7.十三夜
勝手に月玲の寝台に潜り込んできた男は、夜になると必ず月玲の元に通って来るようになった。「乳臭い子どもに手など出さぬわ」と言って笑うのがまた悔しい。そんな風に言うくらいなら、あの綺麗なひとや他の側室の元へ行けばいいのに、男は飽きもせずに月玲の部屋へやってくるのだ。女たちの元には一体いつ行っているのだろうか。それでもやって来るとそれなりに嬉しく感じてしまうのは、あくまで男が人懐こく、気の良い兄のように振る舞うからなのだろう。太陽のようなこの男は月玲には眩しすぎる。
夜明けの空のような柔らかな初恋のひととは違う、お日さまの温もりと日向の匂いがよく似合うこの国の王。明るく、我がままで、その癖優しく包み込んでくれる。どうしてこの男は月玲によくしてくれるのだろう。北国にひとりで来た子どもが憐れだからと同情したなどと言うのなら、いっそ放っておいてほしい。子どもはいつかは大人になってしまうのだ。こんな風に優しくされたら、馬鹿な月玲はまた勘違いしてしまう。初恋のひとに愛を求めてしまったように。
「おい、月月。これを見たことはあるか」
そんな月玲の物思いなどに気がつくことなく男が取り出したのは、小さな動物の骨だった。月玲がこの国に来てすぐ、男は互いの好きなものを毎日ひとつずつ教えあうことにしようと言い出した。こちらの話など聞かずに一方的にだ。夫婦になるのだから、互いのことを何も知らぬのはおかしいだろうと言われれば、そうかもしれないとついつい少女も言いくるめられてしまう。はて、それにしてもこれが男の好きなものなのだろうか。だから正直に感想を言わせてもらう。
「……骨ということしかわからないわ」
「これはな、骰子だ」
何とも奇妙なことに、北国の骰子は羊や山羊の骨でできているのだという。形を整えて使う東国の骰子とは違って、四面体の骨はそれぞれの面によって、らくだ、山羊、馬、羊と呼ばれているのだそうだ。くぼみの形を動物の姿に見立てているのだろう。それを小さな机の上に並べておはじきにしたり、駒にしてみたり。正直とりたてて面白いようには思えないが、教えているはずの男は勝手にひとりで盛り上がっている。からりと笑う男がああでもない、こうでもないと月玲の分まで一人二役で攻略を考えているのを見て、思わず笑ってしまった。散々駒をこねくり回した後に、男はまたにこりと笑って少女の頭を撫でてみせた。
「お前は何が好きだ」
唐突にそう聞かれて、月玲は少し考える。食べ物ならば肉も魚も苦手で果物が好き。でもそれは夜の寝台の上で答えるにはあまりにも子どもっぽい話題だろう。きっと男に笑われてしまう。好きなひとなら、夜明けの空のようなあの美しいひと。けれどもちろんそれもまた、この男に伝えていい話題ではない。男は月玲のことが知りたいのだという。好きなものを得意なものだと思われたら困ってしまうから、舞や歌だなんて答えられない。でもただ単純に好きなものを言うだけなら……。
「本を読むことかしら」
舞の名手と言われる西国の伯母のようには、上手くは踊れない。男顔負けに武具を振り回して見せる東国の伯母のような振る舞いもできない。政を担ってきた母のように、父の話を聞いてやることだってできない。それでも本を読むのは好きだったから、妹たちに読み聞かせてやったものだった。
「よし、それならば寝物語に何かひとつ聞かせてみろ」
そう言うなり、椅子に座っていた月玲を抱えるとそのままふたりして寝台に寝転がる。突然押し倒された形になった少女は、驚いて手足をばたつかせるばかりだ。
「ふあっ、ええっ?」
「何を慌てている。乳臭い子どもなど抱かぬと言ったのだから安心しろ。湯たんぽ代わりにしているだけだ。ほら、何でもいいからさっさと始めろ」
後ろからぎゅっと抱き寄せられたままでは落ち着いて話をすることなどできそうにもないのに、何とまあ無茶を言う。これはただ子どもの自分で暖を取っているだけ。この男にとっては何の意味もないとわかっているのに、緊張してしまう自分が悔しい。
だから月玲は妹たちに聞かせた昔話の中から、あえて狼が出てくる物語を選んで聞かせるのだ。自身のことを狼の末裔だと嘯くこの男に向かって。
「昔々ある森に、一匹の偏屈な狼が住んでいました。狼は誰も信じず、ただひとりきりで生きていたのです」
嘘をつくと根っこに捕まってしまうという深く薄暗い森に、大切な宝物を投げ込めば願いがひとつだけ叶う不思議な池、渡ってしまえば二度とは戻れないおんぼろの橋、そして夜の森を駆ける恐ろしい狼。それはきっと伝え聞く北国のことを元に作ったおとぎ話なのだろう。言うことを聞かないとこんな怖い目にあうよ。そんな意味合いを込めて作ったに違いないのだ。けれど月玲は、このおとぎ話に出てくる狼のことが本当に好きだった。
「それで、狼はどうなったんだ」
ああ、男もやはりそこが気になるのかと月玲は笑う。妹たちも、昔話に込められた教訓なんてなんのその、ただひたすらに狼がどうなってしまったのかを聞きたがったものだった。寝かしつけるつもりがついつい話が弾んでしまい、侍女たちに叱られたことも今は懐かしい。
「さあ、わからないわ。物語はここでおしまいだもの」
でも、と月玲は思う。きっと狼はその後幸せに暮らしたに違いないのだ。だって狼は、決して悪い生き物ではないように思えたから。ひとに忌み嫌われる狼だって森の中で愛するひとと幸せに暮らしたっていいはずなのだ。
抱き合っているせいか、だんだん眠たくなってくる。うつらうつらする月玲の唇に、何か温かくて柔らかいものが押し当てられたような気がした。けれど、とろりとした眠気が心地良くて、少女はどうしても目を開けて確かめることができなかった。