類仕事をしており、ユキの方は一瞥たりともしていない。
氷を齧る音がうるさいはずだが、それも気にしないとは凄い集中力だ。
流石は支部長を任せられるだけのことはあるということだろう。
不意に支部長が書類から目を離して外を見ると書類を片付け始める。
「就業時間を過ぎた。これで足を拭いて待っていたまえ」
「分かりました」
支部長が胸ポケットから出したハンカチをユキは受け取り、それで足を拭く。
その間に支部長は素早く身支度を整え、ユキが足を吹き終わるのと同時に「付いてきたまえ」と言って歩きだした。
ユキは慌ててそれに付いていく。
来た時とは違う通路を歩き、裏口だろうか───多くの馬車が留まる場所に出た。
何故こちらに来たのか尋ねようとすると、支部長はそれを先んじて答えた。
「表から出てもいいのだが、私は妻帯者なのでね。妙な噂を立てられては困る」
「ご結婚なされてたんですね」
「無論だ。お嬢さんも大人になれば分かるが、容姿が優れた者や地位がある者は周りが放っておかない。周りからの誘いというのは実に煩わしいものだぞ」
「あはは……」
並ぶ馬車の中で地味ではあるが、近くで見ると立派な馬車の扉を支部長がノックすると扉が中から開かれた。
「おや、旦那様。直接こちらに来られたのですか」
中から白髪の好々爺然とした老人───恐らく支部長の執事か何か───が出て来て、ユキが居ることに気づくと視線で支部長に説明を求める。
それに対して支部長は二言だけ告げた。
「事情があってな。誰にも知られないようにしたい」
「畏まりました。お乗りください」
支部長の言葉で緩んでいた表情が一気に引き締まり、乗車の手伝いという仕事を放り出して御者台へと登る。
支部長はそれを気にせずにユキを先に乗せ、それに続いて自分も乗り込むと扉を閉める。
中は革張りの座席が一対あり、何かしらの魔法でも使っているのか───ユキにとっては───物凄く熱い。
支部長が「冷えろ」と呟くと、一瞬で川の中にいるかのように中が冷え切る。
そして支部長が御者台の方の壁を叩くと、馬車が動き出した。
「この馬車は変温魔法が組み込まれていて、夏は涼しく、冬は暖かくすることが出来る。今回はお嬢さんに合わせて氷を保存する温度にしたが、もっと下げるかね」
「いえ。これで大丈夫です」
「そうか。家まで少し時間がかかる。問題があればすぐに言いたまえ」
「ご配慮していただきありがとうございます。問題ではありませんが、質問をいいでしょうか」
「構わないとも」
「支部長は寒くないでしょうか」
俺にとっては快適だが、支部長にとっては凄く寒いはずだ。
すると、支部長は返答の代わりと言わんばかりに遠い目をしながら乾いた笑みを浮かべた。
「北大陸の果てで体験した極寒の世界と比べたら、この程度なんともない」
その顔には一気に悲壮感が漂い始め、本当に辛かったのだと十二分に分かるほどだ。
少し時間がかかるというので、俺は話題を変えるために支部長にアルスーンについて時間が許す限り質問をした。
支部長は無表情へと戻り、全ての質問に答えてくれた。
アルスーンは大きく分けて3つの層に分かれているらしい。
中央に領主や街の有力者などの上流階級が住む高級住宅街と高級店が並ぶ第1層。
第1層を囲むように一般市民の家や工房と店が並ぶ第2層。
そして最後に主に市民以外の冒険者や旅商人たちが使う宿が並ぶ第3層だ。
支部長の家は第1層にあり、商人ギルドは第3層にあるので時間がかかるということだ。
他にも色々とあの商会には気をつけろやどの店はおすすめだとか教えてもらい、なんとかアルスーンで生きていくことは出来る知識を得ることは出来た。
軽い雑談でフォウンドさんとは同い年で、王都にある学院時代からの腐れ縁だと聞いたときはとても驚いたが。
雑談をし終えるのとほぼ同時に馬車が止まり、扉が開かれる。
「入口すぐにつけましたので、誰かに見られることは皆無かと」
「ご苦労」
老執事に労いの言葉をかけると、支部長はそのまま馬車を降りる。
ユキも続いて降りようとすると、老執事が手を差し出していた。
「お手をどうぞ」
「あ、えーと……」
「お嬢さんは氷の魔族だ」
「おぉ、左様でしたか。これは失礼いたしました」
どうしようかと戸惑っていると、支部長から助け舟を出された。
そして老執事は手を引っ込めて下がっていく。
心の中で謝罪をしながら、ユキは馬車を降りた。
執事が扉を開け、屋敷へ支部長が入っていくのに続いてユキも入る。
「うぉ……」
中は貴族のような高価そうな調度品が並んでおり、床は赤い絨毯が敷かれている。
見たことのないそれらに思わず声を上げるが、幸い支部長には聞こえていなかったようで周りを見回していた。
「これは旦那様。お帰りなさいませ」
少しするとメイド服を着た女性が現れて頭を下げた。
「エリザは何処にいる?」
「奥様でしたらご自分のお部屋に。お呼びいたしますか?」
「そうだな。そろそろ夕食の時間だ。食堂に来るよう伝えてくれ。それと食事も頼む」
「畏まりました」
メイドの言葉を無視したような支部長の態度に、メイドは何も気にしていないように支部長の命令を受けて家の奥へと消えていった。
