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番外編――後日談

 ある日曜日の午後、向井さんからメールが届く。

 いつもだいたい昼間は仕事をしているので、連絡がくるのは夕方から夜だった。

 珍しいなと思いつつ、メールを開いたら、大変な内容が書かれていた。


 ――風邪を引いた。たぶん、熱がある。喉も痛い。


 実に簡潔な、体調不良を訴えるメールだった。

 私は急いで何か必要な物はないか、洗濯とかして欲しいものはないかと返信する。が、食欲はないらしいし、ぼ~っとしているので何も思いつかないと。

 家に買い置きの薬もないというので、いろいろ買って届けることにした。


 行ってもいいかと聞いたら、待っているという健気なメールが帰って来る。


 薬局に行って風邪薬とのど飴、額に貼る熱冷ましシートを買い、隣のスーパーで食材を購入した。

 そこからタクシーでマンションまで直行。


 向井さんの家に行くのは二回目。

 一回目はDVD鑑賞と宅配ピザの会がささやかに開催されたのだ。


 すぐに二回目を誘われたけれど、独身男性の家に何度も出入りするのも悪いかなと思い、遠慮をしていた。代わりに、映画を観に行く回数が増えたけれど。


 タクシーはマンションの前で停車。代金を支払い、中へと入る。

 ホテルのロビーに似たエントランスを通過し、オートロックの扉をくぐり抜け、エレベーターで向井さんの部屋へと昇っていく。


 やっとのことで辿り着き、勝手に入ってもいいと言っていたので、以前、何かあった時のためにと互いに交換していた合鍵で扉を開く。


「お邪魔しま~す」


 向井さんが眠っていたらいけないので、小さな声で部屋の中へと足を踏み入れた。

 一応、メールで到着した旨を報告しておく。

 しばらく返信を待っていたけれど、何も反応はなかった。

 やはり、眠っているらしい。


 食欲がないというので、すりおろしたリンゴを食べてもらおうと、スーパーで買ってきた。

 リンゴを食べれば医者いらずと言われているほど、栄養価の高い果物なのだ。

 おろし器がないといけないので、家から持参してきた。

 シャリシャリと、根気強くすりおろし、耐熱皿を借りて、蜂蜜を入れる。

 ラップを借りて、電子レンジで数秒チン。

 個人的には鍋でじっくりコトコト煮込んだ方が好きだけれど、あまり過熱をしてしまうと、栄養素が壊れてしまうのだ。


 残りのリンゴは変色しないようにレモン汁を入れて、冷蔵庫に保存しておく。

 今日中に食べないのであれば、冷凍庫に移動させるよう言っておかなければならない。


 電子レンジの中からホット蜂蜜すりおろしリンゴを取り出し、盆の上に置く。

 一応、風邪が移らないようにマスクを着用した。

 ここ五年くらい健康だったので、大丈夫だと思うけれど、念のために。

 エコバックの中から点滴と同じ成分があるらしいスポーツ飲料とミネラルウオーターを取り出し、盆に載せて寝室へと運ぶ。


 一応扉を叩き、返事があったのを確認して中に入った。

 カーテンが閉ざされた寝室は薄暗く、布団を頭から被った向井さんの姿が。

 申し訳ないと思ったが、足元がおぼつかないので電気を点けさせてもらった。


「向井さん、大丈夫ですか?」

「……大丈夫、じゃない」

「タクシー呼んで病院に行きます?」

「そこまで、酷いものではない」

「そうでしょうか?」


 とりあえず、寝台の脇にある円卓に盆を載せた。


「すりおろしたリンゴを持ってきたのですが」


 もぞりと動き、顔の半分を布団から覗かせる。


「……」

「何かお腹に入れないと、元気になれませんよ」

「喉が痛くて、飲み込むのが辛い」

「蜂蜜を入れましたし、温めたので少しはマシかと」


 そんな風に言えば、のろのろと無言のまま起き上がる。

 目は赤くなっており、涙目で、顔色も悪い。

 額に手を当てれば、酷く火照っていた。

 早速、熱さましシートを貼りつけた。


「なんだ、これは?」

「熱冷ましシートですよ」


 どうやら初体験だったらしい。着け心地は悪くないとのこと。


 そして、蜂蜜すりおろしリンゴを軽くかき混ぜ、向井さんへと差し出した。

 だがしかし、じっと器を見下ろすばかりで、受け取ろうとしない。

 一口か二口だけでも食べてもらおうと、匙に掬って口元へと持っていった。

 すると、案外素直に食べてくれる向井さん。


「どうですか?」

「食べられる」

「それは良かったです」


 再び、器を差し出したが、受け取らない。

 まさか、食べさせろという無言の要求なのか。

 まあ、仕方がない。病人なので優しくしてあげることにした。


 食べさせてあげたのがよかったのか、すりおろしリンゴは完食してくれた。

 薬と水分を手渡し、冷蔵庫の中にすりおろしリンゴの残りと、比較的食欲がない時でも食べやすい、アイスに果物類やヨーグルト、ゼリー、鍋焼きうどんなどを買ってきている旨も伝えた。


