夜の森にて
テケトーに書いてる
蒼い場所だ。
時は真夜中、ただこの夜は輝いている。
どこかで訪れた不夜城と言うような艶やかさなどはない、静かな光だ。
「雅さ」とでもいうのか? こういう形容詞と言う言葉はこいつから教わった。
俺には記憶がない。
記憶がない以上、この人生で生きてきた間の知識、学と言うのか。それも抜け落ちたのか。
とにかく俺には知識や人間関係における作法を知らない。
知っているのは、殴る、殺す。
……
……
思い返して嫌になり、この輝きの元である、森に目を向ける。
泉にも目を向ける。
水晶のような輝きを放つ樹皮をもつこの森。
相棒たる男――翼がはえている、天使ではない――夜に溶け込むような黒い衣装に黒い髪、肌だけは俺の旅に付き合ってきただけのことはあるのか、少し黒い……
思えば、こいつな何好んでこんな野蛮人である俺に付き合い続けているのだろう。
そう問い詰めてもいつも「お前に命を救われた借りがある」とだけしか言わない。
……俺は学のないバカだ。
こいつは学を持っていてもバカだ。
これ以上考えるよりは、この幻想的な光景に意識を傾けている方が、心が安らぐ。
「綺麗だよな……」
俺にも届くかどうかわからないほどのか細い声。
俺は顎でうなずいた。
「俺が旅に追随した理由の一個がさ、こういう……普段いる、日常とでもいうのか?」
……俺の思考に『~~とでもいうのか?』という口癖が付いたのは絶対こいつのせいだと確信している。
頭は回れど、言葉が足らないのがこいつの難点だ。
相手に伝えるには便利な手段である言葉だが、こいつの言葉の選択は俺から見ても最悪だ。
黙っていれば、といっても黙っていても外見も最悪だ。
真っ黒で、白い翼で、顔はいつだって笑顔だ。
……感情のわからない笑顔だ。
だが今は、穏やかな笑みを湛えている。この場合、黙っていた方が見てくれは良くなる。
「ま、綺麗な景色にも出会えるって思ってたんだ。悪くない、な」
言い淀んでから、黙った。
俺も黙って、焚火でほどよく温まったコーヒーを、俺と奴の分、渡す。
(これでも飲んで黙ってろ)
そう思ったのが伝わったのか、奴は少し目を白黒してから、コーヒーをちびちび飲み始める。
俺も軽くすすって、舌が熱にやられた。
奴が言うには、樹皮の反射、月の光、氷のような樹皮とこの地に広がる植物たち……それらの相互作用によって光っているように見えるだけだというが。
……
「美しいものは美しいんだ。それでいいだろう」
コーヒーに舌を焼かれながら、黒い相棒は呟く。
奴は何を見ていたのだろうか、俺の白髪か?
俺は奴とは対照的。
白い肌に白い髪、そしてこの森と同じ、蒼い瞳。
目の前のこいつは空の色だと言ったが、
誰かは俺に海と同じ色をしていると言われた記憶がある。
詳しい記憶は戻らない。だが、海というのは俺の記憶の確かな鍵ではある。
水面に移る自分は、まるで死人みたいに白いのだが、それはこの情景のせいだろう。
少し見据えてみるが、影にならない部分を見てしまうと今度はこの湖の底が見えてくる。
木々の反射が湖にも注いでいるのだと奴は言う。
「さて、そろそろ夜更けだ。
今度の海はどこになるのやら――港町よりは漁村の方がいいんだっけか」
水面が揺れ、天使にされた人間が伸びをする。
全身をニ巻きは覆えるほどの巨大な翼。
その異形に奴自身はキマイラと言う偽名を付けた。
魔女の従いで、真の名は呪いを受けやすいという教えに、俺自身は「狼」と名付けたが。
……あまり好きではない。
俺たちは、獣ではない。
「さっさと寝るべ」
「お前も少し休め、異形だからって人間性を失うのは嫌なんだろう」
奴はまた目を丸める。
俺のこの行動は、……気遣い、やさしさというのか。
それも、こいつから教わったんだ。
人間らしい異形と、怪物よりも凶悪な人間。
――考えて嫌になり、黙って簡易寝袋に潜り、瞳を閉じる。
瞼の裏に、蒼い夜空が焼き付いていた。
俺は以前、記憶にあるどこかの海で、この夜景を見ていたのだろうか?