ごんすけらくご
「志ん生には間に合わなかったが、オレたちは志ん朝とともに生きられて幸せだ」なんて意気がってた私にとって、ここ何年かで接した訃報のなかでも最大級のショックを受けた現実。落語好きの、髭面編集者のF君からは「嗚呼、もう落語はお終いだ」なんてメールも舞い込む始末。確かに、あんな端正な噺家は二度と出現しないだろう。でもしかし、「落語にはまだもう一方の旗頭がいるじゃないの」という思いを込めて返書した一席です。
訃報に接して、えも言われぬ喪失感に襲われることがあります。育ち盛りの子どもたちを残し、40歳で逝ってしまった友人がそうでした。〈傲慢きわまりない世界的な人たらし〉スティーブ・ジョブスもそうでした。
そしてまた、こころにポッカリ穴があきました。でも……デジャ・ビュ? かつて、同じ思いにとらわれたことがあったはず。当時勤めていた会社のWEBサイトに掲載したものを追記再録します。これで、今回の〝ポッカリ〟への、自分なりの回答としたいと思います。
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2001年10月1日、古今亭志ん朝師が亡くなりました。
「志ん生には間に合わなかったが、オレたちは志ん朝とともに生きられて幸せだ」なんて意気がってた私にとって、ここ何年かで接した訃報のなかでも最大級のショックでした。落語好きの、髭面編集者のF君からは「嗚呼、もう落語はお終いだ」なんてメールも舞い込む始末。確かに、あんな端正な噺家は二度と出現しないだろう。でもしかし、「落語にはまだもう一方の旗頭がいるじゃないの」という思いを込めて返書した一席が、以下の通りです。かなり長くてお目汚しですが、しばしお付き合いください。
旦那▼権助、権助はいませんか? お~い権助や。
……まったくここぞというときには必ずいないんだから。
あいつにも困ったもんだ……わっ!
権助▼(縁の下からぬっと顔を出し)オラを呼んだかね。
旦那▼あぁ驚いた。変なところから急に顔出すんじゃありませんよ。
権助▼あに言ってるだ。縁の下掃除してだのに、
だぁ様が呼ばっしゃるから来たんでねぇか。
旦那▼しかし、相変わらず汚い顔だねぇ。
それじゃ表か裏かもわかりゃしませんよ。
権助▼ふっ、表裏のねぇのがオラの取り柄。
旦那▼まったく、減らず口だけは達者なんだから。
権助▼用がねぇなら、オラ行ぐぞ。
旦那▼あぁそうだった。なぁ権助や、お前落語は知ってるかぃ。
権助▼あんだと、いぐらだぁ様でも、口が過ぎるとぶっとぱすぞ。
旦那▼あたしが何言ったっていうんだぃ。
権助▼いま言ったでねぇか、オラのこと〝人生の落伍者〟って。
旦那▼違いますよ。らくご。噺家が寄席で語る「落語」ですよ。
権助▼あんだぁ「らくご」つうのは。「らくだ」の従兄弟か何かかぁ?
旦那▼これだから田舎者は困るんですよ。
権助▼その田舎者相手に講釈たれてる、お前の方こそ田舎者……。
旦那▼ん、何か言いましたか、権助?
権助▼うんにゃ、空耳だんべ。
旦那▼いいかね、よくお聞き。落語というのは、
長屋住まいの職人やおかみさん連中、
お店者やお侍の日々の暮らしをおもしろ可笑しく、
ときにぁしんみりと聴かせる話芸なんだよ。
権助▼和尚さんの説教みてぇなもんだかね。
それならオラ小っちぇ頃よぐ聴がされただ。地獄の話ぁ忘れらんねぇ。
あれは怖がっだ。悪いことしで金貯めたヤツぁ地獄行き。
さしずめだぁ様は、いの一番に地獄行きだぁ。
旦那▼縁起でも無いこと言うんじゃありませんよ。
そうじゃなくて、落語家──芸人の話を聴くんですよ。
権助▼あぁなんだ、それを早ぐ言えばえぇんだ。
芸人だんべ、門づけの。
越後獅子、三河万歳、願人坊主。
よぐ遠ぐまで追っかげで、おとうに叱られたべなぁ……。
旦那▼困ったもんだ。なに遠い眼してんだぃ。
権助、権助、これ、ごんすけ!
権助▼はっ、ここはどご? オラはだれだんべ?
だぁ様気を確かに持ちなせぇ。
旦那▼何言ってんだぃ。定吉が風邪で寝込んでるから、
代わりに寄席のお供をしろ、と言ってるんだ。
権助▼あぁんだ、相変わらず回りくどいじさま(爺様)だ。
旦那▼主をつかまえて爺様とは何だ。
権助▼だぁ様はオラより年上だんべ。
そもそも「爺」は、目上の人への尊称だぁ、ッつうのを知らねのか。
おまげに「様」まで付けでんだがら、こりゃあもう最上級。
旦那▼あぁ、もういい、いい。屁理屈言ってる間に、顔でも洗って支度しなさい。
権助▼んだらちょっくら……あのぉ、だぁ様、紋付きでも着た方がいいべか。
旦那▼持ってもいない物は着れないだろう。普段の着物でいいんだよ。
権助▼へへっ、年寄りぃからかぅのぁ、面白いべ。
──わぁわぁ言いながら支度にかかります。
権助▼だぁ様、このでっけぇ包みは何かね、えかく重てぇが。
旦那▼あぁそれは、お重のお弁当と〝ごしゅ〟だ。
権助▼〝ごしゅ〟てぇのは酒のことだんべ。どこかで婚礼でもあるべか。
旦那▼おいおい、そうじゃあない。噺を聴きながら、
〝ごしゅ〟をちびちびいこうという寸法だ。
権助▼オラも呑んでええだか?
