1章 闇は嘆き訪れる 5
夕食はいつもパンとスープだけ。突然のクロフォードの訪問で、量はさらに少なくなった。育ち盛りのナガレにはたぶん物足りなかっただろう。
せめてもう一品足すことができたらよかったのだが、なにせ給料日前な上に、農家も困窮するような気候状況。何もない。
しかしナガレは不満一つこぼさず、むしろ久しぶりの来客がよほど嬉しかったのか、しきりにクロフォードに話しかけていた。クロフォードにしてもそんなナガレと会話自体は避けるわけではなく、どちらかといえば楽しんでいるようだった。
ナガレが子供らしく素朴な質問を投げ掛けることで、何かわかったりはしないものかとファランは期待し、耳をそばだてていたのだが、聞こえてくる会話は本当にごくごく何気ないもの。その中でもクロフォードの身の上に関わりそうなことになると、相変わらずさりげなくかわしてしまう。結局食事は何事もなく終わった。
ただ、ナガレが洗い物をしている最中、しみじみとクロフォードがつぶやいた。
「ナガレさんはよく働く良い子ですね。将来素敵なお嫁さんになりそうです」
ファランはその台詞に思わず天を仰いだ。すっかりクロフォードは勘違いしてしまっている。
確かに、ナガレは女の子みたいに愛らしい顔立ちをしているし、着ているものも祭司見習いお仕着せのローブだから、性別はわかりにくい。クロフォードを最初は追い返すつもりだったから、曖昧にしてしまった自分も悪かったのかもしれない。
台所からは何も知らないナガレの鼻歌が聞こえていた。ナガレが席を外しているときでよかったとファランは心底安堵した。
「それ、本人には絶対言わないでくださいね。ナガレはその、れっきとした男の子ですから」
「……。えっ」
クロフォードが目を丸め、唖然とした。予想通りの反応だ。
以前、旅の商人が初めて見習いを連れてきた時、盛大に間違われたことがあった。その時ナガレは愛らしい顔を二、三日膨らませっぱなしにしてしまった。今回もまた女の子に間違えられたと本人に知られれば、大いに拗ねてしまうことは間違いない。
クロフォードにはここで厳重に釘を刺しておかなければ。
「気づかないのも無理はないでしょう。育て親の私が言うのもなんですが、ナガレはとってもかわいらしい。でも女の子に見られてしまうことを、ナガレはとても気にしているんです」
「分かりました」
向き合った相手が真剣に頷く。ファランは最大の危機をなんとか回避することに成功したと思った。
思ったのに。
「同性同士というものも珍しいわけではありませんから、年の差なんて問題ではありません。私は祭司様を応援いたします」
応援というのはともかく、同性同士、年の差。一体クロフォードはいきなりなんの話をしているのだろう。ファランはわけがわからず混乱した。
「何の、話ですか」
「ナガレくんです。祭司様が将来娶るおつもりで、養育されているのでしょう?」
「なんでそんなことになるんですか!?」
思わずファランは声を荒げた。
「どうしたんですかファラン様!?」
ナガレが驚いて食器洗い用のたわしを手にしたまま、顔をのぞかせる。
「なんでもない、なんでもないからナガレ」
声を荒げたことに後悔しつつ、ファランはナガレを台所に押し戻した。ふうと息をつくと、とんでもない問題発言をしたクロフォードが、不思議そうにきょとんとした顔でこちらを見ていた。
「すみません、何か失礼なことを申し上げてしまったのでしょうか」
謝りはするものの、もともとよくなかったクロフォードの印象が今の一言でさらに急降下したなどと、夢にも思っていなさそうな顔だ。一体この男は何を考えているのだ。頭が痛くてたまらない。
確かに同性同士で婚姻をすることは、このヴァルディグランではともかく本国では珍しいものではない。なにせファランを含め、メルディエル系種族のシーヴァニスには、性別を持たずに生まれ、第二次性徴が始まる頃に性分化する者がたまにいるのである。性の決定前に恋人同士になった者たちが、決定後に同性同士になったなんてこともわりと聞く話だった。実際、シーヴァン教には同性愛の守護神もいるし、本国には大きな神殿もあって親しまれている。
だからファランもそういったことには、ヴァルディグラン国民に比べれば理解はある。だが、理解があるといってもファラン自身がそういう性向であるわけではないし、ましてやナガレの件はそんなつもりが一切あるわけがなかった。
「クロフォードさん、はっきり申し上げますが、私はナガレをそういうつもりで育てているわけではありません。純粋に家族、いや息子みたいなものだと思っています。断じてナガレにそんな欲求を抱いたことはありません。むしろなにか私のふるまいでそのような誤解を与えたのだとしたら、教えていただけないでしょうか。ことによっては、私は今後行動を改めなければいけない」
一体全体なにを見てそんな勘違いを起こしたというのか。確かにナガレは愛らしいし、思わず抱きしめたくなるが、それはあくまで親がわりとして、養育者としての感情だとファランは自信を持っている。それでも見ようによっては性的であると言われるなら、全力で原因究明をしなくては気が済まない。
しかし、問い詰めようとクロフォードを見据えたとたん、食卓の向こうでクロフォードは思いのほか恐縮して縮こまってしまった。
「申し訳ありません。どうも、私は普通の感覚が乏しいようで。時折とんでもない誤解をしてしまうらしい」
恥じ入るように俯かれると、ファランも肩透かしをくらったような気分になった。むしろ自分が相手を責めてしまったようで気まずくなる。
「いえ、わかっていただけるならいいんですが」
やはり、本当にこの男はどこかの貴族か何かなのだろうか。そう、ファランは思った。世間知らずといえばそうなのかもしれない。それにしたって思考が常識外れすぎる気はするが、上流社会というのは一般庶民出のファランには、理解しがたい異質な世界であることは確かだ。
「きっと旅の疲れもあったのでしょう。たいした部屋はご用意できませんが、今日はゆっくりと休まれるといい」
言いながら、ため息がこぼれた。もう今日はすべて諦めて寝てしまおう。このクロフォードに関わっていると、どっと疲労感が込み上げてくる。
食事の礼を言って、クロフォードが立ち上がる。洗い物を済ませたナガレが奥から戻ってきて、クロフォードを離れの客間に案内していった。二人の姿が消えると、ファランはぐったりと食卓の上に突っ伏した。
「ああもう、ほんと早く帰ってくれないかなぁ」
つぶやいた独り言は掛け値なしの本音だった。