表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/33

April.6 『初めてのお客様!』

 Café 小夜時雨で働き始めて二週間ほど。

 コーヒーや紅茶の淹れ方を習い、長崎の伝統菓子についての勉強も進んでいる。

 実家から仕事で着られそうなワンピースも数枚送ってもらった。

 一枚は焦げ茶色の地味なもので、もう一枚は水色ののワンピース。

 雨の日が続けば、日替わりで着ている。


 掃除は完璧だし、美味しいお菓子もある。


 なのに、お客様が来ない!


 最近、従業員用の休憩所でオーナーも待機をするようになった。

 ここに居る方が、お客さんが来た時に気付きやすいらしい。

 私が初めて小夜時雨に来た時も、気付くのに時間が掛かっていたことを思い出す。


「お客さん、来ませんね~」

「雨は外に出るのが億劫になるからな」

「お店のコンセプトを全否定するような発言ですね」


 オーナーと実りのない会話をしつつ、お客様を待つ。


 そんな休憩所のお皿に積まれているのは、『口砂香こうさこ』というお菓子。一見して、砂糖を固めた落雁らくがんに見える。

 一口大で、花の形を模したそれを摘まんで食べてみた。


「――んん?」


 粉っぽくてひたすら甘いだけの落雁とは違うことに気付く。

 さっくりとした触感で、口の中でほろりと溶けてなくなる。

 品のある甘さがあって、じっくりと味わいたいようなお菓子だと思った。

 美しく模られた形を見て、職人さんのこだわりがこもっているような気がした。

 聞けば、材料も落雁と違うらしい。

 落雁はもち米と砂糖を使って作るのに対し、口砂香はうるち米に砂糖や水飴などを使って作るとか。

 口の中で砂糖が香るなんて、素敵な名前だと思った。

 

 口砂香もシュガーロードに伝わる伝統菓子らしい。メモを取りながら、オーナーの話を聞く。


砂糖道シュガーロード、胸がときめく言葉です」


 その感想に対し、無表情で頷くだけのオーナーだった。


 それから静かな時間を過ごす。

 待機中は好きに過ごしていいと言うので、授業のレポートを書かせてもらった。

 幸いにも、分からないことがあればオーナーに聞けば的確な答えに導いてくれる。さすが、先生だと思った。(書道の先生だけれど)


 レポートも終わり、時計を見れば夜の九時半。

 雨はまだ止みそうにない。


「なんとかして、お客さんに来て欲しいですね」

「別に、どちらでも」

「でも、こだわりのお菓子と飲み物を用意していて誰も来ないなんて、寂しいですよ」


 せめて、雨の降っている日限定とかにすればいいと提案をすれば、それでは『小夜時雨』(※夜に降る雨の意)ではなくなると言いだすオーナー。

 謎のコンセプトカフェの理解に苦しむ。


「私も、給料泥棒をしているようで、心が苦し――」


 文句を重ねていたからか、黙れとばかりにオーナーの手より口砂香が口の中に運ばれる。

 甘くて美味しい!

