April.5 『わからん、よりより』
本日も図書館で調べものをする。
もちろん、調べるのは長崎の郷土料理について。さっそく、面白そうな本を見つけた。
長崎には「わからん」という言葉があるらしい。
漢字で書くと「分からん」ではなく、「和華蘭」。
それは、和=日本、華=中国語、蘭=オランダ、ポルトガル、三つの国の交流から生まれた長崎独自の文化を示す言葉らしい。
なんでも、鎖国をしていた時代、唯一の異国との玄関口だった長崎は、様々な物や知識を積極的に取り入れていたとか。
代表的なものは「卓袱料理」と呼ばれるもの。
異国の料理をアレンジしたもので、卓袱の卓は机、袱はふろしきを意味する中国語だとか。
綺麗に整えられた机で食べることから、そのように呼ばれるようになったとか。(※諸説あり!)
コース料理みたいで、結構な品数を出されるみたいだ。
御鰭という汁物、地物産の刺身、豚の角煮、酢の物、天ぷら、煮物、水菓子などなど。
ちなみに、食後のデザートはおしるこらしい。砂糖が貴重だった時代はきっと珍しかっただろうと思った。
画像検索をしてみたけれど、どれも美味しそう。
地元民に話を聞こうと、隣で漫画を読んでいる友達に声を掛けてみる。
「ねえ諒子ちゃん、卓袱料理食べたことある?」
「あるわけないじゃん。あれ、観光客とか、金持ちとかしか食べないよ」
「そうなんだ。てっきり庶民に愛されれているお料理かと」
「一食、一人二万円のコース料理なんて庶民には愛せないよ」
「に、二万!?」
ちょっと学生には高過ぎる。それでも諦めきれずに探してみたら、三千円くらいで卓袱料理を食べられるお店を見つけた。
「諒子ちゃん、三千円で卓袱料理食べられるお店を見つけたんだけど、今度一緒に行かない?」
「え~、三千円払うんだったら、イタリアンがいい」
「じゃあ、私の奢りだったら?」
「卓袱料理かあ~。なんか、堅苦しい感じがするんだよね。料理も店の雰囲気も」
スーツ着て行けばいいのと面倒くさそうな顔で聞いてくる。
無理に誘うのも悪いなと思ったので、他を当たることにした。
「卓袱料理以外の時は誘って。その時は割り勘にするから」
「うん、ありがとう」
どうやらテンション上がる食べ物ではなかったようで。残念。
一人で行くのもなんだかなあと言った感じ。
今度、両親と祖父母を長崎に誘って食べに行けたらいいなと思った。
それにしても、一人二万円……。
頑張ってバイトをしなければいけないなと思った。
「そういえば、乙ちゃん、今度の合コン行くんだっけ?」
「あ!」
そうそう。次の土曜日、合コンが開催されるのだ。まだバイトが決まっていない時期に誘われたので、返事を保留していたのをすっかり忘れていた。
今度の土曜日の天気予報のサイトで調べる。……残念。雨予報だ。
「ごめん、土曜日予定入れちゃってた」
「まじか~。ど~しよ」
「人数集まらない系?」
「違う。高校の同級生の男で、東京の子が来るって言ったら会いたいって奴が居て」
「うわ、なんで?」
「都会の子はみんなオシャレで可愛いってイメージがあるのかも?」
「そんなわけないじゃん!」
「だよねえ~」
バイトの日で良かった。変にハードルが高くなっている合コンに行くところだった。
私を見て「だよねえ~」としみじみ呟いたのも気になったけれど、詳細を聞いたら傷つきそうなのでスルーしておく。
「用事って男?」
「いや~~、う~~ん」
「片思いか」
「どうかな~~?」
Café 小夜時雨で働いていることは言えない。適当に誤魔化せば、とんでもない勘違いをしてくれた。
「へえ、そっか、純情そうに見えて、意外と惚れっぽいと」
「……うん、まあ、ね」
嘘を吐いてしまったことを申し訳なく思い、心の中で手と手を合わせて謝る。
バイト代が出たらイタリアンを奢ることを誓った。チェーン店のだけどね。
時刻は四時半。天気は晴れ。
今日は大切な用事があるので、授業が終わったらすぐに学校を飛び出す。
坂を膝に負担がかからない程度の駆け足で下り、路面電車に乗って長崎駅を目指す。
自宅も近くにあるけれど、向かうのは駅の前にあるショッピングモール。
エレベーターの三階のボタンを押し、早足で目指すのは書店。
今日は大ファンである東雲洋子先生の新刊の発売日。
二年ぶりの人気作、「探偵・中島薫子シリーズ」の新刊で、嬉しくって三冊も予約してしまったのだ。自分用、保存用、布教用にと思っている。文庫なので、お財布にも優しい。
レジで名前と本のタイトルを言えば、店員のお姉さんが取り置き状態にしていた本を持って来てくれた。
「こちらですね」
「――あ、はい」
持って来てくれた本には「探偵・中島薫子と、割烹着殺人事件 著 東雲洋子」とあった。
サブタイトルを確認していなかったので、一瞬ピンとこなかった。
そうそう。長い間、題名が|(仮)(かっこかり)のままだったのだ。最近バタバタしていたので、サイトなどで確認を怠っていた。
それにしても、割烹着とは。
思わず、つい先日、仕事着に割烹着を手渡してきた喫茶店のオーナーの顔を思い浮かべてしまった。
最近流行っているのだろうか、割烹着。
まあいいかと、本の精算を済ませ、地下一階に行ってお弁当を買って帰ることに。
「――あ!」
外に出れば、しとしとと雨が降っていた。
時計の針は十八時前となっている。雨のせいで妙に薄暗い。
これは夕方なのか、それとも夜なのか?