「こちらだ」
また歩きだした支部長に付いていき、入ったのは食堂だ。
晩餐会とかに使われる長いテーブルと2つの椅子。
「氷で椅子を作ることは出来るかね」
「はい、大丈夫だと思います」
支部長に言われ、椅子型の水を生み出してそれを凍らせる。
これは透明度は全くない氷なので、それなりの値段で売れはするだろうが支部長が作れといったので問題はない。
「では、それに座って待っていたまえ」
言われた通りに氷の椅子に座って待っていると、食堂の扉を開いて1人の女性が入ってきた。
「お帰りなさい、あなた~」
なんかぽやぽやとしていて、どんなことがあっても「あらあらまあまあうふふ」と言って動じなさそうな感じの金髪の女性だ。
「妻のエリザだ。エリザ、ユキ・セツナ嬢だ」
「ご、ご紹介に預かりました。ユキ・セツナです」
「あらあら。エリザ・ベネテです~。よろしくね、セツナちゃん」
椅子から立ち上がって頭を下げて挨拶をするユキに対し、エリザはうふふと笑いながら自分の席に座った。
「……」
「うふふ~」
「……」
無言(エリザだけ笑ってる)の室内で、ユキは沈黙に耐え切れずに口を開いた。
「私は旅商人になりたいと思ってまして、それに当たってベネテ支部長の下で学ばせていただく間、お宅でお世話になることになりました。よろしくお願いします」
「あらあら、そうなの~。頑張ってね~」
「はいっ」
この人、さっきから表情が変わってない。
支部長といい、類は友を呼ぶってか。笑えないわ。
ユキがそんなことを考えている中、ベネテは既に決定事項かのように淡々と告げていく。
「セツナ嬢には変温室を使わせる。氷の魔族なので暑さに弱いからな」
「あらあらまあまあ。私たちが過ごしやすい温度でも辛いんですってね。大変ね~」
「うむ。それと家庭教師としてベルを付ける。しばらくティータイムの相手が居なくなるが構わないな?」
「ベルちゃんってば、何だか最近怒りっぽいのよね~。どうしたのかしらぁ」
本人たちを置いてけぼりにしながら、どんどん話は進んでいく。
ユキは要点だけを頭の中でまとめ、自分は変温室という部屋を与えられたこととベルという人物が家庭教師となったことを理解する。
後、エリザが天然だということも理解したユキである。
「お食事をお持ちいたしました」
そこで食事が運ばれてきて、次々とアンドリアンとエリザの前に皿が置かれていく。
突然来た自分の分……というより、自分が食べられるものは無いと思って邪魔をしないために退席しようとしたユキの前にも皿が置かれた。
「セツナ様にはこちらを」
「え」
それは2人と同じ料理だが、完全に冷めていて、ところどころ霜が付いている。
もちろん、2人の皿の物は出来立てのようで湯気を立てている。
まさか自分の分が用意されているとは思っていなかったので、予想外の出来事に固まるユキにアンドリアンは声をかけた。
「突然だろうと家に招待したんだ。お嬢さんは立派な客人。食事を出すのは当たり前だ」
「し、支部長……」
「そうよぉ。彼ってば厳しいことを言うけど、口下手なだけなのよ~」
「エリザさん……」
ぶわわっと溢れ出す涙を抑えきれず、ユキは酷い顔になってしまった顔を伏せてお礼を言う。
「ありがとうございます……!」
ろくな物を食えないと思っていたからこそ、親切が身に染みた。
支部長に出会えて良かったと心の底から、ユキはそう思えた。
「では、いただこうか」
アンドリアンの言葉で、3人は夕食を食べ始める。
ユキの料理だけ、少ししょっぱかったのは言うまでもない。
夕食後、案内されたのはベッドとクローゼットがあるだけの殺風景な部屋だった。
だが、ただの部屋ではないようで、室温はユキにとって快適である極寒とも言うべき温度だ。
「こちらは変温室という部屋で、室内の気温を自由に変更出来る変温魔法が施された部屋でございます。主にセツナ様の様な温度に敏感な種族の方の為に開発されたもので、涼しくと言えば涼しく、冷えろと言えば現在の温度になります。セツナ様には不要かと思いますが、暖かくと熱くもございます」
案内してくれたメイドさんから部屋の説明を受け、ユキは納得して案内してくれたお礼を言うと「恐縮です」と言って退室していった。
1人となったユキはベッドに横になり、今日という日を思い返した。
割と激動な一日だったと言えるだろう。
だが、そんなことよりもだ。
(俺が作る氷が高品質過ぎたのも要因だったけど、何処かに腰を据えることは難しいだろうな。旅商人になったら、少しだけ居るならいいけど、長く居られたら追い出されることになる……そこの見極めも大事だな)
まだ合格にはなっていないが、まぁ試験は無いに等しいので気が早いと言えなくもないが……ユキは旅商人になった後のことを考えると、満腹の上にベッドに横になったからか一気に睡魔が襲ってきたようで船を漕ぎ始めた。
微睡みの中で特別な部屋を与えてくれた支部長にも感謝をすると、ユキは睡魔に負けてゆっくりと目を閉じた。
そして規則正しい呼吸音を繰り返すユキを祝福するように、夜の空に一筋の星が流れて消えていった。
導入編・商人への道は、まだまだ続きます。
終わったら第1章です。