 幸せな気分もひとときで、口の中のお菓子は雪のように消えてなくなる。

 そこでハッとなる。


「な、何をするんですか!」

「少しは黙るかと思えば、口砂香では継続時間が短い。カステラ一本くらい必要か」

「言って頂けたら大人しくしておきますよ」


 はあと盛大なため息を吐き、ぐったりと椅子の背に体を預ける。

 こんなに暇ならば、東雲洋子先生の新刊でも持ってくればよかった。既に三回くらい読んだけれど。

 最近忙しくて、ファンレターを書く暇もない。いっそ、ここでの待機時間で書こうかとも思う。

 オーナーに渋面を注意され、眉間の皺をぐりぐりと解していると、カランと玄関に付けた鐘が鳴る音が聞えた。

 同時に、「こんばんは」という声も。


「い、今、扉が開いた音と、こんばんはって聞こえましたよね!?」

「確かに」

「お客さん!?」


 私はオーナーの顔を見て、すっと立ち上がる。


「お迎えをしに行きますね!」


 返事を待たずに、私は玄関に向かって走った。

 お店に入って来たのは、スーツ姿の若い男性。年はオーナーと同じくらいに見えた。


「こんばんは、いらっしゃいませ!」


 声をかければ、男性はよかったと笑顔を見せる。

 どうやら本当にお店なのか、さらに、営業をしているのか、恐る恐る入ったらしい。

 その気持ち、よく分かると思った。

 お客さんが入りやすいように、もうちょっと大きい看板を作ったり、外の灯りを増やして欲しいところではある。


 奥の部屋へと案内する。

 本日の品目メニューは口砂香とコーヒー。一つしかないと言えば、笑顔でそれをお願いしますと言ってくれた。


 男性はきょろきょろと辺りを見渡し、私の方を見てにっこりと笑いながらお店の感想を述べる。


「面白いお店ですね、いろいろと」

「はい。オーナーのこだわりのようで」


 それから少しだけ、男性客と話をする。

 どうやら営業の方で、突然の雨に避難するように、ここまでやって来たと言う。


「実は、東京の本店からこちらに来たばかりで。長崎は本当に雨ばかりですね」

「ええ、びっくりしますよね。折り畳み傘、鞄から出せないですもの」


 営業職の方なので、話を盛り上げるのがお上手で。ついつい話が弾んでしまった。

 奥からカタリと物音が聞こえ、そちらを見れば、不機嫌顔のオーナーが、腕組しつつ仁王立ちしていた。


「注文が入ったのなら、早く用意しろ」

「りょ、了解デス」


 初めてのお客様が嬉しくて、我を失っていた。

 給料分、しっかり働かなければと思い、その場をあとにする。


 コーヒーを淹れて、お皿に口砂香をピラミッド型に積んで手押し車に置く。

 お客様の元へ戻れば、今度はオーナーと何かを話していた。

 あの絡みにくいオーナーと会話が続くなんて、営業職の人って凄過ぎる! と思った。まさに、プロのお仕事なのだろう。


「お待たせいたしました。本日のお品目、『口砂香』と『コーヒー』でございます」

「あ、ありがとうございます」


 男性に口砂香は甘いかもと思い、コーヒーはブラックを推奨した。

 営業のお兄さんはおしぼりで手を拭い、口砂香を口の中へと放り込む。

 想像と違う味わいだからか、目を見開いていた。

 私も、さきほど同じような反応をしたので、気持ちはよく分かる。


「これ、面白いですね。落雁かと思いましたが、違うように思いました」

「ええ、そうなんです」


 オーナーが説明をすると思ってちらりと顔をみたけれど、口はぎゅっと結ばれたままだった。視線で「お前が説明しろ」と言われているような気がしたので、さきほど聞いた言葉をそっくりそのまま言うことになる。


「なるほど、長崎の伝統菓子でしたか!」


 長崎と言えばカステラしか思い浮かばないので、勉強になったと言ってくれた。

 お土産にもいいかもしれないと言ってくれる。


「長崎ネタ、助かります。今度、取引先での話題作りに使ってみますね」

「それは是非!」


 口砂香はそこまでメジャーなお菓子ではないとオーナーが言っていたので、きっと、長崎の人も知らないかもしれない。


「ここは、他にも長崎のお菓子を日替わりで出しているのでしょうか?」

「ええ、そう、ですよね?」


 はっきりとした決まりを聞いたことがなかったので、オーナーの顔を見つつ確認する。

 そうだとばかりに頷くオーナー。


「えーっと、らしいです」

「いいですね。こだわりのカフェ。失礼ながら、店名を把握していなくて、お聞きしても?」

「はい、『café 小夜時雨』と申します」


 ついでに営業についても言っておいた。


「雨の降る夜、また、シビアな条件ですね」

「そうですね。おそらく、静かな時間をお過ごしになれるかと。雨が降った夜には、是非ともお立ち寄りくださいませ」

「分かりました。必ず再訪しますので」


 おお、常連さん候補が!


 嬉しくてオーナーの顔を見たら、不機嫌な顔のままで居た。


 やっぱりその顔、接客向きじゃないと思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