April.6 『初めてのお客様!』
Café 小夜時雨で働き始めて二週間ほど。
コーヒーや紅茶の淹れ方を習い、長崎の伝統菓子についての勉強も進んでいる。
実家から仕事で着られそうなワンピースも数枚送ってもらった。
一枚は焦げ茶色の地味なもので、もう一枚は水色ののワンピース。
雨の日が続けば、日替わりで着ている。
掃除は完璧だし、美味しいお菓子もある。
なのに、お客様が来ない!
最近、従業員用の休憩所でオーナーも待機をするようになった。
ここに居る方が、お客さんが来た時に気付きやすいらしい。
私が初めて小夜時雨に来た時も、気付くのに時間が掛かっていたことを思い出す。
「お客さん、来ませんね~」
「雨は外に出るのが億劫になるからな」
「お店のコンセプトを全否定するような発言ですね」
オーナーと実りのない会話をしつつ、お客様を待つ。
そんな休憩所のお皿に積まれているのは、『口砂香』というお菓子。一見して、砂糖を固めた落雁に見える。
一口大で、花の形を模したそれを摘まんで食べてみた。
「――んん?」
粉っぽくてひたすら甘いだけの落雁とは違うことに気付く。
さっくりとした触感で、口の中でほろりと溶けてなくなる。
品のある甘さがあって、じっくりと味わいたいようなお菓子だと思った。
美しく模られた形を見て、職人さんのこだわりがこもっているような気がした。
聞けば、材料も落雁と違うらしい。
落雁はもち米と砂糖を使って作るのに対し、口砂香はうるち米に砂糖や水飴などを使って作るとか。
口の中で砂糖が香るなんて、素敵な名前だと思った。
口砂香もシュガーロードに伝わる伝統菓子らしい。メモを取りながら、オーナーの話を聞く。
「砂糖道、胸がときめく言葉です」
その感想に対し、無表情で頷くだけのオーナーだった。
それから静かな時間を過ごす。
待機中は好きに過ごしていいと言うので、授業のレポートを書かせてもらった。
幸いにも、分からないことがあればオーナーに聞けば的確な答えに導いてくれる。さすが、先生だと思った。(書道の先生だけれど)
レポートも終わり、時計を見れば夜の九時半。
雨はまだ止みそうにない。
「なんとかして、お客さんに来て欲しいですね」
「別に、どちらでも」
「でも、こだわりのお菓子と飲み物を用意していて誰も来ないなんて、寂しいですよ」
せめて、雨の降っている日限定とかにすればいいと提案をすれば、それでは『小夜時雨』(※夜に降る雨の意)ではなくなると言いだすオーナー。
謎のコンセプトカフェの理解に苦しむ。
「私も、給料泥棒をしているようで、心が苦し――」
文句を重ねていたからか、黙れとばかりにオーナーの手より口砂香が口の中に運ばれる。
甘くて美味しい!
