番外編――中秋の名月
朝、軽い足取りで大学の門をくぐり抜け、講義室へと向かう。
そんな中で、偶然廊下で出会った諒子ちゃんに、あることを指摘されてしまった。
「乙ちゃん、今日デートでしょう?」
「なんでわかったの?」
「服がいつもよりおしゃれだし、顔もゆるんでいるし」
「そ、そっか。服はともかくとして、顔は気を付けるね」
だって、三カ月ぶりのデートなのだ。
ここ最近、向井さんはドラマ化と舞台化の打ち合わせで忙しく、東京と長崎を行き来している。
小夜時雨は雨の日に営業しているけれど、店に立っているのは向井さんの知り合いの菓子職人、青木悠さん。最近、務めていたお店を辞めたようで、小夜時雨の代理オーナーを務めてくれている。
青木さんがまた、キャラの濃い人で……。一言二言じゃ語れない。
そんなことはさておいて、久々に会えることもあり、無意識のうちに浮かれていたのだろう。
「週末だし、遠出でもするの?」
「ううん、中華街の中秋節の催しに行くの」
「は、何それ?」
「あれ、諒子ちゃん行ったことないの?」
「初めて聞いたし」
「そうなんだ~」
中秋節とは別名『団円節』とも呼ばれる中国の三大節句の一つで、一年の中で一番綺麗に見える月を家族で眺める、大変おめでたいお祭りらしい。
日本では、十五夜のお月見として親しまれている。
「中華街では毎年、月に見立てた満月灯篭が千個、灯されているんだって」
「また、渋いデート選択を」
「そうかな?」
いったい、世間の若者はどこにデートをしに行っているのやら。
私個人としては、向井さんから中華街の中秋節の話を聞いた時は、大変わくわくしたけれど。
「まあ、らしいといえばらしいかな」
「らしいって?」
「わからなかったらいいよ。二人はお似合って意味」
「そっか、だったら良かった」
うきうき気分のまま、授業を終え、集合場所である大学の近くのバス停まで急いだ。
向井さんは――いた!
相変わらず、十分前行動のようだ。
「お久しぶりです」
挨拶に対し、片手を軽く挙げて応える向井さん。
これが、大人の余裕……!?
けれど、珍しくすぐに手を繋いでくる。
いつもは私が向井さんの服の袖をちょいちょいと引っ張っておねだりをしないと繋がないのに、珍しいなあと。
けれど、その理由はすぐに発覚することになった。
諒子ちゃんが中華街の中秋節を知らなかったので、比較的ゆったりのんびりな催しなのかな~と思っていたら、中華街に辿り着いてびっくりすることになる。予想に反して、結構な人混みだった。
「わあ、すごいですね」
「ランタンフェスティバルほどではないがな」
「ほうほう」
ランタンフェスティバルとは二月から二週間ほど、中華街の周辺で開催されるお祭りで、中国の旧正月をお祝いするものらしい。
十二支や龍や、神様のランタンが一万五千ほど飾られるとか。
皇帝パレードと呼ばれる、清朝の皇帝と皇后を乗せた御神輿が見られるのも、見どころの一つだと教えてくれた。
「さぞかし幻想的なんでしょうね」
「死ぬほど人が多いから、行く時は覚悟をしなくてはならない」
「な、なるほど!」
そんなことを話しながら、会場を歩いて行く。
周囲を見渡せば、いたる場所に黄色いまんまるのお月さまみたいな灯篭が飾られていた。
まだ六時前なので、灯篭の明かりは点けられていない。
何故早く来たかと言えば、明るいうちにやっておきたいものがあったのだ。
それは、中華街にある東西南北の門に置かれてある祭壇を回るスタンプラリー!
受付で台紙をもらい、さっそく挑戦をする。
まず、北門に辿り着く。
祭壇の前には豚の生首があって、ちょっとびっくりした。
中秋節のお供え物らしい。
北門に祀られているのは、関聖帝君という名前の神様。
「正確に言えば、『三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君』。商売の神様だ」
「おお、早口言葉みたいなお名前! 小夜時雨の繁盛をお祈りしましょう」
賽銭箱にお金を入れて、お祈りをする。
「それにしても、素晴らしく立派なお髭ですね」
祭壇の中に鎮座する関聖帝君様は、口元に長い髭をたくわえていた。
ここで、驚きの事実が判明する。
「あれは関羽だ」
「あ、そういえば!」
関羽といえば三国志などで有名な武将。美髭公とも呼ばれていたような。
まさか、商売の神様として祀られていたなんて。
「関羽の故郷は塩の名産地で、商売人は守り神として祀っていたらしい」
どうやら義理堅い人柄が神格化されていたようだ。なるほどな~。
いろいろと勉強になった。
最後は忘れずにスタンプを押す。
次に向かったのは東門。
ここには福徳正神、またの名を城隍神と呼ばれる神様が鎮座していた。
土地を守る神様だとか。
ここでもお祈りをして、スタンプも忘れずに押していく。
続いて西門。
こちらにおわすのは縁結びの神様、月下老人!
