1章 闇は嘆き訪れる 7
ファランはあっけにとられた。映し出された銀髪の青年は、ファランよりずっと年下に見えた。真っ白なマントを身にまとい、にこにこと絶えず笑みを浮かべている。
滅多に受信反応を示すことのない通信機が起動したことからただ事ではないと覚悟はしたのに、見た目だけはいい見知らぬ青年が映し出されるなんて思うはずもない。
「ファラン・グリンデルド祭司ですね。初めましてー」
間延びした緊張感のない口調にさらに毒気を抜かれる。今日は一体なんなんだろう。真っ黒な美形と灰色の美形に次々と会うなんて。いくら美人でも男ばかりではさすがにファランは喜べない。しかもどちらも底抜けに怪しい。
背景は明るいし、映り込む木造の建築物を見る限り、どうやらメルディエル本国であることは間違いなさそうだ。
それにしたって通信機は一般人が使えるような代物ではない。起動するにも特殊な術式が必要で、ある程度魔術の素養も必要だ。
「あの、一体どちら様ですか」
率直にファランは問いかけたものの、相手は答えるつもりはあるのかないのか、首を傾げてにこにこと笑うばかり。
「ああ、すいません。どうも道に迷っちゃったみたいで。まあ、いつものことなんですけどねー」
「はあ……」
気の抜けた返事しか返せない自分もとても間抜けだ。しかしこの相手に他になんと返せばいいのだろう。一瞬緊張して、焦って通信機を起動したのが急にアホらしくなった。
たまたま素養のある一般人が落し物の通信機を拾ってしまった可能性は、最初ファランの名を呼んだことから除外されるから、おそらくなんらかの関係者であることは間違いないのだろうが、全く心当たりがない。
「えーっと、何から話せばいいんだっけ。あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。ぼくはサーレス・アルバって言います。どうぞよろしくー。実は今そっちに向かってる筈なんですけど、ヴァルディグランってどう行けばいいんでしたっけ?」
ファランは相手が何を言っているのか理解に苦しんだ。時間帯や風土からどう考えてもメルディエルにいると思われる相手に、船旅でも数ヶ月はかかるヴァルディグランまでの道を、近所に買い物でもいくようなノリで尋ねられるなんて、誰が思うだろう。
ファランは襲ってきた頭痛にこめかみを押さえた。クロフォードの件といいこの青年の件といい、今日は本当に厄日か何かだろうか。
できれば変な人間にはかかわらず、平穏無事に過ごしたいとおもっているのに、なぜ女神はファランの些細な願いをかなえてはくれないのだろう。
苛立ち、女神を詰ってみるものの、目の前の青年は相変わらずにこにこと笑顔を見せたまま引く様子はない。通信機は一応緊急受信だから、こちらから一方的に切断することもできない。
深くため息をついて、ファランはメルディエルからヴァルディグランまでの旅の行程を思い出した。
「ヴァルディグランまではメルディエルの王都シーヴァラインからですと、まず港でメルディエル西端の西フェイセン諸島行きの船に乗ってください。西フェイセンからは今度クライス騎士団領の港クレンシア行きの船に乗って、到着したら次はヴァルディグランのサラザード行きの船に乗り換えですよ。それだけでも3ヶ月以上かかりますけど」
「えっ、そんなにかかるんです? 歩いて行けると思ってたのにー」
「行けるわけないでしょう。大陸が違うんですよ!?」
なんでこんな真夜中にヴァルディグランへの行き方を通信機で講釈しなければいけないのだろうか。この男、やはりクロフォードと同類の匂いがする。酷くファランは疲労感を覚えた。
もしかしてこの男も世間知らずの貴族か何かなのだろうか。しかしファランの記憶ではメルディエルの貴族にアルバ家なんていう家柄を聞いたことはない。
「あーこんなことなら見栄はらないでレイ兄さんとヴァルさんにお願いすればよかったなぁ。まあ仕方ないですよね。なんとかします」
一人で納得して何か言っているが、解決したならこれ以上自分を巻き込まないでほしいと、ファランは切実に思う。
「用件が終わったんでしたらもう通信を切ってもいいでしょうか。こちらは今真夜中なんですけど」
「ああ、待ってください。これからが本題なんですって。ぼくはこれからそちらに向かうんですが、その前にファランさんに協力をお願いしないといけないんですよ」
協力って、これ以上どんな無理難題を吹っ掛けられるというのだろう。ファランは耳をふさいで通信機を切ってしまいたくてたまらなくなった。
「ちなみにぼくは女王陛下の密命を受けています。あ、ちゃんと証明できるものはありますよ。ほら」
と、通信機越しに一枚の書状を広げて見せる。ファランはぎょっとした。ここでいきなり女王陛下の名を出されるとも思っていない。しかし確かにそこには代々女神と崇められるメルディエル女王直筆のサインと国璽が押下されている。
雲行きがさらに怪しくなってきた。この一見ちゃらんぽらんな旅人風の男が、女王陛下の信任状を携えてこんな辺境の村に一体全体何の用があると言うのか。
「まだメルディエルでも一部しか知らないんですけどね。元『女神の影』のあなたしか、今のところ頼れる人が近隣に居なくって」
ファランは息を呑んだ。『女神の影』という言葉に、心臓が早鐘を撃って今にもはち切れそうになる。
急に目の前の青年が、得体の知れない恐ろしい化け物のように思えた。張り付いた笑顔の裏でファランを観察し、値踏みでもしているような感覚に囚われた。
「私、は、一介の祭司です。なんの、ことか、わかりませんが……」
ようやくファランはそれだけ言葉に出した。しかし発することとができた言葉は淀み、視線を上げる事ができなくなる。足も腕も全身が震える。
「アレ、違いました? 11年前でしたっけ。あなたはガルグの協力者や拠点を探し出す隠密だった。でも任務で師を失い、『女神の影』からの退役を望んだ。その後祭司として辺境に赴任した。ぼくはそう聞いてるんですけど」
ファランはもはや顔を覆い、古びた木の椅子に、力なくへたり込んでいた。闇の中で耳を塞ぎ、身を縮めてうずくまってしまいたかった。
なんで今更。そう、目の前の相手を呪った。けれどついにきた、ともファランは思った。
それはファランにとって何より思い出したくない記憶だった。いい加減、認めなくてはいけないとは思いつつ、深く考えないようにしていたこと。
ファランは大きく息をついた。
「失った、なんて生易しい表現をしなくても結構です。僕は師匠を見捨てて逃げたんだ」
まだファランが祭司になる前だ。まだファランが幼いとすら言ってもいいほどの若い頃。その頃ファランは、市井に紛れたガルグの協力者や拠点を探し出すこと、そして可能ならその拠点を潰す事が仕事だった。