幸せな気分もひとときで、口の中のお菓子は雪のように消えてなくなる。
そこでハッとなる。
「な、何をするんですか!」
「少しは黙るかと思えば、口砂香では継続時間が短い。カステラ一本くらい必要か」
「言って頂けたら大人しくしておきますよ」
はあと盛大なため息を吐き、ぐったりと椅子の背に体を預ける。
こんなに暇ならば、東雲洋子先生の新刊でも持ってくればよかった。既に三回くらい読んだけれど。
最近忙しくて、ファンレターを書く暇もない。いっそ、ここでの待機時間で書こうかとも思う。
オーナーに渋面を注意され、眉間の皺をぐりぐりと解していると、カランと玄関に付けた鐘が鳴る音が聞えた。
同時に、「こんばんは」という声も。
「い、今、扉が開いた音と、こんばんはって聞こえましたよね!?」
「確かに」
「お客さん!?」
私はオーナーの顔を見て、すっと立ち上がる。
「お迎えをしに行きますね!」
返事を待たずに、私は玄関に向かって走った。
お店に入って来たのは、スーツ姿の若い男性。年はオーナーと同じくらいに見えた。
「こんばんは、いらっしゃいませ!」
声をかければ、男性はよかったと笑顔を見せる。
どうやら本当にお店なのか、さらに、営業をしているのか、恐る恐る入ったらしい。
その気持ち、よく分かると思った。
お客さんが入りやすいように、もうちょっと大きい看板を作ったり、外の灯りを増やして欲しいところではある。
奥の部屋へと案内する。
本日の品目は口砂香とコーヒー。一つしかないと言えば、笑顔でそれをお願いしますと言ってくれた。
男性はきょろきょろと辺りを見渡し、私の方を見てにっこりと笑いながらお店の感想を述べる。
「面白いお店ですね、いろいろと」
「はい。オーナーのこだわりのようで」
それから少しだけ、男性客と話をする。
どうやら営業の方で、突然の雨に避難するように、ここまでやって来たと言う。
「実は、東京の本店からこちらに来たばかりで。長崎は本当に雨ばかりですね」
「ええ、びっくりしますよね。折り畳み傘、鞄から出せないですもの」
営業職の方なので、話を盛り上げるのがお上手で。ついつい話が弾んでしまった。
奥からカタリと物音が聞こえ、そちらを見れば、不機嫌顔のオーナーが、腕組しつつ仁王立ちしていた。
「注文が入ったのなら、早く用意しろ」
「りょ、了解デス」
初めてのお客様が嬉しくて、我を失っていた。
給料分、しっかり働かなければと思い、その場をあとにする。
コーヒーを淹れて、お皿に口砂香をピラミッド型に積んで手押し車に置く。
お客様の元へ戻れば、今度はオーナーと何かを話していた。
あの絡みにくいオーナーと会話が続くなんて、営業職の人って凄過ぎる! と思った。まさに、プロのお仕事なのだろう。
「お待たせいたしました。本日のお品目、『口砂香』と『コーヒー』でございます」
「あ、ありがとうございます」
男性に口砂香は甘いかもと思い、コーヒーはブラックを推奨した。
営業のお兄さんはおしぼりで手を拭い、口砂香を口の中へと放り込む。
想像と違う味わいだからか、目を見開いていた。
私も、さきほど同じような反応をしたので、気持ちはよく分かる。
「これ、面白いですね。落雁かと思いましたが、違うように思いました」
「ええ、そうなんです」
オーナーが説明をすると思ってちらりと顔をみたけれど、口はぎゅっと結ばれたままだった。視線で「お前が説明しろ」と言われているような気がしたので、さきほど聞いた言葉をそっくりそのまま言うことになる。
「なるほど、長崎の伝統菓子でしたか!」
長崎と言えばカステラしか思い浮かばないので、勉強になったと言ってくれた。
お土産にもいいかもしれないと言ってくれる。
「長崎ネタ、助かります。今度、取引先での話題作りに使ってみますね」
「それは是非!」
口砂香はそこまでメジャーなお菓子ではないとオーナーが言っていたので、きっと、長崎の人も知らないかもしれない。
「ここは、他にも長崎のお菓子を日替わりで出しているのでしょうか?」
「ええ、そう、ですよね?」
はっきりとした決まりを聞いたことがなかったので、オーナーの顔を見つつ確認する。
そうだとばかりに頷くオーナー。
「えーっと、らしいです」
「いいですね。こだわりのカフェ。失礼ながら、店名を把握していなくて、お聞きしても?」
「はい、『café 小夜時雨』と申します」
ついでに営業についても言っておいた。
「雨の降る夜、また、シビアな条件ですね」
「そうですね。おそらく、静かな時間をお過ごしになれるかと。雨が降った夜には、是非ともお立ち寄りくださいませ」
「分かりました。必ず再訪しますので」
おお、常連さん候補が!
嬉しくてオーナーの顔を見たら、不機嫌な顔のままで居た。
やっぱりその顔、接客向きじゃないと思った。