旦那▼あぁいいよ。卵焼き、かまぼこ、お煮付けも用意させたから。
権助▼だぁ様、熱はねぇか、寝付けねぇことはねぇか?
旦那▼どうしてだ。
権助▼どうしてってぇ、あのケチで有名なだぁ様が、この大盤振る舞い。
もしや、死期でも近づいたかと……。
旦那▼バカなこと言うんじゃない。いいから黙って付いてきなさい。
権助▼だぁ様……。
旦那▼うるさい。
権助▼だぁ様……
旦那▼……なんだ。
権助▼オラたち観音様の方へ行くだんべ。
旦那▼そうだ。
権助▼なら二本前の道を右に行ったがよかっただべ。
旦那▼そういうことぁ早く言いなさい。
権助▼だども「黙って付いてこい」と言ったでねぇが。
──やって来ましたのは、浅草は観音様近くの寄席でございます。
旦那▼権助、これで木戸銭払っておくれ。
権助▼木戸銭て何だね。
旦那▼噺を聴く代金だ。
権助▼話聴くのに金払うだか?
オラの村では、和尚さんも新田のお婆も、金なんかとらなかったぞ。
みぃんなタダで、面白ぇ話や怖えぇ話聴かせてくれただ。
旦那▼いいから払ってきなさい。残りはお駄賃にしていいから。
権助▼だぁ様、今年は閏年だったかね?
旦那▼違うが、どうしてだ。
権助▼いや、酒ぇ呑ませてもらって、ご馳走たべて、おまけに駄賃までもらえる。
確か閏年には「盆と正月」がいっぺんに来るってぇがら。
旦那▼どういう暦で暮らしてるんだぃ、お前は。
権助▼んだ、そらぁ尻臼暦に決まってるべ。
旦那▼……??
──やがて、打ち出しの太鼓の音とともに、客が寄席から追い出されて参ります。
旦那▼どぉだ権助、面白かったろう。
権助▼いんゃあ、えぇ心持ちでがす。酒ぁ旨ぇし、腹ぁいっぺぇだし。
旦那▼そうじゃないよ、落語はどうだった、って訊いてんだ。
権助▼紙切り、それに傘で玉や独楽回す曲芸も面白かった。
手妻(奇術)にぁ腰を抜かしたけんど、あれぁ、村のみんなにも見せでやりてぇなぁ。
旦那▼それは色物といってな、落語の合間に演る、口直しのような物なんだよ。それよりも落語だ。
権助▼あぁ、扇子持った連中が座布団の上に座って話してたヤツだね。
旦那▼そう、それだ。
権助▼いまどきの噺家ぁ、あんなもんだぁ。
旦那▼いっぱしの口をきくね。お前「落語」は知らないって言ってたじゃあないか。
権助▼ふっ……この権助様を誰だと思いなさるね、だぁ様。
あんたの節穴みてぇな眼ぇ盗んでぁ、毎日のように寄席ぇ通ってただよ……うぃっ。
大きいことを……言うようだがね、だぁさま……ひっく……
日本橋石町、薬種問屋・懐古堂のナイスな下男・権助と言ゃあ……
うぉっぷ……いまや八百八町に隠れもねぇ、木戸銭御免の「らぐご通 」だぁ!
旦那▼「ナイス」ときたか。悪い酒だね。絡み上戸かぃ?
権助▼……うぃっ……、
「ふるい・ま・ていこ・ころ・ざしん・う・まれ」知ってっか。
旦那▼「ふるい……ま……ていこ……ころ……ざしん……う……まれ」??
「ふるいま? ていこころ? ざしん?」……
あぁ権助や、それは「古今亭志ん生」と読むんだ。
よくまぁ、そこまで事を複雑にできるもんだ。
権助▼……うぃっ、ひっく……そったらこたぁ、どうでもえぇんだ。
まだあるぞ、じさま(爺様)はだまって聴いてろぃ!
……うっぷ……
「けいふみたのし *1」
「けいさんきすけ *2」
「さんあそびていまどかうまれ *3」
「はるかぜていやなぎあさ *4」
「かねはらていうまうまれ *5」
「りゅういえちいさん *6」
「はるかぜていやなぎのぼり *7」……ん?……この人ぁちっと違うが、ま、えぇ。
おまけに……なんてこっだぁ……
「ふるいまていこころざしんあさ *8」まで逝っちまっで……。
うっ……オラの心の中の「らぐご」は、
いまにもおっち(死)にそうなんだよぉぉ!
旦那▼おいおい困ったもんだ。こんどは泣き上戸ときた。
権助▼だども、だども、だぁ様、
「GO(業)」の「KOUTEI(肯定)」がある限り、
「らぐご」は死なねぇんでねが!?
旦那▼「GO」の「KOUTEI」……なんだぃそれは?
権助▼皇帝がGOを出せば、何でもオッケー……いんにゃ、そったらことではなぐでぇ、
「りつかわだんこころざし」が言うところぉのぉ、
人間のぉ本質をぉ描いてぇいるぅ限りぃ、「らぐご」がおっち(死)ぬことはねぇだ!
旦那▼「りつかわ」?「だんこころざし」??
読めた。それこそが「落語」が生き残る道。「談志(男子)の本懐」だな。
お後がよろしいようで。
立川雲黒斎家元勝手居士、いや立川談志家元、やすらかに。合掌。
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【脚注】
*1 桂文楽 *2 桂三木助 *3 三遊亭円生 *4 春風亭柳朝 *5 金原亭馬生 *6 柳家小さん *7 春風亭柳昇 *8 古今亭志ん朝