早く家に帰って本を読みたいけれど、たった今散財をしたばかりだ。チャンスがあるのなら、お金を稼ぎたい。
私はもう一度、路面電車に乗って、café 小夜時雨があるオランダ坂を目指すことにした。
坂を昇って小夜時雨に到着すれば、門には営業中の木札が掛かっていた。
この前教えてもらった裏口から中へと入る。
館の中はまったく人の気配がなかったので、「こんばんは」と声を掛ければ、奥の部屋からオーナーが出てきた。
今日もパリっとしたシャツを着ていて、清潔感溢れるイケメンだけど、やっぱり雰囲気はお堅い。この人は一年中こうなのだろうと思った。
眉間に皺を寄せ、歓迎しない一言を呟いてくれる。
「……来たか」
「来ましたとも!」
オーナーの嫌そうな顔は無視して、まずは着替えようと思い、従業員用の部屋で黒のワンピースに着替える。
これは膝下丈のもので、フォーマルとしても使えるちょっといい服だ。去年の誕生日に祖母から貰った物で、お気に入りの服の一枚でもある。
髪の毛はポニーテールにして、前髪に軽く櫛を入れた。
休憩所から出れば、営業中の木札を手にした向井オーナーが。
「あれ、雨、止んじゃいました?」
「……」
「オーナー?」
反応がなかったので、大丈夫かと覗き込めば、ビクリと肩を揺らして木札を地面に落とす。
拾って差し出せば、力ない様子で受け取っていた。
「もしかして、私、変でしょうか?」
「いや……可もなく、不可もなく」
「だったら、よかったですが」
雨は止んでしまったとのこと。あっさりと閉店になってしまう。
幸い、こういう場合でも、お店の掃除などをすれば時給は発生するらしい。ありがたいお話だった。
箒を取りに行こうとすれば、引き止められる。エプロンを用意してくれたらしい。キッチンに行って受け取った。
「――あ!」
袋から出てきたのは、ふりふりのエプロン!
とても可愛いので、テンションが上がる。
「オーナー、ありがとうございます」
エプロンを掛けてみてもいいかと聞き、好きにしろというのでその場で身につける。
「どうでしょう?」
その場でくるりと回り、スカートの裾を掴んで聞いてみる。
「……可もなく、不可もなく」
「……ですよね〜〜」
割烹着だったら似合っていると言ってくれたのか。
いや、割烹着が似合うと言われても、女子大生の身としては微妙な気もする。十年後くらい経ったあとに言われたら嬉しいかもしれないけれど。
「あ、割烹着と言えば!」
私は鞄の中から一冊の本を取り出し、オーナーへと差し出した。
「この方の本、面白いので差し上げます。今日発売の新刊でシリーズものですが、途中からでも楽しめますよ」
オーナーは本を目にした途端、ぎょっとしたような顔を見せている。
「どうかしました?」
「……いや」
いろいろとお世話になっているお礼だと言っても、受け取ってくれなかった。
「じゃあ、貸します。なので、読んでください」
「いい、いらない」
「なんでですか?」
「所持、している、から」
「え?」
なんと!
驚いたことに、オーナーも東雲洋子さんのファンだった!?
発売日に買うなんて、相当好きに違いない。
嬉しくなって質問をすれば、ますます顔は強張り、ぎこちない様子になる。
「あ、もしかして、自分のことを聞かれるのが苦手なタイプでしょうか?」
「それは、そう、かもしれない」
「だったら申し訳ありませんでした」
同士を見つけたと思い、ついぐいぐいと話しかけてしまった。反省。
本は鞄の中に入れて、お詫びにお茶でも淹れることにした。
「えーっと、お菓子は何かあったかな~」
非常食入れでもある鞄の中を探っていたら、オーナーが何かを差し出してくれた。
「菓子はこれを食べるといい」
それは、初めて見るお菓子。
細長い棒のようなものを螺旋状に捩じったお菓子のようだ。
「このねじねじはなんでしょう?」
「ねじねじじゃなくて、よりよりだ」
「ちょっと惜しかった!」
これも長崎で有名なお菓子らしい。よりよりと呼ぶのはここだけだとか。
その他の地域では麻花とか唐人巻という名前で呼ばれている。
元々は中国のお菓子で、長崎では月餅よりも有名だと言う。
せっかくなので、中国茶と共に頂く。
私が淹れようと思っていたけれど、茶器の使い方が分からなかったので、結局オーナーが準備をしてくれた。
よりよりは本日のメニューだったらしい。
キッチンにある椅子に座ってちょっとしたお茶会をすることになった。
「では、いただきます」
夕食を食べていないので、さきほどから空腹を訴えていた。
さっそく、よりよりに噛り付く。
「――硬っ!」
想像以上によりよりは硬かった。
なんとか奥歯で齧り、ボリボリと音をたてながら噛み砕く。
味はなんだろう、乾パンに似ている感じ? 歯ごたえが面白いなと思った。
よりよりと共に、渋い中国茶を一口。うん、美味しい。
よりよりは甘さ控えめで、素朴な味わいのあるお菓子だった。
硬すぎると言えば、最近はソフトタイプのよりよりが出ていることを教えてくれた。
よりよりも鎖国の時代に長崎へとやって来たのか。それ以外に、どんな中華菓子が伝わったのか。
新たに調べたい長崎ネタが浮かび、ワクワクしてしまった。