 ここに来てから早くも一時間以上経過している。

 そろそろお暇しなければ休めないだろう。


「じゃあ、向井さん、私はこれで――」


 立ち上がって踵を返し、一歩踏み出したが、先に進めない。

 向井さんが私の服を掴んでいるからだ。

 病人なのに、引き止める力は残っていた模様。


「まだ、ここに」

「いいですけれど」


 眠るまで傍にいて欲しいらしい。

 なんて、可愛いことを言ってくるのか。

 じっと眺めていれば、掠れた声であることを訴えてきた。


「なんでも、言うことを聞くと、言っていたな」

「そんなこと、言いましたっけ?」


 すかさず、向井さんはスマホを取り出し、私が送信したメールを見せた。

 確かに何かして欲しいことはないかとは書いてあるけれど、なんでも言うことを聞くという意味ではない。

 そんな風に伝えれば、「……弄ばれた」と呟く向井さん。頭から布団を被り、拗ねたような態度を取る。


 いつ、私が弄んだというのか。

 けれど、病人なので、私が折れることにした。


「わかりました。私が出来ることならしますから」


 何かと聞けば、布団より顔を出し、驚くべきことを要求してきたのだ。


「……一緒に、住みたい」

「それは無理です」


 即座にお断りをすれば、目を見開いて信じられないといった表情となる。


「そもそも、どこで暮らすというのですか?」

「ここに」

「どの部屋も本で埋まっていると言っていましたが?」

「小夜時雨の二階に持って行く」

「小夜時雨の本棚もいっぱいいっぱいでしょう」

「だったら、店に、本棚を置けばいい」

「それは――」


 お客さんが本を読めるように本棚を置く。素敵な物のように思えてしまった。

 だが、すぐに我に返って無理だと二度目の拒否をする。

 けれど、店に本を置くのは賛成した。


「弱っている時に、酷い……」

「酷くないですよ。ここからはアクセスも悪いですし」

「学校まで車で送る」

「滅相もありません」


 再び、布団を頭から被ってしまう向井さん。

 埒が明かないと思ったので、「遠くない未来に」と答えておいた。

 今日はその返事で満足をしてくれたようだ。


 その後、眠ったようなので、こっそりと帰宅をさせていただいた。


 ◇◇◇


 二日後、雨の日の夕方に私は小夜時雨へと向かう。

 向井さんはすっかり風邪も直ったようで、二階の書斎で仕事をしているとか。

 私もエプロンをかけ、元気よく接客しようとフロアまで行けば、見慣れぬ物体があるのに気付いた。

 それは、真新しい本棚であった。しかも四つも置いてある。

 その場にある机や椅子とも調和が取れた色合いや設置に感心をしてしまったが、なんだか嫌な予感がしたので触れないでおいた。


 三日後、本棚には本が詰められ、メニュー表にご自由にお読みくださいという文字が書かれていた。

 仕事が早すぎる。


 けれど、本はお客様には評判だった。

 続きが気になるので、また来るとも言ってくれた。


 さらに三日後、向井さんが私に質問をしてくる。


「で、いつ引っ越してくる?」


 私は病人のうわ言だと思い込んでいたが、向井さんは本気だったのだ。


 にっこりと引き攣った笑みを浮かべ、答える。


「と、遠くない未来に」


 けれど、今日は誤魔化せなかった。

 すぐに捕獲され、問い詰められる。


「短期間で部屋を開けるのは、骨が折れる作業だった」

「っていうか、締め切り前に何をしているのですか!?」

「作業の合間に仕事をしたから問題ない」

「せめて、割合を逆にしてくださいよ」


 同棲なんて在学中は無理だとはっきり述べれば、この世の終わりを迎えたような表情となる向井さん。大袈裟だと思った。


「卒業まで何年?」

「三年ですね」

「……」


 そんな、絶望するほどのことでもないかと。


 けれど、このまま引き摺られては仕事に悪影響を及ぼすので、譲歩案を出す。


「また、近いうちに遊びに行きますから」


 そう言えば、ご機嫌は回復する。

 実に単純だと思った。


 そんな感じに、私達は亀の歩みでお付き合をしている。

 楽しい毎日を過ごしていた。


 番外編――後日談 完


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