向井さんとのご縁が続きますようにと、しっかりとお祈りをする。
もちろん、スタンプも押した。
最後に南門。
ここの神様は紅一点、大陰娘娘という月の女神様。
美の化身でもあるので、ここでも入念にお祈りをしておく。
すべて集め終えた頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。
満月灯篭の明かりが点され、月のように輝いて綺麗だ。
スタンプラリーの景品は月餅。
ありがたくいただくことにする。
月餅はその名のとおり、月に見立てたお菓子で、かつての中国では中秋節のお供え物だったとか。現代では、中秋節の贈り物として親しまれている。
各地方によって餡の中身が異なり、木の実が入っている物や、ねっとりとした卵黄の塩漬けが入っている物など、種類は様々。
カロリーが大変高いので、美味しいからと食べ過ぎには注意するよう、向井さんが教えてくれた。
それから広場で龍踊を見たり、中国の獅子舞を見たりして、存分に楽しんだ。
食べ歩きも堪能させてもらった。
中でもびっくりしたのは、生月餅!
先ほどカロリーの話を聞いたばかりだったので、向井さんと半分こにしていただくことに。
栗の粒の入った餡と、重ねてあるしっとりとした生地がなんとも言えない。これぞ、新しい中華菓子、といった感じでとても美味しかった。
夜も深まる前に帰宅となる。
実に、健全なデートであった。
路面電車に乗って会場を離れる。
駅から自宅まで向井さんが送ってくれるというので、二人並んでマンションまでの道のりを歩いて行く。
静かな夜道で、互いの近況を報告しあった。
「青木とは上手くやっているか?」
「はい、とても親切にしていただいております」
青木さんは向井さんの高校時代の同級生で、身長187cm、元レスリング部とあって、大柄だ。休日はジムに通って鍛えているらしい。角刈りでとても菓子職人には見えないけれど、物腰は柔らかで、とても優しい人だ。
「女性菓子職人と紹介された時は驚きましたけど」
「男性菓子職人と呼べば怒るからな」
「……はい」
つまり、青木さんはそういう人なのだ。
彼……じゃなくて、彼女のお菓子はとても美味しいし、素晴らしい職人さんだ。
いろいろと食べ物の趣味も合うので、楽しくお仕事をさせていただいている。
向井さんは相変わらず忙しいようだ。
来月、新刊の発売も控えていて、ちょうど校了したばかりだと言う。
「来年になったら、少しは落ち着くだろう」
「また、以前のように小夜時雨で一緒に働ける日を、楽しみにしています」
そう言えば、頭を撫でてくれた。
暗いから表情が見えないのが残念。
あっという間にマンションの前についてしまう。
お別れの言葉を言おうとすれば、何かを差し出してくれる向井さん。
なんだろうかと手を広げれば、魚――真っ赤な金魚の根付けが!
「うわ~、可愛い!」
どうやらこっそりと買ってくれていたようだ。
金魚は中国ではとても縁起のいいもので、幸せの象徴だと教えてくれた。
「ありがとうございます、嬉しいです」
お礼の言葉を言えば、向井さんはにっこりと微笑んでくれる。
今度は街灯のおかげで、しっかり見ることができた。
幸せな気持ちで満たされていたら、帰るように急かされる。
「あの、今日は楽しかったです。お仕事、応援しています」
「ああ」
「それと――」
「いいから早く帰れ。じゃないと――」
「ひゃあ!」
突然、頬にキスをする向井さん。
びっくりして、水中にいる金魚のように口をパクパクと動かしてしまった。
「こういうことをする」
「よ、よ~くわかりました!」
恥ずかしくなって、踵を返し、マンションの入り口へと向かう。
最後に振り返って、一礼した。
顔を上げれば、複雑な表情を浮かべる向井さんが。
それを見て、ちょっと笑ってしまった。
このようにして、久々のデートは幕を閉じる。




